第23環 翔破の円環節80日目⑤
男たちの膝が落ちていく。
彼らの正面に佇むのは、圧倒的なまでの光。
萎縮した影は逃げ場を失くし、今では眩く暴かれた舞台の中央で子供のように身を竦めるしかない。
火埜蔵紫道とその部下たちおよそ30名に包囲された彼らには、もはや反抗する意思すら残っていなかった。
「我々階層警備隊は円環奏府施行法第37条第2項の適用により黄昏の亡霊事件、および誘拐拉致容疑により諸君らを拘束する。これより先、諸君らの行動と言論は観測員によって随時記録される。それらは時に、諸君らにとって極めて不利な状況を生み出す場合があることをここに明言しておく」
建前としては完璧な前口上を、一言一句違えずに火埜蔵は宣言した。
「捕えろ」
簡易であり容易。シンプルなその言葉を言い切って警備隊の隊員たちは揃って進み出す。
誰しもがこれで終わったのだと確信した。それが自らにとっての救済であれ、破滅であれ。
ノクターを除いた、すべてが。
「そうかぁ、くく……くかかかかかかっ。そうだったのか」
不吉な笑い声を漏らす亡霊に隊員達の勇ましい視線が注がれた。
「ノクターは愚かだった。今さらだ! 今さら……こんな単純な事に気が付いただなんて」
そうしてノクターは私の顔を見つめた。にんまりと、口角を裂いて。
「なぁ、リム。これはノクター達の意思じゃない。こんな物語はノクターとリムの物語じゃない。誰か他の奴の手が加わった末に辿る結末なんざぁ、ノクターは反吐が出るのさ」
「お前」
どうして、それを。ノクターもまた、気が付いたと云うのか。
だとすれば、これはやはりノクターやリインカーネーションが仕組んだシナリオでは無い。間違いなく、この一連の事件には得体の知れない第三者の思惑が絡んでいる。
その違和感を、今この瞬間に悟ったのだろう。
でも、だからと言って。
「私はもう、お前を逃がすつもりはない」
「ああ、そうさ。そうだろう。その通りだ。だがノクターは他の誰にも邪魔はさせない」
そう言ってノクターは一際高く跳躍する。軽々と天井の空いた穴まで飛び上がると、一直線に私を見下ろした。
「こっちだ、リム。そこでノクターは待っている。けっ、けけけけけけけ!」
分かりやすくこちらを煽り、スノウを担いだままノクターは曇天の闇夜に溶けて行った。
間も無く消滅を迎える身体だというのに、奴の――祖父の身体能力は未だに健在だったのには驚きだ。
構えていたクラヴィスを降ろし、辺りを見渡す。私に付いてきてくれた三人と、決定打を放ってくれた火埜蔵が共にこちらを見つめていた。
「……すまないな、あれだけ大見得を切ったというのに」
亡霊が逃亡したとなれば、現場は一時休戦となるのは止むを得ない。まずはこの場に居る残党を取り押さえ、しかるべき対応を施した後に捜査を続けなくてはならないだろう。
少なくとも、そうするのが彼らにとって初めて事件を解決したと言えるのだから。
「で、オメェはいったい何をやってんだ」
「へっ?」
あまりにも意外だったキリンジの返答に私は素っ頓狂にも声を上げてしまった。
「先輩、もしかしてこの期に及んで空気読んでこの場に残った方が良いとか考えてません?」
珍しく核心を付いたマリアの言葉に、どきりとする。
「いや、まあ」
「……、…………はぁ」
挙句に茶色い縞々の毛むくじゃらには溜息まで吐かれてしまった。
「後始末は我々に任せてもらおうか」
背後より届く声に振り向く。
「火埜蔵隊長」
「リム、貴女は行け。それが己が進んできた正道ならば」
いつもと変わらない、確固たる意思を宿した瞳。
隊長だけではない。彼らのその言葉が、私の足を動かした。
「……ああ。恩に着るよ」
火埜蔵たちの横を抜けて、私は駆け出す。
物語の終幕を降ろすため、ノクターの待つ場所へと向けて。
例えそれすらも誰かの筋書き通りだったとしても。
これは、私自身への決着なのだから。
リムを見送ったあと、火埜蔵たちの前に残されたのは無様に崩れ落ちていたリインカーネーションの男達だった。
俯き、虚ろな顔で男たちは絶望の淵に立っていた。
「はは、終わりだ。ノクターの旦那も逃げちまって、階層警備隊までやって来て。楽な仕事のはずだったのに、なんで……こんな……」
これより自分たちに訪れるのは正義の執行。法による裁き。自由への補償など、権利者を味方に持たない犯罪者たる彼らには間違いなく約束されるはずもない。
それよりもさらに彼らが恐怖するのは、作戦実行の失敗だった。ノクターがハモニカ人の女を始末さえしてくれれば問題は無いと考えていた彼らだが、事はもはやその域を超え、他者による介入までも許してしまった。
もとよりこの任務は極秘事項の案件だった。この事が上層に知れれば自分たちは例え牢屋の中でさえ生き残る事は出来無い。それほどまでに、リインカーネーションの秘匿主義は徹底的に行われる。ノクターであってもそれは例外ではない。
生き残ったところで、逃げ延びたところで、捕まってしまったところで、彼らは死の恐怖から逃れられる術など、当に失ってしまっていたのだ。
「終わりだ……もう何もかも。……終わり、なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
男のひとりが遂にや発狂して、乱雑に掴んだ得物を振り回し特攻した。
「紫道さん、危ない!」
それにいち早く気付いたのはコラットだった。
だが勿論、火埜蔵紫道という男が悪に後れを取る事など許すはずも無い。
腰を捻ると同時に、上体を落とす。そして半ば狂人と化した男の顎目掛け、火埜蔵は掌を突き出した。
抗う余地無く掌底によって顎から脳天へと衝撃が伝わり、男は声も無くその場に気絶した。
「愚かな。来るなら正々堂々と、正面から向かって来るが良い。他の者も手出しは無用、私は逃げも隠れもしないぞ」
隙を窺い不意打ちを画策していた男達に火埜蔵の容赦のない言葉が注がれる。
彼の意思に従い、隊員たちはその場に佇んだまま立ち止まる。
そして結局残された男たちは各々に怒号を上げて、正面から火埜蔵紫道へと立ち向かう事を強いられてしまうのだった。
「――あらかた片付けたか」
火埜蔵が呟くと彼の足元には捕縛された6人の男たちが転がっていた。昏睡する者、叩きのめされ抗う意思を完全に立ち折られた者、そもそも向かってすら来なかった者など経緯は様々だが、それらがすべて火埜蔵紫道の信じる正道によって得られた結果なのは確実だった。
「まだよ、こいつはうちで回収するから」
そう言ってマリアが傷付いた歯車人の頭部に足を乗せた。それは歯車協定の違反に伴い協会員によって回収を命じられ、更には先ほど男たちの非道な行いにより奏対反応爆発を起こした素体だった。
「……ま、……って。……待って、ください」
素体の傍らに添い遂げるように転がっていた歯車人が、たどたどしい音声を垂れ流しながらマリアの足へと腕部を伸ばす。
「なんだ、こっちもまだ生きてたんだ。案外しぶといのね、歯車人って」
「彼女は……私の、大切な人なんです。……だ、から」
「だから、なに。これは歯車協定で決まった正式な回収任務よ。違反したあんたらの言い分をアタシが訊くわけないでしょ」
そう言ってマリアはレシストの銃口を歯車人のレンズへと向けた。
「さよなら」
引鉄を引くより先に、凄まじい力で銃身が持ち上げられる。
忌々しい顔でマリアはその相手を睨み付けた。
「――邪魔すんなよ、キリンジぃ」
「止せ、もう事は済んだ」
「はぁ? アンタの平和的馬鹿もここまで来ると笑えないんだけど。こいつは犯罪者なんだよ、そっちで伸びてる下品な男共と一緒。アタシと先輩には抵抗するこいつらを始末する権限が与えられてるの。こっから先はアンタの面倒臭い性癖に付き合ってやる義理は無いんだよ、ばーか」
「まだ動いてるモンを、わざわざ無理矢理ぶっ壊す必要なんてどこにもない」
「……ぜんっぜん、これっぽっちも意味、分かんないンだけど」
悪態付きながら、マリアは足元のふたりの歯車人を見下ろす。片方は既にその生命維持機能を停止させ、もう片方は未だ愛する者の身体から離れようとはしない。
その様子を眺めて、マリアの指は引鉄から離れて行った。
「……あーくそ、萎えた。テメェのせいだぞキリンジ。責任取れよ、おい」
バツが悪そうに俯き、マリアはキリンジの肩を殴った。
「彼についての処遇も、こちらで受け持とう。亡霊事件と誘拐事件のふたつに関与しているかどうかも聴取を取らなくてはならないのでな。しかるべき場所で、しかるべき裁きを受けるのが彼にとっての権利だ」
「はいはい、どーぞご自由に。ついでに素体を協会指定の工房まで運んどいてくださいよー」
苦手とする男ふたりに囲まれてはマリアも手を退くしか無かった。
素体の頭部より足を降ろし、不貞腐れてその場を後にする。
不意に、静まり返った倉庫に高笑いが響いた。
「し、シルバー・ファントム!?」
コラットが見上げる先に、ナギを抱えた銀影が姿を現した。
下り立ったその場に皆が駆け寄ってくる。
解放されたナギがキリンジの下へと駆け寄った。
「キリンジ!」
勢い良くナギはキリンジへと飛び付いた。コラット、チャトラ……そして正宗とアカシャもそこへ辿り着き、互いの無事を再度確認し合う。
「ナギっ、ごめんなさい。私……とんでもない事に貴女を巻き込んじゃって……」
堪えきれずにアカシャはナギへと泣き付いた。
赤子をあやす母親のような優しい手付きで、ナギはアカシャの頭を撫でる。
「アカシャちゃんも無事で良かった、本当に……良かった。チャトラにコラットちゃん、それと正宗も。みんな一緒に助けに来てくれたんだね。ありがとう」
頬に滲む痕は残っていたが、その凄惨さを微塵も出さないほどに、健気に、ナギは笑った。
対してジョニーはと云えば、警備隊により完全に包囲される形となっていた。
「よもやお前まで関わっていたとはな」
隊員達の隊列を裂くようにして火埜蔵はジョニーと対峙する。
真剣な面持ちの火埜蔵とは対照的に、ジョニーは口許をにやりと涼しげに綻ばせた。
「ボクも貴方と同じ気持ちですよ、火埜蔵隊長」
「何だと?」
「あ、あの! 待ってください火埜蔵さん。シルバー・ファントムは、私とアカシャちゃんを――」
身乗りしてふたりの間に入り込むように、ナギは訴えた。彼こそが、自分たちの命の恩人であるのだと言う事を。
険しさの炎が灯る瞳を閉じて、火埜蔵の肩から力が抜かれる。
「被害者救出の件に関して、階層警備隊を代表し感謝する」
「隊長……」
「だが、お前が歴とした犯罪者である事実に変わりはない。故に私はお前を正道で以って逮捕する。今、お前が演じなければならない役目は善良たる英雄の称号ではない。そうだろう、怪盗シルバー・ファントム」
「ふっ、仰る通りで」
薄く笑い、ジョニーは火埜蔵の真意を理解する。今すぐこの場より逃げ出せ、そうすれば火埜蔵も正義の使者としてシルバー・ファントムを追う事が出来るのだから、と言う事を。
そうまでしなければ、怪盗と警備隊の隊長であるふたりが同じ舞台に立っている事は許されないのだと。
あまりにも不器用で愚直な、なにより正義を重んじる男からの、最大限の敬意の証。
それを無下にする事など許されるはずもない。
ジョニーは強かに、麗しい軌道で頭を下げて、アンゲルゼのアシストで落下してきたワイヤーを掴み飛び上がった。
もう二度と、シルバー・ファントムが彼らの道と交わる事は無いのだろう。これが最初で最後の、唯一とも呼べる共闘だった。
火埜蔵は部隊員を集め、捕縛した犯人達の連行を指示し、最後にコラットへと向き直った。
「行くぞ、コラット。我々は我々の為すべき事をしなければならない」
その瞳には確かな正義の光がある。誰しもが信じた、彼の正義が。
「私たちの、為すべき事……はい、紫道さん!」
立ち去ったジョニーの笑い声が聴こえる中、ふたりはキリンジたちへと敬礼し、走り出す。追わなければならない者を追うために。それが、彼らの信じる正道であるならば、決して踏み外せぬ道の上を。
「ちぇっ、結局ぜんぶ丸く収まっちゃってさ。つまんないの」
ひとり退屈そうに彼らのやり取りを眺めていたのはマリアだった。
彼女の胸の内にリムの姿が映り込む。
……あの人ならきっと、すべて上手くやり込めるんだろう。
そう思える力を、リム・リンガルム・クオンという協会の検閲官は持ち合わせている。
だからこそマリアは、さも不満気に身体を伸ばして真上を見上げた。彼女の頬にぽつりと、一滴の雨粒が落下する。
それはすぐさま本降りとなり、甲板を叩く雨粒がオーケストラとなって静まり返った舞台は再度騒がしくなった。
――明日の朝にはきっと、止んでしまうのだろう。
特に理由などはあるまいが、マリアはそう確信していた。




