エピローグ2 赤ずきんと白雪姫
ヴァーポルム=円環パルログ
首都環都市 黄昏の都市アイオルビス
楼刻暦1667年 翔破の円環節82日目
収穫が無かった事を知って私は階層警備隊の本部を後にした。
空を見上げればマルエ=セレニタティスの放つ光が燦々と注いでいる。
天気は昨日と同様の快晴。上層階である天海層では、アイオルビスを覆う蒸気も比較的控え目だ。
あの夜明けから早くも一日が経っていた。
火埜蔵紫道を通して現場にノクターの姿は確認されなかったと云う話を訊いた。
私は奴の最後を看取らなかった。それは甘えであり、確信でもある。
暗鬼種が死ぬ時、その死体は残らない。彼らは他者の身体を媒体として存続し続ける、まさに亡霊と呼べる異業種だ。犠牲になった身体も宿主もろとも影と成り果てて霧散する。
私が放った銀の弾丸により身動きも封じられ、頭を撃ち抜かれた奴が存命している可能性なんてありはしない。例えどれほど存在がオカルト染みていても、それでも暗鬼種は幽霊でも魔法でも無く、確かにこの世界に存在する種として確立した生命体だ。
同時にあれは私に出来た初めての友人であり、その肉体は祖父のものだった。
だから私は、あの時奴が消えゆくのを見届けなかった。見届けたくなかった。責任を放棄した。
最早どうなる訳でも無いのに、私は再び失う事を恐れてしまった。
そんな事だから私は、今もこうして火埜蔵紫道のもとへと出向いていた。
スノウ。私は彼女を失った。でも未だにそれを認められずにいる。
彼女がノクターに喰われた瞬間を目撃していない。私はまだ彼女の死を観測していない。
だから、生きているはずだと。そんな子供騙しの理論武装で身を固める事でしか、今の私は動けないでいた。
もちろん、現場でスノウが見つかるはずも無かった。彼女と思わしき『喰い残し』すら発見されなかった。その事実が尚更私を混迷と焦燥の渦に迷わせる。
黄昏の亡霊事件に関する捜査は奏府の意向によってやむなく行えなくなったが、それでも火埜蔵紫道は引き続き彼女の捜索を行う事を約束してくれた。
ジオ・ハモニカに帰国する事を決めたのもそれが決め手だ。私の願い通り彼女が見付かろうとも、思惑虚しく見付からなくとも。離れてしまえばそれを知る術も無くなる。彼女は今もきっとどこかで元気にやっているだろうと、希望的観測だけで生きていける。
私はまた、真実から逃れようと……たったそれだけを必死に考えていた。
「分かりました、こちらで手配させましょう」
懐かしい声に私は辺りを見渡す。そこは喫茶店ジェミニだった。
目の前に居るのは馬鹿みたいに巨大な黒猫。名前は確か、ユビキタス。
そうだ。私は今し方、こいつに本国まで送り届けてもらうための運転手を手配したんだっけ。
「しかし何もそう急ぐ事は無いでしょう。どれ、ここは私がまだ知らぬアイオルビスの隠れた名店をですな」
「悪いが早急に協会へと報告する義務がある」
無論それも私の仕事だが、急ぐ理由としては嘘だ。
前金を支払い、話を終える。この男との会話はあまり好きじゃない。長居すればそれこそ、なにを考えてるかは分からないが此奴の思うつぼに陥りそうだったから。
「まいど、今後とも三毛猫アマゾンをご贔屓に」
ユビキタスの言葉を訊き流し、私はさっさと席を立った。
踵を返し、ドアへと向かう。
間際。
「――歯車は回る。それはキミが望もうと望まざると。それらが交錯しすべてを抱擁した時、ちいさな歯車たちの世界は回り出す」
ドアに手をかけたところで私は立ち止まる。
振り向くとユビキタスがにんまり笑って私に手を振った。
「手前勝手な話で恐縮ですが、協会の方へは私の方から前以って報告を上げさせて頂きましたんですな。いやなに、これでも私、今回のリムさん派遣の依頼主ですから。近日中にもあちらから返事があると思います故、何卒宜しくお願い致しますな」
まだ明るい内に私は小人たちの営む工房へと戻る事にした。
ユビキタスの言葉通り協会から返答があるとしたら、私はそれを待たなくてはいけない。だが、連絡が来ればすぐにでも立ち去れる様に帰り支度をしておく必要がある。身一つで来た私にとって持ち帰る荷物などそう多くは無いのであるが。
アカシャや工房の老人たちには昨夜の段階で伝えてある。おそらくそこから、私の関わった各人にも話は及んでいくだろう。だからわざわざ歩き回って別れの挨拶を交える必要もないのが幸いだった。
蒸気エレベータを使って階層をひとつ上がる。そこから円外部へと繋がる路地を歩いて、二週間と数日の宿となった目的地が視界に入った。
工房の軒下に、見覚えのある物体が展開されていた。
純白の日傘と、テーブル。テーブルの上には口から湯気を昇らせる結晶製のティーポットと、甘い芳香を放つ焼き立てのアップルパイが乗せられている。
近付いて私はそれに手を伸ばす。
なんで、これがここに。
刹那、工房の扉が開き中から黒煙と共に老人たちが次々と飛び出してきた。
「おうごらぁごっほぐぇっほ、リム、良いところに来た! 早くあの糞姫をどうにかしてくれい! あの女、俺様達の工房を火事にする気なんだよ、こんちくしょうめ!」
咳込みながら先陣を切って来たグランビーが私に縋り付く。
「もぉ、グランビーったら大袈裟なの。スノウはちょこーっとケーキ焼くの失敗しちゃっただけなのに」
調理器具を抱えて、この事態を引き起こした元凶が現れる。
そいつは私の顔を見ると、きょとんと大きな紅い瞳を丸めて次には柔らかくはにかんだ。
「おかえりなさい、クオン」
「ただ……いま」
咄嗟の出来事に私は脱力していく身体を持ち直せなかった。
目の前に居るグランビーを下敷いて倒れ込む。
「のわっ、おいこらなんだいきなり!」
怒鳴るグランビーに支えられながら私は呆然とそいつを見上げる。
そいつは――スノウは白く冷たい指先で私の頬へと触れた。
「……クオン、疲れてるの?」
「ああ、お陰様でちょっとな。……お前、その目――」
誘い込む様に紅く輝くスノウの双眸。まるで見る者の心を捕えては離さない、魔性の色を携えた魔眼。
一瞬、彼女の絹の様な白い肌に影の如く這いずる漆黒の痣が現れる。
「これはね、クオン。スノウが拾った子なの。この子、お腹空かせてたみたいだから、スノウが拾ってあげたのよ。出逢った時からずっとね、スノウの後ろから離れない甘えん坊さんなの。他の人にも噛みついちゃうから、スノウもずっとお家に帰って来れなくて。ごめんなさいクオン、ずぅっとひとりぼっちにさせて」
そう言ってスノウは私を優しい手付きで抱擁した。
気付けば私の腕も、彼女を強く抱き締めていた。
話としてはとても滑稽だ。
あの時、私の銃弾によって倒れたノクターは二度と起き上がる事はなかった。
目的を果たし、はたまた真実から目を背けた私が去った後、それは行われた。
現れた女はノクターが欲し、私が求めた少女。スノウ・ホワイトブラック。
彼女は暫く前からノクターが自分を追い求め行動している事実に気付いていた。だから自分の作り上げたちいさな王国に帰る事も無く、野晒しとなった樹海層の薄暗い路地を徘徊して過ごす破目に陥る。
私とノクターの決別が着いた後、スノウはノクターのもとへと歩み寄り、そして手に入れた。
自らの欲望を満たすため、スノウはノクターを受け入れたのである。
だが、その身体は黄昏の亡霊と恐れられた奴であっても穢せなかった。スノウはスノウの意識のまま、暗鬼種であるノクターの影の肉体と自我を呑込んだ。云ってしまえば、彼女はノクターと一つになった。
いったいどういう理屈かなんて、学者でも医者でもない私に理解出来るわけもない。ただ事実として、スノウの肉体はもう純血のハモニカ人とは大きくかけ離れていた。
蒼く澄んでいた瞳は私と同じく鬼人種の血の象徴である紅に染まり、真っ白なキャンパスだった肌には時折気泡が湧く様に黒く丸い模様が浮かび上がる。
そんな奇想天外な話を、いったい誰が信じれる。
だが私は知っている。否、そもそも知っていたはずなのだ。このスノウ・ホワイトブラックと云う少女が、他の何者にも支配される事など許されない、すべてを収める王たる器を持つ人物だと云う事を。
でも、そうだとしたら。
あの時、確かにノクターが抱えていた、『スノウの形をしたもの』は何だったと云うのか。
紛い物、ノクターは最後の場でそう口にした。でもあれは、正しくスノウ・ホワイトブラックそのものだった。
2年前の誘拐と、今回の亡霊事件。ふたつの事件において繋がる円環奏府の不可解な動き。
この少女にはまだ、なにか得体の知れない真実が隠されている。
私をアイオルビスへと送る際、ジェダは言った。『彼女の件はついでで構わない』と。それはつまり、見付からなくても問題は生じないと云う事。捜索依頼を受けたのは出資者である彼女の父への体裁と彼は言ったが、誘拐事件の折にはそんな事は無かった。誘拐事件と家出による失踪では、意味合いが違うと云うのか。
今、スノウは私の前でお手製のアップルパイを切り分けている。彼女が得意とする料理はどれも、私の好物だけだ。
「今でもお前の中に、ノクターは居るのか」
先にジオ・ハモニカ産の紅茶が注がれたティーカップへと手を伸ばし、私は問う。
丁寧に皿へと盛り付けながらスノウは「うん、居るよ」と答えた。
「そうか」
「ねえクオン」
「なんだ」
「――スノウを、殺す?」
口許に温かい微笑みを灯して、彼女は言う。
私はカップを唇から離して、テーブルへと置いた。
「その必要があれば」
「それじゃ、その時はお願いね。スノウ、クオン以外に殺されるなんて嫌だもん」
ふわりと優美な振る舞いで、スノウは椅子へと座った。
これは彼女からの呪いだ。私はもう二度と、彼女から逃れる事なんて出来やしない。それこそ、彼女の命を奪うまで、一生。
一生をかけて、私は彼女を監視し続けなければならない。それをスノウは私に命じたのである。そして私もまた、まんまとその戯言に乗っかってしまった。
やれやれ、私も本当に学習能力の無い女だ。……でも、そうだった。
抗い様の無い真実をひとつ思い出して、頷く。
「ああ。私は、お前の犬だからな」
「うん」
私は最初から、彼女に囚われてしまっていたんだ。
四日後。チャトラが持ってきた手紙により、私には新たな任務が命じられた。
手紙にあった内容はこうだった。
『お疲れ様。そして今度こそ、しっかりと休暇を取りたまえ』
ジェダ直筆の文字で、たったこれだけ。
言うまでも無く私は、その手紙を丸めて工房の炉へと放った。
帰り支度はまだ終えていない。そもそも私には何一つ、荷物など在りはしなかったのだから。
黄昏の都市、アイオルビス。白濁とした蒸気が視界を惑わせる。……だからだろうか。
楼刻の時計塔は、今日も埃っぽく霞んで見えた。
‐黒緋の乙女編‐ (完)




