グレーテルとひとときのゆめ
作戦会議、と題して2人はいつものように植え込みの影に座り込んでいた。人目の届かない、庭の奥まったところにあるこの場所は、植物の手入れのために庭師がたまに訪れる以外にはロゼとシアンの2人だけしか知らない。ふわりと甘い花の香りが漂う中で、触れない距離で肩を並べている。
「ああもう見つからない!」
「もう9年もこうやって探して見つからないんだから、やっぱり何にもないんだって」
頬を紅潮させて歯噛みする彼女を、彼はいつものように宥めにかかっていた。このやりとりは最早2人のお決まりになっていて、彼の対応ももう慣れたものだ。じたばたする彼女にそっと手を伸ばしそろりと頭を撫でると、彼女はしゅんと大人しくなる。さらさらとした髪の手触りを楽しみながら、彼はあたりの花を見回して彼女に似合いの花を探した。次に会う約束を兼ねた、白い花を。
彼女は腑に落ちないものを感じながらも、こうなると彼に反抗できないのだった。むすっと黙り込んだまま、きょろきょろする彼をじっとりと睨みつける。お揃いのペリドットの瞳には優しい光が見えて、結局何を言えば良いのか分からなくなった。しあんのばか。彼女は呟いて目を瞑る。彼が小さく笑った気配がした。
彼に案内されて、彼女は今回もまた敷地内を探検した。彼女は最早この屋敷の中なら目隠しをしたって迷わず歩けるほどに詳しくなっていたし、お手伝いさん達とも随分仲良くなっていた。けれど、やっぱりロゼは領主さまのお屋敷ではお客様に変わりないので、探検するのは彼と一緒の時だけだ。
(というか、シアンと一緒じゃないと落ち着かないし)
それが思いの外すとんと胸に落ちて、彼女は気恥ずかしさをごまかそうと頭を振った。
「どうかした?」
「なっ、んでもない!」
「ふうん? まあ、いいけど」
ロゼが変なのはいつものことだからね、と彼は手からすり抜けていった赤髪を軽く手櫛でとかし、手折った花を一度合わせてみた。組み合わせに満足したらしく、茎から丁寧に棘を取り外す作業に入った彼を見ながら、彼女はふと思い出す。こうして2人で過ごせる時間の終わりが、すぐそこに迫っていることに。表情を曇らせて、彼女はそろりと彼から視線を外す。
「ねぇ、シアンは私より3ヶ月誕生日早いんだよね?」
「えっ? ……ああ。ここにいるから、16になってもしばらくいるよ」
「そっか、そうなんだ」
よかった、と彼の答えを聞いて彼女はそうっと息を吐く。少しだけ、期限が伸びたことに。問題を先延ばししたにすぎないけれど、先延ばしできるだけ幸運なのだと、彼女は知っていた。
ぱっと晴れやかな笑顔になる彼女の髪を整えると、彼は棘のなくなった花をそっと挿しこんだ。
「うん、よく似合う」
彼女の赤みの強い髪には白い花弁が映え、一層可憐に見せていた。再びさっと朱の入る白磁のなめらかな肌を指の腹でそろり撫でると、彼は目を伏せてぽつりと呟いた。
「ロゼのさ、よかったって、どういう意味で?」
跳ねたように顔を上げて彼女は彼の表情を伺ったけれど、俯きがちになった彼の顔は前髪の作る影に隠れて上手く読み取れなかった。急に不安に襲われて、彼女はおろおろと視線を泳がせる。
嫌な予感がした。何かが変わってしまうような。
もやもやと立ち込める不安を払いたくて、彼女は無理やり明るい調子で答える。
「え、えっと、シアンと一緒にいられるから?」
「でもさ、ロゼも16歳になったら、こうやって食事会では会えなくなるんだよ。
それは、いいの?」
「……いいはずないよ。でもね?」
彼女は一度言葉を切って、深呼吸する。続きを言ってはいけないと、頭の中で誰かが騒ぎ立てる。誰も望んでいないことが起きる。
それでも彼女は止められなかった。知らず声が震える。認めなくないことだったから、自分でも気付いていないことにしていたことを。
「シアンと、このお屋敷の外であったこと、ないんだもん。
だから、会えなくなる時期が延びて嬉しいって、」
「それ、は……」
「それくらい、喜んだって、いいよね?」
彼は一度口を噤む。視線を落とし体を固くしていた。彼女も今にも目のふちから雫がこぼれ落ちそうになっていて、それでもまっすぐに彼を見つめている。
彼女は気付かないままでいたかったけれど、さよならが現実味を帯びてきて、もう無理だったのだ。
週末にお屋敷では必ず会える彼を、町中で見かけたことが今まで一度たりともなかった。お屋敷を自由に歩きまわることができて、まるで王子さまみたいな振る舞いが身に付いている彼が、ただの庶民であるはずもなく。
彼女の両親が営む宿のお客さんは、彼女にたくさんの噂話をきかせてくれる。隣町はこの国のなかでも五つの指に入る大きさなだけあって、珍しいものがたくさん手に入るのだとか。領主さまの跡継ぎは、隣町の王立学校に通っていて優秀な成績だとか。彼は卒業した後、王に忠誠を誓って城で働くのだとか。
つまり、そういうことなのだ。こうして過ごしていられることが夢のような、住む世界が違う人なのだ。
2人が黙り込んでしまうと、さあっと木の葉がざわめく音と花の甘ったるい香りだけが場を満たしていく。
唐突に彼が口を開く。
「ロゼは、大人になっても僕と会いたいっておもってくれてる?」
顔をあげてまっすぐに彼女を見据えていた。間髪入れずに彼女が答える。
「当然じゃない」
彼女の頬をつたった雫が、彼の目にきらきらと写り込んだ。
「そっか、うん、それならいいんだ」
彼は穏やかな表情でそっと手を伸ばし、指先で彼女の涙を掬い取る。けれど彼女は小さく嗚咽をもらして泣くのをやめられなかった。彼女がこうして彼の前で泣くのは短くない二人の記憶にもないことで。彼女は二人の関係が、幼なじみとも友人ともつかない、ぼんやりと頼りないつながりの上にあったことを突きつけられた気分だった。いつ壊れてもおかしくないつながりだった。
あれから3ヶ月して、彼の誕生日が過ぎた頃。この町の領主様の一人息子が、婚約を決めたという噂が彼女の耳に届いたのだった。
「しあんのばか」