表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

青鬼

 ツクの国ヨアケムのタタラ場に着いた。時はカンナツキ。そこは山の中腹に作られた邑だった。タタラ場とは主に製鉄を行っている所で、その富に目を付けた山賊やら野党やらに狙われる為に、あらかたが回りを壁で囲っているのだ。幸いここに着くまで、烏をよく目にしたぐらいで特に危ない目にも遭わなかった。

 ここのタタラ場も、例に漏れず柵で囲まれていた。たった一つの入口も厳重な門で防備され、その上には矢場の櫓が見える。ここで射掛けられたら逃げ場はない。

 ソモンが屈強そうな門番に呼びかけた。

「私はトサのシシ党霊がマナセのソモンです。スグリ(邑主)のエンク殿にソモンが来たと取り次いでください」

「トサのソモンだな? 解った。そこで待っていろ!」

 門番が奥に消えると、しばらくして戻ってきた。

 それが……突然、弓を構えて言った。

「この嘘つきめが! ソモンはとうに死んでいるそうだぞ! さてはあの追い剥ぎの一味だな! 今すぐ消えないと、この矢を喰らわせるぞ!」

 ソモンが唸った。とっさにスクナが言った。

「ちょっとお待ちを! 我々は旅の神楽の一行です。この姿が追い剥ぎに見えますか?」

「確かに追い剥ぎには見えないが、そんな事はどうにでもできる!」 

「それなら証しがあります」ソモンが言った。

 背中の薬箱を降ろして日鏡を取り出した。

「これはエンク殿が父へ贈ったヨアケムの白銀です」

「それは何処から奪った物だ! おまえの物であると云う証しは?」

 これでは埒が明かなかった。このタタラ場の警戒は尋常ではない。何か非常の事態でも起こっているのか。

「それでは……これではどうですか? これはマナセのウガラ(族)の証し、マナセの壷です! これをエンク殿に見せてください!」ソモンが壷を腰から外し右手に掲げた。

 すると、門番の横からひょいと翁の顔が飛び出した。

「それは確かにマナセの壷だな!」脇から様子を探っていたようだ。

「エンク殿ですね?」マナセの壷を知っている者はそうはいない。

「そうじゃ。おまえは本当にソモンか?」

 ソモンとエンクには直接の面識がなかった。いつも父とだけ会っていたのだ。その上、後を継いでから一度も会う機会がなかった。

「正式にマナセの壷を受け継いだのはご存知ですよね? 私はあの大水で流されましたが、命は取り止めました。しかし、その時に何もかも忘れてしまって、思い出した時には既に死んだ事になっていました」

 その時、門が開いた。

 その先にはエンクが待ち構えていた。

「ソモン! 入ってきなさい!」

 ソモンと一行が受け入れられた。すぐに門が閉じられたが、やはり何かに怯えているようだ。

 エンクがソモンの顔をまじまじと見た。

「実はな……ソモン。その話は聞いていたよ。随分と辛い思いをしたようじゃな。おまえの父から、もしここに来るような事があったら、いつでも待っていると言伝をされたぞ」

「……父上が」ソモンの顔が歪んだ。

「母上もだよ! しかし、間近で見ると父親にそっくりだな」

 エンクが息子に対するように肩をぽんを叩いた。

「悪いが、語りかどうか試させてもらった。おまえの顔を知らないのでな。今、ここは追い剥ぎの一味に狙われているのだ!」

「そうだったのですか。どおりで警戒が厳しい筈です。今、私は巫のスクナ様の厄介になっています」

 スクナが前に出て一礼した。

「コシのキリン党霊のスクナです」

「妻のククリです」ククリも一礼した。

「よくぞ参った。シシ党霊のエンクじゃ。歓迎しよう」ククリの左目を見て微かに笑った。

 スクナ達は奥の屋敷に通された。

 ソモンはまず身の上に起こった出来事を語った。大水で流されてからこれまでの話だ。イスズの姿のカラムが震えていた。スクナから聞いていた一行の事も簡単に紹介した。

「それでは、もう故郷には戻らないつもりか?」エンクが訊いた。

「はい。そう心に決めました」

「そうか、決めてしまったのか……解かった。そのように言っていたと伝えよう……」

「それで、追い剥ぎとは何者ですか?」スクナが訊いた。

「うむ。今、ここを狙っている野党の一味がいてな、裏山に砦まで設けてじっと窺っているのじゃ。ここに出入りする隊商ばかりが襲われて、皆殺しの目に遭っている。裏山の道は完全に抑えられ、本気でここを奪う気でいるらしいのじゃ。奴らは青鬼党と言うらしいから頭は青鬼だろう。奴らの総勢は五百程と見ている。こちらは女子供を含めても、たかだか二百じゃ。到底まともには戦えない。仕方なく篭っているしかないと云う有様じゃ。助けの使いも今だ戻ってはこない……」

 その時、兵が一人、邑主に報じた。

「昨日発った使いが怪我をして戻ってきました」

 男が兵に抱えられ入ってきた。足に矢を立て引きずっている。

「すみません。見つかって一晩逃げ回るのが精一杯でした……」怪我の男が泣きながら報告した。

「そうか……傷の手当てをして休んでいろ」エンクが傷心している。

 その怪我した男をククリの左目がじっと追っていた。何故か表情が険しい。

 その男が見えなくなると……ククリがスクナを見た。

 スクナがすぐにククリの視線に気づいて、二人の目が会った。

 ククリが頷いた。

 スクナには頷いた意味が解からなかった。しかし、すぐに決断した。

「エンク殿! 青鬼党は私達にお任せください! 残らず退治して差し上げましょう」

「何と! それは真か? この人数でそんな事ができるのか?」心底驚いている。

「はい。その代わり、見返りをお願いしたいのですが? 聞いて頂けますか?」

「できる事ならばじゃ」

「それでは、二つあります。一つは、シシ党霊の御先のシシを一頭お貸しください。そして、もう一つは……ソモンのヒカガミと同じヨアケムの白銀で、ホキの皿を作ってください。ホキとは等しき三角の形をなす対の平皿です」

 それを聞いたエンクが……何故かにやりと笑った。

「付いて参れ!」突然、奥へ向かった。

 着いた所は奥の氏神の神社だった。入口は神人に厳重に守られていた。邑主の顔を見て、さっと道を開けた。

 鳥居を潜ると、両脇に対のシシ像があった。

 その奥に社があり、その前でエンクが止まった。

 そして、突然振り向いて言った。

「待っていたぞ! 夫婦巫!」また、にやりと笑った。

「実は、おまえ達が来る事は解かっていたのじゃ。もう氏神にすがるしか手がなくなってな、そこで神の言葉が託されたのじゃ。妻の左目が金色の夫婦巫が助けてくれるそうじゃ。その時、その巫が二つの見返りを求めてくる。一つがシシで、一つがヨアケムの皿じゃと。確かにその通りになった……であるからして……答えは応じゃ!」

「ありがとうございます! エンク殿!」

「その前に、一つ能書きを垂らせてくれ。ヨアケムの白銀は、遠い昔に我が祖が神から授かった、それはそれは貴い白銀じゃ。だからそれには限りがある。しかし、此度の事はここが滅びるかどうかの瀬戸際じゃ。そんな事は言っていられぬ。それ程、今は切羽詰っているのじゃ」

「解かりました。必ずや成し遂げて見せましょう」

「うむ。それでは、ホキの皿の方はできるまで少し時を頂こう。シシは今連れて参る」

 エンクが社へ振り返ると、祈りを捧げた。

 しばらくすると、右側のシシ像が光った。

 石像が細かく震えると……そこからすっーとシシが飛び出した。

 真っ白い狛犬だった。しかも少し小ぶりだ。

「子供ではないぞ。まだ若いのじゃ。しかし、シシの力は充分持っとるので心配は無用じゃ」

 シシがスクナへ近づいてきた。真っ白だと思っていたら、眉だけが黒い。まるで目が四つあるようだった。

「ヤクモと申します。命により力をお貸し致します」子供のような若い声だった。

「スクナだ。よろしく頼む、ヤクモ!」

 スクナが依代を探した。

 その時、ブトーが一歩前へ出た。そして、スクナを睨みつけた。

「だめだ、ブトー! その剣は血で汚れているだろう?」

 ブトーが一気に消沈した。

 スクナがふと社の壁に目がいった。何故か目につく所に一振りの剣が掛けてある。

「エンク殿。その剣も頂けぬか?」躊躇いもなく言った。

「おお! それも言われた通りじゃ。持っていけ!」意図して掛けておいたようだ。

 スクナが剣を取った。鞘の上から長さを目算している。剣の長さは八握やつかだった。

 つかみとは当時の身近の物の長さの単位で、一握が人の握った拳の大きさだ。

 柄を握って鞘を払った。出てきた剣が……呆気ない程、短かった。鞘の長さから想像していた身の長さと比べると四分一よわけのひとつしかない。しかし……それは、ヨアケムの白銀で作られていた。素晴らしく美しい輝きだ。

 スクナが剣を翳した。

「言挙げる! この剣の名はヤツカ」剣が光った。

 続いてヤクモに向けた。

「シシのヤクモを我が式とする! 依代はヤツカの剣!」

 ヤクモが光って、剣に吸い込まれた。

 短かった剣の身が、光と供に伸びてきた。丁度、鞘と同じ長さになった。

 光が消えると、その身は少し反り返った片刃の剣になった。

 まるでこの為に作られていたような塩梅だ。

 剣を鞘に収めた。

 綺麗に収まると鞘の全面から一斉に白い毛が生えた。ヤクモの毛並みだった。鞘が毛皮でできている様になった。

 スクナがブトーに近づいて……その剣を前に差し出した。

「約束の霊を絶つ剣だ! おまえが持っていろ!」

 ブトーが両手を伸ばして受け取った。

 手が震えていた。その震えが腕に伝わり、肩へと……全身でわなわなと震え出した。

「うおおおお~!」突然、大声で吼えた。そして大声で泣き出した。

 釣られてミヤキも泣き出した。

 ……その内にぴたりと泣き声が止んだ。

「これで……モノが倒せる……モノノフ(物武)に成れました……」ブトーが切れ切れに囁いた。

 全員が……ブトーを頼もしい雰囲気で包んだ。

「それではククリ。先程の件を詳しく話してくれ」スクナが懸念の説明を求めた。

 ククリが辺りを窺った。聞かれては拙い事らしい。

「それでは、エンク殿もこちらへ……」

 皆で小さな輪に纏まった。

「先程の怪我をして戻った使いの男ですが……あの男とは別の魂が一つ憑いていました。おそらく敵の中に傀儡がいて、操られているようです」

「そうか! そいつを上手く使えば策に嵌められるぞ」スクナが思わず言った。

「ソモン。おまえはそう云う事が得手そうだな。何か良い策を考えろ」

 示されたソモンの表情は、満更でもなさそうだ。

 ソモンがエンクに訊いた。

「敵が攻めて来る気配はないのですか?」

「今の処は囲っているだけじゃ。まさかこれ程の数で囲まれるとは予想もしていないのでな、備えは充分ではない。それを見越しているのじゃ。時はこちらに不利になっている。その上、秋の山の恵は全て奴らに奪われた」

「このタタラ場に他の入口は?」

「裏の川に面した所に一つあるが、そこは船でないと入れぬ。後もう一つあるが、金山に繋がる穴道が丁度、山の頂きの真下まで続いておる。その穴道は、まだ奴らに気づかれてはおるまい」

「その穴はどの位の広さでしょうか?」

「人が二人並んでも充分の幅じゃ。奴らの頭が鬼だとしたら、やっと通れる位かの~」

「スクナ様。その穴道を使いましょう。わざと教えて敵を誘う罠を仕掛けられます」

 スクナは黙っていた。

 ソモンが続けた。

「敵がその抜け道を知ったならば、まず、それを切り札にしようと考える筈です。その為には、正面口と裏口に守りを堅めさせ、その隙を突いて抜け道から攻め入る。こうなると思われます。しかし、根絶やしにするまでやるのであれば、もっと敵の事を調べなければなりません」

 スクナが口を開いた。

「そうだな。その考えには頷ける。ソモンはその男に怪我を治すと称して近づき、こっそり穴道の事を知らせろ! そしてショウキ! その後に大蛇の比礼で潜んでこい! 敵がどう云う策で攻めて来るか調べてくるのだ。それさえ判れば後は簡単だ。細かな策はその後で考えよう」

 そこで作戦会議が終了した。

 すぐにソモンが、予定通りに男の怪我の治療に向かった。ソモンは薬師なので、本当に治療をすれば全く怪しまれない。その時に、エンクの身内だと言って、こっそり穴道の存在を漏らした。男に全く疑う素振りはなかった。

 そして、その夜。ショウキが大蛇の比礼に包まれ、敵の砦に忍び込んだ。

 敵は既に、穴道の存在を知っていた。やはり、一味の中に傀儡がいるようだ。その証拠に砦から下に向かって穴を掘り始めたからだ。戻ってスクナに報告すると、スクナの方でも操られた男の動きを掴んでいた。その男が夜になって穴道へ忍び込んでいったのだ。多分、穴道の位置を傀儡に教えているのだろう。

 夜な夜な忍んでいくその男を泳がせ、敵が等々、道を掘り当て開通させた。十日目の事だった。

 その日、ショウキがまんまと敵の策を聞き出してきた。やっと作戦を決めたらしい。

 ショウキが報告した。

「敵の総勢は五百。四つに別けて進み、動くのは明日の夜。細かい件は次の通り。一つ目は、牛鬼が率いる二百。正面口を攻めます。その目的は守りをそこに集める事。二つ目は、水虎が率いる二百。川の裏口を攻めます。船がもう備えてありました。その目的も守りをそこに集める事。三つ目は、烏天狗が率いる五十。空から篝火を落とし、混乱させる事がその目的です。四つ目は、頭の青鬼自ら率いる五十。穴道を通り中へ突入する精鋭です。その時、中から扉を開けるのがあの男の役目です。唯、ククリ様の言っていた傀儡はいないようでした。以上です」

 スクナが少し考えて言った。

「ソモンの言う通り動いたな。思い通りに別れて攻めてきた。それでは……こちらの策も決まった」

 スクナが全員を見回す。

「正面口の牛鬼には……ブトーとショウキ! 二人で二百に当たれ! 二人が組めば簡単だろう」

 ブトーとショウキが頷いた。ブトーはヤツカ剣を佩いでから、モノノフになった。自信に満ちた顔つきだ。

「裏口の水虎には……」

 そこでスクナが河童面の鼻を三回擦って、クマリセが姿を現した。

「クマリセとアコヤで二百を倒せ!」

「えっ~! おらはそんな事できません!」アコヤが慄いた。

「クマリセがいれば大丈夫だ!」スクナが意に介さない。

 それにクマリセが応えた。

「船に乗っているうちに全てをひっくり返せば、造作もない事です」クマリセも頼もしい表情だ。

 そして、アコヤを向いて言った。

「アコヤは入口に近づく者の足を引っ張って、沈めるだけでよい。水虎はわしが倒す!」

 スクナが今度は天狗面の鼻を三回擦って、カツラギが姿を現した。

「空から来る烏天狗には……カツラギとアギバ! 一羽たりとも近づけるな!」

 カツラギがそんな事は造作もないと云う態度で頷いた。逆にアギバは緊張している。

「最後の穴道は……俺が行く!」

 この作戦は邑主のエンクにだけ伝えた。

 翌日……しかし、邑主が夜襲の備えを命じた兵は、当然何かを感じた。タタラ場の空気が変わった。傀儡に操られた男も、もちろんそれに気づいた。そして……頭の青鬼が新たな手を打った。念の為に百名の増員を命じたのだ。昼寝をしていたスクナ達には、その事に気づかなかった。


 そして夜になった。今宵は満月だ。

 通常、夜襲とは奇襲である。月夜にはまず行なわないのが普通だが、今夜は奇襲ではなかった。両側の門に注意を引き付ける作戦であるので、見つかる事を全く気にしないのであろう。

 真っ黒の烏天狗と対峙する二人の天狗にも、満月は都合が良かった。

 カツラギとアギバがミッパ(物見櫓)で見張りをしていた。アギバが何処から用意したのか、赤金の八角棒を携えて敵が動くのを待っていた。

「アギバ。わしが一気に焼き払うから、おまえはそこから逃れた奴を叩き伏せろ!」

 アギバが緊張の面持ちで頷いた。

 カツラギがそんなアギバの緊張を見て言った。

「真っ先にこちらに着くのが、空を飛ぶ烏天狗だろう。なに、カラスなどあっと言う間に方が付く。わしらが一番、楽な持ち場だぞ! いや、一番はスクナ様だな。スネ様の力を持ってすれば、野党などたった一人で退治してしまえる筈だ。スクナ様は我らを手駒にして楽しんでおられるのだ」

 その時、敵の砦の方角に動きがあった。何十羽もの黒い鳥影が動いた。森の少し上の低い所を飛んで来る。

 アギバが今にも飛び掛かろうと云う構えだ。

「アギバ、まだまだ! 焦るな!」カツラギが抑える。

 飛んでくる鳥影はあっという間に烏天狗と判るようになった。予想通り、五十羽はいる。全てが何かをぶら下げていた。篝火だろう、まだ火は点いていない。

「行くぞ、アギバ! 付いて参れ!」 

 カツラギが空へ羽ばたいた。その後をアギバが付いて行く。 

 烏天狗もこちらに気づいているだろう。しかし、任務遂行を優先する為に無視していた。

 その時、一斉に火が点いた。やはり篝火だった。それを投げ込むつもりだろう。

 カツラギは烏天狗の遥か上空で止まった。丁度、烏天狗から満月を背にする位置だった。

 カツラギが術を放つ構えを見せた。右手に二本の指を立てて、印を結んでいる。

 もうタタラ場まで間近と云う所で、烏天狗がカツラギの大きな影に入った。

 カツラギの右手が左から右に払うように動いた。

 敵の篝火の炎が突然大きくなって、烏天狗に燃え移った。全てが炎に包まれて燃え上がる。

 アギバがそちらに向かって急降下した。全て燃えたと思われたが、遠ざかる影が三羽あった。

 一羽、二羽と、アギバが叩き付けて倒した。が、逃げ羽の速い一羽を取り逃がした。もう、追い着ける距離ではない。アギバが焦りながら術を発した。右手をそれに向ける。最後の一羽が燃えた。アギバでも一羽ぐらいなら燃やせるのだ。

 カツラギが満月を背にして頷いた。そしてアギバに言った。

「よくやった。今から、おまえを一人前の天狗として扱おう」

 空の部隊は全滅した。

 丁度その頃、タタラ場の中から火の手が上がった。煙が立ち昇っている。これは、烏天狗に篝火を投げ込まれたからではなかった。中では今、焚き火が焚かれている。これはソモンの指示による、烏天狗の作戦が成功したと思わせる為の偽装だった。


 正面口では、ブトーとショウキがかなり前から門の外で待機していた。門から少し離れた、山へと続く道の脇で伏せている。ブトーはヤツカ剣を握って、ずっと黙ったままだ。そんなブトーにショウキが話しかける。

「今宵は思う存分暴れましょう! ブトー殿の柔らかい身のこなし、間合いを読ませない足裁き、踏み込みの速さ、一太刀で倒す力強さ、相手の虚を突く勘の鋭さ……どれを取ってもかなう者はいません。が、一つだけ弱みがあります。それは弓です。離れた所から弓に囲まれたら、さすがのブトー殿でも難しいでしょう。しかし今は……私が居ます! 弓衆は全て私が平らげますので、心配なさらないでください」

 いつもは寡黙なショウキが、今は饒舌だった。反対に饒舌なブトーが黙って頷いただけだ。

 その時、タタラ場の上空に火の手が上がった。いくつもの炎が浮かんで、落ちていった。そして、タタラ場から煙が立ち昇る。

 道の先の方で歓声が上がった。牛鬼の部隊が近づいていた。烏天狗の撹乱が成功したと思っているようだ。しかし、ブトーとショウキはそうは取らなかった。カツラギに抜かりはないだろう。

「ショウキは後ろから回り込んでくれ!」

 ショウキが頷いて、森に消えた。

 ブトーがヤクモ剣を構えた。ブトーはヤツカ剣をヤクモ剣と呼んでいた。

 敵の部隊が現れた。先頭は槍だ。まだ戦闘に向ける闘志は剥き出されていない。敵が打って出て来るとは夢にも思っていないのだろう。

 ブトーがヤクモの鞘を払った。鞘から白い毛並みが消える。

 長く伸びた剣の身は、白く光っていた。そして、恐ろしく軽い。身の部分が短いのだから当たり前の事だった。その分、ブトーの速さは倍増するだろう。

 ブトーの心に闘志がたぎる。それに応えてヤクモが伸びた。

 ブトーが槍の中に飛び込んだ。最初の一振りで四人を倒した。続いて二人、三人と……剣は敵の体を素通りしていった。ばたばたと声もあげずに倒れていく。その屍には血の一滴も流れていない。全員が霊を絶たれ即死していた。

 ブトーが敵の中を走り抜ける。すれ違う者が次々と倒れた。敵には白く長い光が、風と共に踊っているように見えたであろう。槍の柄で受けようとする者もいたが、ヤクモの剣先は何もないように突き抜けていく。反対に敵が突く槍をヤクモの剣先では受けられない。軽い身のこなしで避けていたが、その内、避けきれないとみると、左手に大剣を持ち盾代わりにした。左で受け、同時に右のヤクモを切りつける。これで先頭の槍隊の五十ばかりは全滅した。

 息をつく間もなく後続が来た。今度は五人が槍衾を組んで突撃してきた。

 ブトーは脇の森に駆け込んだ。追って来た敵を一人ずつ倒す。森での戦いに槍では不利とみた敵は、剣を取っていた。逃げ回りながら、虚を突いて倒した。ここでも三十ばかり倒しただろう。追ってはもういなくなった。

 一方、ショウキは蜂の比礼を着け、木の枝を伝って背後に回っていた。

 後方はやはり弓隊だった、二列になって綺麗に行軍している。

 ショウキが列の後ろから少し離れた所に降りると、すぐに大蛇の牙を取り出した。くの字に曲がった大蛇の牙を四本繋ぎ合わせて卍形にした武器だ。敵の列を見ながら、それの長さを調節している。

 ショウキが大蛇の牙を構えた。列の真ん中に狙いをつけて放つ。卍が横に回転しながら敵の首の高さを走り抜ける。左右の首から同時に血が噴き出した。後ろから順番にどんどん前へ向かう。

 同時に、ショウキがその後を追いかけて走り出した。握られた拳の指の間からは四本の蜂の針が飛び出している。両手で合わせて八本だ。運良く大蛇の牙を逃れた敵の首を、それで掻いでいく。

 ブトーは道に戻っていた。走って進むと、目の前にひと際大きい牛鬼が見えた。ブトーが牛鬼目がけて突き進んだ。目前まで迫った時、突然、両脇から槍衾が飛び出してきた。あっと言う間に八方を塞がれ、ブトーは伏兵にはまった。

 ショウキが放った大蛇の牙の先には、牛鬼の壁があった。そのまま突き刺さると思われたが、牛鬼は咄嗟に振り向くと、持っていた大鉞で大蛇の牙を払い落とした。そのまま、ショウキに向かって突進してきた。その時、ショウキの目に、囲まれているブトーの姿が映った。ショウキは牛鬼を飛び越えた。その瞬間に、右手の蜂の針を槍衾に投げた。四人が倒れ、囲みの一角が崩れた。

 囲みから放たれたブトーが残りの槍衆を倒しにかかる。

 ショウキの後ろに、鉞を振り上げた牛鬼が迫る。振り向きざま、大蛇の尾を放つ。鞭が牛鬼の右手に絡まって鉞が止まった。その先に生き残った弓衆が数名、弓を構えているのが見えた。同士討ちを恐れて矢を放てないようだ。ショウキがまた、牛鬼を飛び越えた。同時に、左手の蜂の針を投げ、弓衆を倒した。

 槍衆を平らげたブトーが牛鬼を目指す。牛鬼は右手に大蛇の尾が絡まり動けないでいた。ブトーが上段からヤクモを振り下ろし、袈裟懸けに切りつけた。牛鬼がぴたりと動かなくなった。

 その時、ショウキの後ろに矢が迫った。弓衆の生き残りが伏せていたのだ。

 矢がショウキの背に刺さった。

 筈であったが……刺さった矢が灰になって崩れていく。

 急に月光が遮られ暗くなった。

 大きな翼の影になっていた。

 見上げると……カツラギの大きな姿があった。

 森の中から悲鳴がした。

 アギバが弓を射た奴の頭を割っていた。

 陸の部隊が壊滅した。


 裏口の川では、クマリセとアコヤが敵を待っていた。裏門から川を渡り対岸の茂みで潜んでいる。

 クマリセがアコヤに語った。

「アコヤ、今のおまえは……おれら河童の中で一番強いのだぞ」

「そんな事、ある訳ないですよ!」

 いいや。おまえが気づいてないだけだ。おまえの甲羅にはレイキがいるのだ。そのおかげで全く疲れない筈だぞ」

「そう云えば……いつも力が漲っていて、あれから疲れを感じないです」

「そうだ。それがどう云う事か解かるか? 普通は誰でも疲れると力が衰える。しかし、おまえは疲れないのだから、時を長引かせる勝負に持っていけば負けないのだ。それに、ずっと全力をだして闘うこともできる。どうだ! 一番強いと言った意味が解かっただろう?」

「はい。クマリセ様! おらは一番強いのですね?」

「ただし! 一撃でやられたら終わりだぞ! そこは充分注意するのだ」

「はい。それでは、水虎はおらが退治します」

「おいおい。そこまでせよとは言ってないぞ」

「いいえ。おらは一番強いのですよ。ならば、おらがやるのが当たり前です」

 クマリセは考えた。

 水虎は河童を凶暴にした奴だ。口が大きく、その顎の力は甲羅を噛み砕く程だ。その敵に相打ち覚悟で挑むつもりでいたのだ。しかし……自分でも言ったように、アコヤの方が勝てる見込みが高いのではと思えてきた。

「アコヤ! 水虎はおまえに任せる! 勝負の要は、いかにあいつの一撃をかわし続けるかだぞ。そして、疲れた処を縛り上げろ!」

「はい。解りました」

 その時、タタラ場の間近で無数の篝火が現れた。しばらくすると、川上から船団の影が見えた。それを合図に待機していたのだろう。

 近づいてくる船は、大型の丸木舟だった。全部で二十艘。四艘を並列で括り、五つにまとめられている。それぞれに漕ぎ手を除いた十人づつが乗っているから、予想通り二百人だ。

 五段が川の中央を縦に並んで下ってきた。一番後ろの船に水虎の姿が見える。クマリセの目には表情まではっきりと見えた。獲物を狙う肉食獣の感情のこもらない目。耳まで裂けた大きな口。その下には強靭な顎。無表情が凶暴さを引き立たせている。

 クマリセが両手を掲げるように高く上げた。

 川の水面が揺れだした。船が左右に振れる。

 その真下の川が一気に割れた。船の両脇に水が流れて逃げていく。

 真下がぽっかり空いて、船がその中に落下した。

 逃げた水がその上から覆い被さった。

 一瞬で全ての船が沈んだ。

 後は、川の水が全て流してくれるだろう。

 この大きな一撃を与えたクマリセには、かなりの消耗であったたらしい。肩で息をして辛そうだ。

 しばらくして……一人、川の水面に顔を出した。その大きな口は水虎だ。続いて、尖った小さな甲羅が見えた。

 出番とばかりに、アコヤが川に飛び込んで潜っていった。

 クマリセが一抹の不安を感じた。少しアコヤを煽て過ぎたので、自惚れているのではないか。このままでは、水虎の一撃を喰らうのではないかと。

 クマリセがアコヤに続いて飛び込んだ。

 アコヤは全力で泳いでいる。クマリセがなかなか追い着けないのは疲労のせいか。

 水虎がアコヤに気づいて潜っていくのが解った。

 アコヤは真っ直ぐに水虎に向かっている。

 もっと相手を泳がせて疲れさせた方が安全策であるのに。クマリセの不安が的中した。

 水虎が怒りの形相でアコヤに襲いかかった。

 クマリセが慌てて術を使った。両手を広げてから、手の平を会わせるように近づけていった。

 アコヤは甘かった。迫る水虎の噛み付く速さは直前で上がっていた。それがアコヤの予測を超えていたのだ。避けるつもりのアコヤが逃げ損なった。

 しかし、水虎の顎は水を切った。

 クマリセの術が、水虎の回りに急流を発生させ位置をずらせたのである。

 その調子で、これを何度も続けていく内に、水虎に疲れが見え始めた。急流での攻撃は疲労を誘うようである。アコヤの逃げる速さにもう着いていけなくなっていた。

 アコヤがやっと、水虎の後ろを取った。アコヤの体が水虎の背中にぴったりと貼りついた。これで噛み付き攻撃は防げる。後は、鋭い爪に引き裂かれない事だ。

 アコヤの両手と両足が伸びて、水虎の手足の付け根を抑えた。水虎は身動きができなくなった。

 この時点でアコヤの勝ちが決まった。いや、河童の勝ちだ。

 水虎と河童では、水の中に居られる時間が違う。水虎は河童の半分も息が続かない。このまま押さえ込んで溺れるのを待てばいい。

 その内に、水虎が暴れ出した。水面に上がろうとしている。

 アコヤが尻尾を伸ばした。川底の岩に絡ませどんどんと沈んでいく。

 水虎はそのまま息絶えた。

 陸に上がったアコヤがクマリセに小躍りしながら近づいていった。

「おらが水虎を倒しました~! おらが一番強いんだ~!」

「だめだな! アコヤ! おまえは頭が悪すぎる。始めの一噛みで死んでいたぞ! あれは、おまえの動きが速いから避けられたのではない。おれが術を使ったからだ。なぜ逃げ回って疲れさせてから近づかなかったのだ。こんな事では……到底、一番強いなどとは言えないな! おまえがこれほで頭が悪いとは思わなかった」

「そうだったのですか。おらはバカですから……」アコヤがうな垂れた。

 この様子を見たクマリセは納得した表情になった。

 アコヤがこの先、自惚れたままでは大変な事になりそうだ。焚き付けたのは自分である。そう思って、わざと辛く当たったのだ。

 疲労困憊のクマリセはそのまま甲羅に閉じこもった。それをアコヤが担いで戻った。

 とにかく……水の部隊も壊滅した。

 

 穴道では、計画通り青鬼の部隊が進んでいた。その数は精鋭で五十。一番後ろが頭の青鬼だ。

 先頭が抜け穴の入口に辿り着いた。戸を三回叩いて合図を送った。

 その反対側では、傀儡に操られた男が戸に聞き耳を立てていた。

 ここまでは泳がせてある。焚き火の偽装もここからでは判らない。だから、青鬼は策が上手くいっていると思ったのだろう。

 男が閂を外した。

 スクナはオンの成りで眺めていた。柵の上に隠れて、全員が入って来るまで待った。

 最後に青鬼が入ってきた。初めて見た青鬼の姿に違和感を感じた。

 オンほどの巨体ではないが、躰は大きい方だ。しかし、頭だけはオンより大きいのだ。それが不恰好に見える。

 「待っていたぞ! 青鬼党!」

 スクナのオンがその場を囲った柵の上から姿を現した。

 巨大な鬼の姿に敵が驚愕している。しかし、さすが精鋭だ。逃げようとはしない。

 スクナが右手を挙げた。手のひらが大きく開かれている。その中に白い玉が現れた。

 玉は閃光を放ちながら大きくなっていく。

 それを敵の真ん中目がけて投げ込んだ。

 一面に稲妻が走り、全員が痺れた。

 その内に、ばたばたと倒れ死んでいった。

(スネ。初めからこれを一発お見舞いすれば、それで済んだのじゃないか?)

(ばかを言うな! そんなに力を使ったら、力尽きて当分動けなくなるわ! 無から有を生み出すのはかなり大変なんだぞ。在る物の大きさを変えるのとは訳が違う。今のでも相当疲れたから、少し休んでるぞ)

 スクナは思わぬ弱点を聞いてしまった。

 そして覚った。

 父シュクザが、どうやってスネを封印したかが朧気に解かった。

 スネは黙っていた。

 敵は全員死んでいたが、その中に頭の青鬼がいなかった。抜け道から逃げたのだろう。

 スクナが追った。慌てて鬼面を外す。

 穴道には数人の手下も逃げていた。道は狭いので、一人一人と倒していった。とうとう出口まで青鬼の姿は見つけられなかった。

 スクナが出口から出た。そこに青鬼が佇んでいた。すでに取り囲まれている。三方の敵を破った六名に。

 カツラギがノブスマを放った。青鬼が金縛りに動きを止めた。

「三面払いでとどめを刺すぞ! カツラギ! クマリセ! 面へ戻れ!」

 二人がスクナの懐へ吸い込まれた。

 スクナが三面を着けた。アスラの舞を取り、八方陣を作る。

 八方陣が青鬼の胸へ飛んでいくと、仰向けに倒れて息絶えた。

「頭を倒した! これで終わりだな。皆、ご苦労!」

 スクナが言うと、皆が晴れ晴れとした表情で戻っていった。

 

 その時、ヤスがククリに語りかけた。

(ククリ。どうやらスクナが頭を倒して終ったようだわ。しかし、変よ! あの操られた男から傀儡の魂は離れていない。傀儡はまだ生きているわ! スネ兄様は何してるのかしら?)

 その言葉に……ククリに不安が芽生える。全てを捧げあった本物の夫婦にしかわからない予感。魂の絆で結ばれた者の虫の知らせ……

 近くにあった弓を取って、ククリがオコナに跨った

「イカルガ! 急いでスクナの所に飛んで!」

 翼を広げたオコナが飛び立った。

 飛びながら、ランを呼び出すとその羽に宿らせた。

 近づくククリの左目は見た。傀儡の魂を……

 青鬼のむくろが動いた。

 青鬼の大きな頭が胴から離れて起き上がった。頭だけで生きている。

「スクナ! 伏せて~!」ククリの声が空から響く。

 翼を広げたオコナに跨ったククリが、弓を構えて宙にいた。矢はランの羽だ。 

 左目がスクナの後ろに狙いをつけていた。

(ラン! 私の的が判る?)

(はい。感じるわ)

(あいつの魂を貫いてくれる?)

(解かったわ)

「行け~! ハハヤ~!」ククリが矢を放った。

 二枚羽の羽羽矢が飛んでいく。

 途中から羽の矢が光の矢に代わった。

 矢が頭を貫いた。魂を射抜かれ絶命した。

 スクナ達がそれを見て、初めて青鬼の頭に気づいた。

 ククリがスクナの前に舞い降りてきた。

「そいつが傀儡の正体よ!」戻った羽を髪に括りながら言った。 

 スクナが慌てて検分に向かった。それに近づくと、残された胴が見に入った。はげ頭の人の顔が付いていた。頭だけが別の生き物であったのだ。

 次に鬼の頭を窺う。よく見ると……どうやらそれは鬼の面のようだ。

 面を捲ると角も一緒に外れた。ちりじりの髪の中には、小さい頭と胴と短い手足がある。小人だ。

 この小人が傀儡だった。小人がくないを持っていた

「小人の傀儡か……カトラの同族かな?」スクナが言った。

 それに対して、ブトーが応えた。

「カトラも手に入れ墨をしていました。こいつの手にも入れ墨がありますので、あるいは同族でしょうか?」

「違います!」ククリが突然言った。

「ククリは小人を知っているのか?」

「はい。テコナ様から聞いた話ですが、この小人は古の民でトイチ族ではないかと思われます。土蜘蛛族よりもっと昔には、この国に小人が多くいたそうです。彼らには、聖と邪の二つの族があったそうです。だから、小人だからと云って一概に同族とは限らないと思います」

「さすがは、物知りのククリだ。それなら、カトラとは別なのだろう」

 今度こそ、方が付いた。

 タタラ場に戻ってみると……全員に迎えられた。

 大した時もかからずに野党の掃討が成功したので、まだ宵の口だとばかりに宴が始まった。

 各々がそれぞれの部隊との戦況を報告した。

 ソモンはそれを総括して感嘆した。スクナの適材適所が見事にはまった事が、完勝の要因であった。その事が浮き彫りになっているのだ。

 この場にはカツラギとクマリセも加わっていた。この二人の功績は大きい。酒をふるまわれたクマリセが浴びるように飲んでいる。今宵ぐらいはよいだろうと皆が見守る中、酒宴が続いた。

 ……翌朝。エンクが颯爽と会いに来た。

「できたぞ、スクナ。検めてみろ!」

 スクナの前に箱が二つ並べられた。ヨアケムの白銀でホキができあがったのだ。

 しかし、実に都合の良い手筈である。本当は既にできあがっていたのではないだろうか。事前に知っていた事を考えると、充分に有り得る事だ。

 スクナが蓋を開けて、取り出した。

 正三角形の白く輝く皿だ。皿と云っても真っ平な平皿で、手のひらに丁度よい大きさだ。

 スクナが二枚の皿を右手のひらに一枚、左手のひらに一枚、それぞれ乗せた。重さを比べるような仕草だった。

「重さが違いますかな?」エンクが何か気に入らないのかと訊いた。

「いいえ。重さも大きさも全く同じ。見事なできでございます。唯、全く同じだと、どちらがホでどちらがキだか判らなくならないかと……どう見分けるか考えているのです」

「それなら、名を付けなさい」ククリが簡単な事だとばかりに言った。

「そうだった! 確か、ホがツルでキがカメだったな。そう名付けろと言っていた」

 ククリが頷いた。

 スクナが右手を挙げた。

「言挙げる! このヨアケムの白銀のホの名を……ツルとする」

 ホの皿が光った。 

 今度は左手を挙げた。

「このヨアケムの白銀のキの名を……カメとする」

 キの皿が光った。

 これで名を呼べば光って教えてくれるだろう。

「これで、残るは、聖なる獣が一体のみだ!」

 スクナがそうは言ったが……その最後の一つには、もう宛がなかった。

「誰か宛はないか?」これはほぼエンクに向けた問いかけだった。

 それにエンクが応えた。

「それが見つかった時には、また依代が必要かな?」宛の事ではなかった。

「はい」スクナが即答した。

「それでは……これを遣ろう!」遣る理由がたった今、見つかったと云う感じだ。

 エンクが剣を差し出した。

 スクナが受け取る。長さは十握だ。トツカ剣だ。

 鞘から抜くと、身がヨアケムの白銀だった。それも、こちらは鞘にぴったり収まる長剣だ。

「ありがとうございます。エンク殿!」

 エンクの感謝の大きさが窺えた。この剣は神宝に値する程の物だった。しかし……これは本当に感謝だけであろうか? スクナの疑問が顔に出てきた。

「合点がいかないようじゃな? やはり、話してやるべきかな? その剣は、おまえだからこそ、託すのじゃ……」

「…………」

「おまえの父の名は……シュクザであろう?」

「やはり! 父はここに来ていたのですね!」

「初めて顔を見た時は……シュクザが戻ってきたと勘違いしたぞ! それに、コシのキリン党霊で確信した。それではまた、一つ能書きを垂らせて貰おうかの……」

「その剣は、シュクザに遣った物じゃ。おまえと同じで、シシを借りに来てな……その時のシシはムラクモと言った。ヤクモの兄に当たる。それをその剣へ依代にして出て行った。それと……ホキの皿もじゃ。それが……何年かして……ムラクモだけが戻ってきた。シュクザに何があったかは知らぬが、ムラクモは剣と二枚の皿をくわえていた。先程の皿はその時の皿じゃ!」

 スクナがホキの皿を握り締めた。

「これを……父が……使っていた……」

 感無量となったスクナの目に涙が溜まってきた。

 顔を上にして堪えていたが……とうとう涙がこぼれ落ちた。

「父は……今だに……戻ってきません!」

 握り締めた手が震えていた。

「式が帰ってきたと云う事は……」スクナが呟いた。

「スクナ! まだ諦めないで~!」ククリが泣きながら叫んだ。

 スクナの涙が止まった。

「ムラクモが戻ったのは、何年前ですか!」

「十年ぐらい前じゃ……」

「父がここに来たのは?」

「その五、六年前じゃ……」

 スクナの記憶と一致する。

「そう云えば、此度のムラクモは式を嫌がっていてな、思い入れがあるのか解からぬが、一度誰かの式となったら、他人と式を結ぶのが嫌なそうじゃ。それから、シュクザが剣の身は短い方が軽くてよいと言っていた。だから、此度は短くしたのじゃ」

 スクナがいつものスクナに戻った。

 ホキの皿を箱に戻して、父の剣を取った。

 手に剣を持ちながら、皆を見回す。

 巫に剣はいらない。これを誰に託すかと云う表情だった。

 案の定、ブトーの目の色が変わった。

 ショウキもごくりと生唾を飲んだ。

「やっぱり! 誰にもやらん!」

 ブトーとショウキがうな垂れた。

 この反応は、残念な気持ちだけではなかった。安堵しているのだ。父から譲られた体裁になった事。依代とするならば血で汚す訳にはいかない事。そう云った理由からだ。

 スクナはもう別の考えを廻らしていた。最後の一体の事である。

 カリマとカトラとの未練がよぎっていた。実は、別れの日に二人に御先の借用を打診していた。それは呆気なく断られた。理由はイルカとワニは海から離したくない。それだけだった。依代にすれば心配ないと言ったが、海から連れ出すのは危ないと一蹴された。

 そして……ツナデの事も思い出した。

「やはり……ツナデの件が、口惜しいな……」思わず口ずさんだ。

 後は、土蜘蛛族のエミシの地を宛もなく彷徨うか……時間の無駄になる可能性は高い。

 スクナが決断した。

「いったんコシに戻るぞ! 今度は西を目指そう!」

 そのままヨアケムを発った。


 来た時とは反対の裏山への道を進んだ。この道はケノの国に続いている。そのケノの先がコシの国だ。野党が砦を築いた裏山を過ぎた。

 向こうから見慣れた女が歩いてくる……ツナデだった。

 笑みを浮かべて、そよそよと近づいてくる。

 スクナは思った……俺はツナデのオナリを持っている。もしや……先ほどツナデの名を呼んだから飛んで来たのか? ランのようにツナデも……それなら、篭目封じの時だけ呼び出せば何とかなるのでは? ……そんな淡い期待を膨らませた。

「スクナ様! お久しぶりでございます」

 ツナデが涼しい顔で挨拶をした。ククリの方は見向きもしない。

「何でここにいるのだ? ツナデ!」嬉しい顔は期待のせいだ。

 ククリが柳眉をひそめる。スクナの顔を見て何か勘違いしたようだ。

 ククリを無視してツナデが応えた。

「何でって。それは……今はカンナツキでございますので、オズナ様がいらっしゃらないのですよ。だから、一目お顔を伺おうと急いで追いかけてきた次第です。ですが、やっと追い着いたと思いきや、もうカンナツキも中頃、来るまで半月かかりましたので、すぐに帰らねばなりません。それでは、旅の無事をお祈り申し上げます」

 スクナの淡い期待は水泡に帰した。また、ツナデに踊らされた。

 すると、ツナデがククリの方を向いた。

 ククリが予想もしない行動に驚いた。

「ククリ様! その節はお世話になりました」充分に皮肉がこもっている。

「…………」

「妖かしが後を付けていますよ。お気を付けを!」

 そう言い残して、早々とツナデが帰っていった。

 スクナの目がその後姿を追っていた。帰りは素早かった。あっという間に姿が消えた。

 結局、何をしに来たのか良く解らない。唯、あの速さでも半月かかるのだ。やはり、ランのように一瞬とはいかない事が解った。しかし、あの速さで半月も掛かると言うのも変だ。ふと異な事に気付いた。ツナデは後を付けて来たと言った。それならば、何故ケノの国の方角から歩いてきたのだろうか? ツナデはカヒの国から来た筈だ。この時には、その理由が解からなかった。

 一方、ククリには後を付けてくる妖かしに、心当たりがある。もちろんあの化け猫だろう。ツナデの事は気に入らないが、その言葉に嘘はないだろう。それを信じて、一層の警戒が必要だ。何か良い考えはないかと思案し始めた。

 二人がそんな思いを胸にしながら道を進んで行くと……

 それを最初に見つけたのは、ショウキだった。

 道端に人が倒れていた。近づくに連れ、それは一人どころではなかった。それも全部死人だ。

 周りを探すと、ぞろぞろと見つかった。中には十人ばかりが重なっている屍もある。全部で大体、百ばかりだ。屍は例の野党の一味のようだ。

 皆……躰が凍っていた。この術には見覚えがある。

「ツナデだ!」スクナが叫んだ。

 ツナデが一人で百人を仕留めたようだ。

 スクナには、この百人が思い当たらない。

「ブトー! この百人はおまえが打ち漏らした奴か?」

「いいえ! 逃げたとしても、数人の筈です!」

「アコヤ! おまえの方ではないのか?」

「いいえ! 全員、川に流されました!」

「すると、考えられる事は一つだけか! 後から百人が加わりに来ていたのだな!」

 スクナの考え通りだった。これはあの増援部隊の百人だった。拙い時にこの百人が現れていたら……こちらに怪我人が出ていたかもしれない。

 スクナがまた、考え込んだ。

 ツナデが倒したのは、いつの事か? 屍の様子では、たった今ではない。多分……昨夜だ。そうすると、ツナデは少なくとも昨夜には、ここに来ていた事になる。そして、何処かに潜んで様子を見ていたのだろう。

 ツナデはこの増援部隊をどうやって知ったのか? いや。知る由はないと思われる。多分、探っている内に、偶然見つけたのだろう。場所から考えて、ショウキの後方だ。ショウキが一番危なかったのだ。

 そして、暗にケノの方角から現れて、私が片付けておきましたと言わんばかりだ。

 何も言わずに立ち去るとは……ツナデも粋な事をするものだ。と、スクナが微笑んだ。

 スクナは今、ツナデの事を考えている……ククリには解かる。

 ククリは気に入らない。 

 スクナが皆にツナデの粋な計らいを明かすと、和やかな雰囲気になった。

 そんな中で……ククリ一人だけが機嫌が悪い。

 そのククリには……暗い妖かしの陰が忍び寄っていた。

空から時雨が降ってきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ