おわり
(スクナ! 俺の父に会いに行くぞ)
(ククリ! 私の父に会いに行きましょう)
二宮にも天神神社があった。
辺りには一面の雪が積もっている。
赤い鳥居に近づくと、鬱蒼と茂った木々が勝手に開いた。
階段を登り辿り着いた丘は、雪一つなく青天だった。
奥の社に着くと、霊代となって現身から抜けた。
着いた所も同じだった。すぐに大木に吸い寄せられた。
霞があると思ったが……今回は違っていた。
目の前には、初めから巨足が座していた。そして、回りには誰もいない。
「面を上げよ」威厳のある声が申す。
恐る恐る顔を上げる……これも違っていた。
天神の顔を拝んだ。威厳のある声に相応しい顔だった。
長い髭を蓄えている。眉毛が太く反り上がっている。目、鼻、口、耳が全て大きく、威圧感を感じる。
「よくぞ成し遂げた! 後の方はスネとヤスに助けられたようだな」優しい目に変わって、親しみを感じさせた。
「ついでに、巫女漁りの黒猫の後始末もしてくれ」
「何を為せばよろしいのですか?」スクナが代表して訊いた。
「トミヤスヒメ! 出よ!」
ククリの中からヤスが抜け出た。その姿は青い龍だった。
しかし、すぐに姿が変わった。女神の姿だ。
ククリに劣らぬ美しい女神だ。しかも、ククリより優しそうだ。
「ヤス! オキツカガミ(奥都鏡)の法を教えてやれ」
「はい。ククリに教えます」ヤスがククリを向いて言った。
今、ククリの左目は金色ではなくなっている。
ククリがヤスを見て頷いた。自分の憑神だが、姿を見たのは始めてだ。その麗しさは女からでも惚れ惚れとする。本当の姿が青い龍であった事も……
この時、ククリには解かった。私では駄目ですと言ったヤス様の言葉の意味が。ヤス様の御先はミヅチだろう。カラムと重なっているから……
「次は、ナガスネヒコ! 参れ!」
何処からかスネが飛んできた。まだ、社の前で鬼面の中に居たのだ。
スネは鬼のオンの姿だった。
「父上! お久しぶりでございます。どうか、お怒りをお鎮めください」オンはひれ伏した。
「わしはもう怒ってはいないが……シュクザの件が片付くまでは、元には戻さぬ!」
「それはヤスに聞きました。しかし、この鬼の姿だけでも……」
「それではこうしよう。これからスクナにシュクザの件を話す。それを聞いても、スクナがよいと言えば赦す」
オンがスクナに訴えるような目を向けた。
「それでは、スクナ。おまえの父シュクザの……話を聞かせよう」
「はい。ぜひお願いします」
巨足の神が顛末を語り始めた――
「全ては、ハヤイが現れた時に始まったのだ。
ある時、わしの元に高天から高位の神が降ってきた。その神の姿は、それはそれは惚れ惚れとする美しい男神だった。それがハヤイだ。
わしらも天神ではあるのだが、一番の下っ端だ。もっと上の神は、人の世に姿など見せぬし、男神も女神もない独神だ。
わしは真っ先に娘のヤスを嫁にやった。そして、婿となったハヤイにこの日の本を託した。
実は、その前から、わしと競い合う別の天神が現れていたのだ。だから、これからは神同士の争いが起こるかもしれぬ。
しかし! それが気に入らぬ奴がいた……わしの息子達だ。
達と言うのは、スネの上にはもう一柱、アビと言う兄がいる。この二柱がハヤイの邪魔を企んだのだ。
天神と言えども聖なる心だけとは限らない。邪な心もある。いや、神だからこそ、それも大きいのだ。
そう云う経緯があってな……ここからが忌まわしい話の始まりだ。
ハヤイはまず、この日の本で一番の勢力を誇るコシに目を付けた。その時の国宰がシュクザだった。まだ若く子がなかったので、その子として産まれ、力をふるう手立てを考えた。
それが……スクナビコナ! おまえだ!
しかしだ……知っての通り、眠ったままだ。
ハヤイの動きは凄まじく速かった。全く付け入る隙も無いように見えたが、その時に唯一の隙ができた。ハヤイがお腹の赤子に憑いてから、産まれるまでの一瞬を狙って、呪いをかけたのだ。邪神シムゲの力を借りて、アビが何かをやらかしたらしい。そのらしいと言うのは……わしでも判らぬからだ」
「それは、もう呪いは解けないと云う事ですか?」スクナがたまらず訊いた。
「そうかもしれぬ。が、そうでないかもしれぬ」
「それなら試してください! その言霊の力を!」心の中のハヤイの代弁かもしれない。
「そうか。それでそなたの気が済むのであれば試してみよう!」巨足が聞こし召す。
「ニギハヤヒ! 目覚めよ!」
スクナの霊代に言霊が響く。胸のハヤイが少し熱く感じた。
しかし……何も起こらなかった。
「やはり、このハバキの言霊をもってしてでも、駄目なようだ……これで納得できただろう……それでは、話を続けるぞ」
ハバキの顛末が続いた――
「アビをわしに対する反逆とみなし。即刻、追放した。
そして、ハヤイの代わりに次の手立てを考えた。
急遽、シュクザをカタカムナギにする事にしたのだ。
その手伝いを命じたのが……オズナだ。
因みに、その御先のツナデは、シュクザの式となって手伝っておった。御先のくせにシュクザに惚れていたようだ。ついでだから言っておこう。ツナデは本気でおまえの式になるつもりだった。しかし、一度、式を結んだ者は、次に式を結んだ時に寿命が縮む。ツナデはそれを知っていながらも、おまえの力になろうとした。それを止めたのがオズナだ。先の集いでそう言っておった。
そのシュクザの邪魔をしたのが、スネだ。
スネは、シュクザの手下の女をさらいおって、散々シュクザの手を焼かせたのだ。その後ろで糸を引いていたのが、追放したアビだった。アビは逆恨みをしていた。挙句の果てに、前に邪神と手を組んだ事で縁ができたらしく、最悪の奴に魅入られていた。邪神ゲカツだ。
スネのした事は、アビにそそのかされたとは云え、赦せる事ではない。神にあるまじき事だ。そこでわしが、それに相応しい姿にしてやった。その後に、手下の女を取り戻しに来たシュクザに、こやつは面に封じられおった。
それから……アビの方だが。奴は黄泉送りにした。
ところが、その腹いせに、シュクザを道連れにしおったのだ。だから、シュクザは今、アビと一緒に黄泉の国に居る。もちろん、わしにはもう手が出せぬ。ツクバミの治める常世だからな。
そう云う事で……スクナ! おまえが願った二つは、両方共わしでも叶えられぬ!」
二つの願いとは、初めて会った時に、スクナが願った三つの内の二つの事だった。
スクナが訊いた。
「それでは、黄泉へ行く方法をお教えください」
「人の身で黄泉に行くと云うのか?」
「はい。話をお聞きして、父シュクザには何の落ち度もありません。これでは……父が理不尽です! ハバキ様はこのままで良いと云うのですか?」人の分際で天神に苦言を呈した。
突然、ハバキが巨足を踏み鳴らした。スクナとククリが飛ばされそうな勢いだったが、大きく響いただけだ。
「神に向かって理不尽とは、よくもぬかしたな! 生意気な奴だ。神にでもなったつもりか! 今すぐに送ってやってもいいのだぞ?」
怒りの形相でハバキが言ったが、少し抑えらている口調だった。
スクナが歯を食いしばって覚悟を示す。
隣のククリは……戸惑っている。止めたいけど止められない。……その姿をヤスが見守る。
ハバキの怒りの形相が演技を終えた。
「神を試すとは、なかなかいい根性をしているな。スクナがそこまでの覚悟を持っていると云うのであれば……何か手立てを考えよう」
スクナは思った。神でもできない事を人ならできる手立てとは?
「それで……スネを赦すか?」父親の顔だった。
自分からは方が付くまでと言った手前、口が裂けても赦すとは言えない。
「赦せません!!!」スクナが即答した。
ハバキの顔が、やはりそうだろうと微妙に翳った。……スネは始終、下を向いたままだ。
「されど! これからも私の手伝いをして頂くと云うのであれば、赦しましょう」
「応~! ナガスネヒコは、これからもスクナを支えていくぞ!」スネが顔を上げた。
「赦されたようだな。鬼の呪いを解いてやるとしよう」これも、父親の顔だ。
「ハバキの名に於いて命じる! ナガスネヒコ! 元の姿に戻れ!」
オンの鬼から黄の龍に姿が変わった。そこで一瞬止まった後、すぐに男の姿に変わった。
りりしい男神の姿だった。
「これが本当の俺の姿だ。よろしくな、スクナ」清々しい顔だ。
「これからも頼む」スクナが応えたが、けして晴れ晴れしくはない。
ハバキの右脇にスネが並んだ。左にはヤスが居る。
「それでは……最後の願いだ」
「ククリヒメ! そなたの記憶を覚ませてやろう。これは簡単だ。但し、その前にククリに一つ頼みがある」
「はい。何でございますか?」
「産まれを思い出しても、このままスクナと共にコシに居てくれ。そして……スクナの子を産んでくれ」
「はい。そのつもりです」
「その頼みには訳があるのだ。ハヤイがこのままであった場合、生まれ変わる必要があるのだ。龍を背負う麒麟児として。だから、その子を産んでくれ!」
「私達の子に生まれ変わると云う事ですね。解かりました。お約束致します」
「うむ。子と云えばもう一つ言っておかなければならない。キビトの事だ。キビトには悪いが、子ができぬように仕向けた。訳は解かると思うが、スクナを後継ぎにするためだ。シュクザがこんな事になってしまったのでな……」
「それでは……ククリに昔の名を教えよう」
「セオリツ○○○○○○……それが前の名だ!」
ククリに一陣の風が吹き抜け、その目が見開いた。セオリだった頃の記憶が溢れ出す。
母親がセオリと呼んでいる……
私の故郷は……ヒムカ……
おわり
ありがとうございました。