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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
8/41

第5環 翔破の円環節66日目①



 窓の外からは一日の始まりを告げる汽笛が蒸気を吹き出し、天空に伸びる階層都市に茫々と反響していた。

 マルエ=セレニタティスより放たれる光と、アイオルビスを包み込む蒸気が折り重なり、眠っていた黄昏の都市は目覚める。

 ベッドから身体を起こしたナギは、鍛冶屋ショート・ピースの下に停車した蒸気バイクの駆動音で友人の来訪を察した。

 階段を下りて、パジャマ姿のまま埃っぽい店先へと顔を覗かせる。

 祖父である黒嶺源次郎と獣鬼種のチャトラの姿がそこにはあった。


「おはよう、ふたりとも。ひさしぶりだねチャトラ」

「……まいど」


 まだ眠気の残る瞼を擦り、ナギはふたりの元へと歩み寄る。

 源次郎はチャトラの配達する新聞を受け取り「おつかれさん」と肩を小突いて奥の部屋へと戻って行った。

 無愛想を貫くチャトラの横に立ち、にやにやと笑うナギ。


「おじいちゃんから訊いたよ、さっそくコラットちゃんと喧嘩したんだって?」

「……向こうが突っかかってきただけだ」

「もう、素直じゃないんだから。ちゃんと仲直りしなくちゃ駄目だよ」


 手のかかる弟を扱うような仕草で、ナギはチャトラの手を取り紅い瞳を覗き込む。

 ばつが悪い様子でチャトラは眉間に皺を寄せ、視線を泳がせた。


「分かった?」

「……善処する」


 彼女の有無を云わせない物言いに、渋々頷く。


「私とアカシャちゃんと正宗も手伝うから。なにかあったらちゃんと云ってね」

「……ふん」


 解放されたチャトラは蒸気バイクに跨って、終始苦い表情のまま去って行った。

 友人の仕事姿を見送って、ナギも源次郎とキリンジの待つ部屋へと向かう。

 椅子に座って新聞を読む源次郎と、立ったままコーヒーを注ぐキリンジ。

 祖父と向かい合う形で、ナギは席へと着いた。


「おはよ」

「おう」


 短く挨拶を交わすナギとキリンジ。

 向こう側で新聞を広げた源次郎が低く唸った。


「結局昨夜は何も盗まれなかったみてぇだな」

「あ、もしかしてそれシルバー・ファントムの記事?」


 興味津々にナギは源次郎の眺める新聞へと注視する。

 細かい文字が大量に羅列した紙切の端から、源次郎の皺だらけの顔がにゅっと飛び出した。


「なんでも階層警備隊が公開した奴の予告状にゃあ、天海層と雲海層を繋ぐ階層路に現れる旨だけが書かれてて目当てとする物に関しては特に記載されてなかったそうだ。挙句、階層警備隊の連中と追いかけっこしただけでとんずらしちまったらしいぞ」

「へぇー、珍しい」


 キリンジから受け取ったコーヒーを飲みながら、ナギは瞳を丸くする。

 あたかも、ただ自分を発見させるためだけに現れたかのような、世紀の大怪盗シルバー・ファントム。

 予てより彼のファンであるナギは朝の微睡みから覚めるやいなや、不可思議な怪盗の行動について考察することで意識を活性化させようと試みていた。


「今までも何度か盗みが成功しなかったことはあったけど、昨日の夜に起きたのはただ現れて追いかけられただけ、か。これってシルバー・ファントムにとっては計画失敗だったのかな」


 熱狂的なファンであるナギだからこそ、シルバー・ファントムの気持ちになりきって考えられることがあった。彼は犯行の計画実行前に必ず、階層警備隊やその被害者のもとに予告状を送っている。そして、今回送られてきた予告状。記載されていたのは、出現する時刻と位置のみ。


 ――もしかして彼は、最初から追い回されるために現れたのではなかろうか。


 そんな仮説にナギは辿り着く。今回、シルバー・ファントムが目的としたことは何かを盗んだり取り戻したりすることではなく、階層警備隊の人たちに発見されて、それにより追われること。

 なんでそんな鬼ごっこみたいなことをする必要があるのか、そんなことは流石のナギでも分かりはしない。

 でも仮に、例えば本当にそれが目的だったとすれば、何故。

 まるで何か大きな計画を実行するための前振りのような。デモンストレーション、文字通りスポットライトを浴び続ける彼なりの、華やかなオープニングセレモニーだったのではないか。そんな漠然とした予感に、ナギは自分でも隠しきれない高揚感に胸を躍らせていた。


「ねぇねぇ、キリンジはどう思う?」


 個人の推測だけでは駄目だ、他人の意見を交えてこそのシルバー・ファントムである。

 はしゃぐ気持ちを抑えきれないまま、ナギは後ろを横切ろうとしたキリンジに問いかけた。


「あんっ? ……さぁな、俺にはシルバー・ファントムの考えなんてさっぱりだよ。んなことより仕事だ仕事。師匠、作業場借りるぜ」

「むーっ」


 微塵も興味が無い口ぶりで、キリンジは鍛冶を行う炉の方へと向かっていく。満足行く返事を訊けなかったナギはふくれ顔でべっと舌を出した。

 いつも通りのふたりを眺めて源次郎は新聞を畳み、重くなった腰を持ち上げた。軽く腕を回しながら窓にかかったブラインドの隙間を覗く。

 店の外からは、徐々に増え始める行き交う人々の喧騒が活気付いた雲海層の朝を形作っていた。




 時刻が昼を過ぎた頃。正宗、アカシャ、コラット、ナギの4人は毎度の如く機関技術学校の中庭に集まって思い思いの話題に花を咲かせていた。本日のネタは、もはや云うまでもなく。


「それでね、その時ふと上を見上げたの。そしたらなんとっ、ちょうどそこにシルバー・ファントムがふぁっさぁーって飛び去って行ったんだよ!」

「えーっ、コラットちゃんシルバー・ファントムに会ったの!?」


 大好きなアイドルの話題で盛り上がる女子2名。無論それはナギとコラットの両者である。

 尽きることのない彼女たちのシルバー・ファントム談議を、アカシャと正宗は至極冷静に傍観していた。アカシャに至っては完全に我関せずと云った様子で、ひとり茶を啜っている。

 そんな彼女とは違って生来のお人好しを捨てきれない正宗は、ふたりから放たれる無尽蔵の話題振りに逐一頷きながら便利なイエスマンへと成り果てていた。


「……あんな犯罪者のどこがいいのかしら。それだったらよっぽど」


 細くじとじとした眼でアカシャは楽しそうに会話を弾ませる彼女らを眺める。それに追従してあくせく気を使っている正宗に視線が移って、ハッと口を塞いだ。

 ひとり真っ赤になりながら盛大に咳込むアカシャに、3人は頭上に疑問符を浮かべ顔を向けた。


「大丈夫か、アカシャ」

「だ、大丈夫っ。なんでもないからっ」


 心配してお茶を注ぐ正宗。アカシャはぶんぶんと腕を振り顔を伏せて拒絶する。

 幸いにして3人に悟られることはなかったが、誰が見ても完全に自爆だった。


「私、次にシルバー・ファントムが現れたら今度こそ紫道さんのこと手伝って一緒に掴まえるんだぁ」

「えーっ、コラットちゃん掴まえちゃうの?」

「当たり前でしょ、コラットは警備隊なんだから!」

「なんでそこでアカシャが怒るのさ……」


 思わぬ失態を晒してしまったアカシャが、むきになって3人の環の中へと飛び込んで行く。

 アカシャの不意の自滅など、ましてやその理由までもを知る由もない正宗だったが、彼の脳裏には微かに世間を賑わす怪盗の姿が眩しく映っていた。




 いつものように昼を過ごし、いつものように授業を終えた4人組は、コラット、アカシャの順に別れ最後にナギと正宗のふたりが下校途中の路上に残された。

 雲海層6階、鍛冶屋ショート・ピースへの道を並んで歩く。いつも通りだ。


 正宗は退屈していた。それは決して、友人たちとの面白可笑しい日常に飽きていたと云う意味ではない。

 ただ何事も無く、平凡に、過ぎ去っていく時間と季節が。その移ろいが。16年間と云う長い時間、変化を迎えることなく己にまとわりついて来るのが憂鬱で仕方が無かった。

 夢を追いかけ、理想を求めるチャトラが羨ましかった。

 憧れの上司が居て、違反ばっかりの友人をおいかける日々を過ごすコラットが羨ましかった。

 大勢の奇想天外な同居人たちと暮らすアカシャが羨ましかった。

 喫茶店を営むフィズとフォズの姉妹も。常にアイオルビスを騒がすシルバー・ファントムも。

 そして、隣を歩く聡明で面倒見の良い蒸気人の少女、ナギですらも。


 一般的な蒸気人の両親を持ち、一般的な生活を送って、一般的に生きて行く。

 変わることのない、日常。

 かけがえのない物だと云うことくらい理解している。理解はしている……が。

 そんな『一般的』なかけがえのない世界に、正宗は退屈していたのだった。


 だから。

 今、この瞬間。ナギと源次郎とキリンジの3人が暮らす鍛冶屋ショート・ピースの店先で。

 目の前で起こっている『異常』に。

 正宗の心が躍ったのは、必然であった。


「――ね。……まさ、むね」


 隣に立っていたナギが、怯えながら正宗の腕にしがみ付いていた。

 当の正宗も、膝が震えて身体が云う事を訊かない。

 それでも正宗は、目の前で繰り広げられる光景から眼を離せなかった。

 散乱し、粉々となった店先の商品。

 太く逞しい腕から血を流したキリンジ。

 その彼に刃を向ける漆黒の翼を生やした修道服の女、マリア。

 睨み合うふたりの空間に重く充満する殺気。

 それは正に、互いを憎みあう者同士による歴とした『殺し合い』に違いなかった。




 黒く薄汚れた被膜の翼。竜鬼種(ドラゴ)と呼ばれる者たちが持つ特徴を、方舟教団のアイオルビス大聖堂に勤めるマリア・桜庭・キスティルは持ち合わせていた。

 彼女は生粋の竜鬼種ではなく、蒸気人とのハーフ……人鬼種(ゼノ)である。

 異形の血を引く彼女の瞳はリムやコラット、チャトラたちと同じで紅く、紅く染まっていた。

 奇しくもそれは、対峙したキリンジの腕に滲んだ深紅の液体と酷似していた。


「マリア、てめぇ」


 額に脂汗を浮かべ、苦痛に苛まれる表情でキリンジは声を絞り出す。

 温和な聖堂のシスターとして正宗たちも見知っていたマリアは、途端に口許を邪悪に歪め桃色の髪を振り上げてへらへらと笑った。


「良いじゃない、とても良い顔よキリンジ。でもね……こんなもんかよ壊し屋ァァッ!!」


 狂人の如く吼えたマリアは、手に持った結晶製ナイフの切っ先を向けてキリンジへと突撃する。

 透明な鉱石を鋭く加工した刃が、アイオルビスを照らす夕陽を反射して煌めいた。

 尖端がキリンジの胸元を捉える――寸前に、彼はナイフを素手で掴み殺傷を回避する。

 鮮血が刃を伝って、紅の雫が地面へと落下した。

 マリアの身体は、キリンジの目の前で完全に停止してしまう。

 掌が激しく燃えるような痛覚を無視して、キリンジは拳に力を加えナイフの刃を砕いた。


「ちっ、馬鹿力が」


 悪態口を叩きながら得物を放棄し、並々ならぬ跳躍力でマリアは後方へと飛び退いた。

 片手に拡がる裂傷を忘却するようにキリンジはゆっくりと深呼吸する。

 互いに距離を計り、次の一手を探った。

 先に動いたのはキリンジだった。店先の木造テーブルを掴み、凄まじい勢いで投げ飛ばす。テーブルはマリアの前方で地面と接触し、大小様々な欠片となって降り注いだ。

 咄嗟に腕で顔を覆うマリア。瞬間、視界が塞がった。その刹那で、キリンジは彼女の目の前まで迫って来ていた。


「なっ」


 マリアが反応した時には既に彼女の細い首はキリンジに掴まれ、両足は地面から離れていた。

 呼吸器官を圧迫され、苦しそうにマリアは喘ぐ。それでもキリンジは決して彼女を解放することなく、憎悪に満ち満ちた表情で睨み上げていた。


「ぐぐっ、ふふ。あははっ。やるじゃねェかおい。げほっ、あぅ……くく、それでこそ壊し屋キリンジだぜ」

「てめぇ、まだ云うか」


 女であるマリアの首をへし折ることなど造作もないキリンジは、さらに力を増して締め上げる。

 純粋な腕力勝負では敵うはずもないマリアは、キリンジの掌に指先を引っかけて悶えながら、それでもなお笑っていた。


「がはっ……あは、あはは。何度でも云ってやるよ。今のお前、すげぇ楽しそうな顔してるってなァ。本心じゃあ、お前はアタシを殺したくて堪らないんだろう? だからあんなふざけたもんで、アタシを誘ったんだろぉがぁ!!」

「違う、あれは……それに俺はもう」

「誤魔化すなよ、とっても素敵な壊し屋さん」


 恋する乙女のような熱の籠った視線で、マリアはキリンジの顔へと唾を吐いた。

 キリンジが怯んだ一瞬の隙を、マリアは見逃すはずもなかった。

 ぶら下がった両脚を振り子のようにして持ち上げ、キリンジの顔面を蹴り上げる。そのままの体勢で膝下まで覆われた修道服の裾を自ら破り、蹴飛ばした反動でもってマリアはキリンジの手から脱出した。

 再び、戦局は振り出しへと戻されたかに見えた。


「ナギ! 大丈夫かナギ!?」


 正宗の叫び声で殺し合っていた両者の動きは止まった。

 振り向いたキリンジの目に、腰を抜かし涙目で震えるナギと、それを支える正宗の姿が映った。


「おめぇら……」

「余所見してるなんて余裕じゃねぇかキリンジぃぃ!!」


 不意をついてマリアは太ももに装着していた新たな得物を手に、キリンジへと飛びかかった。

 それよりも早く、当のマリアですら驚愕する反射速度で、キリンジは振り向き様に彼女の足を払う。体勢を崩したまま飛んでくるマリアの腹部に、渾身の右ボディーブローを放つ。

 雷鳴の如き震動が大気を揺らすと、華奢なマリアの身体は路地の向こう側にあるダストボックスまで吹き飛んでいった。

 路上にゴミを撒き散らし、埋もれて見えなくなったマリアの元へとキリンジの足が向かう。


「――そこまでだキリンジ」


 背後から低い声が響く。その声でキリンジは我に返った。


「師匠」


 視線を戻すと、崩壊した店先に蒸気バイクを止め正宗と共にナギを介抱する源之助が、いつもの険しい皺くちゃの顔でキリンジを見つめていた。


「忘れるな。お前は、修理屋だろうが」

「……すんません、俺、また」


 項垂れ、頭巾代わりに頭を覆っていたタオルを外す。掌から溢れる血液で白い布地が紅く染まった。

 正宗と源次郎に肩を支えられていたナギが、転びそうになりながらもふたりの助けを捨ててキリンジの元へと駆け寄る。


「き、キリンジっ。腕、とか。そ、その……血が」

「平気だ、こんくらい」

「へ、平気……って。そんなわけないじゃないっ!」


 涙を散らしてナギは大声で怒鳴った。

 それにはキリンジも暫し口を半開きにした状態で硬直する。

 ナギは彼の手から血塗れのタオルを奪い取ると、腕の傷口も拭って包帯の代わりに巻き結んだ。

 掌の傷口には自身の制服に使われているスカーフを代用する。


「なんで、急にこんな……私、キリンジが死んじゃう、かもって……」

「……わりぃ」


 嗚咽を交えながら手当てをするナギの頭を、キリンジはそっと撫でた。

 白々しく源次郎はふたりから目を背け、凄惨たる我が家の入り口を眺めては頭を掻いた。


「まったく、人ンちの店の前で要らん騒ぎ起こしやがって。階層警備隊絡みになる前に戻って来て良かったわい。正宗、悪ぃが片づけを手伝ってくれるか。ほれ、いつまでもイチャついてねーでキリンジもさっさと動け! ……マリアも、今日はこんくらいで締めて構わねェな?」


 源次郎がその名を呼ぶと、ゴミまみれとなったぼろぼろのシスター……マリアがむくりとダストボックスから立ち上がった。酷く無愛想に舌打ち、納得がいかない表情で顔を歪めていた。

 未だ状況を呑み込めず狼狽える正宗に、源次郎がぼそっと呟く。


「あのふたりは、なんつーか酷く相性が悪ぃんだ」

「あ、相性の問題なんですか? これが……」


 まるでこの店を中心とした半径20メートル以内でだけ戦争が行われたような、流血沙汰にもなっているこの騒ぎが相性の問題だとしたら、夜の路地裏でやっている胡散臭い相性占い師たちのアドバイスも甘くみれたもんじゃない。むしろ世界を平和に保つためには、彼らの占いが必要不可欠になってしまうではないか。正宗は素直にそう思った。

 それにそもそも、あの優しい聖堂のお姉さんだったマリアの面を被った、化け物みたいな女は一体誰なのか。今回ナギと正宗が目にした両者の殺し合いは、平凡に生きて来た者たちの理解の領域を、遥かに凌駕するほど遠くに存在していた。


「壊すことしか出来ねェ癖に破壊を拒むキリンジと、神に仕える修道士ながら化けの皮剥がした内側にゃあ破滅を愛して止まないマリアは、相容れない存在なのさ。あいつらは決してな。俺ぁふたりとは長い付き合いだから今まで何度か見てきたけどよ、なるべく鉢合わせねぇようにしてきたんだが」

「でも、だからって」

「だからどうするってこともねェ。俺からしたらキリンジは愛弟子だし、マリアは友人だ。どっちがどっちじゃねェんだよ。無論、あいつらがナギを巻き込んだ時には俺も黙っちゃいねぇがな」


 そう云って、源次郎は黙々と散らかった商品を拾いあげていく。ナギとキリンジのふたりも、何かを話しながら各々動き始める。彼らに釣られて正宗も、散乱した店先の荷物を片付け始めた。

 キリンジやマリアにもきっと、譲れない何かが確かに在って。源次郎には源次郎なりの考えがあるんだろう。それはきっと、他人がおいそれと首を突っ込むことすら出来ない何かで。釈然としなかったが、正宗はそう思うことにした。自分はまだ子供なのだと。平凡なのだと、云い訊かせて。

 そんなことを考えながら片付けていた正宗の前に、蒸気バイクを押したマリアがぶすっと立っていた。


「――わっ、うわわわ、マリっ、マリアさ、ん!?」

「……。……ゲンさん、これ」


 マリアはへっぴり腰になって怯える正宗を汚らわしい虫けらのように一瞥すると、その隣に居た源次郎へと声をかけ、自身の蒸気バイクを前へと出した。

 よくよく見ればそのバイクは今のマリアと同様に汚れや傷が目立ち、肝心の蒸気機関駆動部に至っては素人目にも修復不可能と思えるほどにぺちゃんことなっていた。

 しゃがみこんで、源次郎は動力部のすみずみまで目を通す。ひとしきりチェックして、頬の皺に触れながら眉根を寄せて唸った。


「こりゃあいかんな。マリア、どこかでスリップしたのか?」

「……そこ」


 マリアは一度キリンジの方を睨んで、鍛冶屋ショート・ピースの店先を指差す。

 それに気付いたキリンジはわざとらしくそそくさと、知らん顔で作業を続ける。

 路上には蒸気バイクのタイヤが付けたスリップ痕と、一本のレンチが落ちていた。


 正宗は確信した。相性って、大事だと。


 その後、マリアは大破した愛車の蒸気バイクを源次郎へと預け、そのマリアとキリンジは終始険悪なムードのまま別れ、そのキリンジはと云えば源次郎にこっぴどく説教された。

 一時はキリンジを心配していたナギも、蓋をあけてみればなんとも間抜けな理由で勃発した彼らの『殺し合い』の真相を知って怒るや呆れるや、最後には苦笑いしていた。


「でも、よかった。ふたりとも絶対本気だったよね、あれ」


 ようやく荒れ果てた店先が元に戻った頃合いに、ナギは正宗の横にならんで呟く。

 そう、理由はどうあれ確かにあれは本気だった。だからこそ。


「……正宗?」


 ナギの声は、正宗に届いていなかった。

 生まれて初めて目撃したであろう、憎しみと憎しみのぶつかり合い。平凡な少年には決して縁のない、圧倒的な暴力と血の匂い。

 正宗は羨望する。本気で殺し合える仲にまで昇華したキリンジとマリアの歪んだ関係が、とても――とても羨ましいと。

 正宗は夢想する。どれだけ幸福で、どれだけ退屈しないだろう。彼らのように、生きれたらと。




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