プロローグ2 白黒姫
楼刻暦1666年
インジェニー=円環パルログ
首都環都市 結晶星都ジオ・ハモニカ
天蓋の円環節 45日目 黒昼の日
その日は、スノウの18歳の誕生日でした。
天蓋の円環節45日目、その日は黒昼の日と呼ばれ、天蓋の円環節47日の朝まで36時間の夜が続く現象をそう云います。
スノウはおとうさまの云い付け通り、お部屋で犬のぬいぐるみであるマックスと、猫のぬいぐるみであるエリザベスと一緒に遊んでいたの。
でも退屈になって飽きてしまって……それにスノウは犬は好きだけど、猫は嫌いだったから、いつしかエリザベスを壁に投げつける遊びで時間を潰すようになっていました。
これから36時間。この地獄みたいな時間は続きます。
「ひまだなぁ。ね、マックス」
スノウはマックスに話しかけたの。でもね、マックスは何も云わない。わんっ、とも、くぅーん、とも啼かない。啼かないけど、スノウ、犬は好きだったから投げなかったの。エリザベスは嫌いだったからたくさん投げたよ。それでも啼かないから、むかついて踏んだり蹴ったりもしました。
……そう云えば、1年前。
スノウがおとうさまの云い付けを破って、お部屋から逃げ出したことがありました。
そして、悪いおじさんたちに誘拐されて、身代金を要求されたの。スノウの命か、金か。
スノウの命はそんなくだらない物と交換するために、利用されてしまったのです。あはっ。
でもね、そこからはもう本当に凄かったの!
スノウの命と、おとうさまの『めんつ』を守るためにコンコルディア協会という秘密の組織から、正義の味方がやってきてくれました。名前は、クオン。もっと、なんたらかんたらクオンっていう長ったらしい名前だったけど、スノウはクオンって呼んでたの。だって、とっても可愛いわんちゃんみたいなんだもの。
クオンはスノウよりも背が小さい女の子だったの。だけどスノウよりも2つ、おねえさん。そういう種族の血がクオンには混じっているんだって。だから犬みたいな耳も生えてたのかなぁ。
そうそう、それでね。クオンはスノウを助けるために、悪いおじさんたちをびゅばばばーんって倒していったの。スノウも頑張って倒したよ。でもね、ひとりだけしか倒せなかった。クオンが来てくれる少し前に、おじさんの飲んでたスープの中にお薬を混ぜたんだ。おじさんは泡を噴いて、たぶん死んじゃった。
そしたらスノウは他のおじさんたちにすっごい怒られたの。楽しかったけど、ちょっと怖かったな。
でね、スノウも殺されちゃうのかなーって思ってたら、クオンがやってきて、おじさんたちを全員倒しちゃったの。
それから1年間。つい1週間くらい前まで、クオンとスノウは一緒に暮らしました。
任務が終わったとかなんとか云って、クオンはお家に帰ってしまったけど、スノウは寂しくありません。
だって、クオンとスノウはお友達だから。クオンはスノウだけのクオンだから。
いつかスノウが大人になって、この世界をぜんぶスノウの物にしたら、スノウはクオンを迎えに行きます。
きっとクオンはそれまで、いい子にして待っててくれるでしょう。
……でも、クオンはいい子だから待っててくれるけど、スノウは待てないの。
今すぐにでも、こんな牢獄みたいなお家、出て行きたい。
……また、家出、しちゃおっかなぁ。
足下に転がっているマックスとエリザベスを見ると、なにやらスノウに言いたげなの。
「スノウちゃん。こんな糞みたいな家、とっとと出て行っちゃおう!」
「スノウちゃんみたいな子がこんな塵みたいな部屋に閉じ込められてるなんて、可哀想!」
「うん、そうだよね。マックス、エリザベス」
スノウはふたりの声を代弁して、家出することに決めました。
窓際まで来てみると、部屋の外はいつものように雪が降っていて、まっくらです。
この黒昼の日の間であれば、誰にも見つからず遠くまで行けるかもしれない。
そう思ってスノウは窓を開けたの。寒い空気と一緒に、雪が部屋の中まで入ってきました。
顔を出して下を見たの。たかーい。これはきっと落ちたら死んじゃうなー。
困ったスノウはお部屋に戻って考えます。頑張って考えてたのよ。
そしたらね、床に転がってたマックスとエリザベスがこっちをじぃっと見ていたの。
「スノウちゃん、僕たちが手を貸すよ!」
「スノウちゃん、私たちの身体を使ってこの牢獄から抜け出しましょう!」
「みんな……ありがとう」
スノウは嬉しくなって涙が出ました。大好きだったマックスにキスをして、大嫌いだったエリザベスは彼女の云うように首と胴体を引き千切って生地を縄状にしました。飛び出た綿がもこもこして温かかったな。
でもエリザベスひとりの生地だけじゃどうしても足りなかったの。だからスノウは何度も謝ってマックスをばらばらにしました。
「ごめんね、ごめんね、マックス」
涙が出るくらい悲しかったけど、最後までマックスは笑っていました。
はさみを使って、ちょきちょきちょきちょき。腕だった生地と背中の生地を開いて、固く結びます。
いつしかマックスとエリザベスの生地はひとつにまじわって、ひとつの長い縄になりました。なんだかちょっとえっちだなーって思ったの。うふふ。
そうして完成した縄を部屋の柱に括り付けて、スノウは窓からするすると下に降りて行きました。
雪の積もった地面に足が付いた時、スノウは感動しました。
裸足で、土を踏む懐かしい感触。
おとうさまのお人形のように生きて来たスノウが、スノウの意思で生きていいんだって教えてくれているような気がして、寒いけど、嬉しくて。
「あはっ、あははははははははは。あはははははははははははははははははっ」
スノウは笑いました。お腹の底から、目いっぱい。吹雪が声を掻き消してくれるので、周りを気にする必要もなかったの。
自由! もうスノウは自由なのよ! どこへ行こうかな、どこへでも行ける!
スノウの命の歯車が止まるまで、どこまでだって!
もう、おとうさまにも……悪いおじさんたちにだって渡さない。スノウの、スノウだけの命だもの!
さようなら、おとうさま。さようならマックス。
スノウ・ホワイトブラックは今日、ひとり立ちします。もう2度と出逢うことはないでしょう。
願わくば、クオン。スノウがおとなになって、おとうさまの命なんか指先ひとつでどうにでも出来るくらい立派になったら、クオンに、逢いたいな。あ、それとお友達のイオちゃんにも。
スノウの好きなものだけを集めた、スノウのためだけの国を作って、スノウは楽しく暮らすんだ。うん、それが当面の目標なの。
まずは、こんな腐りきった国を抜け出さなくちゃ。隣のヴァーポルム=円環パルログ? だったかな。そこまで歩いてどれくらいかかるかはスノウはお馬鹿さんだから分からないけれど、でもきっとなんとかなるはずです。
だって、今、スノウはこうして、生きているのだから。
雪の積もったお庭に、足跡を付けてみる。これが、その証。スノウが生きていた、証。
お庭の外には、ジオ・ハモニカの街並。その外にはもっともっと広い世界。
スノウの大冒険は、ここから始まったのでした。ちゃんちゃん。