第22環 翔破の円環節80日目④
遠くの方で砲台が発射されたような音が鳴る。今頃きっと上層では人々がにわか雨に備えて避難を始めている頃合いだろう。
そんな事を思いながら私は黒い腕に封じ込まれ宙ぶらりんに吊るされた愉快な怪盗を見上げた。
「随分と楽しそうじゃないか、シルバー・ファントム」
彼は苦しそうにも悔しそうにも見える表情で「お陰様でね」と私の皮肉に皮肉で返した。
強がる怪盗を縛り上げて離さない黄昏の亡霊。その正体は我が祖父、ルフス・リンガルムの身体を奪い12年という歳月を逃げ延びてきた暗鬼種。私の、生まれて初めて出来た最初の友達。ノクター。
私たちの間に言葉は無かった。お互いの紅に灯る瞳を見ただけで充分だった。追う者と追われる者。私も、こいつも。どちらかがどちらかを喰らうまで、もはや語るべき物語は既に語り終えているのだから。
羽織ったローブの内側でアカシャが怯えながらしがみ付いている。この状況はあまり優勢であるとは言えなかった。せめてジョニーの自由さえ確保出来れば。
両手を添えて構えたクラヴィスの照星と照門を結ぶ照準線の先が、そのままノクターの肩から生える腕の付け根に重なる。にやけた表情を見せるノクターに躊躇なく引金を引き、雷鳴が轟くような音と火花を散らしてコンコルディア協会製の結晶強装弾――.50BC弾は放たれた。あまりの衝撃に目下のアカシャが「ひっ」と悲鳴をあげる。
弾丸は私が思い描いた線を直進し、ノクターの影を捉えた。
……そう。確かに捉えたはずだったが、ノクターは余っていた腕を犠牲にしてジョニーの解放を阻んだ。弾かれた薬莢が足下に転がるのと共に、ノクターの使い捨てにされた黒い腕が後方の床にぼとりと落ちた。
「おっとぉ、そうはさせねぇ。こっちの怪盗もノクターの大切な食糧だぁ、けっけ――」
次の瞬間、ノクターの目論み虚しく本命だった腕も弾け飛んだ。
「――っけ、けけ」
飛んできた弾丸はもうひとつ。しかもそれは真横から打ち抜かれたもの。
不気味な笑い声を漏らしながらノクターが見た遥か先に、長銃レシストの結晶望遠照準器を覗くマリアの姿があった。
「ああぁっ、この感覚……最っっっっ高ッ!!」
恍惚に溺れ口許からとろんと涎を垂らしながらマリアは嬌声を上げる。
束縛から解放されたジョニーは床上で回転しながら巻き付いた腕からも脱出した。
「銃……そうか。協会員が二人たぁ、贅沢な晩餐だぁ」
撃ち落とされた腕からぼたぼたと溢れる液体には気にもせず、獲物を前にした猟犬の如くノクターは醜く舌なめずりをする。凹凸を作り脈打つ肩から新たに四本の腕が形成されたのを見て、私はアカシャの身体を抱えて飛び退いた。
天より飛来する弾頭の様にノクターは四本の腕を伸ばし私を追う。腕の先にあるのはどれも研ぎ澄まされた獣の爪。引き裂かれようものなら私のちいさな身体など容易く三枚に下ろしかねないだろう。
二転、三転と後退したところでようやく、腕の射程内から外れた。
『リム、上! ナギさんがっ』
クラヴィスを介してアンゲルゼの声が私に届く。見上げると天井を支えていた梁がその崩壊に耐え兼ねて今にも崩れんとしていた。
駄目だ、流石にあそこは高過ぎる。落下させてから受け止めた方が良い。だが鉄工人であるアカシャと違ってナギは蒸気人だ。その体格は私よりも大きく、散開した鉄片の合間を飛び上がって受け止める事は不可能に近い。もう何度目かは忘れたが、これまで同様に身体の小さい鉄工人の血を引いてしまった自分の運命を呪った。
だとしても、行くしかない。そう思った矢先だった。
恐怖で腰を抜かしたナギが居る太い梁が酷く傾き、遂には袂から折れ落下する。
足腰に力を加え助走しようとした時、ひとつの影が私の頭上を覆った。
それは今し方復活を遂げたばかりの、煌めくばかりの銀の影だった。
天井の残骸から垂れたワイヤーを手繰り、ジョニーは飛翔する。崩壊を始める中に取り残されたナギを腕の中に収め、彼は再び身軽に宙を舞う。その光景はさながら亡国の姫君を救い出した王子のそれだった。
反動を付けてジョニーとナギは壁面の通路へと着地する。
ナギの肩を抱いたままジョニーはきざっぽく笑ってこちらを見下ろしていた。
横を見ると、いつの間にかキリンジがそこに居た。
「ちっ、あの野郎。今はそんなパフォーマンスしてる場合かよ」
頭を掻きながらぶつくさと不満気にぼやくキリンジを余所に、涙を浮かべたナギが鉄柵を乗り越えん勢いで叫んだ。
「キリンジっ! 来てくれたのね! ごめんなさい、私のせいで貴方にも。キリンジが一番嫌いな事に、私……巻き込んじゃって」
「……」
黙って煙草を取り出し、咥える。燐寸で灯した煙を吸い込んで、キリンジはふたりを見上げた。
「おい、怪盗。うちの社長令嬢にこれ以上傷を増やしたら、俺特製のレンチでその軽そうな頭をぶん殴ってやるからな。後始末はこっちでやる、テメェらはさっさと行け」
「キリンジ! 私は大丈夫だから、だから貴方も無理はしないで。お願いよ!」
嬉しそうに破顔するナギの横でこれまた演技っぽくジョニーは深々と頭を下げた。彼女の肩を持ちヒロイックに抱えて、銀影は窓の外へと飛び出していった。
「ンなこたぁ、わぁーってンだよ」
漸く安心したように、キリンジはひとり呟く。
そんな私たちのもとにマリアとチャトラ、正宗の三人も集まってきた。
「……なーによぅ、キリンジってばナギちゃんのためならあんな物騒なこと言えるのね。ちょっとガッカリしたわ」
「テメェは黙ってろ」
「なんだとこの糞髭面野郎っ!」
「正宗、アカシャを連れて離れていろ」
横の賑やかな二人は無視して、私はローブの内側に居たアカシャを正宗に引き合わせる。
「正宗……まさむねぇっ」
今まで耐えてきた恐怖と苦痛から解き放たれたアカシャは怯える子供のように正宗にしがみ付いた。
「守ってやれよ、お前が」
「もちろんです」
力強く正宗は頷く。これこそが、この少年の強さの証だった。
見れば向こう側に居るあちらさんもやる気は充分。素直に逃がしてくれる気などある訳が無く、各々に手には獲物を握りながらノクターを中心に陣形を組み始めていた。その数、七名。
こちらの戦力と言えるのは私とキリンジ、マリアの三人と……
「チャトラ、お前はこういった経験があるのか」
「……少しな」
「なら、手伝ってくれ」
これで七対四。なに、それほど窮地と呼べるもんでもないだろう。
「けっけっ、け。やっと……やっと逢えたなぁ、レッド・リム。大丈夫だぁ、ノクターは決してひとりぼっちにはさせないさ。みんなまとめて、仲良く喰ってやる。かかっ、くかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかっ!!」
耳障りで腹立たしい金切り音に似たノクターの笑い声を狼煙に、敵対者達は一斉に向かって来る。迎え撃つべく他は無い。何故なら。
残されたスノウの姿を私は未だに発見出来ないでいたからだ。
直線で駆け出す私を標的に、男たちが武器を振り上げ突撃してくる。
無骨な鉄製の棒きれ、結晶製ナイフ、大金槌。そのどれもは私が用いる旧世界の喪失技術で製造されたこの世界唯一の兵器、銃の足元にも及ばない粗末な品だ。
しかし彼らとてルチア・アクシスの暗部とされるリインカーネーションの実行部隊。音速を超える速度で打ち出される結晶の弾丸と言えど、少なからず対策は施されているはずだ。恐らくは彼らの着用している対衝撃緩和衣は防弾ベストの効果も考慮されていると見て良いだろう。狙いを外せばその硬直と反動を狙われ、接近戦となるこの状況では極めて私の不利となる。
ここは掻い潜るのが得策と言えた。私の標的はあくまで、黄昏の亡霊ただ一人なのだから。
「俺たちの邪魔をすんじゃねえよお嬢ちゃーーーん!」
その気合いや善しに男は吼えながら私を狙う。
前方より振り下ろされる獲物の直下軌道、私の脆い頭を叩き割るまでの長さ、その挙動。
軸足の重心を傾け、私は次なる一歩を踏み込む際のタイミングをずらして身体を逸らす。
「とりゃあぁぁぁぁぁぁ……ああん?」
鉄の棒は空を切って思い切り床を叩いた。跳ね返った威力はすべて男の手へと返り、無様に喚いている。
視界の左右にすぐさま新手のふたりが映り込む。片方の手には透明に煌めく刃。
「もらったぁぁぁぁぁっ」
まずは左側から再び避けようとしたが、唐突に私を覆う影に反応が一瞬遅れる。
キィンと耳鳴りのような音がすると、キリンジの持つ修理工具のモンキーレンチが男の刃を正面から防いでいた。
「な……何すんだよこの髭! お前から先に切り刻むぞこら!」
「オメェ如きじゃ、この俺は壊せねェよ」
そう言ってキリンジはゲンコツで結晶ナイフの刃を叩き割った。……っておいおい。
「はへ? ……うそぉぉぉ!?」
素っ頓狂な声で男は悲鳴を上げる。まあ気持ちは分かる。
続いて右側の男。彼が両手で支えるのは建築を解体するための巨大な金槌。
進路を塞ぐほどの質量を誇る武器に、私は致し方なく足を阻まれる。
「個人的にあんた達に恨みはねえが、これも旦那の命令だ。悪く思うな」
大きく間合いを取って、緩慢な構えからは想像もつかないスピードで男は鉄塊を振り回す。……が。
「――ぐふっ」
私の反射でも捉えきれない俊敏さで間に入り込んだチャトラが放った上段回し蹴りが、見事に男の顔面を真横から蹴り抜いていた。
「ど……こか、ら」
「……ちゃんと前を向いていないからそうなる。運転でも戦闘でも、それが基本だ」
「なるほ、ど……いい勉強に、なった……っ」
脳を揺さぶる威力の蹴りに視点を揺らしながら、男はふらついて両手から金槌を落とす。チャトラは寡黙に構えを解き、不機嫌なのかどうなのかさえも分からない、いつもの表情でこちらをちらりと伺う。
「……何だ」
「え、あの……別に」
何故にこの毛むくじゃらはこれほどまでに徹底的に、完膚無きまでに、無愛想なんだろうか。
私はもう今後一切、誰の『少し』も信じてやらない事に決めた。
そう言えばマリアは……
「いやぁぁぁぁぁぁっ、やめてぇぇぇぇぇぇぇっっ! 殺さないでぇぇぇぇぇぇっ!!」
「あっははははは! えーい、ばあん、ばあぁんっ!!」
少し離れたところで男にレシストを向けて、わざと弾を外しながら追い掛け回し遊んでいた。……いや、あいつはもうどうでもいいか。
少々予想外な要素もあったがそれはともかく、私たちはどうやら数的要因など気にしなくていいほどに中々どうして優秀なチームとなっていた。
敵対する相手側もそれを察したのか円を描いて私たちを取り囲むように布陣するも、そこから動き出せずに各々の暗く滲んだ顔色を余所余所しく確認する事しか出来ないでいる。
「積荷の輸送と女を誘拐するだけの話だったはずなのに、噂の怪盗が出て来るわコンコルディアの協会員が乱入して来るわで……いったいどうなっていやがるんだこれは。そもそもあいつらは何者なんだよ」
「待て。あの髭面の男、知っているぞ。壊し屋キリンジ。アイオルビスでも有名なへっぽこ修理工だ」
「あっちの女は大聖堂の阿婆擦れシスター、マリアじゃないのか? 先日も確か新人どもが修道衣を着た女に襲撃されたって話があったが」
「……そうだ、思い出したぞ。チャトラ、お前チャトラだろう!? 久しぶりじゃねぇかこの野郎。テメェが裏切ったせいで付いたこの顔の傷、忘れたとは言わせねぇぞこらぁ!」
どうやら彼らもこの界隈では有名人らしく、リインカーネーションの男たちにとって切っても切れぬ因縁があるらしい。
集った一同に視線を向けるも彼ら三人は頑なに、
「知らねェよ」
「興味無いです」
「……忘れたな」
とまぁ、おおかた予想通りの反応で以って答えてくれた。
仲間の評価がどうであれ、今の私達は優勢であると言えた。
それでもノクターは笑って、ゆっくりと緩慢な動作で男たちの背後から近付いて来る。
「だ、旦那。悪いがここは引き時じゃねえかい。幾らなんでもろくな準備も無しに、あんな化け物みたいな奴らと協会員を相手になんか出来っこねぇよ」
「くけ、けっけっ。そうだなぁ。レッド・リムを喰えるのは、このノクターだけだぁ」
執拗に私をその名で呼ぶノクター。
無論、それは挑発だった。
「12年前の、ジオ・ハモニカ。寒い寒い日だった。任務の最中だったノクターは怪我を負ったんだ。その時、ノクターの身体は今よりもか弱い、脆弱な身体だったから。くかかかっ、でもノクターはリム……紅い瞳を持った小さい狼に助けられたんだ。その恩は忘れもしない。だから、ノクターはリムを最後まで取っておくことにしたんだ。他の人間共を喰らい、ノクターに楯突いた年寄り犬の身体を手に入れて、ハモニカ人共の柔らかい肉を喰い散らかした。――その最中に、リムは現れた」
過去の記憶を自ら閲覧するように、ノクターはぼうっと上を見上げてひとり呟く。
「リムを喰い損ねたノクターは、インジェニーを出てヴァーポルムへと逃げ延びた。その間、この身体は実によく働いてくれたよ。けっけ、流石はリムのおじいちゃんだぁ。……だが、それももう限界だった。もうすぐこの身体は動かなくなる。それが無敵のノクターたちに在るたったひとつの弱点。だからノクターはアイオルビスまでやってきた。ここなら優秀な身体がたくさん在るからなぁ。そして、ノクターは見つけた」
蠢き伸びたノクターの腕が、徐々に縮まっていく。
その腕が絡まり抱える先に、青白く項垂れた、女の姿があった。私の、とても良く見知った顔。
スノウ・ホワイトブラック。
「おっとぉ、動くなよォ。今度は撃ち落とさせない。これはノクターの新しい身体だ。だから丁寧に扱わなくちゃいけない。でも、お前たちに横取りされるくらいなら、今この場で真っ二つに折ることだってノクターには簡単なんだぁ。くけっ、けけけけけけけけ」
何とも陳腐な人質誘拐犯の台詞だったが、私はそれに従わざるを得ない。他の三人にも目配せして一歩も動くなと指示を出す。
「そうだぁ、それでいい。ほぅらお前たち、今のうちだぞ。ノクターは食事をしなければならない。お前たちはその間、時間を稼ぎさえすれば良いんだ。簡単だろぉ?」
不気味にけらけらと笑いながら、ノクターは前衛の男たちにそう命令した。
その内のひとりが折れたナイフを力無く床に落とした。
「……冗談じゃねぇ。俺はあんたみたいな化け物のために殺されるなんてごめんだ!」
脱兎の如く振り返り、男は一目散に逃げ出す。それを見た他の男たちも彼に追従するように後に続いた。
「やってられるか、こんな仕事っ」
「おい、誰か前方のシャッターを開けろぉ!」
「うるせぇ、お前が開けに行けばいいだろうが」
「くそっ、こうなりゃ無理矢理突き破って――」
刹那、先頭を行く男の身体がふわりと宙に浮く。
一回転を加え、そして反転。進行方向とは逆に戻される形で、男の身体は地面に叩きつけられた。
唐突な現象に、他の男たちの足も自然と立ち止まる。
「話は訊かせてもらった」
暗闇の奥から響く、低く威厳に満ちた声。
倉庫の正面に取り付けられたシャッターが駆動音を上げ、巻き上げられる。
外より齎される結晶燈の灯りが、倉庫内の暗黒を照らし出す。
アイオルビスを見下ろす、絶対的正義の光。
愉快な怪盗も、出来の悪い後輩も。そのどちらもが最も恐れ、最悪の敵と称した相手。
私の用意した、最後の切り札。
「――確と括目せよ。今こそ、正義の時間だ」
火埜蔵紫道の姿が、そこに在った。




