プロローグ1 検閲官
楼刻暦1667年
インジェニー=円環パルログ
萠芽の円環節 57日目
けたたましい轟音を響かせ、巨大な掘削機が歯車で出来た大地を穿っていた。
金属と金属とが擦れ合う、耳障りな音。
その不協和音を物ともせず、作業を見守る金髪の男。瞳は翡翠のように淡い碧色で出来ている。
ハモニカ人。
歯車が折り重なって出来た円環世界、ルチア・アクシスにおいて最も支配者の頂きに近い種族。それが彼らハモニカ人だった。
裕福層であることを惜しみなく主張するかのように高級品であろうスーツと装飾品に飾られた彼のもとへ、ヘルメットを被ったこれまた一際小さな男が近付いた。ヘルメット姿の男はハモニカ人の男の身長から見てその半分ほどしかなく、掘削現場に降り積もる雪のように白い髭で口許は完全に隠されていた。
ヘルメット男の特徴は鉄工人のそれと一致していた。
「どうかね、奏銀の調子は」
「へっ、へへへ」
金髪のハモニカ人が壮言に問うと、鉄工人の男は汚らしく笑った。
「正に笑いが止まらねぇってのはこの事だ。こりゃあスゲェなんてもんじゃねぇ」
「インジェニーでは奏銀は枯渇したものだと考えられていた。しかし、まさかまだこんなところに眠っていたとはな」
二人は互いに視線を送り合って、含み笑う。掘れば掘るだけ懐が潤う、金の鉱脈を所有する彼らにとって、掘り出され続ける奏銀はまさに巨万の財産を築く神の物質だった。
「しかし旦那、宜しいんで? その……『協会』が」
「かまわん」
鉄工人の男が恐る恐るその名を口にするが、ハモニカ人はいとも容易くそれを一蹴した。
「私はハモニカ人だ。それも純血のな。たとえ相手が奏銀の管轄を行っているコンコルディア協会と云えども、易々と私には手が出せんよ。知り合いには円環奏府の議員もいるしな」
ハモニカ人の男はそう云って、自身の顎を撫でた。既に頭の中では財産の換算が行われていることだろう。
対して鉄工人の男は、どこか不気味な、漠然とした不安を感じずにはいられなかった。古来より職人としても、商人としても優れていた鉄工人種の勘が、上手過ぎる話の裏に存在する大いなる危険を警告していた。
「……訊いた話じゃあ、確か『検閲官』が派遣されたって……」
「ああ、やってきたぞ。つい先日な。丁重に御帰り頂いたが」
口角を歪ませ、ハモニカ人の男は得意げに言い放つ。奏銀の違法採掘を行う彼のもとに来た協会からの使者は、まんまと彼の口車に乗せられて調査を打ち切ってしまったらしい。
それを訊いてようやく鉄工人の男もほっと胸を撫で下ろした。
ハモニカ人の男はそれでも当時の自慢話を続けている。うんざりと云った様子で、鉄工人の男はヘルメットを深く被り直した。
「あの無粋な協会の犬どもめ。ひとりは純血のハモニカ人だったが、もうひとりはお前のように小さく卑しい鉄工人の女だった。赤黒いローブを身に纏っておったせいでその顔までは窺えなかったが、おそらく検閲官にくっついて回ることしか出来ない回収員の下っ端に違いあるまい。まったく、本国はなんだってあんな品位の欠片もない奴を協会に……」
ハモニカ人の男による熱弁は留まることを知らなかった。
毎度の事ながら聴くに堪えないその言葉を、鉄工人の男は口を挟むことも出来ずに黙って訊き流すようにしている。刃向かえば、余計に面倒な話をされるに決まっているのだから。
(しっかしまあ、未だにこんな古臭い考え方をしているハモニカ人もいるもんなんだなぁ……ああ、今夜の晩飯はビーフシチューにでも……ん?)
深々と……否、轟々と駆動音の響く中降り積もる雪の奥に、人影が見えたのを鉄工人の男は気が付いた。
「だいたい我らが結晶星都ジオ・ハモニカの歴史はだな、かつて方舟教団を発足した偉大なる祖……」
「旦那、旦那! そんなことはともかく、誰か来やすぜ!」
「そんなこととはなんだっ! 本当に愚か者だな、鉄工人と云う種族は! そもそも貴様らは……んん?」
そこまで来てようやく、ハモニカ人の男も突然の来訪者に気が付いた。
赤黒いローブに身を包んだ、小さな子供のような姿。
ただならぬ雰囲気を醸し出す謎の人物に、鉄工人の男はハモニカ人の後ろにささっと隠れる。
それでもハモニカ人の男は悠々たる態度で赤黒いローブの者を見下ろした。
「おやおや、これはこれは……コンコルディア協会の……えーと、名前はなんでしたかな。失礼、私は人の名前を覚えるのが苦手でねぇ」
「ここは、奏銀を掘っているのか」
ローブの奥から聴こえたのは凛とした、透き通るように澄んだ声だった。
「お、おんな……?」
鉄工人の男が呟く。その声でハモニカ人の男はローブの女の正体に察しがついた。
「そうですねぇ。まあそう云った物も、稀に出てくるでしょ――」
「インジェニー=円環パルログでの無許可奏銀発掘は禁止されているのは知っているな」
ハモニカ人の男の声に被せるように、ローブの女は機械音声案内のようなマニュアル然とした口調で言い放つ。プライドの高いハモニカ人の男にとってはこれ以上にない侮辱に違いなかった。
しかし男は堪えて、余裕を装いながら笑い、ゆっくりと口を開く。
「……ははは、これは手厳しいですな。しかしこれもまたひとつの縁、ここは穏便に。協会への謝礼は奮発しますぞ」
「いや、いらないよ」
女はローブの下から手を伸ばす。その手に握られた銀色に輝く物体――『銃』と呼ばれる武器を男に突き付けて、単調に、拒否した。
「……なんの真似ですかな?」
「協会はお前の排除を決定した。……残念だったな、お金持ちになる夢は来世に持ち越しだ」
「冗談もほどほどにして頂きたい」
男はカッカッと笑う。鉄工人の男は怯えながらその場に縮こまることしか出来なかった。
銃を向けられても尚、ハモニカ人の男は顔色ひとつ変えずに協会の使者を見下している。
「お嬢さん。私はね、純血のハモニカ人なんですよ。分かりますかな? お嬢さんは見たところ、鉄工人のようだ。まさか純血のハモニカ人の少女ってワケじゃあないでしょう? だったら、そんな下等な種族に私が殺されるわけがないんですよ。本国に連絡を取ります。円環奏府に居る知り合いに頼んで裁判を行って貰いましょう。そこですべて決着がつくはずですよ」
口舌滑らかに、男は仰々しく演説した。いつもどおり、この台詞で世界は容易く動き続けてきたのだから。
だから。
だから、今回も。
「協会は、お前の排除を決定した」
――だ、から。
男の顔が笑ったまま凍りついた。
ローブの奥から続けざまに声が飛んでくる。
「協会は、お前の排除を決定した。……『分かりますかな?』」
その挑発に、ハモニカ人の男の怒りは爆発した。
「こ、この鉄工人のメスガキ風情がっ! わ、私はハモニカ人だぞ! 純血、純血のっ、純、血っっっ!! それを、それをそれをそれをぉぉぉぉ、貴様のような協会の犬如きがぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
「おっと」
惨めったらしく暴れ出すハモニカ人の男。振り回したその腕から逃げるべくローブの女は身体を一歩後ろへ後退させる。
その動きで、彼女の顔を覆っていた赤黒いローブが外れた。
肩まで伸びた金髪。紅の燈った瞳。そして、頭から生えたふたつの耳。
急激な温度差で、女は狼のようなその耳をぴくぴくと揺らす。
「金髪……ハモニカ人だと? ……いや、そんなはずは……それに、紅い目と、獣の耳……獣鬼種……? ま、まさか……貴様は」
数多の種族の特徴を持つ、少女の姿。
異様なその容姿を見て、ハモニカ人の男は慄いた。
「人類種と鬼人種の混血、人鬼種……いや、二種族間以上の混血……渾沌種かっ!?」
「そんなこと、今はどうでもいいだろう」
長ったらしい男の解説に渾沌種の少女は既にだらけきった態度で文句を垂れた。
潰した虫を眺めるような目付きで、再度男に銃を向ける。唇からは白い吐息が漏れていた。
「寒いのは苦手なんだ。もう終わらせるけど、問題無いな」
「や、やめろ……私は、私は」
抵抗する体力も無くした男は一歩、また一歩後退る。
そのリズムに合わせて、少女もまた一歩ずつ歩み寄る。
「言い残したことはあるか、伝えたい相手がいれば伝えてやる」
「いやだ、私はまだ死にたくない。死にたくない!!」
「お決まりだな、まあ『らしい』っちゃらしいか。……ん?」
ただひたすら呪文のように喚く男の後方を見ると、柵がすっぽりと抜け落ちた崖と化している。
男はその口を広げた断頭台とも云うべき崖の方へ、じりじりと近付いていく。
「おい、止まれっ」
「嫌だ、私は、私は――」
「旦那っ! あぶねぇ!!」
少女の声も鉄工人の男の声も、男には届かない。そして。
「私は、わたし、はぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
足を踏み外した男は、ふたりの視界から消えた。
「旦那ぁぁぁぁぁ!!」
「くそがっ」
弾けたように少女は飛び出した。
崖の先、掘削機が大きな口を開き獲物を待つかのように駆動する音の中、少女の細い手はハモニカ人の男の腕をなんとか間一髪、繋ぎ止めていた。
男は気絶したように動かない。
鉄工人の男は腰を抜かしてその様子を呆然と見つめていた。
「……おい、こら糞ジジイ。これ、お前の友達だろう……手伝え」
「あ、はっ、はひ」
少女に睨まれ鉄工人の男も手を貸した。二人がかりでハモニカ人の男を引き上げる。
そうしてようやく男を土の上に転がすと、鉄工人の男は安堵したように溜息をついた。
傍らの少女はすでにローブの着崩れを直し、帰り支度を始めている。
「なあ……アンタ、旦那を始末しにきたんじゃ」
「……」
鉄工人の問い掛けに、少女は無言で返す。
ぼんやりとそれを見上げ、鉄工人の男はある噂を思い出した。
コンコルディア協会の、とある検閲官の噂を。
「黒緋の、乙女。……紅い瞳」
瞬間、少女の肩がぴくんと動いた。
「アンタが、あのレッド・リムなのか。黒緋の乙女と呼ばれた、あの伝説の――」
「黙れ、髭でリボン作って口許ラブリーに飾られたいのか」
吹きすさぶ雪すらも凍りつくような視線で、少女は鉄工人の男を睨んだ。
その気迫に完全に打ちのめされた鉄工人の男は、命令通り黙り込む。
「……後始末は協会がやってくれる。じいさんはあの喧しい掘削機を止めて、そこの馬鹿なハモニカ人とどっかで待ってろ。そのうち迎えが来るから、そしたらあとは裁判やって、晴れて執行猶予でいつもの暮らしに元通りだ。……じゃあな」
「お、お嬢……」
「…………」
「レッド・リム!」
「やめろっつってんだろ、わざとやってんのかハゲ!!」
少女はそれだけ云って、最後にハモニカ人の男の腹を踏んで立ち去って行った。
鉄工人の男は、その噂に違わぬ存在感に圧倒され、少女の後ろ姿が見えなくなっても暫く経つまで見つめ続けていたのだった。
インジェニー=円環パルログ
首都環都市 結晶星都ジオ・ハモニカ
ハモニカ人たちの住むインジェニー=円環パルログの首都、ジオ・ハモニカに奏銀と銃、その他太古の時代に失われてしまった旧世界の喪失技術を取り扱う機関、コンコルディア協会は在った。
奏銀の違法採掘現場の視察任務を終えた協会の検閲官、リム・リンガルム・クオンは、ここ、コンコルディア協会へと帰還を果たしていた。
広々とした廊下を歩きながら、リムよりも背の高いハモニカ人の女が彼女に耳打ちをした。
「リム様、お疲れ様です。検閲官のジェダ様より落ち着いたら連絡をするようにと言付かっております」
「分かった、すぐに行う」
ハモニカ人の女が離れるとすぐさまリムは自分の銃に唇を近付ける。
奏銀、別名ハーモニー・シルバーとも呼ばれる特殊な物質によってのみ製造される銃は、奏銀特有の感応・浸透周波数により自身をシグナルとした通信・通話現象を可能としている。ジェダのシグナルを見つけたリムは、彼との通信を開始した。
「私だ。違法奏銀発掘現場視察の件に関しては先に協会に提出した調査書の通りだが、他になにかあるのか?」
『なるほど、死傷者をひとりも出さずにこの成果か。キミは働き者だな、リム』
銃を介してジェダの声が響く。
『少し休暇を取ると良い。ヴァーポルム=円環パルログはどうだ、インジェニーと違って暖かい。ちと空気は悪いが、首都アイオルビスの景色は壮観だ。なにしろ黄昏の都市と呼ばれているくらいだからな』
「話の意図が見えないな」
勝手気ままに続くジェダの話を、リムはばっさりと両断する。
銃の向こう側から悪戯に小さく笑い声が聴こえたあと、声色そのままにジェダは続けた。
『今、ヴァーポルム=円環パルログの首都環都市アイオルビスでは、些か厄介な事件が起きている。それの調査を、リム。キミに頼みたい』
「嫌だ」
『なぜかな?』
「検閲官には自由行動決定権があるはずだが」
わざとらしく不機嫌を装ってみせる。如何に切れ者であるジェダと云えど、コンコルディア協会の取り決めた検閲官のルールにまでは介入して来ようとはしないはずだ。リムはそう考えていた。
だが、事態はジェダの望む方に、そしてまたリム自身も望む形で、進んでいく。
要するにジェダはリムよりも一枚か二枚ほど、上手だった。
『ネーヴェ街の亡霊事件』
その言葉にリムの足は止まった。
姿の見えないジェダがしたり顔でにやついてるのが分かるほど、リムは舌打ちをしたくなる衝動を抑え彼の話を聞き続ける。
『12年前のことだ、ジオ・ハモニカのネーヴェ地区で起きた連続食人事件。6人にも及ぶ被害者を出した犯人の名は当時9歳だった渾沌種の少女……リム・リンガルム』
「…………」
『――と云うのは円環奏府の発表した表沙汰の事情だ。その亡霊が、近頃アイオルビスにて活動を再開したと云う報告を受けている。リム、確かキミにとってこの亡霊は祖父母の仇だったね』
ジェダの説明にリムは否定も肯定もしない。しかしジェダにしてみればそれは、彼女にとってこれ以上にない確かなイエスを示す行動だった。
もうひとつ、彼はリムの受け持つ本来の仕事も提示する。
『協会の裏切り者であるパテル・リンガルム・ペルソナの抹殺依頼。そう、鉄工人であるキミの父だ。彼の行方も最後に確認されたのがアイオルビスとなっている。……どうだ、いい機会だと思わないか』
「そうだな」
リムは一言だけ伝えて、任務了解の意を示した。
ジェダは優しく微笑みかけるような口調で云う。
『ありがとう、リム・リンガルム・クオン。期待しているよ』
「問題ない、私は協会の犬だからな」
そう皮肉って、リムは通信を切ろうとした。
『あ、そうだ。ついでにと云ってはなんだが』
ジェダが思い出したように云った。
『リムも良く知っているだろう、ホワイトブラック家のご令嬢』
「ああ」
ジオ・ハモニカの名門、ホワイトブラック家。その一人娘であるスノウ・ホワイトブラック。2年前の誘拐事件を担当し、見事解決したのが他ならぬリム・リンガルム・クオンである。
『彼女、どうやら半年ほど前に家出をしたそうでね。今まで何度か調査員を派遣したんだが、結局見つかることはなかったんだ。インジェニー=円環パルログを超えてヴァーポルム=円環パルログに向かったことまでは掴めているらしいのだけれど』
「はぁ」
リムは思わず額を抱えた。ホワイトブラック家の一人娘と云えば奇想天外レベルでのじゃじゃ馬娘として名を馳せている。事実、誘拐事件の後に彼女の護衛を丸1年間勤めていたリムはそれを嫌と云うほど味わってきた。ようやく任を解かれて解放されたと思いきや、ここに来て再び厄介事を運んで来るとは誰が想像出来たであろうか。
「アイオルビスに常駐している協会の回収員は何をやっているんだ」
あまり人の事情につっこみたくないタイプのリムであっても、これほどまで問題を山積みにしている担当員は相当な無能であることに憤りを覚えるのは仕方のないことだった。
『あそこの常駐回収員は、少し特殊でね。遅かれ早かれ出逢うことになるだろうが、仲良くしてやってくれ』
他人事のようにジェダは笑う。
勘弁してくれ、とリムは思った。
『そう落胆せずに、ホワイトブラック家のご令嬢に関してはついでで構わないさ。一応、協会の出資者のひとりでもあるから、その体裁もある。検閲官を向かわせたと云えば、先方も口は挟むまい。それに……』
止めを刺す一言を、わざとらしく一呼吸置いてジェダは放つ。
『友達なんだろう、キミとスノウ・ホワイトブラック嬢は』
「冗談じゃない」
即答だった。
文句を言い返してやろうと思った矢先、協会の広い廊下に爆音が響いた。
振り向くとリム目掛けて高速で移動してくる蒸気を噴き出す鉄の塊……蒸気バイクに乗った茶色い毛むくじゃらが突撃してくる。
蒸気バイクはすんでのところで華麗にドリフトし、豪快な煙を巻き上げ停止した。
銃の向こう側からジェダの声が聴こえてくる。
『そうそう、アイオルビスまでの移動は運送会社三毛猫アマゾンの凄腕ドライバーを派遣しておいた。普通は蒸気バイクで30日かかる道程も彼なら10日で済んでしまうそうだ。予定ではもうすぐ到着するはずだけど……』
リムは呆れて文句も云えなかった。
建物の中までお構いなしに、しかもノーヘルで改造まで施した痕跡のあるバイクに跨った獣鬼種の運転手は、無愛想にリムを見て――
「……まいど、三毛猫アマゾンのご利用あざっす」
茶色い縞々模様の猫獣人である凄腕ドライバーは、マニュアル通りの台詞で以ってちいさく口を開くと、以降はそれきり黙り込んで沈黙を決め込んだのだった。