第2環 翔破の円環節64日目②
「雲海層8階―、雲海層8階ー。降りる際は足元にご注意くださイ」
歯車人の機械的なアナウンスで、私は区間エレベータから降りた。
アイオルビス雲海層8階。ここにコンコルディア協会認定の工房『7人の小人』があるそうだ。
ユビキタスに貰った地図を開き、私は蒸気に包まれた息苦しい街中を歩いた。ジェダの云っていた通り、長らくジオ・ハモニカで生活していた者にとってアイオルビスの空気は些か慣れるのに時間が掛かる。
一般的市民の多くが暮らす雲海層は、とりわけ人通りも多い。主に鉄工人と蒸気人の顔が目立つが、鬼人種と歯車人もちらほらとしている。ハモニカ人ともなればその目を引く金色の髪、もしくは蒼か碧の色を放つ瞳を見れば一目瞭然なのだが、偶然にもひとりも見かけなかった。
アイオルビスにおいてそのほとんどが貴族層である彼らを見かけることは、私で無くとも稀なことなんだろう。ハモニカ人たちの王国であるジオ・ハモニカじゃあるまいし。
ここでならきっと、こんな窮屈なローブを纏っていなくても生活には苦労しないかもしれない。
そう思って私は、自分の頭部を覆っていた黒緋のフードを外し、金色の髪と一緒に生える双方の犬耳を立てて、堂々と姿を晒し歩くことにした。
ハモニカ人と鉄工人、そして鬼人種の血を持つ2種間以上の混血種。渾沌種。
祖父より継いだ狼の耳、父より継いだ低身長。このふたつはハモニカ人の王国に住んでいた私にとって、酷く生活に支障を及ぼしたのは云うに及ばない。そもそもハモニカ人と獣鬼種の混血だった人鬼種の母は、よくもまあジオ・ハモニカで結婚して子供まで生めたと思う。父が協会の関係者だったとは云え、だ。
ともなれば、人と云う生き物はその気になればどこでどう暮らそうが案外どうにかなってしまう生き物なのだろう。だからと云って、ホワイトブラック家のじゃじゃ馬娘の元で暮らした日々に戻れと云われたら断固拒否させて頂くが。
そんなことを考えながら歩いていたら、いつしか人通りから離れた円外部の路地に入っていた。
空を見上げると時計塔から大きく伸びたマルエ=セレニタティスの光が見える。
たしか、もう近いはずだったが……。
「あっ」
横を向くと、その工房はあった。ただ、掲げられていた看板の名前だけが違う。
【協会認定工房 七人の薄汚い小人とすてきな女王様】
……。
私は地図を見直した。……うん、ここで合ってる。
なんだか無性に嫌な予感がしたものの、ここまで来て他を当たるのは実に非効率的だ。
工房の扉は開かれており、中からは金属を打つ小気味いい音が響いている。
私はそぉっと工房内に踏み込んで、様子を窺ってみた。
――中ではガスマスクを被ったひとりの鉄工人の男が、黙々と小槌を振り下ろしては仕事を行っていた。
ふと、振り上げたその腕がぴたりと止まる。
男は振り向くと、マスク越しに私を見つめ停止した。
「……あ、えーっと」
なんだかコソ泥みたいになってしまう。どうしたものか。
目の前の鉄工人は何も云わない。依然、私を見ている。
妙に厳かな雰囲気を醸す相手に、私は協会の発行した手帳を提示した。
「……コンコルディア協会の検閲官、リム・リンガルム・クオンだ。こちらの工房で銃のメンテナンスを依頼したいのだが」
そこまで云って男はようやくのっそのっそと動き出し、私の前までやって来る。
男の身長は私よりも10センチかそれ以上に低い。おそらく、生粋の鉄工人だ。
立ち止まり、見上げてくる。
「えっ……と」
なんだろう、やりずらい。言葉を話せないのだろうか。
すると男は片手を持ち上げ、私に差し出した。
……ふむ、言葉が通じたのかしら。
「ど、どうも」
とりあえず、握手しておいた。
男の手は固くぼろぼろだったが、力強く、確かな職人の手をしていた。
「……」
しばらくそのまま握手していると、男は無言でふるふると首を左右に振り、もう片方の手で私の腰辺りを指差した。
それでようやく私は理解する。
「ああ、こっちか」
手を離し、私は自分の銃――クラヴィスを取り出す。
それを男へと渡し、多分伝わるであろうことを期待して、
「大切な相棒なんだ、よろしく頼む」
と言葉にした。
男は黙って頷き、再び自分の作業台へと戻って行った。
ひとり残された私は、勝手に工房内をうろうろして回った。
アイオルビスの住居は鮮麗された機能美を持つジオ・ハモニカと違い、なんだかとてもごちゃごちゃっとしていて、しいて云うなら……そう、無駄が多い。
なんのためにあるのか分からない取っ手が壁から生えていたり、同じ室内に時計が7個あったり、帽子なり衣服なりふんどしなりと大量の洗濯物が薄暗い部屋の隅で生乾きの匂いを発していたりで、不衛生極まりなかった。
戸棚の上には大量に積まれた紙束やら注射器や錠剤のようなものまで転がっている。……、っておいおい、そもそもこれは非合法な奴とかじゃないだろうな。
奥にはさらに扉がひとつ、ベッドなどがこの部屋にないので寝室かリビングだろうか。流石にこれ以上勝手に探索するわけにもいかないので、あとは椅子に座って大人しく作業が終わるのを待つことにした。
少し離れた位置から、鉄工人のマスク男が行っている銃のメンテナンスを眺めてみる。
男は手際よく部品を分解し、くるくると回転させ細部に至るまで細かく目を通していた。
銃は、コンコルディア協会の所持する旧世界の喪失技術を代表するものだ。
このルチア・アクシスにおいて、……少なくとも人類生存圏内においては、銃を所持している者は総じて協会の関係者である。
奏銀を使用して製造される銃は、しかるべき技術を有した職人でなければ取り扱うことは難しい。私も簡易的なものならば可能だが、いわゆる実行部隊である検閲官や回収員に出来ることは限界がある。彼らのような協会整備員と呼ばれる専門家に任せるのが一番確実だった。
流れるように、踊るような様で男は作業を進めて行った。
ジェダの受け売りだが、高度な整備員ともなれば奏銀の奏でる銃の『声』が聴けるのだと云う。
私は寡黙なガスマスクの男を見て、そんな話を思い出していた。
「なあ」
ひとり、呟く。
「……貴方にはクラヴィスの声が聴こえるのか?」
工房の窓硝子から濃いオレンジの光が差し込んでいる。旋律を奏でるような、リズミカルな金属音。
案の定、男はなにも答えなかった。
男の手が止まり、立ち上がる。
椅子に座った私の前までやってくると、男は片手でクラヴィスを構え……一度回転させてから、グリップを向けて差し出した。
私はそれを受けとり、感触を確かめる。
「うん、良くなった。流石にここで試し打ちするわけにはいかないが、貴方の腕はすぐ横で観ていたからな」
ここを勧めたユビキタスの言葉に嘘はなかった。私は受け取った銃をローブの中へとしまう。
そして再度、私は彼に掌を差し出した。
今度は彼も、それに応じてくれる。
「ありがとう、また近くに来ることがあれば寄らせてもらうよ」
そう云って、踵を返した。
扉に手をかけようとした、その瞬間――
「たっだいまぁなのでぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっす!!」
……勢いよく開かれた扉の向こうから、悪夢の如き記憶を呼び覚ます甲高い声が飛び込んできた。
「はふぅ、スノウ、とってもとっても疲れたなー。なんだか無性に温かい紅茶とあまぁいお菓子を食べたい気分かも……あれれ?」
悪夢じゃない。今、私の目の前に、確かに存在する、その女は――
「…………クオン?」
私を犬と呼ぶ、蒼い瞳と金髪の、純血のハモニカ人。かつて私から1年と云う時間を奪って、悪趣味なお人形ごっこに付き合せた張本人。
「スノウ……ホワイト……ブラック」
「クオンっ!!」
脱力した私に、嬉しそうな笑みを浮かべ抱擁してくる少女。
そうか。あのへんてこな看板を見た時感じた嫌な予感。インジェニー=円環パルログを抜け出して、単身で、ヴァーポルムへと到達し、まさか、こんなところに……。
深雪の妖精と謳われる美貌を持ちながら、その内に悪魔を秘めた少女、スノウ・ホワイトブラックは、お気に入りのペットが自宅に帰ってきた時のように、涙を浮かべながら私に頬擦りしていた。
「クオンっ。クオンなのね、本当に。……スノウ、寂しかったんだよ。寂しかったんだもん」
子供染みた台詞を耳元で垂れ流し、その耳をもふもふされる。悪寒が走った。
よもや、一番後回しにするべき依頼をこんなにも早く達成してしまうとは。
私は半ば諦めかけていた。この少女に掴まったが最後、私の意思で彼女に抗うことは不可能。それはあの凄惨たる1年で思い知っている。
彼女はまさに、世界のすべてを統べるために存在しているような人間だった。
「……あはっ、本当はもっとスノウが大人になったらクオンを迎えに行くつもりだったんだけど。でも、それももういいの。クオンがこうして自分から、スノウのところに帰ってきてくれたんだもん。スノウ、やっぱり犬の方が好きなの!」
脈略も何もない、異次元の理論と論法でスノウは私の身体を捉えて離さない。もしかして私はこのまま此処で彼女に喰われてしまうんじゃなかろうか。ミイラ取りがミイラとはこのことである。
「……なあスノウ。感動の再会中、申し訳ないんだが」
「なあに?」
「家の人たちが、心配してるぞ」
ひとまず私は、少しでも彼女が成長していることを期待して交渉を試みてみた。
彼女の放つ心地いい甘い香りに包まれながら、胸元にきつく抱きとめられた私は見上げてそう述べる。
「――それが?」
頸をくてっと傾げ、真顔で疑問符をぶつけてくるスノウ。
……そう、これがスノウ・ホワイトブラックと云う女なのだ。
どうやら私の数少ない万策は尽きたようだった。落胆し、項垂れる。
しかし、不可解なことがある。彼女はつい今しがた、『ただいま』と云ったか?
それは、つまり……。
「――くぉうらぁっ、こんの糞姫! 散々人を連れ回した挙句、手ぶらで先にとっとこ帰っちまうたぁ何事だぁこらぁ!」
スノウの背後から怒号が響いた。
肩越しに視線を送る。そこには真っ赤な顔で眉間に凄まじい皺を寄せた、白髭面の鉄工人が両手に袋をぶら下げて息を切らし立っていた。
「ぜぃぜぃ……老体は労わるもんだってことも知らねェのか近頃のガキは」
「あ、おかえりなさーいグランビー」
気の抜けた返事でスノウも振り返る。
グランビーと呼ばれた鉄工人の老人は、それでも怒り心頭発して店先に荷物を放り投げた。
「なんだってこの俺様が、オメェみてえな小娘の小間使いをせにゃならんのだ! ……おいスニージー、これ後で中にしまっておけ!」
そう云うと、店の奥で作業をしていたガスマスクの鉄工人がのっそりとやってくる。なるほど、彼はスニージーと呼ばれているのか。
スニージーはやはり何も云わずに投げ出された荷物を店の中へと運んでいく。
私はと云えば固く抱きしめたままのスノウのせいでこの場から脱出することすら叶わなかった。
「もう、スノウ、そうやってすぐ怒鳴る子は嫌いなの」
「やかましいっ、んなこと俺様が知るか!! ……って、なんだ、そこのチビ助は」
地団太を踏みながらグランビーは私と視線が合う。
……子供扱いされることは慣れているが、まさか自分よりも小さい鉄工人にチビ助呼ばわりされるのは初めての経験だった。
「クオンはスノウの友達なの」
「友達だとぉぅっ!?」
おい、余計なことを云うなじゃじゃ馬娘。髭面の鉄工人も私をスノウの同類と思ったのか怯えるような表情で驚愕している。……まあ、無理もない。
さて、なんとかこの不名誉極まりない誤解を解かなくては。
「……私は協会の検閲官だ、こちらの工房には銃のメンテナンスのために立ち寄らせて頂いた。すぐに出て行くから安心してほしい」
「検閲官だとぅ……?」
今度は怪訝な目で、グランビーは私の顔を覗き込んだ。
身動きの取れない私はこくこくと首を上下させて頷くことしか出来ない。
「……おい、スニージー!」
老鉄工人は大声でガスマスク鉄工人の名を呼ぶ。
荷物を運搬していた彼は暫しその場に立ち止まり、グランビーと私の顔を交互に見遣って、無言で一度だけ頷いた。
それを見てグランビーもようやく納得したようだ。
「ふんっ、この糞姫と友達ってのはどういうことだ」
「過去に協会の依頼で護衛を担当していた経緯があるだけだ、それ以上の意味はない」
私は真実のみを伝える。それでもお構いなしにスノウは、
「そうなの、それでスノウとクオンはお友達になったのよ」
なんて、またややこしくなりそうな事を云っていた。
腕を組み、不機嫌そうな仏頂面を浮かべるグランビー。
品定めるようにじぃっと私の目を凝視する。そして一際大きく息を吸い込んだ後、
「――ハッピー! スリーピー! バッシュフル! ドーピー!」
地面を揺るがすような大声で、グランビーは吼える。
キーンッと、耳を刺されたような刺激で私は視界がくらくらした。
すると少し経って、彼の後ろからてくてくと4人の鉄工人が歩いて来た。
「――ららる、ららる、るらら。世界は回る、回るよ。丸いから、落ちるよ。だから、幸せ。うへへへ」
まず目に入ったのが、やけに足元がふら付いている髭面の鉄工人。至極意味不明で支離滅裂な呪文を唱えている。視点は定まっておらず、身体もぴくぴくと痙攣している。薬物中毒者の症状に酷似していた。
「……ふああ、眠い。眠いけど、眠れない……温かい布団の中で、ゆっくりと休みたい……」
次にやって来るのが、目の周りに大きな隈を作ったひょろひょろの鉄工人だ。その声はか細く、今にも卒倒してしまいそうなほど、精気の欠片も感じられない。まるで死神だ。
「おやおや、これはまた可愛らしいお客様がいらっしゃいましたね。年端も行かぬ少女の前でこのような恰好をしてしまい……いやはやお恥ずかしい」
更にその後ろに居る鉄工人は、他と比べとても良識のある口調をしている。……そう、口調だけは。
その鉄工人の紳士は、ふんどし1枚姿でもうほとんど裸同然だった。
「……ちっ、いちいちデカい声出すんじゃねぇよ聴こえてるっつーの死にぞこないの老いぼれジジイが……――……えっ、今ボクなにか云ってましたかぁ? いやぁ、すみませんボクこう見えて忘れっぽくてぇ」
最後にやって来たのは、まだ若い鉄工人の少年……いや、おそらくはもう私と同じくらいの青年なのだろう。彼は小声で悪態を吐きながら、しかし私たちのもとに近付くと急に間の抜けた声色で白々しく張り付けた笑顔を向けてきた。
新たに現れた4人の中に、ガスマスク男のスニージーも混ざる。
「ふんっ、これで全員揃ったな」
集った合計5人の鉄工人、彼らの前で6人目……グランビーが仁王立ちして一同を見渡した。
端っこにいた一番若い鉄工人のドーピーがぴょこんと挙手する。
「はいはい、ボケたじいさ……げふんげふん、ドクがまだですよぉ?」
わざとらしく咳込み、最後のひとりの名を呼ぶ。
その時、店の奥の閉ざされていた扉が、ぎいぃっと鈍い音を出して開かれた。
私はとっさに振り向いた。先ほど、気にはなったが踏み込まなかった工房の最奥領域。
――現れたのは、杖を突き、とりわけ太った鉄工人の老人と、これまた図体の大きな歯車人だった。
「……なんじゃ、もう朝かいな。ばあさんや、飯はまだかのぅ」
「オヤカタ、イマハモウ、ヨル、デスヨ。ソレニ、オクサマハ、トックノムカシニ、クタバッタデショウ」
思考までもが完全に老いてしまった老人は、片言の歯車人に支えられながら工房内を歩き、さきほどまで私が座っていた椅子に腰かけた。
次から次へと押し寄せる世界珍人物選手権に、私はとっくに狼狽えるのを通り越して疲労困憊していた。
7人の薄汚い小人……7人の鉄工人。
すてきな女王様……スノウ・ホワイトブラック。
そうか、ここは……。
ジェダ、それにユビキタス。どうやらアンタたちはとんでもないところへ私を送り込んだようだぞ。
小人たちのリーダー格、グランビーが一歩前へ出て、私に向かう。
「俺様の名前はグランビー。この工房を取り仕切っている職人だ。検閲官の女、俺様たち7人の小人は協会の命に従い、お前さんを歓迎する。……ようこそ、黄昏の都市アイオルビスへ」
顔は怖かったが、彼はきっと彼の出来る最大限の敬意で私を迎えてくれたらしい。
横に並ぶ各々5人が、自由気ままに振る舞いながらグランビーの後に続く。
「光、光は打たれて冬が来る。うへへ、ハッピー、幸せ」
「ふわあぁぁ……あ、少し気絶してた。……わし、スリーピー。あんた、なにーぴーぐごご……すぴー…………――はっ! 今ちょっと寝てた!? わし今ちょっと寝てたよね!?」
「バッシュフルと申します、よろしくマドモアゼル。……嗚呼、あまり股間の方には注目しないで頂きたい、これでも私のムッシュは恥ずかしがりやなのでね」
「……また女か、女は面倒臭ぇなぁ……あ、いえいえボクは何も言ってませんよ? 空耳じゃないですかぁ? あ、ボクはぁ、ドーピーって云うんですよぉ。覚えなくて良いんでぇ、適当に流してくださーい」
そして最後に、私を抱えたスノウがにんまりと柔らかく微笑む。
凍るほどに冷たいその顔に、私は戦慄せずにはいられなかった。
スノウは自身の雪のように白い肌に浮かぶ、熟した林檎のように艶やかな紅色の唇を開いた。
「これが、スノウの手に入れたちいさなお家。スノウの、スノウのためだけの世界の、最初のひとつなの。……ねえ、クオン。スノウね、良いこと考えたんだぁ。クオンも、スノウと一緒にここに住みましょう?」
「…………えっ?」
今、こいつは何と云った?
「うん、そうするの。 これでスノウとクオンはずぅぅっと一緒。あはっ、嬉しいなぁ!」
「おい、何を勝手に」
選択権など、当に存在しない。彼女の口ぶりは、正に自分が世界の中心の如く、私の意思などこれっぽっちも鑑みることなく、覆ることのない絶対的摂理として私を縛りつける。
惨めにも抗う私の姿は、実に滑稽だったに違いない。
「――住むところはあるんかいの、協会の検閲官さん」
唐突に、後ろで座っていたドクと呼ばれる鉄工人の老人が声をかけてきた。
それは先ほどの老い切った台詞とは違う、私の素性を把握している上での発言。
「いや……だがしかし私は」
「なら、しばらく泊まって行きんしゃい。女の子にはちとむさ苦しい場所かもしれんが、検閲官であるリムさんにゃあ工房暮らしも一石二鳥、便利なもんじゃろうて」
白髪と長い髭に覆われたドクの表情を、私は窺うことが出来なかった。
だが、確かに今、彼は――
「なぜ、私の名前を」
スノウは私を協会のラストネームであるクオンと呼ぶし、私自身もこの場でひとりを除き彼らの前で名を名乗った覚えはない。
それを、なぜこの顔面もこもこした老人が。
「ほっほっほ、はて何でじゃろうな」
「サキホド、スニージーサンニ、ナノッテイタデショウ。オヤカタハ、ソレヲ、ヌスミギキ、シテイマシタ」
「こりゃ鈴木っ! なんですぐバラしちゃうんじゃ!」
鈴木と呼ぶ歯車人を杖でばしばし叩くドク。
……このボケたフリしたじいさんも、どうやら一筋縄ではいかないな。
気付けば私は、自分でも知らない内に、くつくつと……笑っていた。
こんな、わけの分からない変人たちと一緒に暮らすって? 冗談だろう、おい。
でも不思議とその冗談染みた彼らの住む家は、永久に及ぶ吹雪に曝されたジオ・ハモニカで暮らして来た私にとって、とても……とても温かいものだった。
「……クオン、スノウと一緒に居てくれるよね? そうでしょう?」
不安そうな顔でスノウが見つめてくる。
勘弁してほしい、そう思ったのは本音だ。
……だが、まあこの少女との生活にも幸か不幸か私は慣れている。
私はスノウを見上げ、それから6人の鉄工人たちへと視線を移す。
「貴方たちは、それで構わないのか?」
6人が6人、互いに顔を見合わせる。
グランビーがごほんっと一咳して、
「ドクは俺様たち6人の長だ。だから長の命令には従う。それに、アンタがそこの糞姫の友達だってんなら丁重にもてなすってのが筋だろうが。ええおい?」
不器用な物言いで、グランビーは赤くなった鼻を擦る。
彼のその言葉にスノウも嬉しそうに破顔する。
「さっすがグランビーなの!」
「はんっ、俺様はこれでもけっこう優し――」
「…………」
総括最中のグランビーの横から、ガスマスク男のスニージーがぬっと歩み出る。
「――ってこらぁスニージーっ! まだ俺様が喋ってる最中だろーがテメェ!」
「グランビー、うるさいのはめっ!」
スノウがちいさい子供を叱るように叱責する。
「いや、だって」
慌てて辺りを見渡すグランビー。左右の小人たちも各々頷いている。
「めっ」
とどめを刺すように、もう一度スノウが云った。
まっすぐ彼女の瞳に射抜かれたグランビーは途端に、元から小さな身体を縮こませさらに小さくなってしまう。
「あ、……はい……」
それきり、彼は大人しくなってしまった。
無言で、私の前へと歩み寄ってくるスニージー。
「……貴方も、迷惑ではないか。私がここに居ても」
「…………」
彼は、掌を差し出した。
言葉を一切放つことのない、彼なりの回答。
それを私は、強く握り返す。
本日三回目となる、握手。
「……あはっ、クオンっ」
鬱陶しくもスノウが頬擦りを再開する。
彼女の執拗な愛撫に肩を落とし、完全にその軍門に下った私は決意した。
ドク。鈴木。グランビー。ハッピー。スリーピー。バッシュフル。ドーピー。
そして、スニージー。
彼らひとりひとりを見渡して、これから口にする台詞を思うとなんだかとても気恥ずかしくなった私は、指先で頬を掻いた。なに、どうにでもなるさ。私は。
「――リム・リンガルム・クオンだ。みんな、しばらく世話になる」
そんなこんなで、奇妙にも人情深い鉄工人の職人たちによる厚意で、私はアイオルビス在中の期間を工房『7人の薄汚い小人とすてきな女王様』で過ごす事となった。
スノウの件に関しては、彼女の傍らで成り行きを観察しながら頃合いを見て協会に報告すればいい。どうせ物のついでにされるような任務なのだから、ひとまずはネーヴェ街……もとい、黄昏の亡霊事件を優先したかった。
7人の奇想奇天烈な小人たちと、そんな彼らを果たしてどのような方法を使って丸めこんだのかは存じ得ないが、女王様というポジションにまで登りつめたスノウによって私が迎え入れられた時、工房の外は既にマルエ=セレニタティスの陽光は落ち、薄暗い上空には夜を告げるマルエ=ヌビウムの淡い光が鈍く燈っていた。
楼刻暦1667年、ヴァーポルム=円環パルログ、翔破の円環節64日目。
私が彼らと出逢って、最初に迎える夜だった。
PS4を買いました。