第16環 翔破の円環節77日目
青天の霹靂よろしく青空の下、雷鳴に似た怒号が街中に響いた。
思わず立ち止まり何事かと辺りを見渡す。擦れ違いざまに派手な化粧をした蒸気人の女性が「ありゃあいつものことよ、あぁた」と笑いながら、私に騒ぎの出所を指差して教えてくれた。
路肩に散々と飾られた工房品。屋根に取り付けられた看板には『鍛冶屋ショートピース』と書かれている。私はどこかでその名を訊いたような気がして、半分は野次馬根性で店に近付いてみた。
店先には大きな体躯をこれでもかと小さくしょんぼりとさせた男が項垂れ佇んでいる。そうか、ここは他でもない彼自身が言っていた……。
「分かったらおとなしく店番してな、今日から大聖堂には俺が行く。……ったく、おめぇがあれほど任せろっつーから信頼して行かせたってのに、店の看板に泥を塗りやがって」
「ま、待ってくれ師匠……っ。俺は――」
「うるせぇ、お前の話なんぞ訊くまでもねえよ。そこでちったぁ反省してろ!」
深い皺の掘られた顔からは想像出来ないほどの威圧感を放つ蒸気人の老人が、男に怒鳴り散らして蒸気バイクに跨り私の横を走り去っていった。なんとも旺然たる御仁である。
残された男は飼い主に捨てられた子犬のような眼で、老人の背中に手を伸ばしていた。
面白かったので私は暫く彼の様子をそのまま眺めていることにする。言葉が出ないのか彼は口をぱくぱくとさせたり、悔しそうに拳を作っては解いたりを繰り返していた。
飽きてきたところで全くこちらに気付かない彼のもとへと歩み寄り、私は声をかけた。
「おはよう、キリンジ。どうだ、仕事は順調か?」
「あ、あんたは……。あ、ああ。まぁな」
あくまでしらを切って伺った私をキリンジが見下ろしてくる。一部始終を見られていたとも知らず、歯切れ悪く彼は答えた。私は更に追い打ちをかけてやることにした。
「それにしてはどうにも暇を持て余しているみたいだが」
「そ、それは……その」
でかい図体をしながらも私の視線から逃げるようにキリンジは顔を背けた。どうやら彼は破壊を忌嫌うだけでなく、嘘をつき通すのも苦手らしい。分かりやすい男だった。
先ほどの会話を訊くに彼が大聖堂改修工事の仕事を降ろされたのは明白で、いわゆる戦力外通告ってやつをくらったのだろう。マリアが彼を指して壊し屋と言っていたのも、大いに関連がありそうだ。
「……はは、ざまぁねえな。店を代表して仕事を受けたってのに、俺の失敗で周りのみんなに迷惑をかけちまった。だからその罰として、今日は店番だとよ」
頭に巻いた薄汚れた布を取っ払い、キリンジは素直に自白する。解放された黒い前髪が額にしな垂れた。
改めて見てみると世間一般の事情には疎い私の意見ではあるものの、彼の長身と鍛え上げられた肉体であれば……あとはその散らかったように生えた無精髭さえ整えれば、横切る女性の何人かは振り返るほどの顔立ちなのではないだろうか。正統派アイドル的存在であるシルバー・ファントムの素顔とはまた違った、硬派な丈夫と言った印象が感じられる。まぁ、中身と外見は別物であるのが世の常と言うものだが。
これだけ恵まれていながら本人はそれを毛嫌い、陰鬱に下を向いて生きていると言うのだから腹立たしいと思われるのも無理はない。マリアでは無いが、なんとも弄り甲斐があると言うべきか。どうにも他人の嗜虐心を煽る性質をキリンジは持っているようだった。
「いったい何をやらかしたんだ?」
意図せず軽い気持ちで訪ねてみた。決して意地悪をしたくなったわけではない。
ともあれキリンジは私の期待通りに、似つかわしくないほど怯えた顔色で降板させられた理由を言いあぐねていた。
「……尖塔が、折れた」
……。
…………。
「……え? みなれっとって……あの尖塔か? 大聖堂の一番正面の屋根に付いていた、あの一際目立つ……?」
念のため、私はすべての言葉に疑問符を添えて再度尋ねる。まさか一部が崩れかけていたとは云え、歯車人の奏対反応爆発でも倒壊しなかった建物の箇所を、どうやってへし折ると言うのだろう。コンコルディア協会製の爆薬でも使ったのか。
「……穴が空いてたところを新しい結晶石材で固めようとして、その断面を平らにするため削ろうとしたんだ。それで鑿を打ったら、そのまま綺麗に亀裂が入っちまって……それで、折れた」
「そ、そうか」
半ばやけくそ気味に詳細を語るキリンジに向かって、苦し紛れに私が言えることはその三文字だけだった。もはやそれは単なる不器用だとかって言うレベルではない。間違いなくこれこそが、壊し屋キリンジの持つ力だと断言出来る。誰がどう訊いても『折れた』のではなく『折った』のだろうと思うに関わらず、それを頑なに『折れた』と言うのだから、彼の抱える闇が根深いのも仕方がない。
実に不憫だが、残念ながら私では彼の悩みを解決することは不可能だろう。たとえ依頼であっても泣く泣く断念せざるを得ないほどの、もう諦めろと諭す方が最善だと思える規模の案件だった。
まぁ、なんというかその、がんばれ。そう言った気持ちで私は逞しくも弱弱しい彼の腕をぽんぽんと叩く。その衝撃で今にも吹き飛んでしまいそうなほど、キリンジからは酷く寂れた哀愁が漂っていた。
「――スタァァァァップッッッ!! 待ちたまえマイフレンズ、キミは過ちを犯してはいけないっ!」
突然、私たちの背後から強烈なキャラクターをした叫び声が襲い掛かってきた。
忘れようにも努々忘れることの難しい、聞き覚えのある口調。姿を見るまでもなく迸る、圧倒的存在感。
「ジョニーか、どうしたそんな血相変えて」
顔を上げてキリンジは淡々とその名を呼ぶ。振り返った先に居たのは、銀色の髪をしたハモニカ人の青年。その顔のところどころには、いつぞやかに負った傷の名残があった。たぶん、まだ病み上がりだ。
ジョニーは速足でキリンジへと詰め寄り、おもむろに胸ぐらを掴んではその端整な顔を寄せた。
「愛とは様々、人の数だけその形が在る。それはボクも認めよう。……だがキリンジ! それでもっ、踏み込んではいけない領域というものがあるだろう!? 第一、彼女はまだ幼い少女じゃないか!!」
「え、なに?」
完全にペースを掴みきれないキリンジは、真顔で訊ねる。対するジョニーは聴く耳持たずの状態で、お構いなしに暴虐染みた主張を続けた。
「キミは昔からどうにも子供に人気があったね。当初はボクもそれが純粋なキミの魅力であり、微笑ましいものだと思っていたよ。でも最近ルチア・アクシスで勃発する誘拐事件を鑑みて、こうも思ったんだ。いつかキミがその魅力を悪用し、自己の欲望のままに愛へと溺れて行ってしまうのではないかと。無論、それが悪いことだとは言わない。恋とは落ちるものだし、愛とは溺れるものだから。だが、それでも、一方的に注がれ続ける愛とは裏を返せば頭を水に沈める暴力と同じ! 今なら間に合う友よ。彼女のことを想うのであれば、耐えることもまた愛なのだと気付くんだ! ――時に少女よ! キミはキリンジのことをどう想って……」
そこまで熱弁して、ジョニーは私の顔を見るや凍りついたように停止した。
少し離れたところで置き去りにされていたアンゲルゼの深々とした溜息が、私の耳にも聴こえた。
キリンジの案内に沿って、アンゲルゼは店先に置かれた品々を物色していた。
その最中、少し離れたところで私とジョニーは堂々たる白昼の下、到底密会とも呼べない邂逅を果たしていた。
「元気そうでなによりだよ」
私のかけた言葉にもやはり気まずかったのだろうか、ジョニーは複雑な表情のまま目線を合わせようとはしなかった。不足を招いたのは断じて私ではなく、他ならぬ彼自身のような気もするのだが。
「リム・リンガルム・クオン……」
怪訝な色を灯した碧色の瞳が私をじろりと一瞥して呟く。
「コンコルディア協会の検閲官にして、かつてジオ・ハモニカに恐怖をもたらした連続殺人鬼――ネーヴェ街の亡霊事件の犯人……まさかキミがあの紅い瞳だったなんてね」
ようやく忘れかけていたはずだった忌々しい通り名を、こうもあっさりジョニー・センデルスという男は口にした。
「己の背景に後ろめたい事情があるのはお前も一緒だろう、銀影?」
厭味ったらしい表情で私も対抗してみせる。ジョニーと言えば焦った様子で間抜けな大口を開けながら、しきりに辺りを見渡しては警戒していた。
「安心しろ、仕事仲間の告げ口をするほど私の性根は腐っちゃいない」
「ボクはキミの仲間になったつもりなどない」
「おや、そうだったか。ではあの時私と交わした契約はその場凌ぎなだけの嘘の承諾だったってわけだ。成人女性に向かって少女と呼ぶだけでは飽き足らず、その女との約束も守れないような男だったと。そんな礼儀知らずな奴だとは思わなかったよ」
そこまで言うとジョニーは毒牙にでも刺されたかのように「ぐぬぬ」と表情をしかめていた。
「……分かった。契約は契約だ、手は貸そう。だがボクの相棒は今までもこれからもアンゲルゼただひとりだ。悪いがそれだけは譲れない」
辛辣な面持ちで言葉を絞り出すジョニーに、私は頷いて合意した。
彼の言葉で私は、いったい何に使用するのか意図の読めない部品を手に取るアンゲルゼに視線を向ける。
「彼女のことがそれほど大切か?」
「愚問だな、当然だろう。……ひとつ訊きたい。なぜキミはアンゲルゼを『彼女』と呼ぶんだ?」
「なぜって……私には彼女がそう見えるからだ」
なんとも不可解なジョニーの質問に、他に答えようもない私は至極単純な理由で回答した。
「……違うのか?」
「いや」
即座にジョニーは否定した。それならばきっと、なにも問題などありはしないはずだ。
「疑ったりしてすまなかった、先ほど無礼を働いたことも謝罪するよ」
そこでようやく警戒を解いたのか、ジョニーは薄く微笑んで私に顔を向けた。
彼の選定眼による判定基準は分からないが、今の回答で少なくとも合格基準には達したらしい。なにはともあれ、結果オーライというやつだ。
「私からもひとつ。あそこの不器用なデカブツとは友人なのか?」
私だけ質問されるのも癪だったので、お返しに気になっていたことを尋ねてみることにした。
「キリンジとは、ちいさい頃からの腐れ縁なんだ。それと今キミが宿泊している工房のドーピーともね。シルバー・ファントムの正体がボクだと知っているのもアンゲルゼと彼らふたり、それからキミを含めて4人だけだよ」
さらりとジョニーはそんなことを言ってのけた。
「随分と羽振りが良いんだな。私にそれを明かして良かったのか?」
「どうせいつかはキミのそのもふもふした耳にも届くことだろう? それに仕事をする上で決まり事は最初に決めておくに越したことはないじゃないか。……彼らとボクは無関係だ、巻き込みたくない」
「なるほど、そういうことか」
ジョニーの言わんとする決まり事。シルバー・ファントムという役を演じている彼にも共犯者は存在する、それはアンゲルゼの例を見ても明らかだ。それとは別に、こうしてキリンジや他の者による間接的な介入があってこそ彼の生業は成立している。あれだけ大々的に世間を賑わせているのだからそうでなくては不自然極まりない。
だが彼はあくまでその咎を己の身ひとつで背負いたいと私に懇願しているのだ。厄介事をさらに広げるような真似は私だって御免なので、その提案には素直に合意しておくことにした。なにより私が目指す着地点には、シルバー・ファントムの正体などどうでもいいことなのだから。
「それで、キミはいったいボクに何を望むと言うんだい?」
早々としてジョニーは私に仕事の話を持ちかける。彼としても私という存在に秘密を握られた汚点はなるべく早急に払拭したいに違いない。いつコンコルディア協会が重たい腰を持ち上げてシルバー・ファントムの始末を優先するかも分からないのだから、それも当然と言えた。思えばつい今しがた私の言った『仲間』という表現は、所詮その程度の関係性に過ぎないというわけだ。
「以前にも言った通り、私は黄昏の亡霊事件を追ってアイオルビスまでやってきた。現状、疑いのある動きがふたつほどある。ひとつはリインカーネーション。ルチア・アクシスの裏社会を好き勝手に動き回る連中の関与だ。ふたつめが、歯車協定の違反者がアイオルビスで確認されたこと。こちらも運び屋としてリインカーネーションかそれと同質の組織の関与があると断言して良いだろう。シルバー・ファントムという大きな影を持つジョニーなら、何か新しい情報を持ち得ているんじゃないかと思ってね。何でもいい、お前の見解を知りたいんだ」
一通りの用意していた手札を私は公開してみせる。ジョニーは黙って表情を強張らせ、考えを巡らせているようだった。
暫しの沈黙の後、彼の閉じられていた唇がゆっくりと解き放たれた。
「……アイオルビスで歯車人たちの運び屋を行っているのはリインカーネーションだ。それは間違いない」
「なぜそう言い切れる?」
「ボクも昔、身を持ってそれを知ったからさ」
そう言ってジョニーが見つめる視線の先にアンゲルゼの後ろ姿があった。
「彼女が?」
「昔の話だよ、今更キミたちに彼女を明け渡すつもりはない」
冷たく、滾る気持ちを押し殺したようにジョニーは私に告げる。
無論、私も協会からの勅令無しで動き回るほど仕事熱心な性格はしていない。そもそもアンゲルゼのような個体が協定違反に選定された話など、訊いたことがなかった。
「それから、ボクが耳にした話だとさらにもうひとつ奴らに関する噂がある」
淡々とジョニーは話を続けた。
「ボクはアイオルビスの中流貴族であるセンデルス家の生まれだ。ある時、父とその交友関係者たちの話を偶然訊いたんだけれど……貴族の家に生まれた子供を狙った誘拐事件がインジェニー、ヴァーポルムの両円環パルログを問わずルチア・アクシス全土で時折偶発的に起こっているらしい」
「お金持ちの家の子供が狙われるのはよくある話じゃないのか?」
彼の言い方にはまるでそれが不自然だと言わんばかりのニュアンスがあったが、私にはそれがとても古典的な誘拐事件のそれと違いないように思えた。現に2年前、私はスノウが誘拐された事件を担当したのだから。
「身代金目的での誘拐であればね。でもその話では違った。浚われたのはそのどれもが女の子だったし、身代金などの要求も声明文すらも残されないんだ。ある日忽然と、まるでそんな子供はもとから居なかったかのように消えてしまう。協会員であるキミのもとにもそこまでの話が及んでいないとなれば、もしかして……」
そこまで訊いて、なんとなくだが私にも理解出来た。言われてみればスノウの時もそうだったかもしれない。あの時はほとんど、私の自由意思行動決定権によって安易に足を踏み込んでしまったのだから。
協会や奏府にも情報が回されないような誘拐事件。これはまさに世界の上層部と繋がっていると言われるリインカーネーションでなければ考えられないような類の話だった。まさかここに来て黄昏の亡霊よりも大きな影を目の当たりにすることになるとは思いもしなかった。
「今回の件にはあまり関係のない話だったかもしれないけれど、ボクが知り得ている奴らに関する話なんてのはそれくらいのものだよ。あとはきっと、アイオルビスに住んでいる人たちと同じ程度の話しか出来ないだろうね」
「そうか、助かったよ。ありがとう」
私は簡易的にジョニーへと礼を述べた。確かに彼の言う通り、亡霊事件と貴族の娘が誘拐されると言った事件の関連性は高いとは言えない。亡霊事件の被害者は女性や子供だけに留まらず、種族すらも問わず千差万別なのだから。
……だが。仮に。関連性は無い独立した事件のすべてが、リインカーネーションと言う巨大な組織によって、それも同時に行われていたと仮定すれば。お互いがお互いの事件を薄く引き延ばすための、実体を有耶無耶にさせるための手段だとすれば。ひとつひとつの事案を追うことが難しくなるのは当然だし、合理的な話なのは違いなかった。
「――リム」
ふと、ジョニーが私の名を呼んだ。
「キミは、本当に。ネーヴェ街の亡霊事件を引き起こした犯人だったのか?」
彼の碧色の瞳と、私の紅の瞳。決して交わることは無いであろう、ふたつの環が交錯する。
「……さてな。この世界じゃあそういうことになっているのだから、きっとそうなんだろうさ」
否定も肯定も出来ない、したくなかったのは私の弱さだ。彼に真実を望んだところで一度築かれた『現実』が塗り替えられるわけじゃない。だからと言って気丈にその役割を果たせる覚悟もない。
今の私は、ただの犬でしかなかった。
散々物色し目的の品を買い終えたアンゲルゼを連れてジョニーは立ち去って行った。結局その後、私たちはろくに言葉を交わすこともなく、今後また新たな情報が見つかり次第連絡を取り合う旨だけを取り決め話は終了した。
私は再びキリンジの煙草を頂戴し、共に煙を立ち上らせていた。
おそらく彼は、大聖堂にて私とジョニーの間で行われた邂逅のほとんどを知っているはずである。そんな様子などおくびにも出さないのは、決して彼が不器用だからと言う理由だけではない。
「……なあキリンジ」
傍らに佇む、煙草を咥えた大きな男に私は顔も向けずに話しかける。
「ジョニーとは、友達なのか」
2日前にもマリアとの仲を訊いた時と同じような質問を、再び訊ねてみる。
彼の口許から煙草の紫煙がニ、三度洩れてから、とても質素に、
「ああ、そうだ」
……と、それだけ答えた。
マリアの時にした否定とは違い、肯定だった。
「変わってるな」
思わず私はそう言って苦笑した。
「あいつは昔からそんな奴だ」
やれやれとキリンジは肩を狭める。
お前もそのひとりだよ、と言うのはやめておくことにした。




