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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
22/41

第17環 翔破の円環節78日目



 ひた。ひた。ひた。


 ひた。ひた。ひた。



 足裏に触れる水を弾くたび、数を数えてみる。



 ひた。ひた。ひた。



 ……あれ、どこまで数えたっけかな。まあいい、もう一度最初から。



 ひた。ひた。ひた。



 いち。に。さん。



 そんな単純作業を繰り返していると、いつぞやかの昔話で訊いた歌を思い出す。

 そいつは雨の中歌ってる。傘も差さず。楽しそうに、嬉しそうに。

 踊るように歌ってる。ららら。ららら。

 どうやらそれは恋の歌だと訊いた。数千年も昔、旧世界の時代に流行ったラヴソング。

 この汚いドブのようなアイオルビスの樹海層で、愉快なノクターは歌う。まだ見ぬ恋人を探すため、ノクターは歌うのさ。

 この前喰った男はノクターの心には響かなかったのさ。だから喰い散らかしてそこら辺に捨てた。

 あんな身体じゃ駄目なのさ。だからもっと探すんだ。

 ららら。ららら。


「……にゃあ。……にゃあ」


 らら、ら。

 おいおい。おいおいおいぃ。いったい何処の誰だい、このノクターの歌に水を差す愚か者は。

 不細工な鳴き声。それは到底歌とは呼べない旋律。そんなんじゃあ、ノクターは満足できないんだよ。


「……にゃ、あぁ。にゃあ」


 鳴き声は止みゃあしねぇ。ノクターは探したさ。鳴き声の主を。

 そして、みぃぃつけたぁ。


「お前かぁチビ助ぇ。けけ、けけけけ」

「にゃぁ、にゃあっ」


 くか、くかかか。ビビッてやがるのかい子猫ちゃん。このノクターを。

 丁度良い、ノクターは腹ペコだった。もう6日も喰っちゃいねぇ。たまには猫でも良いだろう。

 だからノクターは拾ってやった。ちいさいちいさいチビ助だぁ。


「にゃあ……」


 腕の中でチビ助は丸まった。雨に打たれて凍えているのか、安心しなぁ。今温かい腹の中に収めてやるさ。

 だがノクターは思ったんだ。


「チビ助ぇ、お前さんひとりかい?」

「……にゃあ」


 そうかい。迷子か捨て子か。ひでぇことする親も居るもんだぁ。かかか。

 ……待てよ、もしかすれば待ってりゃあ母ちゃんの御迎えが来るかも知れねぇなぁ。

 そしたら喰える分も二倍。チビ助も嬉しい。ノクターも嬉しい。一石二鳥だぁ。

 だからノクターは決めたんだ。一緒に待ってやろう、チビ助。お前さんの母ちゃんを。

 だってノクターは、腹ペコなんだから。けけ、けけけ。

 チビ助を降ろして、ノクターは一緒に待ったんだ。母ちゃんが来てくれるのをさ。

 でもいつまで待っても母ちゃんは来ねぇ、チビ助も鳴き止まねぇ。

 もう少し待ってみた。だけど母ちゃんは来ねぇ、雨も止まねぇ。

 ノクターは腹ペコだったんだよ。もう喰っちまおうかなぁ。

 そう思った矢先だったぁ。路地の向こう、雨で霞んだ視界の先。何かが見えた。


 ――女だ。金色の髪をした、色白で細い女。

 ノクターの腹が鳴ったのは当然だろう? 美味そうなハモニカ人だったんだからよぉ。

 まさかこんなゴミ溜めで、あんな上物を見つけられるとは思わなかったぜ。

 だからノクターは追いかけることにしたのさ。ゆっくり、ゆっくり。今のノクターは得物を狩る狼ってわけだ。けっけ。

 ……足元に何かが絡んでくる。誰だぁ、このノクターの邪魔をする奴は。


「にゃあ、にゃあ」


 チビ助ぇ、もうてめぇにゃあ興味はねぇんだよ。ノクターはそう言ってやったとも。

 だがチビ助はしつこいんだ。ノクターもびっくりするほどに。


「……そうかぁ、メインディッシュのあとにはデザートも必要だよなぁ。けひっ、ひひひ」


 そうと決めたらチビ助も一緒に連れて行こうじゃねぇか。ノクターはチビ助を抱えて女を追っかけることにしたんだ。

 曲がり角を曲がって、女を追っかけた。女も傘を差していなかった。ノクターと同じだぁ。

 ああいう奴は決まって頭がおかしい。おかしいってことは、美味いか不味いかのどっちかだ。ノクターはハモニカ人の柔らかい舌触りが好きなんだ。てことは美味いに決まってる。

 涎を垂らしてノクターは追っかけたのさ。ららら、ららら。はやる気持ちを抑えるのがやっとだった。

 細い小道で、女はしゃがみこんでいた。チャンスだと思ったよ、ノクターは。

 だが、様子が変だ。女は何かを見ているんだ。

 猫だ。


「にゃー、にゃー」


 鳴き声が聴こえた。チビ助のじゃあねぇ。


「にゃー、にゃー。猫ちゃん、寒そうだね。ねーえ、あなたはスノウのモノにならない?」


 女は猫と話していた。かかっ、こいつは傑作だぁ。

 でもノクターもさっきチビ助と話してたから、笑うのは失礼だったな。失敬失敬。

 だからもう少しだけ訊いてみることにした。女と猫の会話をさ。


「お腹空いてるんでしょう? スノウのモノになれば、美味しいもの作ってあげるの。ねーえ、スノウのモノにならない? なりなさいよ。なりなさいったら」

「……にゃあ」

「……そう。あなたにはチビちゃんが居るんだ。おかあさんだったんだね。でもあなた、怪我してるの。それじゃあチビちゃんは探しにいけないね。諦めてスノウのモノになれば良いのに」

「…………」

「なんで? なんで嫌なの? スノウはこんなにお願いしてるのに、そんなところに居たって死んじゃうだけなのに……どうして嫌なの?」

「……んにゃぁ」

「……そっか。それなら仕方ないね。じゃああなたに選ばせてあげる。スノウのモノになるか、ならなくても済むか。ここにね、ふたつの林檎があるの。どっちかをあなたにあげるね。さぁ、どうぞ」


 ――女は真っ赤な林檎をふたつ、猫の前に置いたんだ。美味そうに熟した、真っ赤な林檎だぁ。

 猫は鼻をくんくんさせて、林檎の香りを嗅いでいた。ノクターのところにもその匂いは届くくらい。

 だが、あれは。


「にゃーっ、にゃーっ」

「おぉっと、黙りなチビ助ぇ。けけ、見てろよ。母ちゃんが選んだ答えを……!」


 チビ助の口を押さえつけて、ノクターは見守った。

 猫は右側の林檎を齧った。……右だ! それが母ちゃんの答えだった!

 ほどなくして母ちゃん猫は大人しくなった。目を瞑って。眠るように。

 死んだんだ。



「さよなら、猫ちゃん。これであなたは自由なの。……スノウ、やっぱり猫は嫌いだな」


 女はそう言うと、雨の中小道を歩いて行った。

 チビ助がぐったりしてたもんだから、ノクターも母ちゃん猫のところまで近付いてやった。


「にゃぁ、……にゃぁ」


 チビ助は泣いてた。冷たくなった母ちゃんの腹に甘えるように。

 もう聴こえねぇよ、チビ助。母ちゃんは死んだんだ。はぐれちまったお前を探しにも行けず、女のモノになるのも拒んで、哀れな自分の最後を、自ら選んで死んだんだ。

 母ちゃん猫の前に置かれていたふたつの林檎を、ノクターが一思いに踏み潰してやった。右側が毒林檎、左側はふつうの林檎だった。


 ……くくく。


 くかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかっ。


 見つけた! ノクターは見つけたんだっ!

 あの女。あの女だぁ! あいつこそが、このノクターに相応しい新たな身体だぁ!

 もうこの胸のときめきは恋だった。雨に唄うノクターの前に現れた麗しの恋人。


「スノウ……覚えた、ノクターは覚えたぞ。けっ、けひひひひひひひひっ!」

「にゃあ! にゃあ!」


 ……おおっとぉ、喧しいなチビ助。だがおかげで思い出したぜ。

 母ちゃん猫と一緒に、チビ助の身体を抱き上げてやる。


「寂しいよなぁ、辛いよなぁ。寒いし冷たいし堪んねぇよなぁ。……でも大丈夫だ、悲しむこたぁねぇ」


 すぐに、一緒になれる。



 ごりっ。ひた。ぐきっ。ひた。むしゃっ。ひた。



 ずりゅっ。ひた。ごきゅっ。ひた。ぼりっ。ひた。



 歩きながらノクターは、母ちゃんとチビ助を喰ってやった。

 口の中で咀嚼するたび、柔らかい肉の裂ける舌触りと固い骨が砕けるアクセントが非常にマッチする。

 ぶにぶにとした内臓を破裂させると、中から味の良い真っ赤な汁がほとばしるように溢れた。

 少し毛が邪魔だったが、なに大したことはねぇさ。

 最後に残ったチビ助の頭を口の中に放り投げる。ぱきょんっと小気味いい音を立てて噛み砕く。ぷるんとした脳髄と癖のある脳漿のエキスがいっぱいに広がった。


「……げっぷ。ごちそうさまでした」


 誤魔化し程度の軽食が終わる。ノクターのメインディッシュは定まった。さぁ歌おう。

 ららら。ららら。

 ノクターは歌うのさ。雨の中、踊るように。


 ああ、なんて素敵な気分なんだろう。



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