第8環 翔破の円環節69日目①
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天を覆う海の頂き
遍く生命の方舟が座礁する時
灯の影は数多の銀影と化す
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「――以上が本日未明、大聖堂のカルネア像前にて発見された犯行予告文書であります」
部下の男が読み終え、敬礼する。
緊迫する空気が辺りを包む中、火埜蔵はその厳しい表情を一つたりとて変えなかった。
アイオルビス階層警備隊に所属する部隊長数名、怪盗シルバー・ファントム事件を担当する火埜蔵とその部下である隊員数十名が決して広くはない会議室に詰め込み、因縁の相手から送られてきた予告文に頭を悩ましていた。
「ところで第一発見者は?」
眼尻に皺を寄せた初老の男が文書を読み上げた隊員に問い掛ける。火埜蔵よりもひと回りは歳を重ねているであろう風体をしているその男は、火埜蔵とは別の部隊の隊長だった。
「はっ、報告によると大聖堂に毎朝一番に礼拝を行いにやってくる老人だそうで。その後、大聖堂に所属するシスターと神父の元へ届けられたそうです」
「聖堂内には1年中24時間自由に行き来が出来るそうだしねぇ、教団側もちょっと不用心じゃないかい?」
「しかし肝心のカルネア像が佇む礼拝堂への入り口は夜中は締まっていると訊く。教団の神父が明け方に礼拝堂の錠を解いた時には予告文は存在しなかったそうだ。つまり……」
「神父が錠を解いた後、毎朝一番にやってくる老人よりも先に礼拝堂へと入った者がいる、というわけか」
「だとしたらその老人は毎朝一番に礼拝するという名誉もシルバー・ファントムに奪われたことになりますな、ぬはははははは!」
「――笑い事ではない」
低く重たい火埜蔵の声が会議室内を一閃する。
他部隊の隊長たちはばつが悪そうに視線を逸らしたり白々しく咳込んでみたり、ちいさく舌打ちをする者もいた。
「まぁまぁ火埜蔵君、ここは穏便に。将軍不在の中、身内で問題が在ったら階層警備隊と云う組織としても事だからね」
細身の参謀然とした男の言葉に火埜蔵は再度沈黙して双眼を閉じた。
真横に並んだ各部隊長たちから小声で「若造が」と云う単語が密やかに飛び交う。室内に集められた火埜蔵の部下たちは苦渋の表情を悟られないように俯くことしか出来ないでいた。
「と云うよりもだね、なぜシルバー・ファントムはその場で白金製のカルネア像を盗まずにわざわざ予告文を残して行ったんだね。そこんところ、どうなってるの?」
「はっ。そ、それについては……」
文書の読み手を任命されていた隊員が慌てて手元の資料を確認する。小太りな部隊長の鋭い視線が彼を貫き、その緊張から隊員は上手く次の言葉が出せないでいた。
「まったく、大丈夫なのかね火埜蔵君のとこの彼は。これっぽっちも状況を把握出来てないではないか。まあかれこれ4年だったか? それだけ経ってもたかがコソ泥一匹掴まえられんような男の部下などそんなものか、ぬぁはははははっ!」
厭味ったらしく責め立てるように、小太りの隊長は火埜蔵に視線を向け大袈裟に醜悪な笑い声をあげた。
隊員の男は苦く表情を歪め、唇を噛み締めながらも敬礼をして続けた。
「も、申し訳御座いません隊長閣下! これは私個人の不手際であり決して火埜蔵隊長の責任では……」
唐突に火埜蔵が立ち上がる。部下の隊員の言葉は途切れ、室内が騒々とざわめいた。
「ひ、火埜蔵隊長……」
「ここからは私が直々に説明しよう」
「なんだね火埜蔵君、私は彼に説明を求めているのだよ。弁えたまえ」
「弁えているからこそ、我が部下の説明では不十分だと言っているのだ。お前、もういい下がれ」
「……はっ。失礼致しました!」
火埜蔵の指示で部下の隊員は一歩身を引き、ひしめく隊員たちの列へと戻って行った。
小太りの部隊長はあからさまに顔を歪めていたが、参謀からの視線によって反論を封じられる。不満たらたらの様子で椅子の背もたれ部分に勢いよく持たれかかり、その衝撃でぎしりと鈍く軋んだ。
立ち上がり、長机へと両手を付けた火埜蔵は暫し黙り込んだまま各部隊長と隊員たちの顔を鋭利な眼光でもって一巡させ、ようやく結んだままの口を解いた。
「諸君らはシルバー・ファントムをおとぎ話のヒーローか何かと勘違いしているようだが、それは間違いだ。彼は歴とした犯罪者であり、実在する人間だ。円環奏府の、ひいては我ら階層警備隊の取り締まるべき悪に他ならない。そのことをまず一点、肝に銘じて欲しい。シルバー・ファントムは決して幻影を纏った魔法使いでも、貧しき民を救う英雄でも在りはしない。正道ならざる邪道でもって己が欲望を満たさんとする卑しき賊者に過ぎないのだと云う事を」
荘厳且つ威勢を孕んだ火埜蔵の言葉に水を差す人間は、最早この場に存在しなかった。
部下の隊員たちも部隊長らも揃って、皆が静粛に火埜蔵へと視線を向けている。その光景にはどこか神々しさすら感じられた。逸れることは決して許されない、正義の道筋を示す道標。正義そのものである火埜蔵紫道という男の姿。
一度の呼吸すらも許されないかの如く雰囲気の中、火埜蔵の厳格な瞳が左右に巡る。
「各自、理解して頂けただろうか。それでは先ほどの質問にお答えしよう。なぜシルバー・ファントムが予告文を残すのか。それは単純明快、奴は自分の力を過信しているからだ。自分が我らに捕まることなど何一つ予見していない、なんとも幼い子供染みた考え故の行為に他ならない。断言しよう、シルバー・ファントムの正体はただの青年だ。仮面を外し、日常へと戻った奴の姿はアイオルビスの街並を歩む平凡な民と変わらない」
「き、キミはシルバー・ファントムの素顔を見たことがあるというのか?」
畏れ多くもと云った震える声音が何処からか飛んでくる。
その声の主を確認することもなく、火埜蔵は粛々と顔を横に振った。
「……いや。申し訳ないが未だそれには至っていない。その件に関しては私の力が及ばず、未熟だと言う各方面の叱責は甘んじて受けよう。だが、長年シルバー・ファントムを追ってきた私だからこそ身命を賭してでも言い切れることがある。そして、この際奴の正体などさして重要な情報ではない。そんなものは実際にこの手で捕えてしまえば判明するのだから。私たちが今この犯罪者を捕えるために必要なことは、奴の用意したシナリオの裏をかくことだ」
そう云って資料に添付された予告文を火埜蔵は叩いた。部隊長と隊員たちも今一度書類を確認する。
天を覆う海の頂き。
遍く生命の方舟が座礁する時。
灯の影は数多の銀影と化す。
予告文に書かれた三つの文。
内容は実に抽象的に、犯行現場、時刻、狙っている品物、そしてそれを盗み出す方法を表している。
火埜蔵はこの暗号めいた予告文を解読するスペシャリストであった。
「天を覆う海の頂き、これはその文章の通り現場がアイオルビス極海層13階に存在する大聖堂だと云う事を示している。そもそも奴はターゲットにした物品の所有者に宛てて予告文を与えることを美学としている。そして今回奴が狙ったのは既に分かりきっていると思うが、遍く生命の方舟が座礁する時……そう、方舟教団の信仰する最高神カルネアを模した白金の方舟、カルネア像に間違いない」
予告文がカルネア像の正面に落ちていたのだから盗まれるのはカルネア像に違いない、と思っていた各部隊長たちも火埜蔵の推理で憶測に過ぎなかった考えは確固たるものへと変わった。
途端に会議室内はざわめきが広がり、彼らは火埜蔵へ更なる言及を求めた。
「な、ならばこの最後の一文――灯の影は数多の銀影と化す――これが犯行時刻を予告していると云うのか!? お前にはシルバー・ファントムが何時現れるのかが分かると云うのかっ。ど、どうなんだ火埜蔵!?」
「今夜だ。シルバー・ファントムは間違いなく今夜、大聖堂へと姿を現す」
「ふむ、その理由もお訊かせ願いたい」
「シルバー・ファントムはあえて言うなら自らルールを取り決めて犯行を起こす。そしてそのルールによると過去4年間、奴は必ず犯行予告文書が届いたその日に現れる。マルエ=セレニタティスの輝く白昼に堂々と現れる時もあれば、マルエ=ヌビウムの浮かぶ夜の闇に溶け込んで現れることもある。まさに神出鬼没と思われるだろうが、そこには奴なりのシナリオが確実に存在する。最後の一文、灯の影。果たして諸君はわざわざ昼間に灯を点けて影を作ったりしたことがあるだろうか?」
「……なるほど、シルバー・ファントムが筋金入りのロマンチストだと云うことは分かった。それで、奴がカルネア像を盗み出すために用意したドラマチックな策とはなんだね?」
そこで初めて火埜蔵の口は閉ざされた。
「火埜蔵君?」
「……先ほど私はシルバー・ファントムが魔法使いなどではないと云った。その主張は今でも揺るぎはしない。だが奴は実際に、まるで魔法のような何かを使って我々の目を欺く。銀影の魔術師なんて名称が付く由来がそれだ」
「まさか……4年前、ジオ・ハモニカで盗まれた結晶化技術か!?」
「円環奏府、さらにはコンコルディア協会まで絡んできたんじゃお手上げだな。鬼の火埜蔵とその部隊員たちが如何に優秀であっても、奴の逮捕に手を焼くのは頷ける」
いつしか室内のムードは火埜蔵を非難する者よりも擁護する意見へと傾きつつあった。
各部隊長たちは火埜蔵の苦労に同情しながらも、まるで子供たちのヒーロー程度に認識していたシルバー・ファントムの厄介さに頭を抱えてしまっていた。
「――それでも、だからと云って奴を野放しにして良い理由など在りはしない」
彼らの思案が重くなり行く中、火埜蔵の瞳には依然として炎に似た光の揺らめきが灯っていた。
「ではいったいどうすると云うのだね火埜蔵?」
「今夜、この私火埜蔵紫道率いる全部隊員を出動させ極海層13階大聖堂周辺を取り囲み、更には天海層10階から12階までの区間エレベータと階層路を夜間全面封鎖、シルバー・ファントムを押さえる包囲網作戦を実行する!」
階層警備隊の定例会議とシルバー・ファントムについての報告会を終えた火埜蔵は、未だシルバー・ファントムの残した予告文と睨めっこをしながら会議室に留まっていた。
「灯の影……これが夜を表していることは間違いない。ならば数多の銀影とはなんだ……?」
銀影。それは文字通り、シルバー・ファントムを意味する単語だった。
「……まさか奴は。そのために、前回姿を現したと云うのか……?」
そんな魔法みたいなことが可能なのか、と火埜蔵は考えた。結晶化技術の及ぼす力は嫌と云うほど味わって来ている。それでもまだ、火埜蔵には自分が想像した夢物語のような光景を心から信じることなど出来やしなかった。
ふと、火埜蔵は傍らに気配を感じた。
「火埜蔵君、すまないがちょっと良いかね」
顔を上げると、参謀の男が真横に佇み火埜蔵を見下ろしていた。
模範と寸分違わぬ角度で火埜蔵は敬礼した。
「そう固くならなくて良い。キミに頼まれていた件なのだけれどね」
参謀が火埜蔵へと耳打ちする。
すると途端に火埜蔵は瞳孔をカッと見開き、驚愕を隠せない表情で資料書を力一杯握りしめた。
「なぜ……なぜですか参謀っ!?」
火埜蔵の咆哮が部屋に響いた。焦りと動悸、そして怒りが火埜蔵の身体を走り抜ける。
納得できない様子で、火埜蔵は立ち上がった。
「それが奏府の下した判断だ。将軍不在の今、我らはジオ・ハモニカの円環奏府本部からの命令を遵守しなければならない義務がある」
「それが、正道だと……」
「火埜蔵君、先ほどの君の言葉を借りよう。今の君は己が美学に浸るシルバー・ファントムと同じだ。確かに我らは住人の生活を守る警備隊だが、それ以前に奏府に属する云わば公務員である。正義を貫くのが仕事ではない。君もそろそろ大人になりたまえ」
「だがしかし、奴が再び現れるこの機を逃すわけには――」
「火埜蔵紫道」
冷徹な視線を向ける参謀の目線で、火埜蔵は言葉を止めた。
「蒸気省に天海層から極海層に向けての夜間封鎖許可は取り付けた。あとは与えられた範囲で仕事を熟すのが組織と云うものだ。火埜蔵紫道隊長、君の働きに期待しているよ」
「……、了解致しました。お力添え、感謝致します」
いつもの厳粛な顔へと戻った火埜蔵は再度敬礼し、参謀の男が部屋を出て行くまで敬礼を解くことはなかった。




