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夫婦巫 一

 昔から龍の写身うつしみだと信じられていた島があった。その島の国々には、太古に北と南で二つに別れていた島であったが結びの神によってその狭間が埋められ一つになった、と云う言い伝えがある。その出来上がった姿がまさに龍であり、ちょうど背の辺りにコシと云う大国があった。

 そのコシでは今、梅と桃の花が咲き終わりすっかり清められた後、いよいよ華やかな桜の季節が訪れた。

 この国の要である一宮神社があるイミズのミヤコ(都)にも桜の花が咲き始め、あたり一面は薄いなでしこ色の世界へと変わってきた頃。

 そこのミコトモチ(宰)であるカムヌシ(神主)のキビトの屋敷に二人の女が訪れた。旅装束の二人は笠を被っているので顔は見えないが、その所作から中年とかなり若い女のようだ。

 中年の方が門番の神人じにんに何かを話しかけると、疑われることもなくするりと門を通された。そのまま慣れた様子で戸口へと向かって行った。若い方は反対に動きがぎこちなく、慌ててその後を追いかけて行くのである。

 中年の方がごめんくださいと言って中へ入ると、笠を取りながら取次ぎを探して見回した。

 若い方も笠を取ったが、こちらは頬被りをしているのでまだ顔が窺えない。

 すぐに奥からはい、ただ今と応じながら下女が現われた。客の顔を見るなり、すぐに懐かしい表情に変わった。

「これはこれはテコナ様、お久しぶりでございます」かつて見知った顔だ。実は、テコナは九年前までここに住んでいたのである。

「イソラは居ますか?」と言って、テコナが取次ぎを頼んだ。

「はい、ただ今。呼んで参ります」と下女がすぐに奥へと戻っていった。

 待っているうちにテコナ達が旅装束を解いていると、キビトの妻イソラがすぐさまやって来た。

「義姉上、突然ですこと。五年ぶりですかねえ」懐かしそうに笑顔で出迎えた。

「お久しぶりでございます。前触れもなくお邪魔してごめんなさいね」

「いいえ、そんな事にはお構いなく」とは言いながらも……

 突然の訪問に心当たりがある様子だ。下女から若い女の連れがいる事を聞いている筈である。 

「イソラはぜんぜん変わってませんね。今日は、この子のことで少しお話に参りました」と言って、テコナがさり気なく隣の若い女を示した。

 イソラはこの時確信した。-この子-と言った時の優しい響きは到底、供回りとは思えない。やはりそうか、とうとうその時が来たのか、と。

「義姉上もお変わりなく」と隣を窺うと「もしかしたら、この子が噂のククリですか?」と訊いた。

 若い女は初めて訪れた屋敷で緊張していた。これほど大きな屋敷は産まれて初めて見たのだろう。そして、初めて口を開いた。

「はじめまして。ククリです」と頬被りを外しながら深く頭を下げた。

 そして、頭をもたげた処でイソラと目が会った。

 テコナもイソラもククリも巫女である。いや、テコナとイソラは、今は禰宜ねぎだ。

 イソラは一目でククリの只ならぬ気配を感じた。そのまま食い入るように見つめ続ける。

  -その左目の金色の瞳を-

 吸い込まれるような、全てを見透かされているような、恐れ……を感じる。

 そして、嫉妬してしまう程の巫女の憑神の強さ……を感じる。

 しかし、噂とはこの瞳のことだけではなかった。噂と云っても世に広まっている訳ではなく、キビト、イソラ、テコナの身内だけでの話である。逆に秘めていた程であった。

 それは、顔の左半分に広がる痘痕あばたである。テコナは瘡の病の跡と言っていたか。せっかくの美貌が台無しである。その上、額には×の入墨が入っている。この筋違紋は憑神の魔除けであろう。しかし良く見ると右上が小さな矢印になっていた。はて、これは何の神の印であったろうか? そんな事を色々と思案していると――

「キビト殿は、今いらっしゃいますか?」とテコナの声で我に帰った。

「はっ! こんな所でとんだご無礼を、すぐにご案内到します」そう言って、玄関の土間から二人を上がらせると奥へと連れ立った。


 キビトはククリの痘痕顔を見て仰天した。

 これはひどいと思わず口が滑りそうになった。噂で聞くと見るとでは大違いだった。動揺を悟られまいとあわてて本題に移した。

「義姉上、突然どうした事ですか」声が裏返っていた。

 女はこう云うことに敏感である。当然、気づいていたであろう。しかし、テコナもイソラも気づかぬ素振りをしていた。

「突然お邪魔して申し訳ありません。キビト殿はお変わりありませんか?」

 その、-お変わりありませんか-で、キビトも覚った。とうとうその時が来たか! 思わず背けた顔を、再びククリに向けた。

「ええ、相変わらずです」と言った声はまだ裏返っている。

 その様子を伺っていたイソラがある事に気づいた。大抵の女よりは勘が鋭い。キビトの反応から痘痕の意味を察してしまった。キビトと云うか男の反応である。

 テコナがそんな事には意にも介さず、用件を切りだした。

「本日はお日柄も良く、今日はスクナにこの子を娶せようと参りました。かねてからの決め事を果たす時と存じます」

 スクナとは、今年十八才になるテコナの実の息子である。故あって、叔父キビトと叔母イソラに預けられていたのであった。実の父はキビトの兄である。

「しかし、スクナが何と言うか……」キビトはまだ、想像以上の痘痕を気に掛けていた。

「それなら大丈夫です」と何故かテコナは言い切った。スクナが断る訳がないと。

 ここでも意に介さず、強気に進める。

夫婦めおととなった暁には、それも決め事通りにスクナを後継ぎにお迎えください」

 その決め事と云うのは、五年前のスクナ元服にテコナが訪れた折、まだ子のないキビトに養子縁組を持ち掛けたのである。コシのクニノミコトモチ(国宰)に後継ぎがいないのでは政に困るであろうと。その際の条件がククリを嫁とすることであった。

 そして、テコナはキビトにまだ子がない事を確かめて、本日ここに参上したと云う訳である。

 イソラは確か二十六才だったか。そろそろ諦めている頃だろう……そう考えていたテコナに、ふと思い当たる節があった。ある疑念が浮かんできたのだ。これは是非にも確認しておかなければならない。

 突然険しい表情になって、イソラの方を向いた。

「他の女子にも子はいませんね」念を押すようにイソラに言った。

「おりません!」と即答し、その表情も険しくなった。

「それでは、決まりですね」

 険しい顔のテコナとイソラが、同時にキビトへ詰め寄った。

 キビトは……

「ククリの方に否はないか?」と話の矛先を反らした。

 ククリは初めからずっと顔を伏せたままであった。

 代わりにテコナが答える。

「七才の頃からそのように育ててきましたから」

 ククリは今年十六才、九年前突然テコナの元に現われた巫女である。

 そして、テコナがその事情を語り始めた――

「私が郷に戻ったちょうどその時、この子が突然現われたのです。その様子から、天神帰りの迷い巫女だとすぐに判りました。だから当時七才の筈です。話を聞くと、自分が何故そこに居るのか判らないと言うのです。名前から何もかも憶えていないと。仕方なく、私がククリと名付けました。その時から……初めてその金色の瞳に見つめられた時から、この子をスクナに嫁がせようと思ったのです。いえ、金色の瞳が命じたのです、息子に嫁がせろと……」

 すると、ククリがやっと口を開いた。

「それが私くしの願いでございます」しおらしく囁いた。

 その時、ばたばたと廊下を走る足音が響いた。と、気づくが早いか引き戸がぱんと開かれた。

「母上!!!」話題のスクナが来た。

「こらっ! 客人まろうどの前だぞ!」キビトが怒鳴る。 

「スクナは相変わらず子供ですね」テコナが満面の笑顔で応えた。

「いいえ、子供のような大人です」と言うが早いかスクナはもう座に着いていた。

「元気でいるようですね」五年ぶりの息子の顔を見て感慨深いようだ。じっと見つめている。

 その時、テコナはつと昔の事を思い出してしまった――

 この子は生まれつき動作が機敏だった事。七才の時、夫が行方不明になり、その二年後にこの子を残し実家へ戻った事。十三才の元服に立ち会った時は、体ばかり大きくなって、中身は九才のままだった事。……そして、今もまるで九才児のような振る舞いをする。

 そんな母を、スクナは九才児の顔で見つめていた。

「甘えているんですよ!」突然、イソラが二人の間に割って入った。

「私の前ではそんな素振りは全くしませんから!」テコナの心配に答える気持ちが半分、嫉妬が半分、そんな言い方だった。

「それより、ククリが来てますよ、スクナ。初めてでしょう?」

 嬉しい響きが漂う。イソラは既に二人の結婚に大乗り気になっていた。キビトが何と言おうが、当のスクナが嫌と言おうが、絶対まとめてやろうと云う腹づもりになっていた。これほどの巫女はまず見当たらない。西の大巫女に匹敵しよう……そう思っているのだ。

 しかし、キビトだけが一人浮かない顔だ。ククリの痘痕が今だに気に入らないのだ。

 そして、スクナはと云うと……

 ククリの顔をじっと見つめている。――この顔も九才児だ。

 ククリもじっと見返している。――その顔は七才児か。

 今、この二人には……この部屋には二人だけしかいない。

 時が止まって、子供が二人。

 二人が出会うこの刻は……既に運命られていた。

 ククリが七才の時から……

 スクナが九才の時から……

 運命の女神が金の瞳から飛び出す。

 やっとこの刻が来ましたね。

 女神が二人を取り巻く。

 渦潮のように。

 …………

「夫婦になります!」スクナが言挙げる。

 すると……

 ククリの顔に変化が起きた。

 すうっと額の入墨が消えていった。

 

 その日の夜の事である。まだ宵の口であった。

 宙には十五夜の明るい月が掛かっている。

 ククリがスクナを探しに庭までやって来た。

 とうとう庭の真ん中にある池でスクナを見つけた。

 池にはもう一つ歪な月が落ちている。

 そのせいか池の周りがなお明るく見える。

 スクナがそのほとりで、一本の月草を見ていた。

 そわそわとククリが近づいて行った。

 その月草の葉には、一雫の露が垂れて、月光に煌いていた。

 スクナがそれに触れようとそっと手を伸ばした。

「それに触らないで!」ククリが突然、叫んだ。

 スクナが声へ振り向いた。訝し気な表情だ。

「月草は心変わりの草。その青い花は染料にしても、すぐ水に溶けてしまうから。さっき言挙げたばかりなのに! 不吉です!」

 スクナが戸惑っている。そんな話は聞いた事もないと。

「ククリは物事を良く知っているんだね」

「……テコナ様に教わりました」

「母上の事も、俺より知っているんだろう?」

「…………」

 話題を反らそうとククリが何か言おうとした……その時!

 頭の中に憑神が語りかけてきた。

(ククリ! スクナに抱きついて!)

(えっ!)

(お願い! 早く!)

 突然、ククリがスクナの胸に飛び込んだ。

 二人は今、ぴったりと貼り付いている。

(……ハヤイ……ハヤイ……返事をして……ヤスよ……)

 はっきりではないがスクナにも聞こえた。

「なんだ! 今のは……」スクナがククリに訊いた。

「私の憑神様です」と答えながら、はっと我に返り、スクナを突き放した。

「ハヤイとは? ヤスとは?」

「ヤス様が私の憑神で、ハヤイ様がスクナの憑神です」

「憑神がそうやって話し掛けてくるんだね?」

「そうです」

「俺は一度も聞いた事がないぞ!」

 ククリには答える術がなかった。

 ククリが黙っていると、業を煮やしたスクナが、今度はククリの手を取って引き寄せた。

(ヤスさん! ハヤイとはなんですか?)

(ハヤイは生まれ憑きのあなたの憑神です)

 スクナにも語り掛けてくれた。今度ははっきりと聞こえる。

(……では、ヤス様のように、なぜ話し掛けてこないのですか?)

(それは眠っているからです。あなたが生まれてからずっと……)

(なぜですか?)

(それは私にも判りません)

(それでは、どうしたら目覚めるのですか?)

(それも私には判りません。ただ、ハヤイは私の夫です。私が話し掛ければ……もしかしたらと思ったのですが……)

(…………)

(ハヤイがいる事を、信じられないかもしれませんが、あなたの素早い動きはハヤイの力。人の力など高が知れています。人離れした力は全て憑神の力なのです)

 その後、ヤスはククリとの出会いからスクナへの出会いまでを延々と語っていった……

 そして、最後に言った。

(これからは、あなたがククリを守ってあげて下さい。夫婦になると言挙げたのです。額の印はもう消えたでしょうから……)

 傍から見たら、男女が睦み会っているようにしか見えなかったであろう。

 いや、今は本当に睦み会っているのかもしれない。

 瑠璃色に染まった蝶がどこからか現われた。

 スクナとククリの回りを舞っている。

 しかし、二人はそれに全く気づいていない。

 蝶がひらひらと月草へと近づいて行った。

 そして、その一雫を吸い取った。

 二人の不吉が拭いさられた。

 羽が月光に一段と煌いていた。

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