第13環 翔破の円環節72日目
その日は4日ぶりとなるドーナツ集会が催された。
喫茶店ジェミニのいつもの窓際席。隣にはアカシャ。向かいには左からナギとコラット。チャトラはまだ到着してないけれど、これまたいつも通りの席順。
揚げたてのドーナツにフォークを刺しながら、今日も誰ともなく自然な流れで他愛無い世間話が始まる。
話題の中心となったのは、言わずもがな3日前の大ニュースだった。
「そ、それで結局、シルバー・ファントムはどうなったの?」
鬼気迫る表情でコラットへと食い入るように見つめる。無論、その質問を投げたのはナギだった。
両腕を組み勿体ぶった様子で芝居かかった難しい顔をしながら、ドーナツを頬張ったままのコラットは口許がモグモグとしていた。
「んぐんぐ……実はだねぇなっちん。……はぁ、なんか慣れないキャラで攻めてみたら喉渇いてきちゃった」
「はい、お水!」
即座にナギがグラスを持ち上げる。……いや多分それは話しながらがっついてドーナツを食べてるせいだと僕は思うのだけれど。
「ごくごく……ぷはぁーっ! ありがとう、なっちん!」
「どういたしまして。……それで、続きは?」
「うん、そのあとシルバー・ファントムが入っていった大聖堂の屋根が急に爆発しちゃってさぁー。紫道さんに言われたから突入は我慢してたけど、隊員のみんなもヤキモキしちゃって。少し経って中から出てきたのはふらふらなマリアさんを引き摺ったリムさんだったし。なんかその後紫道さんとふたりで話してて、その日はやむを得ず解散ってなっちゃった。やっぱり逃げられちゃったのかなぁ……」
「そっか。……無事だと良いな」
残念そうなコラットとは反比例して、ナギはどこかホッとしているみたいだった。
「……そう言えば、あの日は夜になってもリムさん帰ってこなかったわね。そっか、大聖堂に行ってたんだ」
珍しくアカシャも素直にこの話題に関心を示していた。しかし、なんだかそんな様子に違和感を覚えた僕は黙ってアカシャの顔を見つめてしまっていた。
「な、なによ正宗。私の顔に何か付いてるわけ? ……ドーナツかな」
そう言ってアカシャは恥ずかしそうに口許を拭う。違う、そこじゃない。チャトラほどでは無いにしろ他人にはさして興味を示さないはずのアカシャに、僕が違和感を覚えたのは――
「アカシャ、リムさんのことはちゃんと名前で呼ぶんだね」
「へっ?」
完全に不意打ちだったらしく、アカシャの間抜けな声が店内に響く。コラットとナギもハッとしたように「そーいえば……」と呟き、きょとんと瞳を丸めてアカシャの間抜け顔を覗いていた。
「スノウさんのことは未だに『あの人』呼ばわりなのに」
「ま、まぁね。あの人と違ってリムさんは常識的だし。最初はどうなることかと思ったけど、そんな悪い人でもなさそうだから」
「ユキちゃんも優しくて良い人だけどなぁ」
「あんたは餌付けされてるだけでしょうが」
バツが悪そうに表情を歪ませながらアカシャはコラットにつっこむ。対して指摘された側のコラットは頭をかきながらエヘヘと笑っていた。
「私、まだそのリムさんって人に会ったことないなぁ。正宗は会ったことあるんだよね、どんな人なの?」
ひとり話題に取り残されそうになっていたナギが僕へと質問してきた。そう言えばナギにはまだ、リムさんの情報は詳しく伝えていなかったな。と言っても、僕もそんなに詳しいわけではないけれど。
フォークをテーブルに置いて、リムさんと出逢った時のことを頭で振り返ってみた。
「一度だけ、アカシャを家まで送った時にね。頼りになるお姉さんって感じの人だったよ、背はちいさかったけど。そういえばコラットと同じで頭に耳が付いてたな」
「鉄工人と獣鬼人、それとハモニカ人の血が混ざってるんだって。三種族間による混血、いわゆる渾沌種ってやつね」
毎度の得意気な顔付きでアカシャが補足した。
「それと、ユキちゃんとは昔一緒に住んでたことがあるんだってー。お友達だって言ってたよー」
加えてコラットも新しい情報を追加する。なるほど、アカシャのはきっとリムさん本人から。コラットの話はおそらくスノウさんから仕入れたものだろう。このふたつを合わせれば、ミステリアスな雰囲気のリムさんがどういった人なのかも説明しやすい。
「アイオルビスに来た理由は仕事の都合だって言ってたけど、三日前のあの日に大聖堂に居て階層警備隊の隊長格の人とも顔見知りってことは、奏府か教団の関係者なのかしら。工房であるうちに泊まってるってことは……もしかしたらジオ・ハモニカの軍人かも知れないわね。奏府もシルバー・ファントムには手を焼いてるみたいだし」
「へぇ、軍人さんか」
アカシャの推理を訊いてナギも小さく頷き相槌を打っていた。確かにあの落ち着いた中にもどこか底知れない物腰、毎回少し飛躍気味に語るアカシャの考えも、これはあながち間違ってないかもしれない。
「私も会ってみたいなぁ、軍人さんならシルバー・ファントムの事もきっと詳しく知ってるんだろうし」
「ナギはそればっかりね、根っからのシルバー・ファントムオタクって感じ」
「えへへ、だってシルバー・ファントムはアイオルビスのヒーローだもん」
何かとすべての話題をシルバー・ファントム基準にしてしまうナギに、アカシャはやれやれと言った態度で溜息をついた。ナギはと言えばどこか照れ臭そうに、アカシャの言葉を肯定する。
「そのヒーローが今回は私たちの友達であるコラットに怪我を負わせたわけだけど」
お決まりのようにアカシャの容赦ない毒舌が炸裂する。
3日前の夜、渦中のシルバー・ファントムと直接対峙することに成功したコラットだったがその際に蒸気管から漏れ出した大量の圧縮蒸気に吹き飛ばされた彼女は全身を擦りむく怪我をしてしまった。本人はいたってぴんぴんとしているが。
「また今度、コラットとシルバー・ファントムが戦わなくちゃいけなくなったらナギはどちらを応援するのかしら」
「う、うぅーん……」
困ったように表情を歪めるナギ。彼女にとってはこれまでにないくらいの究極の選択だろう。
アカシャの質問がとても意地悪なものだということは分かっていたけれど、この答えには僕にも些か興味があった。自分が信じるふたつの存在が互いに争わなくてはならなくなってしまった時、例えば僕ならどちらを選び、味方するのだろう。そんな考えがふと脳裏に浮かんだ。たぶん……いや、きっと僕は選ぶことなど出来ない。平凡な僕には、なにもしてあげられることなんてないんだ。
「大丈夫だよあーたん、なっちん。私だってシルバー・ファントムは好きだし、階層警備隊のみんなも好きなんだもん。欲張りだなぁって自分でも思うけど……でも、だからどっちがどっちとかじゃなくて、その時に自分が正しいと思ったことをすれば良いんだと思う」
「こ、コラットちゃん……」
ほっぺに絆創膏を貼ったまま、コラットはにこにこと笑っていた。まるでそれは誇り高い勲章のように僕の目には映った。
そんなコラットの言葉にナギは瞳をうるうるとさせ、おもむろにぎゅうっとコラットへと抱き着いた。
「ふぅん、まさかコラットの口からそんな複雑な言葉が出てくるなんてね」
コラットの素晴らしい合の手でうやむやとなってしまった事に、至極つまらなさそうな顔をするアカシャ。まったく、この微妙になる空気を毎回取り繕う人の気持ちも少しは考えて欲しい。主にその被害者は僕や僕や僕……やっぱり何度考えても僕などになってしまうのだけれど。
「あの日、シルバー・ファントムを掴まえることが出来なかったのは正義の匙加減のせいだって、3日前の夜にシルバー・ファントムが紫道さんに向かって言ってたんだー。訊いた時は意味がよく分かんなかったんだけど、でもその後よぉっく考えてみて、多分こういうことなんじゃないかなぁって思ったんだよ」
「ちょっとナルシシズムよりな気もするけれど、まあシルバー・ファントムらしいっちゃらしいわね」
懸命に考え抜いた末のコラットの意見に、頬杖をつきながらアカシャは渋々答える。
あまりに自分を棚にあげて話を進めるもんだから、たまには僕も少し意地悪してやるとするか。
「そういうアカシャならどうするんだよ。自分がどちらも大切だと思うふたりが戦わなくちゃならなくなった時、アカシャならどっちの味方をするんだ?」
それでもアカシャは冷静に。いたって淡々とグラスの水を飲みながら、
「どっちの味方もしないわよ、そんなくだらないことに関わるなんて意味ないもの」
……なんて答えたのだった。
「それは少しずるくないか」
「正しさを決めるのは個人の意思じゃない、全体を統制する規律よ。それが社会ってもんでしょう? シルバー・ファントムの存在がどれだけ英雄視されていようと、そのやり方は決して評価されるものではないわ。実際に被害を被る人がいる時点でね。そんな人だからこそ、さっきみたいな『自分を信じろ』的な言葉を安易に言えるのよ。そんなことが出来る人たちが多ければ、そもそも方舟教団みたいな宗教や円環奏府が中心になった社会なんてものはいらないじゃない」
むっとして、多少むきになってしまった僕の言葉にもアカシャにはまるで手ごたえがない。自らの選択を放棄した、空っぽの意見。分かってはいるけれど、それはとても正論なんだけれど、どこか納得できない。
「……でも、まぁ」
ふと、空っぽのアカシャの視線が宙に泳いだ。
「それでも自分の意思で決めなきゃいけない時に決められる人は、嫌いじゃないわ。尊敬すらするでしょうね。――私にはきっと、それが出来ないから」
その時、僕は気が付いた。アカシャは僕と同じだ。自分の意思を明確に示せるコラットやナギと違って、僕とアカシャにはそれを成し得るだけの覚悟や能力はない。力を持たざる者たち。そんな僕らだからこそ渇望する、決断する意思を持つ者たちの存在。時に人はそれを英雄と呼び、またある時は悪者とも呼ぶ。
僕だけでなく、アカシャもまた羨ましがっていたのだろう。だから彼女は、せめて強がってみせることで世界に自己を示しているのかもしれない。
これまでずっと一緒に居て、これまでちっとも気付いてやれなかったアカシャの孤独。似た者同士の僕らだから、互いに離れることが出来なかったんだ。この寂しがり屋さんめ。
「……それにしてもチャトラが遅いわね、まだ仕事が終わらないのかしら」
「最近、いつにも増して忙しそうだもんね。今朝も私の家に新聞を置いたら話す時間もないみたいで飛んでいっちゃった。一応、今日のドーナツ集会のことはちゃんと伝えたんだけど」
冷め始めていた話題を切り替え、アカシャはチャトラの動向へと会話をシフトチェンジする。ナギもそれには心当たりがあるみたいだった。
「そろそろお開きの時間だってのに、まったくあの縞々毛むくじゃらはどこで道草食ってるってのよ」
「そんなに急がなくても外はまだ明るいじゃないか」
「正宗、あんたね、今日学校でも忠告があったでしょう? 黄昏の亡霊事件の新しい被害者が出たって」
ジト目のアカシャが向ける視線がこちらへと突き刺さる。
そうだった。これもまたつい先日、かねてより心配されていた『黄昏の亡霊事件』の被害者がまたひとり、増えてしまったのだという。つい30日かそれくらい前に初めて被害者が確認されてから、早くもこれで5人目だ。12年前のジオ・ハモニカで起きた連続食人事件、『ネーヴェ街の亡霊事件』との関連性の多さから、それに準えて再び今回の犯人は『亡霊』と言う名で呼ばれている。当時の被害者は6名であることから更なる被害者の拡大が懸念されていたが、それがつい昨日の夜、不幸にも的中してしまったようだ。
「あんまり遅くならないうちに帰宅しないと、今度は怪我なんかじゃ済まないかもしれないじゃない」
不機嫌そうに文句をたれるアカシャだったが、その言葉にはみんなの事を心配している不器用な優しさが感じ取れた。リアリストで気難しくておせっかいで仕切りたがりのアカシャだけれど、彼女の友達を思う気持ちだけは他の誰にも引けを取らない。だからきっと僕らはこうして、彼女を中心にして日々集まり続けているのだから。
「コラットはなにか知らない?」
ちいさな身体でふてぶてしく腕組みしながらアカシャはコラットへと視線を移した。確かに、僕らよりはチャトラと付き合いの長いコラットなら、彼の動向にも見当が付くかもしれない。
「うーん……あっ。そう言えばもうすぐだったよねぇ、あれ」
「……ああ、あれ!」
「そっか、あれか……」
コラットの『あれ』に、ナギとアカシャのふたりが何やら納得している。
……『あれ』って、なんだったっけ。
ひとり正解に辿り着けないでいた僕に、アカシャが面倒臭そうな顔で店の外に止まっていた誰かの蒸気バイクを指差した。
「ヴァーポルムチャンピオンレース。アイオルビスのデジョン・サーキットで毎年天蓋の円環節に行われる人類最速の人を決める蒸気バイク乗りたちのお祭りよ」
「ああ!」
そこまで言われて僕もようやく思い出した。
「チャトラも去年は予選で良いところまで行ったんだけど、本戦で負けちゃったんだよね。惜しかったなぁ」
ナギも過去のレースを振り返るように頬に人差し指を当てて言う。
ルチア・アクシスでも歴史ある屈指の人気スポーツ、蒸気バイクレース。そんな蒸気バイク乗りたちが目指す頂点として知られているのが、他でもないここ黄昏の天空都市アイオルビスで毎年開催されるヴァーポルムチャンピオンレースだ。
今こうして僕らの居る喫茶店ジェミニがある雲海層7階、それと同じ階層にあるデジョン・サーキット場は言わば蒸気バイク乗りたちの聖地として知られており、数多のレーサーたちの頂点を決めるチャンピオンレースでは白熱した激闘が繰り広げられる。
過去にはナギの祖父、源次郎さんが前人未到にして未だ破られることのない40年連続優勝記録を保持しており、なおかつ未だ現役で本戦レースにまで毎年常連出場だって言うんだから驚きだ。そんな生きる伝説みたいな源次郎さんを始めて打ち負かした人こそ、階層警備隊隊長の火埜蔵さんだと言うことも蒸気バイク乗りだけではなくアイオルビスに住む人たちにとっては有名な話である。
「きっと今年もチャトラは出場するんだろうし、その準備に向けて走り回ってるのかもね。当日はみんなで応援しに行ってあげましょう」
さっそくこの手のイベント事なると計画を立てるのが早いアカシャだったが、それには僕もナギも賛成だった。
ただひとり、不満そうなコラットを除いて。
「……だからって警備隊を練習相手みたいにしてスピード違反を連発するのはどーかと思う!」
珍しくしかめっ面で唇を尖らすコラット。毎度の如くチャトラに振り回される彼女からしたら、酷く迷惑な話なのだろう。
「こうなったら私も出場して、正式な場でチャトラをぎゃふんと言わせてやろうかなぁ」
「……お前じゃ無理だ」
「うひゃああぁっ! ちゃ、チャトラ!?」
唐突になんの前触れも無く、話題の茶色い縞々の毛むくじゃらであるチャトラがテーブルの横に立っていた。絶賛愚痴ばら撒き中だったコラットは驚いたあまり猫耳がぴーんと逆立っている。
「遅いわよチャトラ、仕事熱心なのは良いけれど息抜きも重要だってことは忘れちゃ駄目なんだから」
そういうアカシャの表情も、ようやく全員が揃ったことに満足そうだった。
「……分かってる。今日はこれで最後だ」
チャトラが手に持っていた茶封筒を僕へと無造作に投げ渡した。
宛先には『榊正宗様』と記載されている。もちろん僕の名前だ。差出人の名前は『イオ・ブレイズ』。
「なによそれ、手紙?」
訝しそうにアカシャが僕宛ての封筒を覗く。気恥ずかしくなった僕はそれを咄嗟に後ろ手に隠した。
「……なんで隠すのよ」
「べ、べつに。というかアカシャ、人の手紙を覗き込むのは行儀が悪いだろ」
不服そうに目許を細めアカシャはこちらを凝視する。僕はなんとかその視線から逃れることで精いっぱいになっていた。危ない危ない。僕の唯一とも呼べる心の拠り所を、よりにもよってアカシャに台無しにされるわけにはいかない。
「もしかしてあんた、文通なんて根暗な趣味まだやってたの?」
「な、なぜそれを……っ!?」
と言った瞬間、僕はそれがアカシャの罠だということを悟った。もう遅かったけど。
「えっ、正宗って文通が趣味だったの? 初耳ーっ。ねぇねぇ、誰から誰からっ?」
そう言って興味津々に耳をぴこぴこさせるコラット。言葉は悪いが、最も悪意無く遠慮も無く純粋な目で相手を追い詰めるのはコラットの欠点であり武器のひとつだった。
「あ、私も気になるかも。文通って素敵な響きがして、昔から憧れてたんだよね。どんなことを手紙で話すの?」
ついにはナギまでもが乗っかって来る。こうなることを恐れて今まで隠れてこそこそと続けてきたって言うのに。アカシャもアカシャだが、チャトラも何でみんなが見てる前でわざわざ渡しに来るんだよ。分かっててやってるだろ、この毛むくじゃら!
だがここまで話が広まろうと、僕は決して口は割らないぞ。
確固たる意志の強さで言葉を塞いだ僕に、アカシャは平然とチャトラへと向き直った。
「――で、チャトラ。この手紙は誰からのなの? 教えなさい」
「……女だ」
「「お、おんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!?」」
僕が噴き出すのと、コラットとナギの桃色女子思考が爆発するのはほぼ同時の事だった。
真横からぐさぐさと刺さるアカシャの冷たい視線が痛いほど伝わってくる。
カウンターの向こうにはいつものように優しく微笑むフィズさんとフォズさんのふたり。
結局はそんないつも通りのドーナツ集会だったけれど、僕には何故か、それがゆっくりと変わりつつあるような気がしてならなかった。




