エピローグ1 ドーナツ集会その2
ヴァーポルム=円環パルログ
首都環都市 黄昏の都市アイオルビス
楼刻暦1667年 翔破の円環節86日目
「それじゃあこれよりドーナツ集会を始めるわよ!」
アカシャの号令で今日もそれは始まった。
席順はいつもと変わらない。僕の隣にアカシャが居て、向こう正面にナギとコラットが座る。
ナギの頬には未だ絆創膏があったけれど、笑顔でドーナツを頬張る姿を見て僕とアカシャは安堵した。
「なんかアッという間だったねぇー」
しみじみと云った様子で遠くを見ながら、コラットが口をもぐもぐさせていた。
僕もそれに相槌を打って、みんなの顔へと視線を移していく。
「結局見つからなかったんだよね、黄昏の亡霊」
「うん。リムさんが戻ったあと、もう一回階層警備隊の方で本格的な調査が入ったんだけど……リムさんが教えてくれた場所にはもう何も無かったんだって。やっぱり逃げちゃったのかなぁ」
「どうせ私達には言えない事をしたんでしょ」
的確に射抜くアカシャの言葉に、全員の手が止まる。
それが不味い発言だと勘繰ったのか、アカシャは途端におろおろし出す。
「……あっ、その。ごめん」
「ううん、アカシャは悪くないよ。たぶん、アカシャの言う通りなんだと思う」
フォークとナイフを置いて、僕はアカシャの意見に同意する。
彼女の言う様に、きっともう、黄昏の亡霊はこの街にいない。いや、世界中のどこにも、いない。
口に出すのはとても怖い事だと思う。だけれどそれが真実だ。時として真実とは必ずしも優しい結果を齎す物じゃない事を僕は痛いほど思い知っている。
だからきっと、ノクターと名乗っていた亡霊事件の犯人が辿った真実も、そういう事になる。
亡霊は死んだ。殺された。裁かれた。どんな言い方をしても変わらない。それが真実だ。
あれだけの事件を起こして、更にはナギとアカシャまでもを巻き込んだんだ。例えこれが僕で無くとも、その結末に同情する事は決して出来ないだろう。
細く伸びた睫を瞬かせて、アカシャはぼうっとナギの顔を見つめていた。
「顔の痣、だいぶ良くなったわね」
「思ったほど打ち所が悪くなかったみたいで。一週間くらいで綺麗さっぱる治るだろうって、お医者さんも言ってたから」
紅茶の入ったグラスにミルクを注ぐ。ナギはそれを順番に、僕らの前へと置いてくれた。
「もっとよく見せてもらってもいい?」
「うん」
テーブルから身を乗り出して、アカシャはソファの上に立ち上がる。ナギもそれに合わせて顔を前に出した。
「ごめんなさい」
そう、アカシャは呟く。今にも泣いてしまいそうな顔で。
でも、そうじゃないと彼女も察したのだろう。ぶんぶんと首を横に振って、無理矢理に笑顔を作る。
「……ううん、ありがとう。ナギ。貴女が居たから、私もちゃんと無事で居れたわ」
「私もおんなじだよ、アカシャちゃん。アカシャちゃんと一緒だったから、私も……」
ふたりして、笑顔で。笑顔なのに。両者の頬を雫が伝った。
「――あ、やば。なんで、私」
「へへ、おかしいね。嬉しいはずなのに」
席に戻って同時に顔を擦る。
ふぅとちいさく深呼吸して、アカシャは横から僕を見上げた。
「正宗……それにコラットも。助けに来てくれた時、本当に嬉しかったわ。その……ありがと」
「おぉぉ……ふおぉぉぉっ。あーたんが、デレたっ!」
意味不明な理由でコラットが悶えていた。
その反応にアカシャも顔を真っ赤にして眉をキッと吊り上げる。
「は、はぁっ!? 違うわよ、これは単に感謝の気持ちってだけで」
「そうだね。正宗もコラットちゃんもチャトラも、みんなヒーローみたいだった。アカシャちゃんも私もメロメロだったよ」
「え、それほんと!?」
思わず僕はストローから口を離してナギの言葉に食い付いてしまった。この場において唯一の仲間と呼べるまさかの相手から放たれる追加攻撃に、アカシャは口をぱくぱくさせていた。
あの時、僕らはただひたすらにふたりの無事を祈って、ただがむしゃらに救出を望んでいただけだったけれど。
思いもよらない副作用があったものだ。まさかナギとアカシャが、僕を……。
「なに真に受けてんのよアホムネ。それにナギ、あんたのヒーローはシルバー・ファントムとキリンジの変わり者おっさん二人でしょ。年上趣味っぽいものね、あんた」
「ち、違うよ! 違くは……無いんだけど、そういう事じゃあ無くって」
容赦の無いアカシャの反撃に遂にはナギまでおろおろと狼狽える。まあそんな事だろうと思ったけど。……て言うかアホムネは酷過ぎるだろう、幾ら語呂が良くても!
人知れず腹を立てた僕の顔に影が落ちる。横を向くとそこにチャトラが立っていた。
「チャトラ、今日は早かったね」
「……ああ」
無愛想に頷いて、チャトラは僕に封筒を投げた。
取り零さない様に僕は手を伸ばしそれを掴む。
「……それで最後だ」
そう呟き、チャトラはナギの横へと座って俯く。何時も通りだった。
「あんたも懲りないわね、ほんと」
流石のアカシャも飽きたのか、もう僕の手紙を盗み見るつもりは無いらしい。やれやれと云った様子で溜息を吐いていた。一度判明してしまった隠れた趣味など、時が経てたば所詮この程度の扱いなんだろうけれど。
でも、こう見えて僕だって少しは懲りているのだ。だから僕は、差出人の名前も確認せずに封筒を鞄に仕舞い込んだ。
「あれ、この匂い」
鼻を動かしてコラットがチャトラの方へと詰め寄る。無視するチャトラなどお構いなしに、コラットはくんくんとチャトラの匂いを嗅いでいた。
「これ、アップルパイの匂いだぁ。もしかしてチャトラ、あーたんの家に寄って来たの?」
「……ああ」
「そう云えば帰っちゃうんだっけ」
グラスに発露する水滴を指でなぞり、寂しそうにアカシャが呟いた。
「それって、リムさんの事だよね」
「蒸気省が正式に黄昏の亡霊事件について、事件は解決したって発表したから。もうアイオルビスに居る理由も無くなった、って」
その発表があったのは僕らが体験したあの騒ぎから翌日の事。新聞の一面を丸々使って、大々的に発表は行われた。
当事者でもある僕たちから見ても、それは心底おかしな話だった。真犯人が捕まったわけでも、リムさん以外がその結末を目撃していた訳でも無いのに。それなのに蒸気省――言い換えれば、円環奏府はまだ調査の真っ最中だと云うのに事件の解決を断言したのだから。
まるでこれ以上、黄昏の亡霊事件に関する一切の言及を防ぐように。
あの時。僕らと事件の真犯人が邂逅したあの場所で、犯人が言っていた言葉。
『なぁ、リム。これはノクター達の意思じゃない。こんな物語はノクターとリムの物語じゃない。誰か他の奴の手が加わった末に辿る結末なんざぁ、ノクターは反吐が出るのさ』
つまり今回の事件にはリムさんでも黄昏の亡霊でも無い、第三者による黒幕が存在する。『事件を起こした人物と、事件を起こさせようとした人物は違う』、これはキリンジも言っていた言葉だ。
だから結局のところまだ何も、解決なんてしちゃいない。それを僕たちは知っている。
正直に言えば、不安だった。また何時どのようにして、アカシャやナギの様に僕たちが巻き込まれるかなんて解らない。そんな時に、リムさんの様な人が近くに居なかったらと思うと。
「もう事件は起こらない」
「えっ」
不意に耳を突くアカシャの声に僕はハッとして顔を上げた。
「もう事件は起こらない。少なくとも黄昏の亡霊事件の被害者はもう、二度と現れることは無い。リムさんは私にそう言ったわ。……ねえみんな、私思ったんだけれど」
アカシャの表情に明るさが舞い戻る。
テーブルに両手を付いて、彼女はこの場の全員に顔を向けた。
「送別会を開きましょう、それもぱぁっと派手にね。お世話になりっぱなしのままサヨナラなんて、そんなの癪じゃない」
「あ、良い! それナイスアイディアだよあーたん!」
「私もまだちゃんとお礼、言えて無かったから。うん、やろうアカシャちゃん」
「ついでにナギはシルバー・ファントムの連絡先でも訊いといたら良いんじゃないかしら」
悪戯っぽくアカシャが微笑む。頬を赤く染めたナギが珍しく身を乗り出した。
「もう、私だって怒る時は怒るよ!」
「あ、じゃあなっちんの代わりに私がー」
「こ、コラットちゃん!?」
気付けば学校の昼休みと同じ様に彼女たち三人だけで話はまとまってしまったらしい。カウンターからフィズさんとフォズさんのふたりがクスクスと笑っていた。
でも、まあ。今回のアカシャの提案には僕も賛成だ。別れを悲観するよりも、そちらの方が絶対的に有意義だろうし……それに。
「それじゃあ決定! さっそく今夜、うちで決行しましょう。まずはプランを練らなきゃね」
「それなら僕は――」
「正宗の意見はしょぼいから却下」
「まだ何も言ってないのに!?」
案の定、僕の意思はアカシャの一言によって封殺される。それにつっこむ僕の顔を見てアカシャは、嬉しそうに笑った。
そうなんだ。これが僕らの過ごす日常。僕らの住む世界。
だから今は、これで良い。僕はそう思う。
アカシャの壮大な計画によってぱぁっと派手に開かれるはずだった送別会が、転じて急遽歓迎会と化してしまったとしても。
賑やかなアカシャ達を差し置いて、傍らからぐうぐうと寝息が聞こえて来る。
もちろんと云うかそれはやっぱりチャトラだった。




