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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
27/41

第21環 翔破の円環節80日目③



 18:50 p.m.

 アイオルビス 樹海層 3階

 廃棄された倉庫群の一角




 アンゲルゼは不安を拭い去ることが出来なかった。

 怪盗シルバー・ファントムを演じるジョニーによって、誘拐されたナギとアカシャは救われた。しかし、それですべてが終わったわけではなかった。

 薄暗くどんよりと湿った倉庫。太く結ばれた梁の中央でジョニーは得意の啖呵を切っている。目下にばらつくのはリインカーネーションに所属する悪漢たち。

 天井の影から観察を続けるアンゲルゼに今回の作戦介入は認められていなかった。救出すべき被害者にも、憎むべき加害者にも正体を知られるわけにはいかない。ナギとアカシャを救い出すのも、悪漢たちと応戦するのも動けるのはジョニーただ一人。

 その数は7対1。誰がどう見ても状況は圧倒的不利には変わらない。ふたりの少女を救ったところで、無事この場から逃げおおせるまでは、決してこの状況は変わらないのだ。

 ましてや、ジョニーは戦闘という面に関してはまったくの素人なのだから。


「おいこらぁ、そこから降りてきやがれ!」


 下から響く怒号。それでもジョニーは微動だにしない。いや、出来なかった。

 ジョニー・センデルスは理解していた。彼らは犯罪者にして戦闘のプロだ。成り行き任せに挑発を買ってしまっても、体力の無い自分には勝てる術がないことを。

 今の自分が背負った仕事は時間を稼ぐこと。それはシルバー・ファントムに直接依頼してきた共犯者からの頼みだ。すべての算段を整えた彼女がこの場に到着するまで、耐えるしかない。少女とはいえ、人間ふたりを担いで長距離を移動する力など自分には無いことを、ジョニーは自覚していた。


「へっ、どうやら噂のシルバー・ファントムって野郎は、口だけの腰抜けらしいな」


 敵対する相手から容赦のない評価が下される。ジョニーは言い返す言葉も見つからなかった。

 このままでは自ずと、まやかしのショウ・タイムは時間切れとなってしまう。彼らがこちらにまで辿り着く手段を見つけるのが先か、彼女が到着するのが先か。

 そんな博打紛いな作戦を請け負うなんて、我ながら甘いものだとジョニーは苦笑いした。

 それでも。


「それでも……ボクの愛すべき友人たちにこれ以上手を出させるわけにはいかない」


 奏銀感応によって随時通信を行っていたアンゲルゼにしか聞こえない音量で、ジョニーは呟く。

 焦っている、言葉の意味以上にその事がアンゲルゼには伝わっていた。

 既に座標シグナルはアンゲルゼを通じて送信済みだ。後はただ凌げれば。


「どうしたの、シルバー・ファントム……?」


 背後から心配そうに声が飛ぶ。傷付いたナギとアカシャにも、ジョニーの焦りが伝播していた。他者へと伝わる焦りと不安は、すぐに恐怖と失望へ変化する。

 演じなければならなかった。勝てる見込みなど皆無でも、ジョニーはシルバー・ファントムなのだから。


「くっ……やってやるさ。ボクは……」

『ねえ、ジョニー。無理だけは……っ』

「――ボクは銀影の魔術師、シルバー・ファントムなんだ!」


 アンゲルゼの声を振り切り、ジョニーはひとり宙を飛んだ。

 倉庫の壁にかけられた松明が銀色に煌めくマントを照らし、一筋の光が空中を飛翔する。

 回転を加え、ジョニーは敵陣の中心に着地した。足裏に拡がる衝撃が膝を立ち上り、一瞬ふら付く。


「ああ、もう。ジョニーってば」


 高所より覗き込んでいたアンゲルゼの不安は、より確実なものへと変わっていく。

 正直なところ、アンゲルゼはナギやアカシャがどうなろうと構わなかった。ただジョニーが無事でさえ居てくれるなら。だから今回の作戦も賛成したくはなかった。言ってしまえばジョニーは第一の鉄砲玉……切り込み隊長を担わされたに過ぎない。リムが間に合ってくれる保証も無く、最悪のケースを考えればナギとアカシャのみならず、ジョニーすらも被害者として危険な目にあわされることになるのだから。


 だがジョニーはそうは考えなかった。少女たちを救ったところでジョニーにとっては何の利益も生まれはしない。あるのは正体が知られてしまうリスクと、逆に返り討ちにあう可能性だけ。褒賞も無く、被害者を救出したという名誉ある真実ですら報道されるわけがない。それでもジョニーはリムからの頼みを断らなかった。

 脅されているからだ。シルバー・ファントムの正体を世間に公表するというカードを、あの女が握っているから。アンゲルゼはそう思っていた。

 だけれど、きっとそれすらも間違いだったのかもしれない。今、ふたりの少女を救うために行動しているジョニーの姿は、何の策もへったくれも用意することが出来なくてもひたすら足掻こうとするジョニーには、そんな無粋な交渉材など一切関係無いのだとする確固たる意思が感じ取れた。

 だから。だから私も信じよう。気には喰わないけれど……他でもない私が信じる彼が信じるものを。


「……お願いリム、間に合って……!」


 誰かの助けを祈る事など、かつては無かった。それでもアンゲルゼは祈る事を躊躇わず、両手を結んで呟いた。祈らずにはいられなかった。

 周囲を取り囲まれたジョニーは、胸元に潜めた閃光材を使用した紙に手を伸ばす。


「おっと、そう何度も同じ手は食わねえよ」


 男のひとりが足元にあったバケツを持ち上げ、ジョニーに放り投げる。気付いた時には遅く、溜まっていた雨水がジョニーを頭からずぶ濡れにした。


「ぐぅっ」


 銀色の髪から雫が零れ落ちる。指先にあったレターサイズの用紙はびっしょりと水分に浸されていた。これでは如何に即席の閃光弾と言えど、発火しない。


「ふ、ふふふふ……!」


 滴る頬の水滴を拭い、ジョニーは笑いながら顔を持ち上げた。


「どうした、ようやく敗北を知って笑えてきたかい? あっひゃっひゃっひゃ!」

「あっはっはっは、そうだな。こうなっては仕方ない……戦略的撤退だ!」

「――あ、汚ねぇっ!」


 笑い合う男たちの隙をついて、ジョニーは素早く後方に転じて走り出した。

 恥もプライドも知ったことか。ここで倒れてすべてを失うくらいなら、この程度の屈辱は甘んじて受けてやる。

 きっと天井付近で見下ろしている少女たちも落胆したことだろう。あれだけ大々的なパフォーマンスをしておきながら、その後の計画なんてろくに考えてやしなかったボクを嘲い、蔑むだろう。

 例えそれだとしても、ジョニーは構わなかった。敵対する男たちが自分へと意識を向けてくれれば、その分彼女たちへの注意は逸れる。そうして時間を稼げさえすれば、充分なのだと。


「おっとぉ、そんなに急いでいったいどこに行く気だい若旦那ぁ? けひゃっ、けひひひひひひっ」

「なっ……うぐぁっ!」


 突如目の前に現れた、漆黒の影。愚かな道化師を演じても尚、闇夜の舞台に引き摺り戻さんとする鋭利な凶爪。

 ノクターの放った一撃がジョニーの身体を容易く切り裂いた。その力は絶望的なまでに明確だった。

 負傷したジョニーは血の滲む腕を押さえて立ち止まることを強いられる。

 絶好の獲物を足止めした今、ノクターがそれを見逃すはずもなく大きく伸ばした第三の四肢で、ジョニーの身体を捕え、締め上げた。


「く、そぉ……っ!」

「くかかかかかかかっ、残念だったなぁヒーロー。おいお前ら、鉄屑を柱の傍に寄せろぉ。薪の燃料にしてやれぇ」

「へい、了解(ディ・アーデ)


 紅く線を結ぶノクターの両目が振り向くと、男たちは指示された通りに積荷として乗せていた歯車人の素体を引き摺り、最も太い柱の麓に乱雑に放った。

 すぐに異変に気付いた付き添いの歯車人が男たちに食って掛かる。


「や、やめろ。彼女になにをする気だ」

「うるせぇ、邪魔すんなよゴミが」

「けけっ、けっけっけ!」


 男たちと歯車人のやりとりを眺めながら、愉快にノクターは高笑いをあげる。

 身体を締め付けられながら持ち上げられたジョニーは、息苦しく意識がぼうっとしていく中で、あるひとつの考えに辿り着いていた。

 滲んで霞んでいた双眸を広げ、慄くようにノクターを見下ろした。


「歯車協定違反の歯車人素体……まさか、感応奏対反応爆発を……!?」

「流石だなぁ、銀影の魔術師。そのまさか、さ。奏対反応爆発の威力はお前も知っているだろう? 柱だけじゃなくて、倉庫の半分は天井まで含めて木端微塵だろうなぁ。だがノクターは計算が苦手だぁ、上に居る女たちがどうなるかまでは保障出来ない。けっけ、くけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけっ」


 執拗に相手の苛立ちを募る笑い声で、ノクターは笑った。


「止せ、私はそんなことをさせるためにヴェルカの遺体をリインカーネーションに託したワケじゃない!」


 居ても立っても居られなくなった歯車人は、愛すべき相手の名を叫び男たちに突撃した。


「黙れ、鉄屑。こうなっちまったら俺たちも呑気にテメェらのくだらねぇ人間ごっこに付き合って運び屋なんかやってらんねぇんだよ。この素体を起爆剤にして、倉庫ごと吹っ飛ばせばあとはオサラバなんだ。恋人が恋しいなら、お前も燃料代わりになってろい!」


 鉄製の棒を振り上げ男は歯車人の頭部を叩き、共に柱の袂へと蹴り飛ばした。


「ううぅ、ぐうぅ……愛しいヴェルカ……こんなことに巻き込んでしまって、すまなかった。やはり、キミの言う通り……私は、キミを……」


 ぼろぼろに汚れ、金属の身体をあちこちと凹ませた歯車人は既に息絶えている愛すべき相手に縋り付くように泣いた。涙が流れたわけじゃない。それでも彼は、声を殺すことすら出来ずに、悲しみの中泣いていた。


「なんだ、これは……こんなことが――」


 こんなことが、許されるものか。

 歯車人たちを巡る社会の根底をジョニーは嫌と言うほど知っていた。それでも、そうであっても。眼前で繰り広げられる光景はジョニーの堪えきれない怒りを容易く燃え上がらせた。

 奥歯を噛み、非力な自分を憎んだ。

 何も、もはやジョニーには何も出来なかった。


「おお……美しくも儚い、すばらしい愛の姿だ。あひゃひゃひゃひゃ」

「いい反応だ、これならあともう一押しだな。文字通り、恋人たちは爆発するってんだから」

「シルバー・ファントムなんか目じゃねぇ、これこそが最高のショウだぜ!」


 身勝手に、まるで喜劇を観賞する客のように男たちは笑い、各々が手に持つ獲物で歯車人たちの身体を嬲っていた。


「ふざける、な……っ! これが、こんなものが……ショウなものかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 必死で身動ぎ、ジョニーは叫ぶ。それでもノクターの黒く染められた腕が解かれる事はなかった。


『……駄目。もう、間に合わない』


 アンゲルゼの悲痛な囁きが耳元に触れる。

 視線を上げると暴行を受けている歯車人と亡骸の素体の二つが、仄かにオレンジ色に光を瞬いた。


「……すまない、ヴェルカ……私は……」

「うーし、こんなもんだろ。各自退散。二つ分の奏対反応だ、衝撃に備えろよ」


 わらわらと散った男たちは物陰に身を隠す。

 激しく輝きを放つ恋人たち。最後に身を寄せた二人の姿が、ジョニーには天使のように見えていた。




 18:10 p.m.

 アイオルビス 天海層 11階

 階層警備隊本部 中央ロビー




 コラットは信じることを止めなかった。

 アイオルビスの平和と正義を守る階層警備隊。しかし彼らはあくまで蒸気省、延いては世界の法とも呼ぶべき円環奏府の直営部隊。末端は中枢失くして存在せず、それの決定に抗うことなど出来はしない。

 黄昏の都市に蔓延る悪を打倒するため、囚われた少女たちを救うために正義を司る男、火埜蔵紫道は尽力を注ごうと決意していた。他でもない蒸気省――すなわち円環奏府による捜査中止の命が下るその時までは。

 報告を受けた時に火埜蔵が見せた苦渋の表情を、コラットはそのすぐ傍らで見ていた。絞り出すように撤退を告げる火埜蔵のもとから飛び出し、正宗やチャトラといった友人たちと共にキリンジ、リムの両名を説得することに成功したコラットだったが、それでも尚、彼女は自身がもっとも尊敬する人物に会って、もう一度真意を問いたかった。


「待ちなさいコラット、隊長は今……」

「嫌ですっ。私はまだ、紫道さんの本当の答えを聞いてないんですからっ」


 階層警備隊本部の入り口で半ば門番のように立っていた先輩隊員の制止を振り切って、コラットは中央ロビーの扉を押し開けた。


「紫道さん、お話があ――」


 目の前に広がる光景に、勢い充分にあげた声が詰まる。

 ロビーには火埜蔵の姿と、彼と対面して佇む参謀の男、更には火埜蔵を中心に集う部隊員たち総勢30名程が規律を乱すことなく整列し荘厳な雰囲気の中に立っていた。


「えぇっ……と、そのぉ」


 あまりの緊張感に滾っていた想いが霧散しそうになる。なんだかとても神聖な儀式の最中とでも言わんばかりの、身勝手な言動をすればすぐさま斬り裁かれん騎士たちの空間。

 そんな物騒極まりない聖域に迷ったコラットへ、火埜蔵が振り向き威厳に満ちた鋭い眼差しを向けた。


「やはり来たか、コラット」


 厳しくも、どこか安堵したような声で火埜蔵は言った。

 掌にじんわりと湿った感触が伝わる。今、この機会を逃せばコラットは火埜蔵の信じる正義を問い質せないことを悟った。

 衣服の胸元をぎゅうっと握り、コラットは意を決する。


「すみません、私……紫道さんの、ううん。紫道さんだけじゃなくて、皆さんの本当の気持ちを知りたくて。何も知らない、見習い隊員である私が何を偉そうにと思うかもしれませんが、どうか聞いて下さいっ」


 一歩を踏み出す。両側を埋める正義の使者たちが見つめる道の上を。


「私は、アイオルビスに住むみんなを守るために働く階層警備隊の皆さんを尊敬しています。近所の些細な喧嘩やごたごた騒ぎの仲裁から、とんでもない悪者を捕まえるために我が身を犠牲にしてでも戦う皆さんを尊敬しています。私も、そんな風になれたらって。ちいさい頃からヒーローが好きだった私も、自分でそんなヒーローになりたいって思っていました。だから、機関技術学校で紫道さんに声をかけてもらって、見習い隊員として入隊させてもらって凄い嬉しかったんです。私もやっと、みんなを守るために戦えるんだって。正義のヒーローになれたんだって感激しました」


 真っ直ぐに火埜蔵と隊員たちを見つめながら気持ちを伝えるコラットを、誰も止めはしなかった。この場に居た誰もが、純粋過ぎる少女のありのまま愚直な思いの丈を、ただ黙って聞いていた。

 一度深呼吸を挟む。胸の奥がどくどくと脈打つのが自分でも分かる。ただならない閉塞感に、コラットは咳込んでしまいそうになるのを必死に耐えた。


「……前に、シルバー・ファントムと初めて対峙した時もそうでした。私が絶対に捕まえるんだって。紫道さんが言ったように、そうすることが正義なんだって私も思ったから。結局、シルバー・ファントムには逃げられちゃったけど、今でもその気持ちは変わっていません。そして今朝、あーたんとなっちんとユキちゃん……私の友達が誘拐されてしまった事を知った時、なにがなんでも助け出すんだって決心したんです。助け出さなきゃって、思ったんです。でも――」


 ここまで来てしまえばもう、当のコラットですら自分を止められなかった。

 俯いてしまいそうな自分を奮い立たせ、確固たる信念を込めた眼差しで火埜蔵を見上げる。距離は気付けば既にすぐ目の前まで近付いていた。


「――紫道さん、教えてください。友達を救いたいって思う私の正義は、間違っているんでしょうか。階層警備隊が悪者と戦うことは、間違っていることなんでしょうか。私、あんまり頭良くないから、円環奏府や蒸気省の偉い人たちが掲げる正義がよく分ってなくて……結局、紫道さんに止められても勝手にひとりでつっぱしっちゃって。だから、紫道さんに教えてもらうしかないんです。私は、誰の正義を信じれば良いんでしょうか?」


 泣き出してしまいたかった。それが本音だ。

 だが、コラットは涙を浮かべなかった。言い終えてもまだ、瞳は強く前を向き続けている。涙という武器で意地を通したら、それはただの駄々と変わらない。尊敬する火埜蔵はそれを許してくれるほど甘い人間では無いし、なにより大好きな友人たちの命がかかっているのだ。そんな時に私が泣いている暇などあるものか。

 だからこれが正道なんだと、コラットは信じていた。だから絶対に、コラットは火埜蔵の目から逃げようとはしなかった。

 冷たい、恐ろしく残酷な静寂が淡々と過ぎていく。

 ふと、コラットの視界に影が降りた。


「――コラット、キミはキミの正義を信じなさい」


 無骨で粗雑な、だけれど広く大きな火埜蔵の掌が、コラットの頭を撫でていた。


「それ……じゃあ……っ」


 途端に満開の花びらが咲くように、コラットの表情が笑顔へと変わっていく。頭に生えた猫耳が喜びを表すようにぴこぴこと跳ねていた。

 火埜蔵は再び、参謀の男へと顔を向けた。


「参謀、聞いての通りアイオルビスは今、黄昏の亡霊と言う名の凶悪な犯罪者によって恐怖の影に包み込まれんとしています。よって私は、この街を守る階層警備隊として己が為せばならない事をしなければなりません」

「……火埜蔵紫道。キミは自分が言っている言葉の意味を理解しているのか」


 長身細身の参謀は、かけていた眼鏡のレンズから怪訝な眼差しで火埜蔵を睨んだ。


「無論、それが上層部の意思に反する行いだとしても。私は彼女に伝えた様に、己の正義を信じるのみ」

「紫道さん……っ」

「礼を言おう、コラット。お前のおかげで、私も決心が付いた」


 見上げたコラットに視線の先に、僅かだが微笑む火埜蔵の表情が映り込む。ふたりの信じる正義は交錯し、ひとつの強い意思へと昇華する。彼らが目指すべき場所もようやく定まった。この場に居た誰しもが、歓喜の勝鬨を上げる時だと顔を見合わせた。……ただひとり、深く落胆の溜息を吐く参謀の男を除いては。


「お前は何も分かっとらんよ、火埜蔵。このルチア・アクシスにおいて正義とはすなわち、円環奏府の定める法のみ。その法たる奏府の意思決定はそれすなわち正義。奏府に所属する階層警備隊も然り。お前が奏府ではなく、己が正義を重んじると言うのならばもはやそれは反逆の証だ」


 眼鏡を外し、参謀は眉間をぎゅうと摘み押さえた。その足取りは落ち着かない様子でロビーを左右にうろうろと彷徨う。


「考え直せ、火埜蔵。お前は階層警備隊の一員となった際に、その結晶胸章(エンブレム)に誓って奏府の正義に殉じると決めたはずだろう?」


 痛烈に正義の意思を鼻先で突き返す参謀の言葉に、火埜蔵は胸元に縫い付けられた階層警備隊の名誉でもある結晶胸章へと触れた。

 アイオルビスの、円環奏府の、ルチア・アクシスの正義を証明する結晶胸章。天才蒸気バイク乗りとして名を馳せていた若かりし頃の火埜蔵が辿り着いた、正義の誓い。栄光を捨ててでも手に入れたそれは、自分の生き様とでも呼ぶべき信念。


「……そうだ。確かに私はあの時、すべてを投げ打ってでもこの胸章を付ける事に誇りを感じていた。それはきっと、11年という年月を経ても色褪せることはない」

「ならば火埜蔵、それと見習いの少女よ。耐えるのだ。今なら私も、聞かなかったことに出来る」

「……だが、それは」


 傍らに立つコラットを見下ろす。視線に気付いたコラットも火埜蔵を見上げ、同時に彼が言った決意の意味を理解し、ゆっくりと微笑んだ。


「紫道さん……はい。私も自分が信じる正義で、紫道さんの正義を信じます」

「すまないな、コラット」


 ふたりの手が結晶胸章へと向かう。そして――



 火埜蔵とコラットは同時に、自身の結晶胸章(エンブレム)を破り捨てた。



「奏府は正義であって正道にあらず! 奏府の正義が私の正義を遮ると言うのなら、私はそれと決別する!」


 高らかに火埜蔵は宣言する。それがどのような行いなのかを、充分に覚悟した上での宣言を。


「この、愚か者どもが。お前らは自分のやっている事がどれほどの大罪か分かって……! いいや、こうなってしまってはもう手遅れだぞ。私は奏府の法によって貴様らに正義の執行を行わねばならない。この場に集う全隊員よ、今すぐこの反逆者たちを捕えろ!」


 冷静沈着でしたたかに振る舞っていた参謀も、ついには声を荒げて周囲を取り囲む部下たちへと命令を下す。

 もとより完全に取り囲まれる陣形だったふたりの反逆者は、互いに背中を構えを取っていた。


「どうした、早く捕えんか! おい、お前が行けぃ!」


 参謀の勅命にも、指示された隊員は前を向き動こうとはしない。


「なにをぼけっとしている!? もういい、そっちのお前、反逆者を捕えるのだ!」


 次々と名指しを受ける隊員たちだったが、誰一人として参謀の言葉に動き出す者はおろか、顔色一つ変化させる者すら居なかった。


「……まさか、お前たち」


 不可解な行動の意図を察した火埜蔵は、脱力するように構えを解く。

 その時、ひとりの隊員が前へと歩み出た。


「そうだ、それでいい。相手は火埜蔵といえどひとりの人間だ、恐れることはない。行け!」


 参謀の大声がロビーに響き渡る。次の瞬間だった。



 隊員は、自らの結晶胸章(エンブレム)を握り、床へと破り捨てた。



「な、なに……を……」


 驚愕に声を裏返させる参謀をよそに、更にひとり、ふたり……そしてまたひとりと、隊員たちは自身の正義の証である結晶胸章を破り、床へと放った。きらきらと光を反射し、落下の衝撃で胸章は体鳴楽器に似た音を奏でて転がっていく。

 遂には中央ロビーへと集っていたすべての隊員たちが、円環奏府への反逆を示していた。


「私たちも己が信じる正義によって、火埜蔵隊長とコラットの正義を信じます」

「我々にとっての正義は円環奏府ではなく、火埜蔵隊長ただひとりです」

「共に行かせて下さい、我々の手でアイオルビスの人々を救うために」


 誰からともなく、まるで今までの鬱憤を晴らすようにいきいきとした顔で隊員たちは火埜蔵とコラットへ敬礼した。

 ふたりは視線を交え、同時にちいさく頷いた。


「お前たちの正義、確かに受け取った」

「やった……やったよ、みんな。待っててね、あーたん、なっちん、ユキちゃん……っ」


 ロビーの中心で喝采を浴びる、ふたりの反逆者の姿。


「……なんたることだ。将軍閣下により任せられた階層警備隊を、このような形で瓦解させてしまうとは……私は……もう……」


 対照的に、いつしか出入扉の隅へと追いやられていた参謀は辟易した様子で肩を落とし愕然としていた。

 彼もまた、階層警備隊という組織を守るために必死に取りまとめてきた正義の男のひとりだった。だが、それすらも火埜蔵とコラットというふたつの光の前には及ばない。それをまざまざと見せつけられた形になってしまった男には、今や語る言葉は失われていた。

 疲れ切って壁にもたれかかる。すると突然、横の扉がぎぃぃっと音を立てて開放された。


「――おやおや、どうやら事は済んでしまった後のようですね」


 現れたのは、半裸で下半身にふんどし一枚を巻いた鉄工人の老人だった。


「しょ、将軍閣下!? お戻りになられたのですか!?」


 今までに無いほどの大口をぽかんと開き、参謀は老人へと深々膝をついた。

 叫び声に似た彼の言葉に、火埜蔵たちも注意をそちらに向ける。


「メルシー・ミル・モア、グアンリッチ参謀。遅くなってしまい申し訳ありません、貴方には迷惑をかけましたね」


 頭を垂れたままの参謀の横を通り、アイオルビス階層警備隊の最高司令官、将軍の位を持つ鉄工人は火埜蔵のもとへと歩み寄った。

 階層警備隊の誇りを捨てても尚、火埜蔵は彼に対する敬意を忘れずに腕を胸の前へと添え、敬礼の儀を行い頭を下げた。


「バッシュフル将軍、私は――」


 おもむろに火埜蔵の腕へと触れ、恥ずかしがり屋の名を持つ将軍は彼の言葉を遮った。


「行きなさい、ムシュー・火埜蔵。そしてマドモアゼル・コラット。キミたちの信じる正義(ジィーゥスティーア)のために。それこそが、我らアイオルビス階層警備隊の正義と誇りなのだから」


 下から見上げるバッシュフルの髭面には、温かい色が灯っていた。

 そして歴戦の勇士の証たる太く傷に塗れた腕を上げ、



「アイオルビス階層警備隊将軍、剛裸のバッシュフルが命じる。火埜蔵紫道よ、守るべき民たちの平穏を脅かす黄昏の亡霊の影を、今こそ打ち払ってみせよ」



 この場に居合わせたすべての隊員に伝わるようバッシュフルは声高に開戦の意を唱えた。


「やって頂けますね、火埜蔵隊長」


 ゆっくりと頭を持ち上げる火埜蔵にウインクする。

 火埜蔵の瞳に、今や迷いなどはなかった。


「その任務、確と承知した」


 それだけ告げて、火埜蔵紫道は歩み出した。コラットと部隊員たちも敬礼を済ませ、火埜蔵へと続く。

 調和の取れた足並みの旋律で床を叩く、悠然たる軍靴の音。

 彼らの背に刻み込まれた警備隊の紋章が、窓から差し込む黄昏の陽炎に揺れていた。



 すっかりがらんどうとなってしまったロビーに、ふたりの男だけが残っていた。


「よろしかったのですか、将軍。奏府は我らがリインカーネーションに捜査の目を向けることを善しとはしていないようでしたが」

「構いません、既に円環へと続く時は満ちました。今まで行ってきたことは余興に過ぎないでしょう、これより先はもう、後戻りは出来ないのですから。……それよりもグアンリッチ参謀には嫌な役割を与えてしまいました、改めて謝罪をさせてください。エクスキュゼモア」

「滅相もありません将軍閣下。これが私の役目でございます故に。……ですが」


 直向きに従事する参謀の目線が険しいものへと変化する。


「公然猥褻的観点からしても迷惑防止条例的観点からしても、せめて衣服は着用して頂きたい」

「おや、私としたことが……恥ずかしいっ」


 鍛え上げられた剥き出しの肉体美を煌々と晒しバッシュフルは両手で顔を隠した。




 18:30 p.m.

 アイオルビス 樹海層 3階

 上下間階層通路路入り口




「うげっ」


 約束の時間を当に過ぎ、完全に待ちぼうけを喰らっていたマリアが待ち合わせ相手とようやく出逢えた時に放った一言がそれだった。


「待たせたな。……どうかしたのか?」


 蒸気バイクの荷台に捕まるリムのぽかんとした真顔を見て、今度は「うがぁっ」と吠えた。


「どうしたも! こうしたも!」

「……も? お前そんな口調だったか?」

「別に変な口癖とかじゃないですからっ! そうじゃなくて、何なんですかこの状況!?」


 躍起になってリムを責め立てるマリアが指す指先にあるのは、溜息混じりに煙草を吸うキリンジの顔だった。

 その前方には苦笑いをする正宗と無表情で空を仰ぐチャトラの姿もある。


「私も子供を連れてくるのには賛同し兼ねたんだ」

「正宗やチャトラはともかく、なんでこのトウヘンボクまで一緒に居るんですか!」


 正宗の「あ、やっぱそっちなんだ……」と言う呟きもマリアには聴こえていない。


「アタシたちはこれから任務のために敵の根城に潜入するんですよ!? それなのに何の因果でこんな糞野郎と一緒に……」

「嫌だったらお前だけ帰ればいいじゃねぇか、俺たちはお前の悪趣味に付き合うつもりはねぇんだから」

「――テメェは黙ってろよ、ああん?」


 噛みつく寸前の距離までマリアはキリンジへと詰め寄る。手首を振って持ち得た結晶ナイフの斬線が、キリンジの煙草の火種を切り落とした。

 そんな事など微塵も気にせず、キリンジは新しい煙草を取り出し火を灯す。それを見たマリアが再度すっぱすっぱと切り落とす。

 3、4回続けて遂にキリンジの沸点は許容を超えた。


「マリアぁぁっ、てめぇ今日と言う今日は我慢ならねぇ!」

「あはっ、そうそうその顔。素敵よキリンジぃ」


 額に青筋を浮かべて憤慨するキリンジと、恋する乙女のようにはしゃぐマリア。

 以前なら恐怖と羨望すら抱いていた正宗も、再び目にしてみるとそれがまるで子供同士のじゃれ合いに似た感想へと変化していた。

 だが、今はそんな事にいちいち感心している場合ではない。


「あの、ふたりとも……」

「放っておけ。チャトラ、先に進もう」


 巻き込まれる前にバイクから避難していたリムがとっとこひとりで樹海層の薄暗い湿った道を歩いていた。

 彼女の申し付けに従って、チャトラも速度を揃えてバイクを発進させる。


「あの、どうして此処にマリアさんが」


 リムの横に追いついたバイクの荷台から、正宗が尋ねる。


「元々はふたり……いや、三人で行く予定だったからだ」

「三人? てことはあとひとり待ってた方が良いんじゃ……」

「そいつはもう現場に着いてるよ。だから少なくとも、ナギとアカシャは無事だ」

「へっ? ……それ……って」


 無事、という言葉を訊いて正宗は急に身体がずっしりと重たくなる感覚に襲われた。視界がふらふらとぼやけて、頭の中が真っ白になっていく。


「……、っ」


 異変に気付いたチャトラがバイクを止めたが、間に合わずに正宗は路肩へと崩れ落ちていた。


「おい、大丈夫か」


 リムもまた足を止め、背中から倒れた正宗を見下ろす。


「……す、すみません。なんか急に眩暈がしちゃって」

「気負いし過ぎていたか。やはりお前は付いてくるべきじゃなかったんだ、これが敵の目の前だったら悪いが私はお前を見殺しにするかもしれないぞ」


 あれだけの啖呵を切ったところで、正宗は平凡な家庭で育ち殊更恵まれた才能を持つような存在ではない。所詮はまだ子供であり、今もこうして自身の周りを包む畏怖の状況に対応し切れていないのだということをリムは察していた。

 だからわざと、冷たく現実を突き付けた。それでも、


「その時は、そうしてください」


 正宗の表情は、まだ逃げることを許さない者のそれだった。

 どうやらまだ、勝負に負けるつもりはないらしい。

 リムは軽く笑って、手を差し伸べる。正宗は些細なその手助けすらも拒んだ。


「大丈夫です、自分の身は……自分で面倒見ます。だから……一緒に連れて行ってください。ナギとアカシャを……助けなくちゃ」


 唯一、彼自身すらも気付いてはいないであろう正宗の持つ力。時としてそれは、自分自身をも滅ぼしかねない諸刃の剣。

 覚束ない足取りで、正宗は先陣を切って歩き出す。


「厄介な友達を持ったな」

「……それがあいつの良いところだ」


 チャトラの素直な正宗への評価に、リムの脳裏にスノウの姿が過った。

 ――厄介な友達……か。それは私も同じかも知れないな。

 今のリムには、そう考えられずにはいられなかった。




「――でも、なんで『少なくともふたり』は無事なんですか? 浚われたのはもうひとり居るんでしょう?」


 突然横から自分の蒸気バイクに跨ったマリアが声をかけてくる。ようやくキリンジとのオママゴトも終わり、彼女の気も済んだようだ。

 振り返れば後ろには肩を落として大破した蒸気バイクを引き摺る男の姿があった。キリンジだった。


「あれは自分で壊したんですよ、アタシに投げ飛ばそうとして途中で我に返ったんでしょう。咄嗟に軌道を変えたもんだから、地面に放っちゃって。あーもうホント馬鹿。キリンジのばーか」


 白々しく罵倒する相手に聴こえるように声を上げるマリア。後ろからは鋭い眼光で威圧する気配だけが感じ取れていた。


「……で、先輩。ナギちゃんとアカシャちゃんだけは無事って、どういうことです?」

「そのふたりを浚ったことは、奴らの本当の目的じゃない」

「えっ」


 マリアとチャトラ、キリンジだけでなく、前を行く正宗の足も止まった。


「なんで、そんなことが」

「私もそれに気付いたのはついさっき、お前たちとジェミニで話していた時だ。それまで確信はなかったんだが」

「教えてもらえませんか」


 至極まじめな面持ちで、正宗はリムを見据えた。

 対してリムは、特に何の気概もなさそうに淡々と語り始めた。


「結論から言うと今回の黄昏の亡霊事件も、歯車協定の違反者が確認されたことも、すべてはもうひとつの影を目立たなくさせるための隠れ蓑に過ぎないというわけさ」

「もうひとつの、影」

「ルチア・アクシス全土の……正しく言えば人類生存圏内(エウゴ)中の貴族の娘が浚われる誘拐事件のことだ。これらは一般的に金銭目的で誘拐される事件とは異なり、世間に秘匿された形で行われ続けている。誘拐された娘たちの消息は完全に途絶え、決して戻ってくることはない。奏府もそれを公表しないし、娘の両親たちもだんまりを続けたまま口外しようとはしないらしい」


 語る口を止めずに、リムは歩み続ける。次第に暗さは増していき、路地の脇に鈍く灯りを放つ街灯が蒸気管より漏れた煙を不気味に照らしていた。


「ただ、かつて例外が一度だけあった。2年前、偶然にも私が助け出してしまったジオ・ハモニカの名門貴族の令嬢、それがスノウ・ホワイトブラックだ」

「……その誘拐事件を引き起こしたのもリインカーネーションという事か。ルチア・アクシスにおいて、奴らの息がかかっていない犯罪などそちらの方が稀だ」


 リムの話に合わせるように、チャトラが推察した補足を加えた。その推察にリムもまた頷く。


「末端か提携かは知らないが、一枚噛んでいることは間違いないだろうな」

「それじゃあ、ナギとアカシャが浚われたのは……」


 そこまで訊いて、正宗も今まで靄がかかったように漠然としていた事件の実態が見えてきていた。


「スノウが浚われる現場に、不運にも居合わせてしまったからだろう」

「でも、それで何で無事だって言い切れるんですか? リムさんのもうひとりの知り合いが先に向かっていたって、もしかしたら、もう……っ」


 自分で言いかけた言葉を正宗は必死に飲み込んだ。例え何があったとしても、この言葉だけは口に出したくなかった。


「それはナギとアカシャが目的の人物じゃないからだ、そういう事だろう?」


 苦悶の表情を浮かべる正宗に助け船を出すように、後ろからキリンジが言った。

 しかしそれでも、正宗、そしてマリアですらキリンジの言葉の意味を未だに理解出来ていないのか首を傾げている。


「貴族の娘が浚われたことをその両親は知っていながら口外せず、奏府も公表をしない。つまりそれは、予めそうなることが決まっているから、そもそも事件にすらならない。どんな目的があってそんな事をしてるんだか見当もつかねェが、それはそれとして考えるしかねェ。だがナギとアカシャは違う。あいつらは巻き込まれる形で誘拐された。だからナギとアカシャが浚われたことは事件になるし、俺たちみたいな身内が騒げば公表されてしまう。だから、犯人もふたりには無闇に手が出せない。階層警備隊が捜査権限を取り上げられたのも、それを防ぐためか」


 無骨な無精髭を生やした、冴えない風体の男が見せる柄でもない察しの良さにリムは舌を巻いていた。

 どうにもキリンジという男は、見かけ通りの腕力馬鹿というわけでは無いらしいことを悟る。


「加えて、これはリムを誘い出すための罠でもある。正宗たちにリムを疑わせるようにわざわざ手紙まで送っている辺り、相当な用意周到さだ。ナギとアカシャは巻き込まれたって言ったが、それすら計算して行っているとしたら……『事件を起こした奴』と、『事件を起こそうとしてる奴』は別々に存在してるって事だ。ここまでの話で、まるでリムと黄昏の亡霊の真犯人を対峙させるために仕組まれている。だとしたらそれを裏で目論んだ奴が考えそうな事と言えば……人質か」

「驚いたな、まさかキリンジがそこまで気付いていたなんて」


 素直にそう感嘆の賛辞が漏れる。

 もしかしてこの男、喫茶店で話を訊いた時には既にそこまで分かっていたのではあるまいかとリムは邪推していた。


「ナギとアカシャが、リムさんと黄昏の亡霊を誘い出すための人質……」


 考えるだけでも掌が震えた。正宗は冷静さを取り戻そうと頭を横に振る。

 駄目だ、ここで感情的に突っ走ってしまえばそれこそ相手の思うツボになってしまう。今はただ、誘拐された三人の無事を信じて、救い出すまで立ち止まらないことだけを考えなければいけない。


「アタシはあんまりそーゆー陰謀論とかは興味ないんですけどねー。それよりも先輩、ホントに此処の倉庫街全部を探すんですかぁ? 無駄に時間ばっか過ぎて行ってる気がするんですよねー」


 気の抜けた声でマリアが音を上げ始める。

 気付けばもう30分近く、破棄された倉庫街の狭い路地を歩き続けている。それなのにまだ、犯人たちの足取りとなるような建物には辿り着けていないでいた。

 だがリムも決して闇雲に目的地を探していたわけではなかった。そこには当然、もうひとつの策が用意されている。それこそが、歯車協定違反者をマリアに追わせていた理由。

 黄昏の亡霊事件と貴族の娘の誘拐、それに協定違反者が絡んでいるとすればそこには自ずと歯車人が居るはずである。

 シルバー・ファントム――ジョニーとアンゲルゼのふたりを斥候役として送り込んだのも、それが決め手となった。歯車人であるアンゲルゼであれば、同じ歯車人の放つ奏銀の感応シグナルを察知して探索を行うことで飛躍的に迅速に、彼らのアジトを割り出せるだろう。

 あとはマリアの手に入れた情報通り……素体と協定違反者が『互いが互いを愛し合うふたり』であれば、それは起こるのだから。



 東の方角にある倉庫のひとつから巨大な爆発音と衝撃が走ったのは、まさにその矢先のことだった。



 すぐさまリムは進む方向を変え、懐に忍ばせた銃、クラヴィスへと手を伸ばす。


「さて、お喋りは終わりだ。行くぞ……お前も付いてこれるな、正宗」

「は、はい!」


 俊敏な狼の如く駆け出すリムを追いかけるように、4人もまた、苔の生える路地を蹴るように走り出した。



 リムの中に生じた不安は彼女を誰よりも早く駆り立てた。

 ……少なくとも『ふたり』は無事。そう、『ふたり』は。

 あの場で『三人とも』と言い切れなかった事こそが、その証明。

 断言出来なかった。スノウが無事であると言う事を。

 恐ろしかった。祖父母を殺され、家を燃やしたあの日のように、また再び失う事を。

 気負っているのは自分の方だ。これじゃあまるで説得力なんてない。

 それでも足は動くんだ、そういう風に生きてきたから。

 忌々しいレッド・リム(この名前)を私にくれた、あいつと出逢うその時まで。

 思い悩む一時すら今のリムには許されなかった。




 19:00 p.m.

 アイオルビス 樹海層 3階

 半壊した倉庫内




 閃光が瞬き地を裂く轟音が鳴り響く。

 眩い衝撃のあとに残ったのは、吹き飛んだ天井と曇天だった。


「アカシャちゃん!」

「くぅ……っ」


 見上げたジョニーの視界に入るのは、崩れかけた梁からぶら下がるアカシャの姿だった。


「けけ、け。彼女たちは運が良い。いや、むしろ悪いのか。天井と一緒に吹き飛んでしまえば、余計な恐怖に晒されることもなかったんだから。くけっ、けっけっけ」


 薄ら笑みを浮かべノクターは愉快に言う。

 相も変わらずジョニーの身体はノクターの腕が絡まり自由が利かない。

 上では懸命にナギはアカシャのちいさな腕を引き上げようと四苦八苦している。だがあれでは、いつ柱ごと梁が倒壊するかも分からない。床には天井の材木が活花を刺す剣山の如く少女たちに牙を剥いている。

 幾らなんでも、無事で済むわけが無かった。


「私のことは良いから、ナギはさっさと逃げなさいよ」


 力無く頼りない笑みを浮かべて、足元を宙に揺らすアカシャは言った。折れた梁の一片に捕まる彼女の腕はもう限界に近い。


「このままじゃ此処も崩れちゃうだろうし……」

「出来ない、出来ないよアカシャちゃん……っ」


 目の前で窮地に陥っている友人を見捨てることなど、ナギには出来るはずもない。

 だからこそアカシャは、現実的な思考でそう考えたのだろう。


「だって、ここでそうしてたって……ナギにはどうする事も出来ないじゃない」

「アカシャ……ちゃん」


 それが冷酷な皮肉であることをもちろんアカシャは理解していた。それでもアカシャは現実を告げた。

 他でもない、大切な友人を守るために。

 これ以上問答を続けても自分は助からないし、ナギだって逃げる時間を失ってしまうだろう。だったらもう、こうする他に術は無い。


「私は、大丈夫だから」

「アカシャちゃん、駄目――!」


 そしてアカシャは、手を離した。

 身を乗り出して腕を差し出すナギの指先は、アカシャの腕を捕えることは出来なかった。

 ジョニーも、アンゲルゼも、誰も……彼女を救える者は居なかった。

 剥き出しとなった材木の顎へ、アカシャの身体は落下していく。

 ああ、きっとすごく痛いんだろうなぁ……なんて、現実的な感想しか浮かばない。悲しそうに自分の名を叫ぶナギの顔が、どんどん遠くなっていく。

 アカシャの前に過るのは、いつもの4人の光景。

 ナギ。チャトラにコラット、そして――正宗。

 急激にアカシャの中へと攻め込んで来る、恐怖。もうあの場所へは戻る事が出来ないのだと悟った瞬間、その感情は押し寄せてきた。

 戻りたい。死にたくない。終わりたくない。

 今さらそう祈ったところで、落下は止まってくれるはずもなかった。

 止まるはずが、ない――


「――アカシャ!」


 聞き覚えのある声にアカシャは振り向く。


「ま、さ……むね……?」


 崩れた壁の向こうに、彼は居た。

 刹那、黒緋の羽衣がはためき、アカシャの視界を覆う。

 金色の髪を揺らす少女が舞い上がり、アカシャの身体を抱きかかえた。


「――遅くなって悪かった」

「リム……さんっ」


 思わずアカシャはリムに縋り付いて、彼女の首筋に顔を埋めた。

 平坦な床へと降り立ち、リムは顔を上げる。手には既にクラヴィスが握られていた。

 構えた銃口の先に居るのは、黄昏の亡霊。



 12年ぶりに顔を合わせたふたりの表情は、12年前と寸分変わらないまま――あの時と同じ表情をしていた。




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