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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
30/41

第24環 翔破の円環節80日目⑥



 手を伸ばして掴んだのは雪の結晶だった。

 触れてしまえばたちまち、それは水滴となって渇いていく。

 空っぽの中身。空っぽの存在。

 確かにそこにあったはずなのに、開いてみればもはや形は無く。

 儚くも美しい、白と黒の混ざり合った氷の粒。

 私が彼女と別れた日も。私が彼女と出逢った日も。

 そのどちらも、雪が降っていた。




 深雪の令嬢、スノウ・ホワイトブラック。その美しさは結晶星都一の、否。ルチア・アクシス全土でも振り返らぬ者は無しとされるほどに可憐で、魅惑的な力を持つ少女と噂されていた。


 スノウの呪縛に囚われたのは二年前の事だった。

 協会に正式な手続きで依頼があったわけでは無い。単に私が、言うなれば散歩の最中に目の前で交通事故が起きた程度の、所謂巻き込まれる形で首を突っ込んだに過ぎない。


 事件と呼ぶには酷く稚拙で、他愛のない事柄。


 父親の云い付けを破り、ひとり屋敷を抜け出した彼女は悪漢達によって攫われた。

 因果応報と云うべきか、自業自得と云うべきか。年頃の少女が、よりにもよってそれが世界一の美貌を持つ非力な少女だという付加価値が付いているのなら尚更。そうなる事は火を見るよりも明らかで、運命付けられた宿命であるとも呼べるだろう。


 不運だったのはそこに、偶然煙草を切らして溜息をついている協会の検閲官が、これまた偶然にも通りかかってしまった事だった。

 つまり、だから何て事は無い話なのである。




 打ち付ける雨が激しさを増す。くだらなく想うのはただ一つ、今回は雪じゃなかったなと云う戯言。季節が冬では無く、場所がジオ・ハモニカでは無いのだからそれも当然の話かもしれない。

 結局のところ私の抱えていたある種のジンクス、前兆、暗示めいた思惑など、この程度の変化でいとも容易く塗り潰されてしまうほど脆くどうでも良い物なのだ。


 抜かるんだ地面を蹴って走る。ざあざあと煩い雫が引切り無しに注がれる。

 追うべき者との距離は近い。それを相棒(クラヴィス)が教えてくれた。

 程無くしてデッドエンドの標識。行き止まり。

 ヴァーポルムの大地、アイオルビスの外を見晴らす広場の先に、そいつは背を向けて立って居た。

 銃口を中心に捉え、持ち上げる。

 振り返ったノクターはやっぱり、笑っていた。

 その腕の中にスノウの姿は無かった。


「ごちそうさまでした」


 丁寧に両手を合わせ、深々と頭を下げる。まるでそこまでが一連の儀式のような、獲物に対する最大限の感謝と敬愛。

 黒く塗り潰されたノクターの身体で唯一、両目と口許に残る血痕だけが紅く色彩を放っていた。


「喰ったのか、もう」

「ああ、喰った」

「そうか」

「悲しいか、紅い瞳の少女(レッド・リム)


 気遣うようにノクターは私に問う。

 一瞬、胸の内を食い破ろうとしてくる感情が湧くも、そんなものはすぐに引っ込んだ。

 今さらだ、そんなもの。もう、今さらだ。


「でも、これで。私は心置きなく、お前を殺せる」

「けひっ、ひっひ。それは復讐か。それとも、救えなかった自分が情けないからか」

「どちらもかな」


 炎が吹き上がる。クラヴィスの筒から放たれた弾丸は真っ直ぐ黒い獣の腹へと突き進む。肉を穿ち、風穴を開けるために。

 着弾。しかし結晶製の銃弾はノクターの生命活動を奪うよりも前に、漆黒の影に触れた瞬間、銀箔の欠片となって砕け散った。

 やはり、そうだったか。


「けぇっけけけけけけ。感謝するよ、リム。お前のおかげでノクターは、不死身を得たのだから」


 虫にでも突かれたようにノクターは腹を摩った。その少しの震動で、獣染みた掌にべっとりと血液が付着する。


「あの日から、ずっと。ずっとだぁ。この傷は塞がる事も無く、ノクターの腹から血を流し続ける。12年もの間、ノクターはこの痛みと一緒だった。だが代わりに、ノクターの身体は奏銀とひとつになった。侵蝕は続き、今じゃあ身体の右半分までだって傷付く事はない。新しく生やす腕にまでは回ってくれないのが不便だがなぁ」

「それも左の胸まで進めば、お前は死ぬ」

「小さい狼を喰うまで持てば、それでいい」


 ノクターの肩が不定形に歪む。

 ――来る。

 次の瞬間。放たれたボウガンの矢のように肩から射出された腕が私の頭を捉えんと伸びた。

 少しだけ首を傾ければそれは頬を掠り、幾分かの髪を切り裂いて真後ろへと伸びて行った。

 私はその腕へとクラヴィスを当て、直接吹き飛ばした。

 爆散した肉片と液体が真横から降りかかる。懐かしい匂いだった。


「げひ、ぐひゃひゃひゃ、かかか」


 痛みからか、それともただ愉快なのか。ノクターは増して下品な笑い声を上げていた。

 更に一発。そしてもう一発。

 無駄だと知っていても私は奴の身体目掛け引き金を引いた。案の定、ノクターは不死身と化した右半身を盾に弾丸を銀の粉へと変質させていく。


「どうして身体を移さなかった。それがお前の目的だったんだろう」

「けひっ、確かにあの身体は最高の器だぁ。だが、あれじゃあ今のリムを喰らえない。あれは紛い物だから」


 乱れる呼吸を隠す気も無く、ノクターは白状する。

 奏銀に侵食された身体、それは毒を以って毒を制する正に無敵の鎧に違いない。時が経つに連れて身体の自由と命の灯は徐々に奪われていくだろう。だがそれ以上に、あらゆる物質に感応し、侵蝕する性質を持つ奏銀を肉体に埋め込んだとすれば、なるほどそれは実に有用性のある話である。

 だがそれは、裏を返せば永遠に完治しない痛みと傷を齎す結果になる。如何に暗鬼種(クレスクント)と云えど、その苦痛を耐えて生き延びる者など存在するはずも無いと思っていた。ノクターと云う例外がこうして目の前で生きているのを見るまでは、の話であるが。


「それにノクターはリム、リムが欲しい。リムの身体こそがノクターには相応しい。だから再び出逢えて嬉しいんだ。リム、ノクターとリムは、友達だろう?」

「そうだな。でも多分、それも今夜までだ」

「いいやぁ、ずっと一緒さぁぁぁぁぁ!」


 太く力強い足を一歩、ノクターは地面を踏み付けた。水溜りが跳ね、視界を覆う。

 肩からはさらに四本の腕が構築され、複雑に絡まり合っては私を標的に定め襲い掛かる。

 銃弾がその中央へと吸い寄って、見事に当たった。腕は中央から四つに裂けて、更に軌道を変えて四方から私を取り囲む。

 右下より飛来する爪へと弾丸を放つ。軌道が逸れ、すぐさまその下を潜る様に身を低く保ち、懐から弾倉(マガジン)を真上に放る。左から来る拳を撃ち落として、立ち上がる。前方と下から来る物も同じく木端微塵にしたところで一発を残し弾が尽きた。空の弾倉を捨て、放り投げた替えが落下してくると同時にクラヴィスを横に振りかざす。

 最後に落とし損ねていた最初の腕が方向転換し、今度は左上からやって来る。煩わしい蠅を撃ち落とすように、銃口から火花が散った。


「もう終わりか」


 蜥蜴の様に使い捨ての四肢を撒き散らしたノクターに私は挑発する。幾らなんでも無限に腕を再生し続けられるほど、暗鬼種(クレスクント)も万能では無い。それ相応の代謝を、肉体は要求する。

 いや。もはやこれ以上、奴のお遊戯に構ってやる義理も無いだろう。

 これが私なりの、ノクターへ贈ってやれる精いっぱいの誠意だ。


「でも、ノクターは無敵だ。リムじゃあノクターを喰らえない」

「それは12年前の話だろう。今は違う」


 私は歩み寄りながら、クラヴィスの引き金を引く。


「無駄だぁ」


 案の定それはノクターの無敵と称する身体へと吸い込まれ――弾丸は弾かれた。


「……なんだぁ、こいつぁ」


 そう、弾丸は、弾かれたのだ。

 結晶弾が奏銀の侵蝕によって粉々になるのとは違って。

 ノクターの腹部には、着弾した箇所を中心に亀裂が入っていた。


銀の弾丸(シルバー・バレット)、奏銀製の弾丸だよ。お前の為の特注品だ、値が張るぞ」


 そう言って私は続け様に、希少価値の高い奏銀を贅沢に使用した弾丸を放った。

 シルバー・バレットは次々にノクターの身体を蝕み、凹ませ、侵蝕し、穿っていく。

 目には目を、銀には銀をと云うわけだ。


「そ……んな、ものまで。けけ、くかかかかか」

「古来より狼男を撃ち殺せるのは銀の弾丸だけだと相場が決まっているんだ」


 もはやノクターの身体は動かそうにも動かない。シルバー・バレットは奏銀の特性と同じで、云わば身体を蝕む毒でもある。その弾丸により受けた傷は12年前に私が付けた傷と同様、その者の皮膚組織、細胞のすべてを書き換え、同質化していく。

 あと一撃。これで終わる。


「けけ、けけけけけけけけ。紅い瞳の少女(レッド・リム)! ノクターは、まだ。まだぁ――」


 指先に力を込める。


 銃口を彼女の頭へと構えて。



レッド・リム(この名前)はお前に返すよ、ノクター」



 私は引き金を引いた。




 睫の先に滴るのは雨粒だ。

 仰向けで地面に倒れたノクターは唄っていた。聴いた事の無い唄だった。


「るるる、る……るる。……ノクターは、まだ、はら……ぺ、こだ」


 愉快に、悲哀に、楽しそうに、悲しそうに、ノクターは唄う。


 きっともう、彼女の胸に太陽は無い。







 誰も居なくなったはずのそこに、唄が聴こえた。

 混濁していく意識の中、ノクターはこの唄を知っていた。

 呼吸をしているのか、生きているのかさえ分からない。

 痛みも、寂しさも、幸福も、なにもかも分からない。

 ただ、空腹だけが残されていた。


「――お腹、空いたの?」


 誰かが、そこに居た。ノクターを見下ろすように、誰かが。


「けひっ、くかかっ、がふ」


 言葉も出せなかった。ノクターに在るのはひたすら途方もない空腹感と、消えゆくまでの猶予だけ。

 そんなノクターの頭を、誰かが撫でた。


「そっか、スノウのことを追いかけていたのはアナタだったんだね。スノウ、犬って好きよ。だからアナタの事も好き。……ねーえ、スノウのモノにならない? そうよ、それが良いわ。なりなさいったら、なりなさいな」


 スノウ。それが彼女の名だった。

 彼女は無邪気に、力無く項垂れたノクターを抱き起し、口付けした。


「大丈夫、もう寂しくないよ。スノウが、ずっと一緒に居てあげる。アナタはもう、スノウのモノだから」


 愛しい者へと愛を囁くように、スノウはノクターを抱き締める。

 ふと、ノクターの背が泡立ち、無数の腕が触手の如く立ち伸びた。

 それらの腕はスノウへと絡まり、恋人同士の抱擁の様に、スノウの身体を包み込む。

 気付けばもう、空腹感は消えていた。正確には消えたのではない。

 心地良い満腹感へと、姿を変えて。


『本物だ。これがノクターの望んだ、愛しい身体だぁ』


 純真無垢な子供が眠る様に、ノクターは温かい体温に包まれていた。

 黒く濁った影が立ち上がり、空を見上げる。

 頬を伝う雨粒は勢いも弱まり、夜明けと共に降り止むだろう。


「うん、愛してあげる」


 笑顔で答えるスノウの瞳は、紅く――血のように紅く輝いていた。




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