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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
19/41

第14環 翔破の円環節75日目



 通されたロビーを見渡してみると、アンティーク調の雑多とする明媚な雰囲気の中にも所々に洗練された箇所が在ることに気が付いた。ヴァーポルム文化の建築構造とインジェニー文化の建築構造の融合。こういった公的機関の要所ともなると、私が居候している散らかりまくった工房とは流石に違うらしい。

 天海層11階にあるアイオルビス階層警備隊の本部。シルバー・ファントムが大聖堂(カテドラル)を狙った事件から早くも6日が経った今日、改めて私は隊長の火埜蔵紫道に挨拶のひとつくらいは済ませておこうと思い、こうして足を運んでいた。

 程無くして、ロビーの隅でひとり佇んでいた私のもとに目的の人物が、もう見慣れてしまった感さえある荘厳な仏頂面で歩み寄ってきた。


「お待たせして申し訳御座いません、検閲官殿。些か立て込んでおりました故。アイオルビス階層警備隊所属、部隊長を任されている火埜蔵紫道と申します」


 えらく白々しい態度で火埜蔵紫道は私に頭を下げるでもなく、お手本通り取り繕うだけの言葉で名乗り出た。


「知ってるよ、頼むからそんな畏まらないでくれ。協会の役職と奏府の役職なんて、そもそもまったくの別物だ」

「ですがこれが形式ですので」


 端的に彼は到底理由とは呼べない理屈を述べる。

 つくづく組織に属するには不器用な人だな、と私は素直にそう感じた。


「心にもない敬意を持たれてもそれは失礼なだけだよ、隊長」


 私が軽く笑ってそう言うと、ようやく彼もひとつ考え込むように、小さくふむと頷いた。


「……なるほど。別段そういうわけではないのだが、ともなれば今は貴女の意思を尊重しよう」


 非常に回りくどい手段の末、彼はやっとこちらに合わせた態度で以って応対することに決めてくれたようだ。私としても職場が違うにも関わらず年上である彼に気を使われるのは、如何せん心苦しい。


「それで本日は何用かな。黄昏の亡霊による新たな被害者の情報か、もしくは……6日前の大聖堂(カテドラル)における貴女がシルバー・ファントムを見逃した件に関して、何か思い出した事でも?」


 安心したのも束の間、彼は私を見定めるような冷たい視線で揺さぶりをかけてきた。

 そうか、これが己が正義に殉じる男、火埜蔵紫道のやり口。どうやら彼はあの夜に私がシルバー・ファントムと邂逅した事に確信を持っているらしい。もはや言葉の中にそれを微塵も隠すつもりは無い辺り、したたかな男だ。


「前者は肯定、後者は否定だ。あの時火埜蔵隊長に伝えた通り、シルバー・ファントムが大聖堂(カテドラル)の爆発と同時に姿を消してしまった以外のことは私には分からない。すまないな、力になれなくて」


 相手が順当なやり方で手の内を見せて来るのなら、私もそれに倣って模範的に解答してやることにする。言葉の裏をなぞるのが正解とするならば、この答えはつまり『私は貴方も知り得ないシルバー・ファントムの秘密を知りました』と……そういうことになる。

 果たしてこの言葉遊びが火埜蔵紫道に通じているのか否かまでは私は責任を負えないが、どうやら彼の卓越した観察眼にその片鱗くらいはしっかりと映っていたらしい。だからこそ彼は、その堅牢に閉じられた口許から次のような言葉を吐いたのだ。


「リム殿がいったいどういった思惑で動いているかなど私には知る術もないが、ひとつだけ忠告しておきたい事がある。このアイオルビスにおいて正道から外れた場合には何人たりとも……それが例え協会の検閲官(バロウズ)であろうと私は容赦しないと」


 お決まりの代名詞を火埜蔵紫道は私に宣言した。これで晴れて私も彼のブラックリストに仲間入りと言うわけだ、あまり嬉しくはない歓迎の言葉だが。

 まあどちらにせよ、それを今この状況下でどうにか出来るわけではない事くらい、彼も分かっているからこその『忠告』止まりなのだ。心の隅にでも綺麗に飾っておく程度で問題無いだろう。それよりも先に、私には解決しなければならない事柄があるのだから。


「分かった、覚えておく。それで、黄昏の亡霊についての方は?」

「新たな被害者が出たのは4日前、ヴァーポルム=円環パルログ翔破の円環節71日目の夜だ。樹海層に近い雲海層5階にて、喰い散らかされたかのように鋭利な牙と爪で四肢をばらばらにされた蒸気人の男性の遺体が発見された」


 火埜蔵紫道の語る亡霊事件の被害者の特徴。それはアイオルビスに到着した間際に、ユビキタスと名乗る獣鬼人に訊かされたそれと見事に一致していた。

 ――12年前に、私が直接この眼で見た光景とも。


「関与が疑われるリインカーネーションの動向についてだが、未だ彼らのアイオルビス拠点とされる施設は特定には及んでいない。我ら階層警備隊も調査はしているが、恥ずかしながら難航しているのが真実だ」

「円環奏府との癒着、か」


 私が呟くと火埜蔵紫道は無言で応えた。否定をしないそれは肯定の意と同義だ。

 裏社会を暗躍し続ける巨大犯罪組織、リインカーネーション。その力はルチア・アクシス社会の広域にまで根を張っており、現在ではジオ・ハモニカの円環奏府役員や貴族どもの公では行えない汚い仕事を引き受けているのではないかと言った話も上がるほどに。

 無論、その末端関係者たちが逮捕されることは多々ある。だが決してそこから先の上層部まで、捜査の目が向くことはありえない。奏府にとってみればリインカーネーションと言う組織もまた、ルチア・アクシスという歯車世界を構成するための重要なコグのひとつなのだ。

 正義の体現者と称される火埜蔵紫道にとってみれば、この事実は非常に歯痒いものであるのは間違いない。彼の信じる奏府が定める正義……その正義こそが、他でもない悪であるリインカーネーションを守るべく隠れ蓑の役割を果たしているのだから。

 そんなことはさておき、私としてはリインカーネーション全体のことよりも『亡霊』たる存在さえ断定出来ればそれで構わなかった。

 彼から訊き出せる情報も今日はここまでだろう。私はわざとらしくロビーの時計へと視線を向けた。


「ありがとう、助かったよ。さて、あまり隊長の時間を奪うのも悪いだろうからここらで終いにしよう。まだ他にも行かなくちゃならない場所があるんだ」

「……ほう、どちらに?」


 踵を返そうとした私の足を、火埜蔵紫道が呼び止めた。

 特に隠す理由も無かったので、私は正直に答えてやることにする。


「例の爆発があった現場だよ、どうにも手が焼ける後輩が待っているんでね」


 彼相手になら、名前を出す必要も有りはしない。きっと火埜蔵紫道も彼女にはシルバー・ファントム同様、心底手を焼いているのだろうから。


「リム殿の心中御苦労、お察しする。道中、お気を付けて」


 そこで初めて、火埜蔵紫道は私に向けて表情を和らげた。それはとても刹那的なものだったけれど、彼の存在がアイオルビスを照らす光であることが間違いないと思えた瞬間でもあった。少なくとも、私の身勝手な想いの中では。




 アイオルビスの頂上、極海層13階への階層路を歩いていると崩れかけた尖塔(ミナレット)の一部が視界に映り込んだ。

 大聖堂(カテドラル)の周辺には何やら頭にハチマキをした筋骨隆々な男たちの姿が目立つ。蒸気人と鉄工人が入り乱れる彼らはおそらく、アイオルビスを代表する職人たちだ。

 6日前にここ大聖堂(カテドラル)で起きたシルバー・ファントムと教団修道士マリアによる戦闘の影響で、歴史ある美しいインジェニー建築の聖堂が半壊してしまった。その改修工事の真っただ中だと思われる現場の雰囲気は、まるでちょっとしたお祭りのようなものとなっており、一般の人たちも差し入れやら見学やらで賑わっている様子だった。

 中でもとりわけ、聖堂の入り口ですったもんだ口論している男女の姿が嫌でも目立つ。

 ひとりは黒髪で顎に無精髭を生やしたデカい男。もうひとりは見覚えのある修道衣を纏った羽の生えた桃色の髪の女。そのふたりの横でもうひとり、黒髪の少女が泣きそうな顔であたふたとしている。さっそく私は眩暈がした。


「なーんでテメェがここに居るんだよキリンジ! アタシは壊し屋を呼んだ覚えはないっつーの!」

「うるせぇな、俺は師匠に言われて鍛冶屋ショートピースを代表して来たんだ。邪魔するならお前こそあっち行ってろ」

「だったらどーして聖堂の扉をぶち破ってんのよ、ここはもともと壊れてなかったじゃねーか!」

「こ、これはその……作業の邪魔だから取り外そうとしたらお前が突っかかって来て、余計な力が入っちまっただけだ!」

「もうっ。キリンジもマリアさんも、どうしていつもこうなるの……」


 呆れたまま私はその3人のもとへと近付いていく。いや、あまり関わり合いたくなかったのが本音だが、人様に迷惑をかける後輩を放置するのも非常にあれだった。


「昼間っから元気そうだな、マリア」

「うあっ、リム先輩……っ」


 声をかけると途端に苦い表情をするマリア。どうやら上司である私には見られたくない場面だったらしい。破天荒な彼女にもそういった感情があると言うのが、なんだか少し意外だった。

 対面する大きな男が瞳を丸めて私を見下ろす。マリアの言葉から私も彼女と同族だと勘違いされたかも知れない。それだけは是が非でも否定しなければ。


「すまないな、後輩が仕事の邪魔をしたみたいで」

「あ、い、いや」


 歯切れ悪く男は視線を泳がせた。ふむ、確か彼とは初対面だったはずだよな。


「先輩、仕事の邪魔をしてるのはアタシじゃなくてこっちのキリンジっつー木偶の坊ですよ」


 マリアは自分よりもちいさな私を盾にして、堂々と耳打ちしてくる。はて、何だか妙な空気だ。もしかしたら、あまり心配する必要はなかったかも知れない。


「あの、貴女が……リムさんですか?」


 キリンジと呼ばれた男のとなりに居た少女が笑顔で私の名を確かめた。


「ああ。失礼だが、どこかで?」

「いえ、初めましてです。正宗とチャトラ……それからアカシャちゃんとコラットちゃんに話を訊いていたので」

「そうか、キミは彼らの友人か。リム・リンガルム・クオンだ、よろしく」

「ナギって言います、黒嶺ナギ。会えて嬉しいです」


 礼儀正しくぺこりとお辞儀する少女、ナギ。アカシャに訊いていた仲良し5人組の最後のひとりが、まさかこんなところでコンプリート出来るとは思ってもいなかった。


「あの、こっちは私のおじいちゃんがやってる鍛冶屋の見習いで……ほら、キリンジっ!」

「お、おう。キリンジ・ゴールドフィストだ、修理屋を目指している」


 ナギに腕を引かれる形で男が名乗った。年齢こそ逆だが、その様子はまるで姉さん女房だ。


「壊し屋、の間違いだろー」


 じっとり半分に開いた眼差しでマリアはキリンジを指して言った。「うぐっ……!」と変な呻き声がキリンジの口から洩れたが、何やら私には入り込めないふたりの関係が垣間見えた気がした。


「おーいマリアちゃん、ちょっとこっちの様子見てくれるかー?」


 敷地の奥から他の職人たちがマリアの判断を仰ごうと彼女を呼んでいた。どうやら現場の監督指揮も教団修道士である彼女の仕事らしい。


「おっと、はいはーい。悪いけどナギちゃんも手伝ってくれるかしら」

「はい、マリアさん」

「……キリンジは邪魔だからそこで突っ立ってろ、絶対に動かないでよね。それじゃ先輩、またあとで」


 そう言ってマリアはナギを連れて走って行った。6日前にあれだけやらかしたと言うのに、なんともパワフルな娘だ。瓦礫に埋もれた際の怪我も、もうほとんど完治しているようだし。

 それにしても、普段のマリアの様子を見るのは新鮮だ。いつもこの調子で居てさえくれれば私も楽なのだが、スイッチが完全にオンとなった時の彼女ほど面倒なものは中々無い。

 その対象と成り得るのが、私と同様にこの場に取り残された彼の存在なのだろう。


「マリアとは仲が良いんだな」

「冗談じゃねぇ」


 どこかで訊いた……もしくは私自身が言った覚えのある台詞をキリンジは吐き出して聖堂の階段にどっしり腰を落とした。なんとなくだが私は、彼に親近感を覚える。

 懐から煙草の箱を取り出すキリンジ。思いがけず私はそれを無言で見つめてしまっていた。


「……いるか?」

「っ、いいのか!?」


 この街に来てからというもの、どっぷりご無沙汰にしていたそれを私は唇に挟み火を灯した。

 ふたつの紫煙がアイオルビスの頂上に立ち上る。極海層ともなれば、蒸気の霧もすっかり何処へやら……青々とした空を見るのも久しい気がして、とても清々しい。


「そう言えば、先ほどキミが言われていた壊し屋と言うのは?」


 ふと気になった質問をキリンジへと投げ掛ける。だけど彼は無言のまま、なにも答えなかった。


「訊かない方が良かったか」

「……いや」


 長い沈黙の末、ようやく彼は深い息と共に声を漏らした。


「そう呼ばれるのも俺が未熟な証拠だ。ガキの頃から何かと物に触れると壊しちまうくらいだった。機関技術学校に通っていた頃にも教師に技術職は諦めて軍人になれと言われてた。だけど、俺はそんな自分を変えたくて修理屋を目指したんだ」


 淡々と自身の過去を振り返り、キリンジは語る。その言葉には哀愁にも似たものが含まれていた。


「破壊によって生まれるもんなんか、なにもねぇ」


 力によって為される行いすべてをはっきりと、キリンジは否定する。


「だとすればキミとマリアはまさに水と油だな」


 単純に思ったことをそのままの表現で、私は答えた。

 マリアの過去とは正に語るにも愚かな、力による淘汰で刻まれてきた歴史のそれだ。故に彼女は生き延びるために、力を欲した。その結果が今の彼女の姿なのだとすれば、なるほどキリンジの主張もあながち間違いではないのかもしれない。


「マリアもシルバー・ファントムも、階層警備隊や軍隊だって俺からしたら同じだ。壊しちまったら、それはもうどんなに綺麗に治したって同じ形には戻らない。結局はどこかで妥協しなくちゃなんねぇんだ」

「キミは力によって奪われるものは、泣く泣く奪われ続けることを善しとするのか?」


 彼の理想があくまで理想だというのは、きっと私で無くとも思ったことだろう。だからと言ってそれを頭から拒絶するほど私は善悪の采配に興味はない。あるのはキリンジの中に芽生える、彼自身の答えだ。


「あんたが言いたいことは俺にだって分かる。だが力を相手に力で返しても、それは繰り返し終わりのない憎しみ合いを生んじまうんだよ。そんな力なら、俺は要らない」


 そう言ってキリンジは煙草の火種を靴底で揉み消した。

 彼の言葉の中に私が見出した答え。それは、自己否定。鬼人種の血が混ざることによって虐げられてきたマリアにも通じる、己の存在自体を忌嫌うもの。水と油である彼らふたりの性質は、まるで似た者同士だというのだから皮肉だった。マリアの神経を逆撫でするスイッチがキリンジであるように、キリンジのスイッチと言うのが他ならぬマリアなのだろう。


「ほんと、キミたちはお似合いだよ。羨ましいくらいだ」

「――なに呑気に世間話してるんですか先輩」


 唐突に私とキリンジの間に、不服そうな表情のマリアがにゅっと姿を現した。

 交互に私たちの顔を見つめ、マリアは大聖堂(カテドラル)を指差す。


「おいこら木偶の棒、テメェの出番だぞ。屋根に機材を運ぶからその馬鹿力を有効に使いなさい」

「ちっ、いちいちむかつく言い方をしやがる女だ」


 渋々愚痴をこぼしながら、キリンジは指定された箇所に向かって歩いて行く。これではナギも心休まる時がないはずだ。彼女には痛く同情する。


「……ところで先輩、キリンジとは何を話していたんですか?」


 去っていくキリンジから私へと視線を移すマリア。その瞳には怪訝な反応が含まれていた。


「気になるか?」

「別に、これっぽっちも。余計なことを言ってないならそれで構いませんし。ああそれと、先ほど協会からアタシと先輩宛てに新しい伝令が届きました。コードは最優先事項です」


 協会員である私とマリアに下された最優先事項。だとすればそれは必然的に、あの話ということになる。


「歯車協定。その違反者と思われる容疑者の確保、ならびに排除ですよ」


 正式な力の行使を認める協会の命令に、マリアは口許をにたりとして小悪魔的な笑みを浮かべたのだった。




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