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再会

 翌日、珠理は明玲と共に学舎に向けて帰途についた。

 帰りは乗り合い馬車ではなく明玲の乗ってきた学舎の馬車に乗った。そのため乗り継ぎの手間もなく珠理は馬車の中でゆったりと過ごすことができ、旅は行く時よりも順調に進んだ。夜は明玲や御者と近くの宿に泊まったが、そこでも何の問題もなかった。珠理は平穏に学舎まで帰ることができ、戻ると早速、学舎に付属の図書館へ向かうことができた。

 学舎に隣接して建てられている学生や師範のための図書館には、ありとあらゆる分野の書物が納められている。国内だけでなく、他国の書物までもが豊富に揃えられていた。蔵書の数は膨大で、正確な数は珠理も知らないが、おそらく数十万冊はあるだろう。

 学舎が建てられている場所には、もともと国王の静養のための離宮があり、この図書館もかつては王と王族しか利用することができなかったらしいが、何代か前の国王の時代に学舎が設立されてからは、学舎の施設となって学生や師範が自由に書物を閲覧できるようになったのだ。ただし、書物を閲覧するためには書士と呼ばれる管理人に申告して許可を得なければならないし、閲覧する時もその書士の監視の下、この建物の中のみに限られている。それでもここにくれば、監視つきとはいえいつでも好きなときに好きな本が読めるということで、珠理は入学した頃から足繁く通っていた。

 だから今日も、珠理はその図書館に入るとさっそく、顔馴染みの書士にこの国の史書の閲覧を申し出た。許可はすぐに下り、書士はすぐに数冊の史書を書庫から運んでくる。珠理はその中からいちばん最近に書かれたものを選んで閲覧することにした。

 史書を閲覧しようと思ったのはあの遺体となっていた子供の正体を調べるためだった。珠理にはあの子供がどこの誰なのか、見当もつかない。しかし、あの場所に遺棄されているということは、あの子供も聡英と同じ惨事に見舞われて生命を落とした可能性がある。そうだとすると、あの子供は最期に彼の近辺にいたことになるが、王宮は普通、子供がいるところではない。官吏になるのに年齢の制限はないが、珠理が十二で学舎に入学したことすら、珍しいと騒がれたのだ。珠理よりも小さな子供がその当時すでに官吏として仕えていたとしたらその存在はもっと世間に知られていたのではないか、と思う。にもかかわらず珠理はそういう話を、これまで噂としても全く聞いたことがない。すると、あの子供が官吏だった可能性はかなり低い気がする。出入りしている官吏か貴族の誰かが、身内を連れてきていた、というのもあまりありそうではなかった。官吏の家族や、貴族の家人などは、それぞれの家内から動かないものだし、それ以前に官位を持たない者は原則として王宮に入ることができない。たとえ宰相の嫡子といえど、官位を持たなければ理由もなく王宮に入れてはいけないのだ。しかし官吏でなく、貴族でもないとなると、あの子供の身分はいったい何だろう。珠理には見当もつかなかった。それで史書を調べてみようと思ったのだ。王宮に官位を持たない子供が滞在するようなことがそう頻繁にあるとは思えず、そういう特殊なことがあったなら何某かの記録が残されている可能性がある。珠理が授業で使う近代史の史書は重要事項だけを書き連ねた簡略版だが、図書館に保管された正式のものなら、公にされている史実は全て記載されていた。当時の王宮の内情などが、史書から全て分かるとは珠理も思っていなかったが、珠理の身分では、他に調べる手段がない。

 それで珠理は史書を隅々まで読んだが、あの子供の身元に繋がるような記述を見つけることはできなかった。当時、年端もいかない子供が任官していたという記録はなく、貴族の子弟が出入りするような行事があったという記録もない。聡英の身内にも子供の存在は確認できなかった。彼はまだ婚姻しておらず、したがって当然、子もいない。当時の王族で子供と呼べそうな存在は彼の妹だけだが、彼女は現在の国主だから勿論、あの子供ではありえない。聡英に他に弟妹はなく、身内として王宮に住んでいた親族も彼の父親、つまり先王の年の離れた弟妹だけだった。弟のほうは聡英と同じ年に身罷っている。妹はまだ存命しているようだが、史書に記載された二人の生年を見れば、どちらも当時はすでに成人していたはずだ。先王の弟妹はどちらも未婚で、子を生したという記録はない。つまりあの子供は、官吏でも貴族でも、そして王族でもないのだ。だがそうなると、珠理ではあの子がどこの誰なのか、全く分からない。

 やはり図書館の史書だけで調べるというのは無理か。珠理は落胆とともに溜息をつく。そしてふいに思い至った。

 ――そういえば、どうして自分が聡英の記憶を見ることができたのだろう。

 珠理には死者の記憶を見ることができるという異能があるが、勿論、誰の記憶でも見ることができるわけではない。珠理が見ることのできる記憶は、珠理の中に入ってきた霊の記憶だけだ。そして霊というのは概ね、その霊にとって縁の深い場所から動かない。動かないものだということを珠理はこれまでの経験で学んでいた。霊の多くは己が死んだことが理解できずに死んだ場所に留まったり、生前の未練を引きずったまま、それと関わりのある場所や物や、時には人に憑いていたりする。だが、学舎は王宮の中にはない。

 聡英が死んだのは当然、王宮の中であるはずだ。彼の霊が留まっているとすれば、王宮の中であるのが自然だろう。しかし、珠理が彼を拾ったこの場所は王宮の中にはない。学舎は確かに王都にあるが、王都の中心にある王宮からは少し離れたところに位置している。王宮はこの国が開かれた古の時から場所を変えたことがなく、ここに国王の離宮が築かれていたのも聡英が生まれるよりずっと昔のことだ。聡英の霊がここにいる道理がない。なのになぜ、珠理の中に彼の霊が入ってくるのだろう。珠理は王宮に足を踏み入れたことなどないし、聡英とも何の接点もない。聡英の霊を拾う機会などあったはずがなく、彼のほうから珠理を追ってきたとしか考えられないが、なぜそんなことが起きたのだろう。珠理のほうが霊に近づいたことで霊を拾ってしまったことなど今まで数限りなくあったことだが、霊のほうから珠理に近づいてきたことなどこれまで一度たりともなかった。いったい珠理の何が、聡英の霊を引き寄せてしまったのだろうか。


 感じた疑問の答えを得ることができないまま、珠理は書士に史書を返して、寮に戻った。戻るとすぐ、寮監が珠理に来客があると教えてくれる。

 珠理は首を傾げた。身寄りのない珠理に客が訪ねてくる道理はなく、訪ねてこられる相手にも心当たりはない。何の用で訪ねてきたのかも分からなかった。だから会談室へ向かうことも入学以来、今日が初めてで、珠理は寮監に先導されて会談室へ向かう。なんとなく緊張しながら廊下を歩いて会談室に入った。

 室内では、一人の老女が椅子に腰を下ろしていた。入室してくる珠理を見やると、すぐさま立ち上がって丁寧に一礼する。

 珠理は瞬いた。老女の顔に珠理は見覚えがあった。彼女とは聡英の墓所へ行く旅の途中に一度、同じ馬車に乗り合わせたことがあったからだ。しかし珠理は彼女とはそれ以上の縁を持たない。彼女には珠理を訪ねてくる理由も必要もないはずだ。それとも、明玲に学章を届けに来たという車主のように、老女も何か珠理の所持品を届けに来てくれたのだろうか。珠理には学章以外の物を失くした覚えはないのだが。

「・・あの、私にどのような御用でしょうか?」

 訪ねてくることなど想像もつかなかった来客に、珠理は恐る恐る訊ねてみた。

 老女は柔らかく微笑む。

「お久しぶりですね。ちょっと、お伝えしておきたいことがあったものですから」

 意外なことに老女は訛りのない綺麗な言葉で話しかけてきた。珠理がそのことにやや驚いていると、老女は珠理に座るよう促す。珠理は慌てて老女と向かい合わせる場所に置かれた椅子に腰を下ろした。その間に寮監が茶器を整えてくれる。老女は彼に、内密の話があるから少しのあいだ席を外してくれないかと告げたが、彼は首を振った。

「それはできかねます。私には学生が学外の者と面会する間、傍に立ち会わねばならない義務がございます。ここを離れるわけにはいきません。私の存在はお気に障るでしょうが、貴女が犯罪に関することを口にしない限りは、何を聞いても私はいっさいを聞かなかったことにいたします。決して他言することはいたしません。ご安心ください」

 寮監の言葉に珠理は頷いた。老女に寮監が同席することは寮の規則で仕方がないのだと告げる。実際にはこういう規則は寮にはないのだが、珠理が寮監に、自分が来客と面会している間は適当なことを言って、自分の傍に控えていてくれないかと、ここに来るまでの間に頼んでおいたのだ。全く予定にない来客と会談室で二人きりになるのは怖い。傍らで見守ってもらえれば、それだけで安心できる。

 老女は溜息をついた。

「そうですか。私としましては、無関係の者にあまり手荒なことをしたくはないのですけど。それなら仕方ありませんね」

 え?珠理は老女の言葉に思わず首を傾げた。彼女の言っていることがよく分からない。だが怪訝に思う珠理に老女はそれ以上何を言うこともなく、徐に自身の右手を上下に軽く振った。鈴を鳴らすような硬質の、軽やかな音がする。何の音だろう、老女の身につけた飾りの音だろうかと、珠理は思った。その時のことだった。

 突如として、会談室に大勢の人々が乱入してきた。

 突然の事態に驚いて身を硬くした珠理の周囲に、彼らは素早く群がってくる。ある者は庭に面した窓の向こうから、ある者は珠理が入ってきた戸口から、またある者は会談室に元から置かれている風避けと飾りの双方を兼ねる屏風の裏から現れた。ふいに現れた見知らぬ者たちに珠理はしばし呆然とし、我に返って悲鳴を上げようとした時には、その彼らによって珠理は羽交い締めにされ、口を塞がれていた。抵抗など全くできなかった。

 寮監が乱入してきた者たちを誰何する声が珠理の耳に届いた。彼は大声で非常事態の発生を喚きながら珠理を助けようとしてくれている。しかし多勢に無勢だった。珠理を捕らえているのとは別の者たちが、彼を取り押さえにかかったのが視界の片隅に映る。何か暴力的な物音がして、寮監の呻き声が聞こえてきた。珠理はその声に言い表せぬほどの不安を感じたが、それきり、珠理は彼の姿を見ることも、声を聞くこともできなかった。

 何か薬のような臭いを鼻先に感じた。自分の口を押さえている人物の手から発されていると分かる。珠理は得体の知れない臭いを嗅ぐまいと努めたが、口が塞がれている以上、いつまでもその努力が続くはずもなかった。やがてその臭いは珠理の鼻から入り込んでいく。そのせいかどうか、すぐに珠理は意識を清明に保っていられなくなった。何が起きているのかも分からないまま、珠理の身体から感覚が失われていく。


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