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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
26/41

プロローグ4 ネーヴェ街の亡霊



 ――それはたぶん、私に出来た初めての友達だった。




 楼刻暦1655年、インジェニー=円環パルログ、翔破が過ぎて天蓋へと円環節が移り変わった頃。

 星都ジオ・ハモニカの北西、ネーヴェ地区にあるカルネア神学校に通っていた私は、祖父母の住む家へと向かっていた。

 両親の顔はあまり鮮明に覚えていない。知っていたのは父が鉄工人(ブラウンズ)で、母がハモニカ人と獣鬼種のハーフだって事くらいだ。物心が付いた頃には既に母方の祖父母と暮らしていたから、仕方ないのかもしれないけれど。


 友人らしい友人は居なかった。ハモニカ人至上主義社会であるジオ・ハモニカにおいて、渾沌種(ゼノビス)である私に奇異の目が向くことはあれど、声をかけてくる者なんて子供の間でも居るわけがなかったし、同時に私も自分とは違う彼らの存在を恐れていたんだと思う。

 だからその日も、私はひとりで帰路となる郊外の黒い森の小道を歩いていたんだ。


 枯渇した奏銀によって大地が死にかけたインジェニーの空気は、本格的な冬の訪れを前に早くも凍り付くかの如く冷たく、周囲を包み込んでいた。

 夕刻時、マルエ=セレニタティスの日差しも届かない森を歩いた。ただひたすら、誰にも出逢わないことだけを祈って。おかしな話だ。そのために祖父母はわざわざ、人里離れた森の奥に居を構えたというのに。

 そうだとしても幼心の私にとって、他者という異端的要因は会さずに済むならそれに越した事はなかった。学校という定められた秩序によるコミュニティの中でならともかく、この森は既に私のテリトリーなのだと。境界線を越える者がいるとしたら、それはもはや侵略者という脅威でしかなかったんだ。


 足の裏でぱきんと音が鳴った。腐りかけの木々の枝が粉々になっていた。上空で葉を揺るがせる黒鳥は、両翼を広げればいとも容易く小さな私など連れ去ってしまうだろう。

 例えそうだとしても、私にはそちらの世界に浸る方が心地良かったし、安心できる。

 白い息を吐き出しながら、はしゃぐようなステップで私は腐葉土の上を進んだ。もうすぐ祖父母の待つ家が見えてくる頃合いだったから。私の、たったひとつの帰る場所だったからだ。

 世界との断絶を心待ちに私は駆けていた。扉を閉じて鍵をかければ、そこはもう私に優しい人だけが存在する空間だと。

 だけどその日、世界はそれを許してはくれなかった。


 道の脇、朽ちた樹木の袂でなにかが這っていた。黒い影のような、なにかだった。

 私はそれが動物や虫の類でないことを理解していた。無論、妄想や幻視などでも無いことも。

 それはまだ生きている。なぜ、私だけの領域だったはずなのにと思った。恐れていた侵入者がついに現れたのだと。

 逃げようかとも考えた。しかし何処へ。ここは私の住む世界なのに。僅かに許された世界からも逃げたら、私は今後何処で生きればいいというのか。

 考えた末の決断は、侵入者の確認。観察。必要とあらば、その排除。

 ここは私の家であり、私の住処。それを易々と奪われるわけにはいかなかったんだ。


 低く茂った草を隠れ蓑に、私は樹木の影に倒れる生きているそれを見た。

 ――女の子。黒い靄がかかったように身体全体が漆黒に染まった、だけれどもその細く、しなやかな容姿は同年代の少女を連想させる姿だ。腰まで伸びる髪もある。一見しただけでは果たして生物であるかどうかすら疑念が湧いた。まるで捨てられた人形のようだったから。

 決定的だったのは、異貌の中心に宝石のように浮かぶ、ふたつの紅い瞳だった。

 私は草場から飛び出し、彼女へと駆け寄った。


「あ、……くひひっ」


 彼女の身体は驚くほどに軽かった。力無く項垂れ、丸々としていた紅い瞳が弓弦のように弛んで、少女は笑った。

 人を小馬鹿にするような、嘲笑。


「ひひっ、あははひゃひゃひゃ」

「貴女はだれ? どうしてここにいるの? ……怪我しているの?」


 見れば彼女の口許には真紅の痕が残っていた。鉛臭い、鮮血の色だった。

 被っていた頭巾で、私は彼女の口許を拭ってやった。赤い液体は布地に染みて赤黒く変色する。

 ふと、まだ彼女が私の質問に答えてなかったことに気付いたから、もう一度同じ質問を試みた。


「名前は?」

「……ノクター」

「ノクター……私はリム。リム・リンガルム」


 気付けば私も、自分の名を告げていた。今となっては何を考えていたんだか、たぶん放っておけなかったんだ。

 私とノクターは、とてもよく似ていたから。


「リム……覚えた。ノクターはリムを覚えた。けひひ」


 愉快そうに笑うノクターを見て安心したのか、私の口角も同じように緩んでいた。


「私も覚えた。ノクターのこと、覚えた。……けひひ」

「けひひひ」


 不器用で不気味な、ふたりぶんの声が木霊する。

 そうして一緒に、私とノクターは笑い合ったんだ。




 次の日の帰り道にも、ノクターはそこに居た。

 朝、家から街へと向かう時には姿が無かったので不安になっていた私は安堵したんだと思う。

 夕闇の帳から夜になるまで、ノクターと出逢うのが私にとっての数少ない楽しみとなっていた。

 ノクターは名前以外、自分の素性を語ろうとはしなかった。ただ、彼女のシンプルな無貌には必ずどこかに、血の匂いがこびり付いていた。

 そんな事は小さく幼い私にとってはどうでもいいことだった。ただ彼女の紅く光を放つ双眼が、漆黒に染まる異形の四肢が。ジオ・ハモニカという世界から隔絶された私にとって、これ以上にない仲間意識とでも呼ぶ感情を生み出してくれたから。

 他でもない、似た者同士のふたりだからこそ生じた感情。

 私にとってノクターは、生まれて初めて出来た友達みたいに映っていた。


「ねえノクター、今日はなにを食べたの? キツネ? それともカラス?」


 笑うだけのノクターが唯一示す興味の話題が、自身の空腹に関することだった。

 彼女はいつでもお腹を空かせていた。幸い、この黒ずんだ森は食糧には事欠かない。私も獣鬼種である祖父が狩って来るイタチや鳥などはよく口にしていた。


「けけっ、おおきな猫だ。リムやノクターよりも大きい」

「それってもしかして、熊?」


 辺りを見渡してみても、そんな巨大な獲物を打ち倒した形跡はない。あるのは折れて落木した木片と、日に日に傷だらけになっていくノクターの姿だけ。


「くふふ、丸飲みにしたんだ」


 ぐったりとした様子で、だけれどなんだか得意気にノクターは言った。

 細かい怪我を負っているというのに彼女は前の日よりも増して行動的になっていた。どうやら初めて出逢った日が体力の峠だったらしく、今は身体を休めて手頃なところから獲物を捕らえているらしい。

 もしかしたら祖父よりも狩りの腕前は凄いのかもしれない。正直に言って私は、ノクターの武勇伝を訊くのが好きになっていた。


「次はなにと戦うの?」

「犬だ。猫よりもおおきい。森の奥に住処がある。ノクターはそれを食べるって決めた」

「熊よりも大きい、犬……?」


 少なくとも、私はそんな大物を見かけたことはない。私の知らないうちに、この森にはそのような主まで潜んでいたとしたら、果敢にもそれに挑むノクターの雄姿を見てみたいと思った。

 食事を行った残骸であろう血塗れた口許を、頭巾で拭いてやる。時期にそれが私とノクターの決まりになっていた。染み込んだ血は川で洗うと鮮やかな薄紅色へと変わっていく。次第に私の頭巾は赤く染まっていった。


 数日後、学校で噂を訊いた。二夜連続で、ネーヴェ街に住むハモニカ人が殺されたという話だ。

 死体は腹部を中心に切り開かれ、体内を喰い荒らすように臓物は巻き散らかされていた。腕や足などにも欠損があり、さながら行儀の悪い食後の皿の様だったと。

 わざわざ私の住む家にも奏府管轄の調査員たちがやってきた。獣鬼人である祖父が関与を疑われていたが、ハモニカ人である祖母の訴えによって調査員たちはその日は帰って行った。

 特に思う事などなかった。ジオ・ハモニカに住むハモニカ人以外の種族にとってみれば、それが普通のことだったから。

 気になっていたのは、ふたつだけ。その日の夜から祖父が家に戻らなくなった事と、同時にノクターが私の前に姿を現さなくなった事だった。


 天蓋の円環節13日目。私がノクターと出逢って2週間が経過した。

 ネーヴェ街の連続食人事件は早くも4人の被害者を出し、民衆の不安と恐怖もピークに陥っていた。

 もともとジオ・ハモニカ内でもネーヴェは比較的静かな地域だったからか、この事件はすぐさま混乱を呼び起こし目撃者の存在しない事件の犯人像は、ネーヴェ街の亡霊として声高に響き渡る事になった。

 朝から雪が降っていた事を覚えている。私は学校へ向かうため、家を出たんだ。

 家と街とを繋ぐ黒い森の小道。真上の木の枝が騒がしく揺れて、黒影が私の前に落下する。

 そこで再び、彼女は現れた。


「ノクター……。今までどこに行っていたの?」

ありがとう(グ・ラーク)、リム。ノクターは感謝してる」


 数日ぶりに姿を見せたノクターはやっぱりにやっと笑って、私の頬を撫でた。


「リムのおかげでノクターは元気になった。それはきっとあの獲物を狩れるほどに。だから今日が、最後の狩りだ」


 ちぐはぐな言葉だったが、私にはそれが決別の手向けみたいに聞こえた。


「もう、行っちゃうの? 帰って来ないの?」

「大丈夫。すぐに、一緒になれる」


 そう言い残し、ノクターは私が歩いて来た方角へと向かって消えて行った。

 凍える風が私の身体を通り過ぎる。その時ようやく私は、ひとり長くその場で立ち止まっていた事に気が付いた。

 足を踏み出せばそこはもう閑散としたネーヴェの郊外。振り返れば呑込むように口を広げた黒い森の形相。

 深々振り続ける雪は視界を白く遮る。

 それを掻き分けて私は、今来た道を戻った。

 胸に閊える不安は広がって行く。私はノクターが獲物だと語る巨大な犬など知らなかった。ただひとり、亡霊の噂が立ち上ると共に居なくなってしまった獣鬼種の祖父を除いて。


 息が切れ、鼓動が跳ね上がっても、駆け出す私の足は止まらない。きっと私は、最初から分かっていたんだ。ただその瞬間まで、信じようとしなかっただけ。無条件に私を愛してくれた祖父と、無条件に私が愛してしまったノクターのどちらとも。

 亡霊の正体なんて興味はなかった。犯人の姿なんて誰であってもどうでもよかった。ふたりのうちのどちらかが、そうでないことだけを祈った。

 家の前に辿り着いても、辺りには静寂さと冷たい雪の景観しか無い。

 扉は開け放たれていた。

 中を覗くと、そこにノクターの姿は居なかった。

 居たのは黒く歪んだ祖父の身体。その凶牙に沈む祖母の腕。

 口許に赤黒く付着した色を見て、私はそれこそが彼女だと理解した。そして彼女は、最後の狩りを見事成し遂げたのだという事も。

 亡霊の姿を見た者はいない。何故なら目撃者もすべて、彼女の餌食になったから。


 祖父の……ルフス・リンガルムの身体を手に入れたノクターは、手始めに祖母を喰らった。

 真相としては何てことは無い。最初の事件が起こって以降、ルフスは亡霊の正体を追った。それはきっと、私と祖母を守るために。

 結果としてそれは失敗に終わり、亡霊に憑りつかれたルフスは自身のその牙で守るべき愛する者を失ってしまったに過ぎないのだ。


「ごちそうさまでした」


 祖母の身体を喰い散らし、食事を堪能したノクターは汚れた口許を拭って呟いた。

 亡霊は未だ、私の帰還には気付いていない。

 私の右手にあったのは、奏銀で加工されたナイフ。無意識のうちに祖父の棚に置かれていたそれを握りしめていたんだろう。

 脳裏に過ぎ去るのは、消失していく感情と記憶の波。

 身体が命じるのは、侵略者への排除だけ。

 我が領域を犯した者への、恐怖と怒り。

 降り積る雪のように冷たい切っ先を翳して、私は――!


「――――ッ」


 暖炉の灯を照り返す銀の刃は、簡単に亡霊の脇腹を捉えて抉った。

 黒い淵の底に沈み込んだ亡霊の身体から流れる液体は、滾るように熱い真紅だった。


「くふっ、……くっくっくっく!」


 ノクターは笑った。初めて出逢ったあの時と同じように、ふたつの紅玉を細めて。


「大丈夫だ、リム。ノクターは決して、ひとりぼっちにはさせない」


 振り向いたノクターの姿に、少女の面影は残っていない。それが侵蝕を繰り返し生き長らえる暗鬼種(クレスクント)の特性。巨大な人型の狼を模したような黒い影は、ルフスの身体を完全に取り込んでいた。

 ひた、ひたと歩み出す。しかし唐突に、ノクターの緩慢な動きは停止した。

 彼の足元には、鮮血に溺れ腸を引き摺り、残された片腕だけでノクターの足を掴む祖母が居た。


「逃げなさい、リム……。逃げるのよ、早く! 貴女だけは、この世界で自由に……生きて」

「なんだぁ、まだ喰える部分が残っていたか」


 肩から追加の腕を生やしたノクターが、祖母の頭蓋を砕く。それがトドメとなって、祖母は事切れ動かなくなった。


「くか、くかかかかかっ! 待たせた、な……」


 笑いながらノクターは膝を着いた。腹部から流れ滴る血液は、止まる事なく溢れ続けている。


「くふふ。そう、か。それは……奏銀」


 私の右手に煌めく刃。自身の腹を貫いたそれを憎たらしく見上げて、ノクターは笑う。

 理の銀、奏銀。それはあらゆる物質に対して感応し、変化する絶対物質。この奏銀によって付けられた傷は完治する事はなく、体表面は次第に壊死、硬質化していく。

 少なくとも今ここで、この猛毒にも似た奏銀感応の侵蝕を食い止めることなど亡霊であっても出来やしなかった。

 頭に被っていた頭巾を暖炉へと放り込む。人と獣の血を多分に吸い込んでいた布地は瞬時に燃え盛り、灰へと帰した。

 溢れた火の粉が家具に飛ぶ。衣服を脱ぎ捨て、そのすべてを私は焼却すべく火種へと注いだ。

 周囲の壁に火の手が回った時、私とノクターはふたりきりで炎の壁に包まれていた。


「……これでノクターを追い詰めたつもりか?」

「あなたは言ったじゃない、私をひとりにさせないって」


 ――そう、だから。


「だから私も、あなたをひとりになんてさせないわ」


 このまますべて燃やしてしまおう。世界も自分も、一緒に。そう考えた。

 私を庇い、逃げろと言ってくれた祖母には悪いけれど……もう私には、逃げ帰る場所なんて無かったから。


「くふっ、くくくかかかかかかかかかかかかかかっ!!」


 淡いオレンジ色に照らされて、漆黒のノクターは甲高く歓声をあげた。


「ノクターは間違っていた。おおきな犬よりもちいさな狼が……リムこそが相応しかった。残念だぁ。もう少し早く気付くべきだったのに。くく、けけけけけけけっ!」


 四肢のすべてを使い、獣のように床を駆け、ノクターは窓を蹴破って退路を切り開いた。


「っ、待て! ノクター!」

「もし、お互い生きていたら……また遊ぼう。ばいばい(リ・ウェルス)、レッド・リム」


 最後まで腹立たしく嘲いながら、ノクターは呪いの言葉を唱えて飛び出していった。

 私の手に残された唯一の物は、紅く血塗られた奏銀の刃だけだった。




「……んで結局、紆余曲折あって今に至るってわけだ」

「ちょ、ちょっと。いくら何でも後半省略し過ぎじゃないですか? なんでそれでリムさんが亡霊事件の犯人って事にされて、今こうして再び当時の真犯人を追っているのかってところとか全然説明になってないじゃないですか」

「そんな事は然程重要じゃないからだ」


 はっきりそう言ってやっても、正宗は納得出来ないといった顔で私を睨んでいた。

 やれやれ、仕方のない奴だ。


「……あの後、奏府の調査員たちは炎に包まれた私の家へと乗り込んできて私の身柄を拘束した。現場の状況から見るに、少なくとも私が事件を引き起こしたとされるには充分過ぎるほどの材料が揃っていたし、そうでもしないと騒ぎは落ち着かなかったんだろう」

「でも、だからってそんなの……」


 頼んだわけでもないのに、正宗は私に代わって悲しみ、憤りを感じてくれていた。久しくそんな風に言ってくれる人がいなかったので、思わず私は笑ってしまう。


「ありがとう、優しい奴だなお前」

「か、からかわないでください」


 今度は私が怒られた。きっとこれが、彼の本質なのだろう。純粋でまっすぐな、少年らしい愚直さ。

 それは時として危うい状況を生み出すことはあれど、今の私には輝いて見えるほどに羨ましいものだ。


「……真犯人の使っていた独自の言語、それはリインカーネーションのものか」


 黙り込んでなにかを考えていたチャトラが、不意に言葉を交えてきた。


「知っている人間が居るとは意外だな」

「……昔、俺はリインカーネーションに所属していたことがある。だから知っている」


 正宗とコラットが揃ってチャトラの腕を引いた。どうやらそれは彼らにとって、公開すべきカードでは無かったらしい。

 だがそれでもチャトラは無言で、細く切れた瞳で私に向き合ったままだった。

 ……なるほど。


「その生き方を変えたのが、周りの友人たちってわけか」

「……ああ。だから俺は、こいつらとの今を守るためなら、なんだってする」


 あらゆる障害を物ともしない、チャトラの決意。なんとも彼らしくない言葉だったが、それが逆に彼らしい。少なくとも私は、そういう展開が嫌いではなかった。


「それで、リムさんはこれからどうするんですか」


 再び正宗が正面に座る私に迫る。

 フィズとフォズの淹れ直してくれたコーヒーに舌を慣らして、私は彼に答えた。


「決まっている。12年前から私の中に巣食っていた亡霊を、今度こそ追い詰めてやるさ」

「もう策は打ってあるって事ですね?」


 珍しくこちらの言葉の裏を読むように、正宗は勝手に話を続けていた。

 コラットとチャトラも顔を合わせて、三人は頷く。


「お願いします、僕らも一緒に連れて行ってください」


 ……何を言いだすかと思えば、こいつらは。


「それを私が許可するとでも?」

「いいえ、でもしなくちゃいけなくなると思います」


 意外な返答に、私は舌先を火傷しそうになった。

 ……どういうことだ。彼らは私が折れざるを得ない切り札を、まだ用意しているとでもいうのか。


「……リムさんが許可出来ないと言うのなら、僕らは単独でナギとアカシャ、それからスノウさんを救いに行きます」

「何を馬鹿な。そもそも奴らがどこに居るのか見当が付いているのか?」


 自分でそこまで言って、私は気が付いた。彼らの勝利を確信した顔が実に不愉快だった。

 じとりと怪訝な面持ちで、私は茶色い縞々の毛むくじゃらを睨む。


「チャトラ、まさかお前」

「……犯人がリインカーネーションに関連している事が実証されれば、押さえるべき場所を俺は把握している。後はそこを虱潰しに当たれば済む話だ」


 やってくれたな、と私は正宗たちに賞賛の声すら贈りたくなった。多少なし崩し的にとはいえ、こうなることを想定した上で動いていたとしたら。私はまんまと彼らの口車に乗せられてしまったことになる。

 やはり、口を滑らしたのは間違いだったのかもしれない。


「だとしても、もう手遅れです。僕らはもう自分たちの意思で行動することが出来ます。リムさんはそれに協力するかしないかを選ぶだけ。それとも力付くで止めてみますか?」


 自らを力無き存在だと理解し切っているからこそ、彼らの提示する契約はどちらに転んでも私の不利になるように仕組まれている。

 その最後の切り札が、こっちの木偶の坊ってわけか。


「お前は子供たちが危険に自ら首を突っ込むことに納得しているのか、キリンジ」

「俺はこいつらを子供だと思ったことなんか、一度もねぇよ」


 まるで禅問答のような、卑劣な答えでもってキリンジは私を見て笑う。


「お前は力の行使を嫌っているんじゃなかったのか、今お前たちがやろうとしている事は……」

「誰も力で解決しようだなんて思っちゃいねぇ。俺は修理屋だ。俺たちが行く理由はただひとつ、壊されたもんを直しに行くためなんだよ」

「屁理屈だ、そんなもん!」


 思わず感情的につっこんでしまって、勢いで立ち上がっていた私は苦虫を噛む思いで席に着いた。


「……勝手にしろ、ただ私は子守りなんて出来ないからな」


 本日二回目となる、私の敗北宣言。その言葉に正宗たちは勝利の勝鬨を上げて互いの手を叩いていた。




 喫茶店ジェミニの扉から外へと抜けると、まもなくマルエはセレニタティスからヌビウムへと切り替わる頃合いになっていた。

 三人の少女たちが浚われてから、まもなく丸一日が経過してしまう事になる。歯車協定の違反者と、もうひとつの誘拐事件の影が移動を開始するのは時間の問題だ。私たちは急がなければならなかった。


「私、もう一度階層警備隊本部に寄って、紫道さんたちと話してみます。もしかしたら、紫道さんなら……協力してくれるかもしれないから」


 自分の蒸気バイクに跨り、ヘルメットを被ってコラットは拳を作る。

 アイオルビスを照らす正義の男、火埜蔵紫道であればこういった時、すぐにでも行動を開始するのであろうが……今は状況が状況だ。奏府直属の警備隊の隊長を務めている男が、奏府の意向に背いて動いた場合、たとえそれが事件の解決を促す行動であったとしてもなんらかの懲罰は免れないだろう。

 だがそれでも、彼の中に根付く正道が奏府の掲げるものと違っていても尚、火埜蔵紫道ならと思わずにいられないのは私も同じだった。


「あまり希望的観測は出来ないが、使える駒が多いに越した事はない。頼めるか、コラット」

「はいっ、任せてください! 必ず後で紫道さんと一緒に、みんなと合流しますからっ!」


 元気よく胸を叩いて、コラットは先駆けて走って行った。

 当初より私が思い描いていた道筋とは違ってきたが、それでも私は進まなくてはならない。

 彼らに倣って、彼らと共に。

 今日がアイオルビスで過ごす私の、最後の一日とするために。

 懐にあるクラヴィスが感応波を受信する。コードはシルバーよりレッドへ。

 これは……


「今朝、ジョニーが俺のところにやってきた。煙草を一箱寄越せってな。煙草なんか吸いもしねぇくせにだ。……リム、これもあんたが回した手か?」


 キリンジがそう私に耳打ちした。そうか、どうやら間に合ってくれたらしい。

 煙草、か。それに目を付けるとは流石は銀影の魔術師、シルバー・ファントムだ。


「知らないのか、キリンジ。コンコルディア協会製の煙草は旧世界の喪失技術アーミット・アルケイテスの宝庫だぞ。巻紙に使用されている燃焼材は高度な結晶化技術の賜物だ、知識さえあれば抽出して間に合せの閃光弾代わりくらいにはなる」


 そう言って私はキリンジの蒸気バイクの荷台へと跨った。

 隣には既にチャトラのバイクと、その後ろに正宗が乗って準備を終えている。


「向かうべき場所は分かっているな、チャトラ」

「……ああ。黄昏の都アイオルビス樹海層三階。そこにある倉庫群の一角が、奴らの根城だ」


 蒸気バイクの駆動機関を唸らせ、チャトラは発進する。それに追従してキリンジも自らの蒸気バイクのスロットルを絞った。

 橙色に染まるアイオルビスの空には黒煙と見紛う分厚い雲の姿が、ゆっくりと被さるように近付いていた。




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