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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
24/41

第19環 翔破の円環節80日目①



 薄暗い倉庫の片隅でアカシャは目を覚ました。

 ぼんやりと揺らぐ視界。頭の中が霞がかったような、不思議な浮遊感が残滓の如く残っている。


「あ、……うぅ」


 口を開こうとしても上手く動かせない。からからになった喉は燃える燐を吸い込んだみたいにひりひりとしていた。

 ヴァーポルム=円環パルログの翔破の円環節と言うのは、季節としては夏季に当たる。だというのに、この不気味な空間内に漂っているのはひんやりとした冷気だ。それも肌に纏わりつくように重くじめっとしている。

 ようやく思考が晴れていくとアカシャは自分と、自分の友人が陥った状況を理解できるようになった。


「う、嘘。なによこれ」


 両腕を背中へと回され、縄できつく縛り上げられている。無論、両脚も同様に身動きできない状態だった。


「そうだ、ナギは……!?」


 咄嗟に傍らに倒れていたナギの姿を確認する。

 意識は無いが彼女の口許からは微かに呼吸をする様子が確認できた。どうやら無事らしい。……この圧倒的に不可解な状況に対して無事という表現が当て嵌まるのかは甚だ疑問ではあるが、なにはともあれ二人の命に別状が無いことは確かだった。

 ホッとしたアカシャの視線の先には、もうひとり分の影があった。

 薄く、儚い色白の肌をした女性。目が覚めるほどに美しい金色の髪に、虚ろな瞳からは透き通るブルーの色彩が加えられている。

 アカシャはこの女性のことを知っていた。忘れられるわけもない。突如として図々しく、自分の家に土足で上がり込んできた奇想天外なハモニカ人の女。本来なら名前を呼ぶのも憚りたい、その人物を。


「スノウ・ホワイトブラック……なんで、この人まで……」


 見る者の目を、心を惹き付ける美しさを放つ、魔性の女性。だからこそアカシャは、自分の領域が彼女に呑み込まれていくことに耐え切れず、近頃にいたっては家から離れていくことが多くなっていた。

 しかし、今は状況が状況だった。例え相手が自分の苦手とする存在だったとしても、同じ捕らわれの身となってしまった事には変わりない。ならば、互いに協力し合う他ないとアカシャは結論付けた。


「ねぇ、ちょっと。……起きてるんでしょう? ねぇってば」


 返事はなかった。

 彼女の瞼は昏睡しているナギとは違い、微かにだが開いている。しかしその瞼はおろか瞳の動作さえも、虚空を眺めているだけでアカシャの声には反応しない。それはさながら、精巧に造られた人形のよう。


「いったい、どうなってるのよ……正宗……」


 急激に心を絞めつけて来る不安。なんとかそれから逃げようと、アカシャは力なく正宗の名を囁いた。

 なぜ自分はこんな目にあっているのかと、アカシャは自問した。

 蘇る景色は、つい昨日の夕刻だった。




 正宗、コラット、チャトラの三人と別れたナギとアカシャは、アイオルビス雲海層6階にある鍛冶屋ショートピースへと向かう手筈となっていた。

 枝分かれした大樹のように層を連ねるアイオルビスには、上へ下へと張り巡らされた葉脈のように各所に蒸気エレベータが設置されている。

 雲海層6階へと下るエレベータの中でナギに肩を抱かれたアカシャは、ただただ沈黙を続けていた。

 自分たちの好奇心によって知り得ることになってしまった、リム・リンガルムの過去。紅い瞳の少女(レッド・リム)と呼ばれる12年前の食人鬼事件の犯人が、よもや自分の身近に存在していたことに対する恐怖。

 それ以上にアカシャにとって、いわゆる常識的な接し方を弁えている年上の女性――尚且つ、自身と同じ鉄工人の血が混ざる――であるリム・リンガルム・クオンと言う存在は、彼女の求める理想的な象徴に違いなかった。

 勝手気ままに振る舞うスノウもリムの言う事には比較的素直に従っていたし、知識人としても申し分無く、リムの語るインジェニー=円環パルログでの生活や技術に関する話は、アカシャにとって決して退屈な物語ではなかった。

 言うならば、アカシャはリム・リンガルム・クオンを気に入っていたのだ。それはまるで、新しい姉が出来たような心持に似ていた。

 そんな彼女が、過去の事件とは云え何の罪も咎もない人々の命を奪うような犯罪者である事を知ってしまった時、アカシャの心は途端に虚無へと戻って行ってしまった。

 自分の家族すら手にかけたとされる、その凶行。とてもじゃないが、今は家に帰って普段通りに振る舞って見せることなど、今のアカシャには出来るはずもなかった。

 ナギの親切により、今晩はまたナギの家に泊めてもらおう。そう決まった矢先のこと。

 エレベータの扉が開いたと同時に、「あっ」と声を漏らすナギにつられてアカシャは視線を持ち上げた。

 目の前には、リムの姿があった。


「よう、ふたりとも。学校の帰りか?」


 初めて会った時と変わりない、簡素ながらも明快な口調。頭の左右についた犬耳はぴこぴこと揺れていて、コラットと同じように可愛らしい。

 ……だが。今のふたりにとってはそんな挨拶ですらも応じることなど出来ないほどに、最悪のタイミングで彼女は現れてしまった。


「どうした、何かあったのか?」


 無言のまま立ち止まるふたりの様子をリムが訝しむのも当然だった。

 エレベータからは続々と人が降り、また新たに人が入っていく。人混みに流されるように、ナギとアカシャのふたりはエレベータから放り出されてしまった。


「……遊んで帰るのも良いがあまり遅くならないようにな、アカシャ」


 結局、擦れ違いざまにそれだけ言って、リムはエレベータに乗ってしまった。扉が閉まって、エレベータが下降して行っても、アカシャはその場から動けずに呆然としていた。

 人々の行き交う喧騒のざわめきと、蒸気エレベータの甲高い駆動音が引切り無しに響いている。


「あ、アカシャちゃん……」


 先に我に還ったナギがアカシャの掌を握る。ちいさなその手は、震えていた。


「アカシャちゃん、行こう?」


 心配そうにナギはアカシャの顔を覗き込んだ。肩口に垂れ下がる左右に結ばれていたアカシャのオレンジ色のおさげの房が、風に揺れる。

 蒸気管の隙間から白煙が噴き出しては、陽炎に消え行くまで空を漂う。閉まったままになっているエレベータの扉を、アカシャは見つめていた。


「……私、バカだ」


 零れる一滴の雫のように、アカシャは呟く。

 ナギによって繋ぎ止められていた掌が放たれ、ふたりを繋いでいた互いの手は離れていく。


「勝手に気になって、勝手に調べて、勝手に落ち込んで……そんなに気になるなら直接訊けば良かったのに、いざ目の前にしたらどうにも出来なくて。それでもリムさんは私を心配してくれたのに。私……」

「アカシャちゃん……」


 独白するアカシャにナギもまた同じくして、閉じてしまった扉を見つめる。

 これはきっと、ふたりにとっては最悪のタイミングだった。……だが、最悪は転じれば好機にもなる。

 ナギはおもむろにアカシャの手を握り直し、ぐいと前へ引いた。それには流石にアカシャも呆然となって見上げてしまう。


「な、ナギ? なにを――」

「行こう、アカシャちゃん。リムさんを追おうよ。ここで逃げちゃったら、私きっと後悔しちゃうんだと思う。例えそれが真実だろうと真実じゃなかろうと、知ろうとしなかった自分に悲しくなっちゃう気がするの。だから、アカシャちゃん」


 立ち竦んでしまったアカシャの腕を引き、ナギは蒸気エレベータの運行状況パネルを確認する。銅細工で作られた円盤状の信号が、一定のリズムで回転していた。現在、このエレベータは『上り』になっている。再度この場所に下降行きエレベータが到着するには、些か時間がかかってしまう。

 ともなれば、とナギは強引にアカシャを連れて反対側へと歩き出した。アイオルビスは上昇下降を繰り返して生活する街だ。少し歩けばまた違う蒸気エレベータは幾らでもある。今はなんとしてでもリムを追いかけ、そして訊ねなければならない。自らの足を使い、口を開き、耳で聴かなければ分からないことだってあるはずなのだと。

 ナギに導かれ、引き連られる形になってしまったアカシャも、ついにはいつもの様子で「やれやれ」とぼやいた。こうなってしまってはナギを止める事など出来やしない。彼女は自分たちのグループでも一番ガンコなのだと言うことを、アカシャは当然把握していたからだ。


「……そうね。英雄も怪盗も殺人鬼も、この目で確認するまで私は信用なんてしない。そんな当然の事を忘れていたわ。ありがとう、ナギ」


 出遅れていたアカシャが隣に並び、お決まりの皮肉をのたまう。ナギは嬉しそうに頷いた。

 ようやく見つけた下降行きエレベータに飛び乗り、ふたりはリムの向かった雲海層5階へと降り立った。

 無論、既にそこにはリムの姿など無く、ただ忙しなく歩く人波だけがあった。

 刹那、狭い路地の向こう……人混みから隔絶された世界の端に、アカシャは見覚えのある顔を見つけた。


「あれは……」


 吸い寄せられるようにアカシャはナギの手を引き路地へと向かう。ナギの目にも、それが誰であるか理解出来たようだった。


「スノウさん?」


 ナギの声に振り向いたその人物は、まるで死人のように虚脱した瞳をしていた。



 ――そこで、アカシャの脳裏に浮上する景色は瞬時にブラックアウトした。



「うっ……」


 思わずアカシャは震えるように身じろいだ。背筋を立ち上る寒気にも腕を抱くことも出来ない。両腕が背中に回され縛り上げられてしまってはそれも当然だ。

 駄目だ。何度試してもあの前後の記憶が黒く染まって上手く思い出せない。

 何者かの手によって自分とナギ、それからスノウの三人が浚われてしまったのだということは現状を鑑みれば理解出来た。おそらく、非合法の薬品か何かを飲まされたのだろう。意識の混濁はそれが原因かも知れない。少なくとも彼女たちに目立つ外傷は無かったので、そう考えるのが合理的だった。

 それよりも、早くここから脱出を――それが無理なら急ぎ救援を呼ばなくてはならない。アカシャの思考がそう警鐘を鳴らす。


 周りを見渡すと、そこは廃墟同然の広い倉庫。自分たちが普段暮らしている雲海層の気候と比べて極端に低温多湿な事を当て嵌めれば、ここが何処だか大体の察しはついた。

 アイオルビスの樹海層。最下層領域としても知られるこの階層は、表舞台には生きれない者たちが集まる魔窟として有名だ。アイオルビス階層警備隊の隊員たちですら、部隊を組まずに個人で易々と立ち入るような愚かな真似はしない。

 つまり、今のアカシャたちの状況は……まさに絶体絶命的と言えた。

 ――逃げる? こんな両手両足を縛られた状態でどうやって?

 助けを呼ぶ? 誰に何を伝えれば、わざわざ自分から地獄まで駆けつけてくれると言うのか。そもそも、そんな相手もそうだが、遠く離れた相手に話を伝える手段など感応波を操る高度な結晶化技術がないと出来やしない。大声で叫んだところでここは地の底の裏舞台だ。得物を狙うハイエナたちが寄っては来ても、それを蹴散らす英雄など住んでいるわけもない。それが、樹海層と呼ばれる街の形をした監獄の正体なのだから。

 鳴らすだけ鳴らしておいて、そのくせ何もできやしないとは使えない警鐘もあったもんだとアカシャは溜息をついた。


「ア、カシャ……ちゃん?」


 すぐ隣で横たわるナギの瞼が重たく瞬き、消え入りそうな声でアカシャを呼んだ。


「ナギ! 目が覚めたのね!? 良かっ――あっ……うぎゃっ!!」


 喜びのあまりにアカシャは前方へと顔面から倒れた。べちゃっと床に鼻を強打して、そのまま小さな身体がぴくぴくとしていた。


「アカシャちゃん!? 大丈夫……?」

「な、なんでもないわよ、これくらいっ」


 気丈な態度で顔を起こしナギを見つめるアカシャの鼻先は、見事にその一点が紅色へと彩られていた。


「それよりもナギ、あんたの方こそ平気? どっか痛いところとか無い?」

「うん、多分平気……だと思うけど。アカシャちゃん、もしかして私たち二人とも……」

「そうね。もしかしてじゃなくて、確実にでしょうけれど。それと、二人じゃなくて三人」


 アカシャが顔で指した先にナギも振り返る。そこには相変わらず青白く俯いたままの、ハモニカ人の女性。


「スノウさん……それじゃあやっぱり、あの時。あの、スノウさんは平気ですか?」

「…………」


 ナギの問い掛けにも、彼女は答えない。瞼は開いていても、意識がないように壁へと凭れ掛かり、指先ひとつ動かそうとはしなかった。


「無駄よ、何を言っても反応しないから」

「そんな……どうしよう、もしかして私たち、黄昏の亡霊に捕まっちゃったのかな……」


 か細いナギの言葉にアカシャもどきりと動揺した。考えまいとしていた事だが、だとすれば自分たちの未来は既に先例が存在している時点で明白だ。

 無残に喰い散らかされたように四肢をばら撒き、死ぬ。それだけ。

 体中から血の気が引いていくのが分かる。冷蔵庫のような寒気がより一層冷たくなる気がした。

 同時に、また余計な考えが浮かび上がってくる。あの時、リムを追いさえしなければこうなる事も無かったのではないか。余計な詮索が不安を煽り、更に余計な行動を仕出かしてしまったのだとしたら。

 でも、なぜ彼女を追った事で自分たちが浚われなければならないのか。

 ――リム・リンガルムが、黄昏の亡霊だから?


「……っ!」


 思わずアカシャは頭を左右に振って、不安を掻き乱す。

 マイナスの思考がマイナスの感情を助長させてしまうのを、なんとか誤魔化してしまいたかった。

 後悔しない為だと、そうあの時思ったのではなかったのか。まだ自分は亡霊の正体もこの目で見たわけじゃないのに、勝手な妄想でそんな事を考えてしまうのが堪らなく嫌になる。


「大丈夫だよ、アカシャちゃん」


 そんなアカシャの様子を見て、ナギが柔らかい口調で微笑んだ。


「アカシャちゃんと一緒なら、私は大丈夫だから」


 はにかむナギを見て、アカシャの乱れていた感情に冷静さが立ち戻る。それが強がりだと言うことくらい、今にも恐怖に震え、泣き出してしまいたいくらい不安なのだと言うことはアカシャにも理解出来た。

 それでも彼女は懸命に、健気に自分を励まそうとしてくれているのだ。

 助けも呼べないなら、自ら打開する他為す術は無い。覚悟を決めなければならないのなら、今だった。

 しかし、彼女たちの思惑虚しく倉庫の扉が開かれ地底に潜むハイエナたちが巣へと戻ったのは皮肉にもそう決意した矢先のことだった。


「とっとと入れよ、ウスノロ」

「お願いします、彼女をあまり乱暴に扱わないで下さい」

「うるせぇ、積荷の管理を任されてるのはこっちだ。テメェら歯車人は黙ってそれに協力してれば良いんだよ」


 5、6人の蒸気人と鬼人種の男たちと共に、ひとりの歯車人が同時に倉庫内へと入ってきた。

 男たちは布のかかった荷車を引きながら、徐々にアカシャたちの方へと近付いていく。


「……彼女って、こいつはただの機能停止した歯車人じゃねぇか。へっ」


 蔑む笑みを浮かべ、男のひとりが荷台に乗った荷物を鉄の棒で叩いた。ガンッと鈍い打音が倉庫内に反響する。


「違う! 彼女は私の大切な、かけがえのないたったひとりの存在なんだ!」

「うわっ、なにすんだこの鉄屑がっ!」


 歯車人の叫びと共に鉄棒を持つ男が縺れ合う。

 他の男たちが呆れたように両者のやりとりを眺めながら荷車を停車させた。


「おい、なにやってんだアイツら。やめろやめろ、仕事の前に余計な体力を使うな」

「ほっとけよ、言うだけ無駄だ。それよりも最重要の積荷を乗せろ」

了解(ディ・アーデ)


 独自の言語を用いて男たちはナギとアカシャたちを取り囲むように、一斉に動き出した。


「おや、どうやらお嬢さん方はお目覚めしてたらしいぜ。モーニン、調子はどうだいお姫様?」


 頬に異国の炭文字を彫った鬼人種の男が白々しい態度で彼女らの表情を覗き込む。さぞや恐怖で歪んだことだろうと楽しみにしていた彼にとって、呆けていたアカシャの口許が徐々に笑みへと変わっていった理由など分かりもしなかった。


「なぁ、お嬢さん。お前はなぜ笑っている?」

「別に、ただ安心したのよ。私たちを浚った相手がこんな小物臭い小悪党だったって事にね」

「あ、アカシャちゃんっ!?」


 アカシャの口上に驚いたのは男たちだけならず、ナギも同様だった。

 それでもアカシャの瞳には光が戻っていた。安心したのは心からの本音だったからだ。


「ねえ、アンタたちが噂の黄昏の亡霊だったってオチ? そんなわけないわよね、こんなむさ苦しい頭の悪そうな奴らがいつまでも階層警備隊から逃げられるはずないもの。私たちを浚った目的はなに? 積荷って何のこと――」


 アカシャの言葉が終わるよりも前に、男のひとりがアカシャの腹を蹴り上げた。

 唾液と共に嗚咽が、激しい咳込みと共に転がる床に垂れ落ちる。


「あっ……ごほっ、おぇっ」

「アカシャちゃん! アカシャちゃんっっ!!」


 ナギの悲鳴染みた声が建物の柱を震わせ反響する。

 難無くアカシャを黙らせた男は横たわるアカシャの頭を汚れた靴底で踏み付けた。


「感心しないねぇ、あまり相手を挑発するような言葉は使うもんじゃない。それもこっちは見るからに小物臭い小悪党なんだから、加減もそれなりのものになっちまう」

「ぐっ……はぁ、はぁ……。あはは、絵本みたいにお決まりの台詞。つまんなくてあくびが出るわ」


 それでもアカシャは得意の皮肉を止めなかった。止めたくなかった。それは真実が自分の望んでいたチープな結果に収束してくれた喜び故に。

 何も案ずることなど無かった。結局、犯罪者という世界の爪弾き者たちはこういう類の輩なのだと言う事を確認出来たのだから。

 だから、蹴られたお腹がずきずきと痛もうと。踏まれた時に切れた口の中が赤くしょっぱい血で滲もうと。そんな事は何も怖くない。超現実主義者どうしようもないリアリストのアカシャにとって、裏社会と言う教団からも奏府からも隔絶した無政府状態に浸る愚者(アナーキスト)たちなど、そもそも論ずるに値しない劣った相手に他ならないからだ。


「なるほどねぇ、なかなか肝の据わったお嬢さんだ。気に入ったよ。だったらこうしよう、キミはここで解放しようじゃないか。勿論、条件はあるが。縄は解かないし助けも呼ばない。お嬢さんは自力でこの臭くて汚い樹海層を這いずり回って見事脱出しなければならない」


「ふん、そんなの簡単よ。条件にもならないわね。今にアンタたちを階層警備隊に知らせて掴まえさせてやるんだから、覚悟して待ってなさいよ!」

了解(ディ・アーデ)、交渉成立だ。おい、お前ら」


 両手を叩きながら男はアカシャの頭から足を退いた。振り返り、己の仲間たちの顔を見渡す。

 そして――


「――やれ」

了解(ディ・アーデ)


 低く、簡潔に答えると……男たちの魔手はナギへと向かって伸ばされた。

 ひとりが後ろ手に縛られたナギの前髪を掴み持ち上げ、ふたりが両腕と肩を持ち、そこに先ほどの鉄棒を持った蒸気人がにやにやと笑いながら近づいていく。


「ちょ、ちょっと何やってんのよアンタたちっ! 今さっき解放するって約束したじゃない!?」


 床の上に転がったまま、アカシャがナギと男たちを見上げて吠えた。


「そうだな、確かに約束した。よし、続けろ」

「ま、待ちなさいよ。約束が……待って、お願い。お願いだから、ナギには……!」


 そんな遠吠えなどまるで気にもせず、刺青を彫った鬼人種の男は鉄棒を持った蒸気人の男へと目配せした。

 その合図でひゅん、と空を切るように棒を振りかざす。


「へへへ、丁度良いや。近頃死体の処理ばっかで退屈してたんでな。ストレス発散とさせてもらうぜ」

「……い、いや……助け……っ」


 目許に涙を浮かべ懇願するナギの訴えは虚しく、細く伸びた鉄の棒きれひとつによって粉砕された。

 まずは一回、腹部に。黒髪を揺らし、華奢なナギの身体が大きくびくんと跳ねた。

 声は出なかった。漏れたのは対面する棒を持つ男にかかった唾液だけ。

 二回目。男が再度鉄棒を振り上げる。


「……やめて、やめてよ。私はどうなっても良いから、ナギに酷い事はしないで……お願い……お願い……します……っ」


 瞳孔を開き、自らの代わりに打ちのめされる友人の姿を見つめながら、アカシャは自らの浅はかさに気付いていた。

 そうだ。彼らはちゃんと約束を守っていた。既に彼らにとってアカシャは凶行の対象からは外されていたのだから。だがナギまでもがそうだとは男は言わなかった。安易に頷いてしまった自分のせいで今、ナギはアカシャの代わりに暴行を受けている。それが、彼らのやり方だと言うことくらい、少し考えれば想像出来た事なのに。自分の気持ちだけで、自分の存在だけで、たったそれだけで何事も清算出来るはずだと考えていた事が、子供染みた夢想だと言うことが、ようやく理解出来た。


「交渉は既に成立済みだ。事後の変更は効かない。それが社会ってものだ、お嬢さん。キミは自らの力でこの場を脱出し、助けを呼んでこなければならない。それが友達を助ける唯一の手段だよ。……どうした、手が止まっているぞ。次は頭を狙え」


 目下に蠢くアカシャに視線も向けずに男は粛々と言い放つ。

 先ほどの衝撃で放心してしまったナギは最早、単調に文字を喘ぐだけで身体に力は入っていなかった。


「やめてっ、そんなことしたらナギが死んじゃう!! お願い、何でもしますっ! 私が何でもしますから、お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いしますおねが――」

「うーい、了解(ディ・アーデ)


 芋虫の如く床を這いつくばり、男たちにとってみれば愉快な戯れ程度の暴虐を止めるようアカシャは泣き喚きながら、ナギのもとへと近付こうとした。服が汚れようと、四肢が傷付こうと構うものか。ナギへと振り向けられる、この上ない不条理に比べれば――

 儚くもアカシャの願いが彼らの耳に届くことはなく、一閃する鉄の棒がナギの頭を真横から打ち抜いた。




 完全にアカシャの心が打ち砕かれるまで、男たちはナギの身体をいたぶった。既にアカシャもナギも、互いに言葉も使えない程度に混濁した意識の中に呑み込まれていた。これが真実を知ろうとした結果だとしたら、二度と彼女たちは真実など求めはしないだろう。それほどまでに徹底した暴力を、男たちはふたりの少女に下していたのだった。

 満足した彼らは傷付き、ぐったりとしたふたりの更に奥に潜む、色白の女へと視線を向けた。

 遊戯は終わり、彼らは自身の本来の仕事へと着手するべく。


「あとはこいつを回収してアイオルビスを抜けるだけだ、急げよおめぇら」


 呑気に荷車に腰掛け自分の靴を布で拭っていたのは先ほどまでアカシャを蹴り上げ、踏み付け、他の仲間たちへと指示を与えていた鬼人種の男。

 ふと、彼の後ろに巨大な黒い影が音もなく出現した。

 気配に気付き振り向くと、意外な相手が現れたことに男は後ろ向きに転げ落ちた。


「おわっ、あー驚いた。ノクターの旦那かい、今日は何の用で?」

「けけ、ようやく見つけたぁ。ノクターの得物だぁ。おい、アイツを貰っていくぞ。くけけ、けぇっ」


 ノクターが漆黒の爪先で指したのは、今まさに彼らが荷台に積み込むべく抱えている女だった。


「はぇっ、いやしかしアイツは上からの命令で誘拐した貴族の娘でして……如何にノクターの旦那と言えども組織の命令に違反するわけには……ははは、は」


 薄ら笑う男の頭部を掴み、ノクターは自分の大きな口を惜しげもなく広げ顔を寄せる。


「――なら、お前が代わりにこのノクターに喰われるかぁ? 選べ、女か。お前か」

「……ど、どうぞどうぞ。女はお持ちください旦那」


 引きつった顔で男はいとも容易く承諾した。ノクターの手から逃れ、男はごくりと喉を鳴らし安堵の溜息を漏らす。


ありがとう(グ・ラーク)、契約成立だぁ」


 輪廻を意味するリインカーネーションと言う組織で使用されるオリジナルの言葉で以って、ノクターは男に礼を言う。

 他の仲間たちも各々つまらなさそうにノクターへと道を開け、女を譲り渡した。

 朦朧とする意識の中、アカシャは微かに開いた瞼から眼前を横切る黒い影を見上げていた。その姿はまるで、黄昏の闇に生きる亡霊のようにアカシャの目には映っていた。


「……そっか。そうだったんだ。やっぱり、私……ばか、だ……」


 前を行くノクターにも男たちにも聴こえない小さな声で、アカシャは呟く。

 きっとこれから自分たちはひとり残さず、あの亡霊の腹の中に納まることだろう。

 認めざるを得なかった。これこそが現実なのだと。

 ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――

 声にすらならない、唇を上下にぱくぱくと動かすだけの謝罪。自らの行いで巻き込んでしまったナギに対する謝罪。もう二度と出逢えないかもしれない友人たちに対する謝罪。

 ――ふと、アカシャの耳に温かい感覚が触れる。


「……アカシャちゃん。大丈夫……だから……きっと……」


 額と頬を黒ずんだ朱に染めたナギの声。

 こんな状況でも相手を思いやるナギの強さ。それこそが彼女の力。

 アカシャは生まれて初めて、力無き自分の存在を呪った。そして同時に欲する。

 世界を。自身を。友を。何でもいい。何かを救える、そんな力を。それが果たして、他の何かを傷付け、何かを失ってしまうものだとしても。

 靄がかかっていた意識が次第に蘇る。ここで終わるわけにはいかない。私がここで諦めたら、いったい誰が次のドーナツ集会を開くと言うのか。


「……まだ、終わってない。そうでしょ、ナギ」

「アカシャちゃん……うん」


 ふたりの会話に男たちの意識が向いた、その時だった。

 ナギの横たわる視線の先に、一枚の紙がひらひらと落ちてくる。


「仕方ねェ、積荷が減った分はこっちのお嬢ちゃんたちで賄うか」


 気怠そうに歩み寄る男たちの足音。

 それよりも先に、ナギは舞い降りてきた紙に書かれていた文章に目を走らせた。






――――――――――――――――――――


 地を這う樹根の淵


 煌めく銀星の光は黄昏の旗となりて


 禍時の狭間に囚われの双星は空へと還る


――――――――――――――――――――






「あん? なんだいこの紙っきれは?」


 男がナギの前に落ちていた紙に触れようとした。


 刹那、ナギは叫んだ――



「――――アカシャちゃんっ、目を閉じてっ!!」



 言われるがまま、アカシャとナギのふたりは同時に強く瞼を閉じた。

 男の指先が触れた紙がたちまち発火する。

 一瞬のうちに、薄暗かった倉庫に目も眩むほどの激しい発光現象が引き起こった。

 光によって視界を奪われた男たちの呻き声が聴こえる。


「な、なんだよこりゃあ!? いったい何が起きたってんだ!?」

「見えねぇっ、眩しくて何も見えやしねぇぞちくしょう!」



「ふはははははははははははははははは、はぁーっはっはっはっはっはっはっはーーーーーーーーーー!!」



 それらをまるで雑音の如く掻き消すように、一際盛大な笑い声が響き渡った。

 紙の残照が燃え尽き、発光が収束する。

 アカシャとナギのふたりは、ふわりと身体の内側が浮く奇妙な感覚に包まれていた。

 目許を擦りながら、男たちも必死に高笑いが降りてくる天井を見上げる。

 恐る恐る、ゆっくりと……アカシャとナギのふたりも瞼を開けた。


「まさか、貴方は……!」

「な、なんで……どうして!?」


 驚愕し、困惑するナギとアカシャの声。

 彼はふたりを抱きかかえたまま、天井の梁より伸びるワイヤーを巧みに操り、優雅に宙を舞いながら答えた。


「ちゃんと犯行予告文を出しただろう? だからイタダキに来たのさ」

「「そ、それにしたって届いてから来るのが早過ぎっていうか、ならもっと早く来てよって言うか、むしろ何で来たのって言うかっ!?」」


 驚きのあまり二人揃って混乱する始末に、仮面の向こうに笑みを浮かべた銀影は一回転して最も太い梁へと着地した。

 二人をそこで解放し縄を解いていると、真下では男たちが何やらやいのやいのと喧しい。

 ならばひとつ名乗り出てやるかとマントを翻し、舞台の最も高いところから彼は一歩、歩み出た。



「待たせたなリインカーネーションの観客観衆諸君! 今宵はこの麗しき黄昏と禍時の双星を貰い受けるため参上した、ボクこそが銀影の魔術師シルバー・ファントム! どうかキミたちは最後まで、このステージを存分に愉しんで行ってくれたまえ!!」



 両腕を広げ大々的にジョニーはステージの開幕を宣言する。

 梁の隅っこでアンゲルゼが呆れた顔で眺めていたが、シルバー・ファントムへと成り代わった彼にとってそんな些細な事は既に関係無い。今、この輝くステージの中心に立つ自分こそがすべてだったのだから。

 狼狽える男たちの中でただひとり、ノクターだけは不気味に笑って――口許を邪悪に歪ませていた。





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