第15環 翔破の円環節76日目
「協定違反の対象となった素体はアイオルビス在住の歯車人、識別ID『VA-Y283346』号です」
喫茶店ジェミニのカウンター席で隣り合う形で座るマリアが、報告を上げる。
私はそれを訊きながら、グラスに注がれたコーヒーを氷と共に揺らし波紋させた。
「その歯車人が最後に協会認定工房の定期メンテナンスに訪れたのが今から68日前のヴァーポルム=円環パルログ翔破の円環節8日目。調書にある駆動年数、非メンテナンス期間のどちらから見ても、既に内部駆動機関が停止している状態であるのは、まず間違いないかと」
「ご苦労さん」
手元の資料を一通り説明し終えたマリアに私は労いの言葉を贈った。面倒な調べ事をきっちり一晩で済ませてきてくれた彼女は、その人格はともあれ、回収員としてはやはり優秀な部類だ。
先日、コンコルディア協会から与えられた最優先事項の伝令。私たち協会員の最もオーソドックスな仕事と言えるのが、今マリアの説明にあった通り、歯車協定の違反者を取り締まることだった。
歯車協定。その歴史は古く、千年以上も過去である楼刻暦445年まで事は遡る。
奏銀戦争、ベルム・アルゼンタムと呼ばれるハモニカ人と歯車人たちによる争い。その名の通り、発端となったのは希少物質である奏銀だった。
奏銀、またの名を理の銀。その物質は巨大な歯車状の形をしているとされるルチア・アクシス世界において、とても重要な役割を担っている。ルチア・アクシス全体を形造る歯車のそれぞれに一定量の割合で含まれており、あらゆる物質に対して感応現象と呼ばれる反応を引き起こす。
それら奏銀の抽出、精錬、加工の技術は旧世界の喪失技術を代表するひとつであり、この製法を唯一継承し独占しているのがコンコルディア協会だった。
インジェニー=円環パルログではこの奏銀技術が残されていたが故に、枯渇状態になってしまった歯車の大地は分厚い凍土に覆われ、人類種にとって劣悪な環境へと変貌していった。今となっては奏銀の無許可採掘が協会によって固く禁じられているのも、それが由来となる。
その代わりに目を付けられたのが、歯車人と言う生きた機械人形たちだった。彼らの身体を構成している物質にもまた、一定量の奏銀が含まれていたからである。
戦争とは名ばかりの、ハモニカ人たちによる一方的な歯車人狩りの横行。それこそが、楼刻暦445年に起きた奏銀戦争の真実。この戦争は2年間に及んで続いたが、負担と効率の悪さから当時の奏府と歯車人たちの間で取り決められた停戦協定の条約が、『歯車人たちの個体識別管理と死亡した素体の回収』を主にした歯車協定だった。
現在、その協定を管理しているのが円環奏府や方舟教団から独立した私たちコンコルディア協会だと言うわけだ。そしてこれまた千年にも及ぶ協定を、無謀にも違反する者が後を絶たないからこそ私たちの商売は成り立っているということになる。理由は様々、自我を持つ歯車人たちにも人類種に似た死生観を持つ者も存在する。愛する人の遺体を易々と材料にされることを拒む者もいれば、高値で取引される奏銀の塊である素体を狙った墓暴き染みた商売をしている者も存在するのだ。
「何にせよ、昔から歯車人素体の運び屋ってのは金になりますものね」
さして興味無さそうな口調で優美に紅茶の入ったカップに唇を付けるマリア。
彼女にとってみればハモニカ人と歯車人たちによる歴史の怨恨などに目は向かないらしい。マリアがそこに見出す意義はただ一点、力の行使による破壊のみ。
だがどうにも今だけは更にもうひとつ気になることがあるようで、店に着いてからと言うもの彼女はひたすらそわそわとしていた。
「……ていうか、さっきからずっと纏わりつく視線がこの上なく鬱陶しいのだけれど」
見れば彼女の正面、カウンター越しには例の双子姉妹が頬杖をつきながら、はちきれんばかりの燦々とした笑顔でマリアの顔を眺めていた。
「……なに。なんか文句あるわけ?」
「うふふ、別に。ただマリア姉さんがお店に来てくれるのは珍しいなぁ……って」
「むしろ初めて来てくれた時からもう1年くらいずっと来てくれなかったよね、マリ姉」
姉と妹が順番に、嬉しそうな感情を惜しみなく曝け出して口にする。対して何やら気まずそうなマリアの額にはうっすらと冷汗のようなものが滲んでいた。
「キミらが知り合いだったとは意外だな。マリアはあまりこういうところに興味がないもんだと思ってたよ」
「知り合いもなにも、私たちは家族ですから。ね、マリア姉さん?」
「――だぁぁらっしゃい!!」
フォズの言葉にマリアが意味不明な言語で吼えた。びりびりとした振動が私の持つグラスにまで伝わる。
家族……はておかしいな、私が調べた限りだとマリアは確か孤児だったはずだ。まさか姉妹が居て、それがあろうことかこの笑顔がまばゆいふたりだったとは。世界は果てしなく奇妙で、実に狭いもんである。
「勘違いしないでください先輩。こいつらとは一時同じ空間で息をしたり何したりしてたってだけで、それ以上の関係はありませんから!」
「つまりマリ姉と私たちはすごく親切な方の、同じ家に拾われた家族ってことです」
「なるほど、そういうことか」
非常にややこしい説明をするマリアの意見を、フィズが至極分かりやすくまとめてくれた。彼女たちは三人ともが孤児で、拾われた先が同じ義理の3姉妹と言うわけだ。それを否定しようと躍起になるマリアと、家族と言い切るフィズとフォズの姉妹。案外マリアの求めてやまないものは、彼女自身が素直になればすんなりと手に入る距離にあるのではなかろうか、と私は思わずにはいられなかった。
「だいたい、なんで先輩はわざわざこの店に入ろうとか言い出したんですか! 雲海層のメインストリートなら他に幾らでも場所はあったでしょう!?」
「以前来たときに居心地が良かったんだ。仕事の話になるなら、そっちの方が生産的だろう」
「あら、嬉しい」
「やったね、お姉ちゃん」
「いちいちステレオで喋るな、やかましい! 左右に裂くぞ!」
マリアの放つ暴言にも姉妹は涼しげな顔で微笑んでいる。どうやら彼女たちにとってマリアは、血の繋がった本当の家族かどうかなど関係無く、むしろそれ以上に心を許せる姉であるようだ。マリアの方もきっと、単なる照れ隠しに過ぎないのかもしれない。犬である私が言うのもなんだが、赤ン坊とはよく言ったものだ。
喚き出すマリアが落ち着くのを待って、フィズとフォズは看板メニューであるドーナツを振る舞ってくれた。それには流石のマリアも無下にすることなく、おとなしくフォークで細切れにしながらちびちびと子供染みた手つきで欠片を口に運んでいた。
「どう姉さん、美味しい?」
「……別にっ」
不貞腐れたようにマリアはぷいっと姉妹から目を逸らす。言動とは裏腹に、彼女の皿に置かれていたドーナツの破片はテンポ良く次々と消えて行った。
「マリ姉、そろそろ家に帰ってあげたら? ママとはあれっきり会ってないんでしょう?」
「うっさい、アタシの勝手だろ。誰があんな糞ジジイのところになんか……」
「もう、姉さんったらまたそんなこと言って」
悪態吐き続けるマリアにフィズとフォズの姉妹は困ったように苦笑する。こうして見ると彼女たちの会話はとても自然な、家族同然のものに違いなかった。すっかり忘れ去ってしまっていた、どこか懐かしい感傷のようなものが私の中に生じる。もしかしたら、そんな彼女たちの関係が少し羨ましかったのかもしれない。
「それよりも先輩、問題は協定違反の件でしょう? 何か心当たりとかあります?」
自身の過去を抉られる事に耐え兼ねたのか、マリアは強引に話題を仕事の話に引き戻した。
「そうだな、リインカーネーションや黄昏の亡霊事件との関連性が気になるところだが」
「協定違反者が運び屋を使っているのなら、その線も充分考えられますね。人攫いと言えばリインカーネーションの得意技だもの。今回は人じゃなくて、鉄屑攫いですけど」
そう言ってマリアはにやにやと悪趣味な笑みを浮かべる。私としてはあまり堂々と人種差別用語を口にされるのは、本来関わらなくて済む面倒事を寄せ付ける要因になるのだから遠慮してもらいたい。彼女にそれを望んだところで、結果が伴わないのは分かりきっているが。
「どちらにせよ、個人で隠し通すには難しいことなのは確かなんだ。大なり小なり、組織を介さなければ素体の売買も運搬も行うことは出来やしない。とすれば……」
「近いうちに対象は自ら尻尾を出す、ってことですね」
私の意見を統括して、マリアは二、三度頷いた。
そう。私たちがどう動くか動かないかを問わず、彼らは自らの意思で行動を起こす。光射す表舞台に立てない人間は影のある場所に集まるものだ。小さな影は大きな影に隠れて、共に移動する。ならば追うべきは狙いの付けやすい大きい方を追えばいい。幸か不幸か、今のアイオルビスと言う都市には大小様々な影があちらこちらに存在する。黄昏の亡霊しかり、シルバー・ファントムしかりと言うわけだ。
……そう言えば、ジョニーとアンゲルゼと名乗った二人組は無事に逃げ切れたのだろうか。昨日の火埜蔵隊長の口振りから、少なくとも階層警備隊にはその所在は掴めていないのは確実だろう。
彼らであれば、私やマリア、階層警備隊とも別のルートで知り得た情報を持っているはず。歯車人素体の運び屋ともなれば、怪盗なんて商売をしている彼らからしてみればいわゆる同業者に近い。探りを入れてみる価値は存分にある。
そんな目下目標を打ち立てた私は、甘くやわらかい芳香を放つ小麦色の輪っかを口にしたのだった。




