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推理

声が聞こえる。

 誰かが歌っていた。幼い子供に聞かせるような、音程に変化が少ないゆったりとした曲調の歌で、聞いているだけで和やかな気持ちになる。

 珠理がいるのは、どこかの庭園だった。

 美しい庭園で、至る所に花壇が築かれ、色とりどりの花々が咲き乱れている。遠くには温室ではないかと思われる小ぶりな建物も見えた。建物の外壁は玻璃でできているらしく、陽光を浴びてきらきらと宝石のように輝いているのが、ここからでも見て取れる。

 花壇の周辺に植えられている低い樹木はすべて、可愛らしい動物の形に刈り込まれていた。細部まで丹念に手入れされた庭で、特に温室の存在が、この庭園の造作を指示した人間の経済状態を何よりも雄弁に語っている。庭に温室を置けるような家など、上級貴族かそれ以上に位の高い家だけだ。

 まだ歌声は聞こえている。珠理はその歌声が聞こえるほうへ顔を向けた。その動作で珠理はいま自分が、霊の記憶を見ているのだと気づいた。今の動きは、珠理自身の意思による動きではない。

 珠理の視線の先で、一人の女の子が庭園の一隅に据えられた遊具で遊んでいる。

 女の子は立派な絹の衣装を着ていた。歳の頃は五歳くらいにみえる。貴族のお姫様のような装いだった。事実そうなのだろう。女の子の周囲には揃いの豪華な衣装を着た女性たちが数多く集っている。歌っているのは彼女たちで、どうやら女の子の遊びの相手をしているようだった。女性たちはたぶんどこかの侍女だろう。これだけの数の侍女が常時、傍につけられているからには、この女の子はかなりの身分に属していると思われた。

 女の子は笑っていた。いかにも天真爛漫そうな笑顔で、見ている珠理まで幸せな気分になる。

女の子がふいにこちらを向いた。珠理のほうを見ると、嬉しそうな笑顔を見せて遊具からぴょんと跳び下りる。こちらに向かって駆けてきた。まだまろぶような動きの走りが、なんとも稚く感じられて可愛らしい。

 ――お帰りなさい、聡英お兄さま。

 女の子がそういって珠理に抱きついてきた。この言葉で珠理は、いま自分が聡英の記憶を見ているのだと分かった。そうなると、この女の子がどこの誰なのか、珠理にはおおよその見当がつく。

 珠理は女の子を抱き上げると、しばらく他愛もない会話を楽しんだ。本当にどこででも交わされていそうな兄妹の日常の会話だった。だがそんな何気ないやり取りであっても、聡英が自分の妹を深く愛していたことは充分に伝わってくる。同時に女の子のほうも、聡英をとても慕っていたことが伝わってきた。彼らは真実、仲の良い兄妹だったのだろう。

 ――でも、だったらどうして、ああいうことになってしまったのだろうか?

 珠理の意識にその疑問が渦巻いた。だがそうしたことで、今まで見ていた聡英の記憶が霞むのを感じる。急速に、珠理の意識が過去の美しい庭園から離れていった。しまった、と思った。珠理が己の思考に意識を集中させたことで無意識に霊に抵抗してしまったのだ。珠理が霊に抵抗すれば、霊と相性を合わせておくことはできなくなり、当然、その記憶を見ることなどできなくなる。すぐに珠理の視界は、闇に包まれて何も見えなくなった。


「――珠理、珠理。大丈夫か?私の声が聞こえるか?」

 誰かに呼びかけられ、身体を揺すられる感触がして、珠理は目を開けた。目の前の人物が安堵したような微笑を浮かべるのが視界に入る。その人物が誰なのかはすぐに認識できた。珠理は思わず目を見開く。

「・・師範(せんせい)?」

 珠理が驚いて声を出すと、明玲は安堵したように微笑んだ。

「そうだ。珠理は大丈夫か?まだどこか苦しいとか、痛いとかの異常があるか?こんなところで倒れているから、いったい何が起きたのだと思ったが・・」

 珠理は首を振った。珠理の身体には何事も起きていない。少なくとも今はまだ霊に抵抗したことによる不調も出ていなかった。それで心身に異常がないことを伝えると、珠理は師範の手を借りてその場に身を起こす。その時になってようやく、珠理は自分が彼の墓所の前で倒れていたことを知った。辺りはすでに夜の闇に包まれている。明玲が持参してきたらしい灯火が地面に置かれていたから、付近の様子はうっすらと見て取れるが、そもそもどうして師範がここにいるのだろう。

「・・師範。どうして、ここに来たんですか?」

 珠理が問うと、明玲は軽く咎めるような目で珠理を見つめてきた。

「どうしてここにいるのか、という問いをしたいのは私のほうだ。なぜ、一人でこんな山奥に入ろうと思った?珠理は、学技披露会で着る衣装の生地を買うために外出したはずだろう?それがどうして、人家もろくにないこんなところにいる?」

 珠理は思わず視線を逸らした。何と言えば、すんなりと師範を納得させられるだろう。

「・・えっと、か、買いに行こうとしたんだけど。途中で、道がよく分からなくなってしまって・・その、山に入ったのは、単なる好奇心です。私、こういう山って間近で見たことがなかったから、ちょっと散策したくなって、それで・・」

 珠理は懸命に言葉を捜しながら告げたが、言えば言うほど自分の言葉が言い訳じみたものになっていくという自覚があった。実際、目の前の明玲の表情は次第に険しさを増していく。

「そ、それで。その・・」

「珠理、正直に言ってくれ。本当はどういう用でここに来たのだ?」

 明玲が珠理を見つめてきて、珠理は焦った。本当の理由を言うわけにはいかない。珠理の異能は珠理だけの秘密だし、そうでなくても口にすることはできない。王兄の死に疑義があることを表明することは、現王の治世に疑惑ありと公に告げることだ。そんなことをしたら最悪、叛意を疑われることもあり得る。

 何を言えばいいのか分からなくなり、珠理がずっと無言でいるのを、明玲はしばし静かに見つめていた。珠理を見つめ、それから珠理の背後にある彼の墓所を見つめ、何かをしばらく考えているようだった。やがてどういう結論を出したのか、明玲はそっと珠理の髪を撫でる。

「・・分かった。言いたくないのなら無理に言わなくても良い」

 珠理は思わず師範を見上げた。明玲の静かな態度には、無言のままでいる珠理に苛立ったというより、何もかもを理解したからもう何も言わなくて良いといった意思が見える。珠理は師範のそんな様子を怪訝に思ったが、明玲は特に自分の意思を語ろうとはせず、淡々とした口調で、歩けるか、と訊ねてきた。

「もう陽が落ちた。私はすぐに下の街まで戻ろうと思うが、珠理は動けるか?動けないのなら私があの酒場まで抱えていくが」

 珠理は首を振った。

「大丈夫です。歩けます。――あの、師範」

 珠理は立ち上がりながら、明玲に訊ねた。

「師範は、どうしてここまで来たのですか?麓からここまで、道だってほとんどなかったのに・・」

「道なら、あった」

 明玲は背後を示した。珠理もそちらを見やったが、暗いせいでよく見えない。

「たぶん珠理が通った痕跡だろう。灌木の枝を折り取ったり、木の幹に印をつけたりといった跡があった。このへんは普段からあまり人が通らないのだろうな。そういう場所は踏み分け道がひとつできるだけでもかなり目立つから、ここまで来るのは比較的容易だった」

 さあ、歩けるならもう行こうか。明玲はそういって珠理の手を取った。彼は足許に気をつけるように告げて灯火を提げながら山を下り始める。明玲は珠理の手をしっかりと握って、珠理の足に合わせながらゆっくりと歩を進めていた。珠理は明玲に手を引かれながら、師範の横顔を見上げる。彼はどうしてここまで来ようと思ったのだろう。

 明玲がどうやってここまで来たのかについては今の言葉で珠理にも理解できたが、あの言葉からはなぜ彼がここまで来ようと思ったのかについては分からない。どうして彼は珠理が来たのがこの街だって分かったのだろう。勿論、珠理は馬車の車主とか、宿の人間とかに旅の途中で何度かこの街に行く手段を尋ねたから、明玲が彼らに訊いたとすれば特に不思議はない。だが、珠理の行き先が分かったからといって、師範がわざわざ学生の行方を追跡する必要があるのだろうか。学舎からこの街までは、どんなに急いでも往復で六日がかかる。明玲がここにいるということは、その間の法令の授業は全て休講となったはずだ。珠理とは何の関係もない学生にまで多大な迷惑をかけてでも、どうして珠理を追う必要があったというのだろう。それとも、そう考える珠理の認識が甘いのだろうか。寮監に偽りを告げて外出するというのは、単なる寮の規則違反に留まらない重大な問題なのか。

 珠理はそのことについて訊ねてみたが、明玲は首を振った。そういうことじゃない、単に自分が珠理のことを心配しただけだと答えてきたので、珠理はそれ以上の質問をしにくくなった。それで珠理は師範と共に一歩ずつ麓に向かいながら、遠ざかっていく聡英の墓所のことを思う。

 ――子供の骨だった。

 珠理が墓所で掘り当て、思わず悲鳴を上げて逃げ出すきっかけになったものは、一体の人骨だったのだ。

 普通に埋葬された死者の骨でないことは、珠理にも分かった。もしそうなら珠理がちょっと掘っただけで遺体が出てくるようなことはないはずだ。あの埋め方は埋葬というより、単に処理に困って隠匿するために土を被せただけだろう。そして、珠理が見たところあの骨は明らかに子供のものだった。それも珠理よりもずっと小さな子供のものだと推測できる。珠理はまだ、授業で人間の骨の成長については学んでいないが、明らかに大人の骨にしては小さすぎるのだ。だが、ろくに知識も持たない珠理でも一見して分かるぐらい小さな子供の遺体が、なぜあんなところにあったというのだろう。あれは、いったい誰の遺体なのか。

 少なくとも聡英の遺体ではない。それは断言できる、と思う。なぜなら、史書では聡英の享年は今の珠理と同じ年になっているからだ。今の珠理と同じ年齢で死んだのならば、彼の骨が自分よりもずっと小さいはずがない。しかし、彼でなければ誰の骨だろう。珠理は考え、そしてかつて地理の授業で、隣国では夫婦や家族などの近しい親族を全て一緒の墓所に入れる合葬というものが行われていると教えられたことがあったのを思い出した。ひょっとして、それかと思った。彼の墓所でその合葬が行われていたのだろうか、と。しかしこの国では一人の死者に一つの墓を用意するのが普通だ。それに、あの埋め方は普通に埋葬したものではない。合葬を行ったわけではないだろう。

 だが合葬でなければ、なぜ聡英の墓所に聡英以外の人間の骨があるのだろう。珠理は考え、そして聡英が当たり前な亡くなり方をしたのではないことを思い出した。彼は自室に乱入してきた何者かによって惨殺された。そして当時の記憶によれば、たぶん聡英の近辺に仕える者たちもまた、彼と同じ命運を辿ったのだ。ならばあの子供も、あの場所に埋められていたということは、彼と同じ惨事に巻き込まれて殺害された可能性があるのではないか。

 珠理は思わず背後を振り返った。灯りがないためもう墓所の姿を垣間見ることはできない。しかし見えないだけでそこに確かに存在する墓所に、他にも大勢の人々が埋められているということはないだろうか。あの惨事で死んだ者たちを、まとめてあそこに遺棄したということも考えられるのではないか。遺体を埋めた土地を、万一にも誰かに掘り返されたりしないように、また仮に見つかっても不審に思われることがないようにあそこを聡英の墓所と公式に定め、他人が容易く出入りできないように扉を板で封じたのではないか。板で封印されていれば内部には入れないし、入れたとしても王族の墓所をわざわざ掘り返す人間がいるとは思えない。仮にそんなことがあったとしても墓から人骨が見つかって不審なことは何もない。だから彼の墓所はあれほどに粗末な造りをしているのではないのか。あの墓所がそもそも、死者の供養のためではなく、公にできない遺体を隠匿するために設けられたものだとしたなら、墓所が粗末な造作であることも、道が満足に整備されていないことも充分に納得できることだ。あの土の上に落ちていた小さな飾りだって、きっとあそこに遺棄された誰かが身につけていた所持品の一部だろう。小さな飾りだから、遺棄した誰かがそれが地面に落ちたことに気づかず放置しても不思議はない。

 あの墓所の地下には、あの名も知れぬ子供以外にも、大勢の人々の遺骸が埋まっている。その想像に珠理は全身に悪寒が走るのを感じた。思わず身を震わせる。反射的に墓所のある方向から目を逸らそうとして、足先を滑らせた。思考に集中しすぎていて、足下の感覚にまで意識が向いていなかったようだ。思わず小さな悲鳴を発して体勢を崩す。だが転倒する前に明玲が手を伸ばして身体を支えてくれた。

「・・大丈夫か?」

 心配そうに問われて珠理は頷いた。明玲に支えられながら体勢を整えると、とりあえずは歩くことに意識を凝らす。陽が落ちてからこんなところで事故でも起こしたら、大変なことになる。


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