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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
黒緋の乙女編
16/41

第12環 翔破の円環節69日目⑤



 宵闇も過ぎ去り時刻は既に半夜となった頃、煌めく銀影を巡る舞台の構成は終演間近の5つめを迎えていた。

 銀影の怪盗、シルバー・ファントム――それを演じるハモニカ人の青年、ジョニー・センデルスの計略は、コンコルディア協会の検閲官(バロウズ)、リム・リンガルム・クオンの介入によりちいさな綻びを生じさせる結果となる。


 綻んだ糸の向かう先、黄昏の天空都市アイオルビスの下層地帯と呼ぶべき樹海層。住居区や商店、歓楽街である雲海層よりもさらに深く限りなく大地に近い階層。そこには貧困者、咎人、流浪民、世捨人などの多くが集まるアイオルビスの闇を体現する区画でもある。

 樹海層4階。重たく沈み込んだ悪性物質を含むスモッグの広がる廃墟染みた街角で、一軒の店がネオンの看板に光を灯していた。『BAR はにぃますたぁど』と浮かんだ文字列が、その店の名だった。

 店主……もとい、マスター……もとい、バーテンダーでありママでもある男――生物学的観点においては――の七鞘七之助(しちさやしちのすけ)は、夜霧の魔窟に迷い込んだ傷付いた友人であるジョニー・センデルスを介抱しながらくたびれきった煙草に火をつけた。


「もう平気よアンゲルゼ。ジョニーちゃんは疲れて眠っているだけだから。今回の仕事はよっぽど堪えたみたい。傍に居てあげてちょうだい」


 七之助が振り向くとそこには心配そうな様子でジョニーを見つめる歯車人……アンゲルゼの姿があった。

 アンゲルゼは言われるがまま、店の奥で横にされた傷だらけの恋人へと近付いた。


「ありがとう、七之助のおかげで助かったわ。ジョニーも、私も」

「あらやだ、そんな野郎臭い名前、とっくの昔に捨てたわ。今はしがないバーのママ……あたしに癒されに来るお客たちはまるで天国に居る気分になるからって、麗しのセブンスヘヴンって呼ぶわね。だからアンゲルゼも気軽にそう呼んでくれていいのよ」

「そうね、悪いけど遠慮しておく」


 流れる清水の如くなめらかにアンゲルゼは彼の申し出を拒絶した。

 そんなことなど気にも留めずに七之助はカウンターの一席へと座り、結晶製のグラスに注がれた濃麦色の液体を氷と共に揺らす。視線の先には間に合せの突貫工事で付けられたような店の扉があった。


「びっくりしちゃった。尋常じゃない勢いでドアがぶち抜かれたもんだから何事かと思って見てみれば、ボロ雑巾みたいになったジョニーちゃんを担いだアンゲルゼが立っているんだもの」

「ごめんなさい、ここまで逃げてきたらもう頼れるのは七之助しかいなくて。壊しちゃった扉はあとでジョニーに弁償させるから」

「いいのよ、どうせもう新しいものに買い替えようと思ってたところだから。それとあたしのことは麗しのセブンスヘヴンって呼んでちょうだいね」

「ええ、おそらく一生無いでしょうけれど気が向いたらそうするわ」


 ジョニーの汗ばんだ額を湿らせた布でもって拭い、そのついでとばかりの調子でアンゲルゼは返答する。店内を七之助の燻らす頼りげない紫煙だけが黙々と漂っていた。


「……早いものね。アナタたちと出逢って、もう4年も経つだなんて」


 ふと、感慨深そうに七之助は虚空を見つめて呟く。


「出逢う縁があれば別れる縁もあるわ。ジョニーちゃんとアンゲルゼに出逢ったあとにもすぐ、別れはあったもの。もちろん、その遥か過去にもね。アンゲルゼ、あんたは離しちゃいけないよ。すぐ傍に居る、最愛の人の手を。これは女の先輩であるあたしからのアドバイス」

「……なぜかしら、妙に納得できない部分が主に後半に集中していたような気がするのだけれど」


 不気味さすら漂う七之助が浮かべる微笑にアンゲルゼは半ば飽きれ気味に声を濁した。

 それでも七之助は止めずに、もはや自嘲とも取れる口調で続ける。


「それくらい別れってのは思いがけずやってくるものなのよ、経験談なんだから訊いといて損はないわ。それと、出来る事ならご遠慮願いたい出逢いも同じくらい思いがけなかったりするのよね」


 七之助がそう言うや、先ほど吹き飛んだばかりの扉が再び弾け飛んだ。木製の扉は文字通り、木端微塵となって店内へと散らばる。

 どす黒く大きな影が――まるでその空間のみが丸ごと闇に呑み込まれたとばかりに黒い人型が、破壊された扉に代わって入り口を塞いでいた。


「悪いけど今夜はもう店じまいなのよ、ノクター」


 煙を吐き出すと同時に七之助はその影を睨み付けた。

 影は影のまま、確かな質量を伴って大きく一歩、店内へと足を踏み入れる。逆様の半月状に裂かれた口許からは幾本もの鋭利な犬歯が覗いていた。


「……おいおいぃ、固いことは言いなさんな。冷えた身体を温めようと安い酒をあおりに来たケチな客を、そう無粋に扱うもんじゃねぇ。それともあんたにゃ一滴の血も涙もねぇってのかい、麗しのセブンスヘヴン」


 鬼人種(ガリバー)。人類生存圏の外側、インサニアより現れた異形の人種たちは非常に多様な姿を持つ者たちとして今日のルチア・アクシス世界で知られている。その中でも際立って特異な姿を持つ種、暗鬼種(クレスクント)。ノクターと呼ばれた影の姿を持つ男は、まさにこの奇怪な特徴を一見にして表顕していた。

 ひたひたと体躯を左右に揺らしながら進むノクターの視界に、部屋の隅で横たわるジョニーが映り込む。紅を纏う瞳が一際細くなり、不定形の輪郭がにんまりと歪んだ。


「おやおやぁ、先客ですかい。こいつはどうも騒がせちまって失礼。こんな底辺のゴミだまりみたいなところに、気品あふれるハモニカ人様が居らっしゃるとは思いもしませんで。しかし、あれだなぁ。そちらの若旦那、相当出来上がっちまってるようだぁ。どれどれ、ひとつこのノクターが介抱を――」


 進路をジョニーへと向けたノクターの前に立ちふさがるようにして、アンゲルゼが両腕を広げ佇んだ。


「来ないで。……貴方はそれ以上、ジョニーに近付かないで」

「……屑鉄で出来たポンコツ奴隷風情が、このノクターに指図するってのかい。面白れぇ。まずはてめぇから呑み込んでやろうかぁ、けけっ、けけけ」


 風にゆらめく炎のように、黒炎の火の粉を散らしながらノクターは対峙するアンゲルゼを見下ろす。それにすら一片も臆する様子もなく、アンゲルゼはただ沈黙を貫き、決して道を譲らなかった。


「おやめなさいノクター、あんたの目的はこっちでしょう」


 痺れを切らした七之助が強い語気を含めて制止する。その手には瓶になみなみと詰まった琥珀色の酒を掲げ、おもむろにノクターへと投じた。背後から放物線を描き向かって来る酒瓶を、ノクターは自身の肩と呼ぶべき個所から一本の漆黒に塗られた腕を生やし、指の隙間へとひっかける。そのまま封を切り、彼は酒を仰ぎながら七之助へと振り向いた。


「けひ、ひひひ。なぁに、軽い冗談でさぁ。鉄屑のお嬢さんも、そう怖い顔せずに。フレーバーオイルの一杯でも奢りやすぜぇ、仲良くやりましょうや、ねぇ? くけけけけけけけけけけかかかかかかかかかかかかかかかかかかっ」


 店内にノクターの奇声とも呼べる哄笑が響き渡る。

 すっかり短くなってしまった煙草を灰皿へと擦り付け七之助は額に皺を作りながらカウンター越しにその様子を見つめていた。


「ここでは不必要に干渉し合わないことがこの店とお互いのためよ。あんたが外でなにをやらかしていようと、それさえ守ってくれればあたしはあんたを客として扱うわ。如何にあんたが当のリインカーネーションですら手を焼く問題児だったとしてもね」

「おっとぉ、マム。そこまでにしてくだせぇ。こんなチンピラ同然のノクターだって気軽に呑める酒が無くなっちまうのは惜しい。あっちだけじゃなく、こっちの世界でもお尋ね者になっちまうのだってごめんだ。だから、ここまでにしやしょう。他ならぬお互いのために。ひひっ、くかかかかかかかかかっ」


 そう言ってノクターは酒の代金となる分を無造作にカウンターへと放り投げ、再び身体を揺らしながら出口へと歩き出した。

 溜息混じりに七之助は乱雑に散らばるカウンター上のそれを見つめる。そして瞳をカッと見開き咄嗟に顔を上げた。


「ちょいと待ちな」

「…………まだなにかぁ?」

「扉をぶっ壊した弁償代が入ってないわ。常連客として情状酌量して見積もっても……これくらいは置いていってちょうだい」


 怪訝そうに振り返るノクターの正面に、七之助は珠算にて弾き出した十露盤の額面を突き出した。


「……けひっ。ケチな客相手にケチな商売だぁ。……すまねぇがそっちの珠をもうあとふたつ分くらいは勘弁してくだせぇ旦那」

「誰が旦那だごらぁ! 麗しのセブンスヘヴンだって言ってるじゃないの、頭にきたから倍額に変更」


 すかさず七之助は十露盤の珠を弾く。それには堪らずノクターの顔が焦りで滲んだ。


「おいおいぃ、流石のノクターもこりゃ黙ってられねぇぜ。弾くならそっちの珠じゃなくてこっちのはずだろぉが、おっさんよぉ!」

「あー言った、今おっさんって言ったね。最も駄目なやつ言っちゃったね。はいあんたもう御破算ー、こっちをさらに3つ上乗せー」


 交互に弾き、弾かれる珠。その行為はやがて単なる罵詈雑言のぶつけ合いへと発展していく。


「いったいなんなの、この人たち……」


 カウンター越しに繰り広げられるふたりの激闘には、アンゲルゼのくたびれきった冷ややかな視線だけが終始注がれているのみだった。




 BAR『はにぃますたぁど』を出たノクターはそのまま霧の立ち込める薄暗い路地を独り彷徨っていた。

 ルチア・アクシスの裏社会に君臨する犯罪組織、リインカーネーション。無論、このアイオルビス樹海層もまた例外無く彼らの息がかかるビジネスの拠点と化しているに等しい。

 そんなリインカーネーションという組織においても、ノクターという存在は極めて異彩を放っていた。


 暗鬼種(クレスクント)という希少な鬼人種の生態は、この世界において未だ多くの謎を孕んでいる。現時点での研究段階において判明している最たる特徴が、その影を彷彿とさせる肉体だった。身体のいたる箇所より無数の四肢を生やすことなど造作も無く、男と女の違いも在りはしない。もはや生物として窺わしいまでの異形体である暗鬼種は遥か昔、インサニア大戦と呼ばれる楼刻暦史上最大の争いが勃発した際にアングィス=円環パルログより人類生存圏内(エウゴ)に攻め込んできた鬼人種の王、リュコイによって生み出された戦闘種族であるとされている。

 インサニア大戦終結以降、ハモニカ人たちによって隷属化を強いられた鬼人種たちの中でも彼ら暗鬼種の扱いだけは違かった。種の繁栄や生存競争からは完全に切り離されていた暗鬼種たちは、自己の衰えを察すると種を問わず他者の肉体を喰らい、力を侵食する。そうして新たな身体と必要最低限の情報だけを所持して、暗鬼種はまた新たな暗鬼種へと、文字通り転生し続けていく。

 そんな暗鬼種たちを、当時の教団と奏府が恐れないはずがなかった。一時はアングィス側戦力の主軸となり、戦況を完全に奪い尽くしていた恐るべき生物兵器。無論、敗戦した彼ら暗鬼種たちが向かう未来はひとつ、教団による徹底した大量虐殺だった。


 今日では希少種となった暗鬼種たちは、アングィス=円環パルログに近いヴァーポルム=円環パルログ西方の秘境染みた大地にて密やかにその消滅を待つだけの存在となり、またあるものは時の権力者によって目を付けられ裏社会を構成する一員として暗躍し続けている。その後者が、他ならぬノクターであった。

 彼もまた、滅びゆく暗鬼種たちの前に必ずや現れる衰えによって人知れず夜霧の露頭を彷徨う者と成り果ててしまっていた。


「かか、畜生が。早いとこ次の得物を見つけなけりゃあ、お陀仏かよぉ。亡霊と恐れられたこのノクターともあろう者が、けけ、けけけけ」


 このままでは遅かれ早かれ消滅する未来しかない恐怖を、酒と適当に迷い込んだ人間を喰らって紛らわす毎日。表舞台より姿をくらましてから12年間、ノクターはそうして生き延びてきた。


「思えば『こいつの身体』ともなげぇ付き合いだぁ。だから次も、無敵のノクターに相応しい奴の身体じゃなくちゃあいけねぇ。そうだ、12年前……仮にもこのノクターに恐れず刃を向けたガキのように、強く、賢しい奴の肉体がぁ。くは、くかかか」


 ノクターの脳裏に蘇る、12年前の事件。ジオ・ハモニカのネーヴェ街で起こった正にこの事件こそ、人々の記録ではネーヴェ街の亡霊事件として記されている。

 本来、死という概念から切り離されたノクターだからこそ恐れる、死の恐怖。それによって彼は力の衰えと共に、かつての自分が引き起こした過去を今さら懐かしんでいた。

 思いふける彼のもとに、ぶつぶつと独り言を唱えるちいさな鉄工人の老人が近付いてきた。


「クスリ……クスリを……っ、あれ、無いと、ハッピー……とっても、アンハッピィーっ!」


 視線は宙を巡り、口の端から涎を垂れ流す老人は狂ったように絶叫してノクターの足にしがみ付いた。


「おいおい、じいさん。今のノクターはちっとばかし機嫌が悪ぃんだ。その汚ぇ口許をふさがねぇと……」

「来るっ、銀の世界から、それよりも奥っ! あが、おうぇぇっ、星の楔、穿たれた時計っ。クスリ、頼む、これでハッピーにしてよぉぉぉぉぉ!!」

「けひひ、幸福なじいさんだ。こんな紛い物ですべてを忘れられるアンタがこのノクターは羨ましい。お待ちなすってぇ、今楽にしてやらぁ。けけけけけけけ」


 そう言って老人の手に握られた紙切れのような金を奪い、ノクターは彼の口腔の奥へと、カプセル錠を押し込んだ。びくんびくんと身体を痙攣させ、この世から解き放たれた悦楽を貪るように老人は白目を向いて恍惚な笑みを浮かべる。地の底へ堕落していく老人の様子を、ノクターは愉快そうに笑い眺めていた。


「けけ、けっ。まいどありぃ」


 立ち往生する老人を乱暴に蹴り飛ばし、料金分となる予備の錠剤をその上からばら撒いてノクターは再びのらりくらりと立ち去ろうとした。


「おぇ、ごほっ……円環の時は近い。勘違いするなよノクター、貴様は呑み込まれるのだ」


 老人は嘔吐するように咳込むと、四つん這いになってノクターの背中を見つめ呟いた。

 その声にノクターの足が止まり、老人へと向き直る。老人の胸元を掴み、強引に持ち上げた。


「ついにボケるところまでボケたかぁ。このノクターが、誰に呑み込まれるってんだい?」

「ひゃっひゃっひゃ、ハッピーは何でも知っている! 幸せだから! 貴様のその驕りが、銀の弾丸により打ち抜かれんことを!」

「ここはまだ天国なんかじゃねぇんだぜ、じいさんよぅ。くくく、廃人は廃人らしくゴミ箱で寝てなぁ!」


 ノクターはおもむろに小柄な老人の身体を振り上げ、路肩の隅へと放り投げた。羽虫の幼虫が潰れる時のような声を上げて、老人はそれきり大人しくなった。


「……けけっ、潰し損ねたか。急がなくちゃならねぇ、このノクターに相応しい身体を見つけるために」


 まだ息のある老人の様子を見て、ノクターは笑いながら歩き出す。己が欲望を満たすため。



 黎明を告げる、蒸気の汽笛。

 楼刻暦1667年、ヴァーポルム=円環パルログ翔破の円環節69日目。

 5つに渡った今宵の舞台は、これにて終幕となる。

 なぜなら気付けばもう、夜明けはすぐそこなのだから。



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