青鬼
ツクの国ヨアケムのタタラ場に着いた。時はカンナツキ。そこは山の中腹に作られた邑だった。タタラ場とは主に製鉄を行っている所で、その富に目を付けた山賊やら野党やらに狙われる為に、あらかたが回りを壁で囲っているのだ。幸いここに着くまで、烏をよく目にしたぐらいで特に危ない目にも遭わなかった。
ここのタタラ場も、例に漏れず柵で囲まれていた。たった一つの入口も厳重な門で防備され、その上には矢場の櫓が見える。ここで射掛けられたら逃げ場はない。
ソモンが屈強そうな門番に呼びかけた。
「私はトサのシシ党霊がマナセのソモンです。スグリ(邑主)のエンク殿にソモンが来たと取り次いでください」
「トサのソモンだな? 解った。そこで待っていろ!」
門番が奥に消えると、しばらくして戻ってきた。
それが……突然、弓を構えて言った。
「この嘘つきめが! ソモンはとうに死んでいるそうだぞ! さてはあの追い剥ぎの一味だな! 今すぐ消えないと、この矢を喰らわせるぞ!」
ソモンが唸った。とっさにスクナが言った。
「ちょっとお待ちを! 我々は旅の神楽の一行です。この姿が追い剥ぎに見えますか?」
「確かに追い剥ぎには見えないが、そんな事はどうにでもできる!」
「それなら証しがあります」ソモンが言った。
背中の薬箱を降ろして日鏡を取り出した。
「これはエンク殿が父へ贈ったヨアケムの白銀です」
「それは何処から奪った物だ! おまえの物であると云う証しは?」
これでは埒が明かなかった。このタタラ場の警戒は尋常ではない。何か非常の事態でも起こっているのか。
「それでは……これではどうですか? これはマナセのウガラ(族)の証し、マナセの壷です! これをエンク殿に見せてください!」ソモンが壷を腰から外し右手に掲げた。
すると、門番の横からひょいと翁の顔が飛び出した。
「それは確かにマナセの壷だな!」脇から様子を探っていたようだ。
「エンク殿ですね?」マナセの壷を知っている者はそうはいない。
「そうじゃ。おまえは本当にソモンか?」
ソモンとエンクには直接の面識がなかった。いつも父とだけ会っていたのだ。その上、後を継いでから一度も会う機会がなかった。
「正式にマナセの壷を受け継いだのはご存知ですよね? 私はあの大水で流されましたが、命は取り止めました。しかし、その時に何もかも忘れてしまって、思い出した時には既に死んだ事になっていました」
その時、門が開いた。
その先にはエンクが待ち構えていた。
「ソモン! 入ってきなさい!」
ソモンと一行が受け入れられた。すぐに門が閉じられたが、やはり何かに怯えているようだ。
エンクがソモンの顔をまじまじと見た。
「実はな……ソモン。その話は聞いていたよ。随分と辛い思いをしたようじゃな。おまえの父から、もしここに来るような事があったら、いつでも待っていると言伝をされたぞ」
「……父上が」ソモンの顔が歪んだ。
「母上もだよ! しかし、間近で見ると父親にそっくりだな」
エンクが息子に対するように肩をぽんを叩いた。
「悪いが、語りかどうか試させてもらった。おまえの顔を知らないのでな。今、ここは追い剥ぎの一味に狙われているのだ!」
「そうだったのですか。どおりで警戒が厳しい筈です。今、私は巫のスクナ様の厄介になっています」
スクナが前に出て一礼した。
「コシのキリン党霊のスクナです」
「妻のククリです」ククリも一礼した。
「よくぞ参った。シシ党霊のエンクじゃ。歓迎しよう」ククリの左目を見て微かに笑った。
スクナ達は奥の屋敷に通された。
ソモンはまず身の上に起こった出来事を語った。大水で流されてからこれまでの話だ。イスズの姿のカラムが震えていた。スクナから聞いていた一行の事も簡単に紹介した。
「それでは、もう故郷には戻らないつもりか?」エンクが訊いた。
「はい。そう心に決めました」
「そうか、決めてしまったのか……解かった。そのように言っていたと伝えよう……」
「それで、追い剥ぎとは何者ですか?」スクナが訊いた。
「うむ。今、ここを狙っている野党の一味がいてな、裏山に砦まで設けてじっと窺っているのじゃ。ここに出入りする隊商ばかりが襲われて、皆殺しの目に遭っている。裏山の道は完全に抑えられ、本気でここを奪う気でいるらしいのじゃ。奴らは青鬼党と言うらしいから頭は青鬼だろう。奴らの総勢は五百程と見ている。こちらは女子供を含めても、たかだか二百じゃ。到底まともには戦えない。仕方なく篭っているしかないと云う有様じゃ。助けの使いも今だ戻ってはこない……」
その時、兵が一人、邑主に報じた。
「昨日発った使いが怪我をして戻ってきました」
男が兵に抱えられ入ってきた。足に矢を立て引きずっている。
「すみません。見つかって一晩逃げ回るのが精一杯でした……」怪我の男が泣きながら報告した。
「そうか……傷の手当てをして休んでいろ」エンクが傷心している。
その怪我した男をククリの左目がじっと追っていた。何故か表情が険しい。
その男が見えなくなると……ククリがスクナを見た。
スクナがすぐにククリの視線に気づいて、二人の目が会った。
ククリが頷いた。
スクナには頷いた意味が解からなかった。しかし、すぐに決断した。
「エンク殿! 青鬼党は私達にお任せください! 残らず退治して差し上げましょう」
「何と! それは真か? この人数でそんな事ができるのか?」心底驚いている。
「はい。その代わり、見返りをお願いしたいのですが? 聞いて頂けますか?」
「できる事ならばじゃ」
「それでは、二つあります。一つは、シシ党霊の御先のシシを一頭お貸しください。そして、もう一つは……ソモンのヒカガミと同じヨアケムの白銀で、ホキの皿を作ってください。ホキとは等しき三角の形をなす対の平皿です」
それを聞いたエンクが……何故かにやりと笑った。
「付いて参れ!」突然、奥へ向かった。
着いた所は奥の氏神の神社だった。入口は神人に厳重に守られていた。邑主の顔を見て、さっと道を開けた。
鳥居を潜ると、両脇に対のシシ像があった。
その奥に社があり、その前でエンクが止まった。
そして、突然振り向いて言った。
「待っていたぞ! 夫婦巫!」また、にやりと笑った。
「実は、おまえ達が来る事は解かっていたのじゃ。もう氏神にすがるしか手がなくなってな、そこで神の言葉が託されたのじゃ。妻の左目が金色の夫婦巫が助けてくれるそうじゃ。その時、その巫が二つの見返りを求めてくる。一つがシシで、一つがヨアケムの皿じゃと。確かにその通りになった……であるからして……答えは応じゃ!」
「ありがとうございます! エンク殿!」
「その前に、一つ能書きを垂らせてくれ。ヨアケムの白銀は、遠い昔に我が祖が神から授かった、それはそれは貴い白銀じゃ。だからそれには限りがある。しかし、此度の事はここが滅びるかどうかの瀬戸際じゃ。そんな事は言っていられぬ。それ程、今は切羽詰っているのじゃ」
「解かりました。必ずや成し遂げて見せましょう」
「うむ。それでは、ホキの皿の方はできるまで少し時を頂こう。シシは今連れて参る」
エンクが社へ振り返ると、祈りを捧げた。
しばらくすると、右側のシシ像が光った。
石像が細かく震えると……そこからすっーとシシが飛び出した。
真っ白い狛犬だった。しかも少し小ぶりだ。
「子供ではないぞ。まだ若いのじゃ。しかし、シシの力は充分持っとるので心配は無用じゃ」
シシがスクナへ近づいてきた。真っ白だと思っていたら、眉だけが黒い。まるで目が四つあるようだった。
「ヤクモと申します。命により力をお貸し致します」子供のような若い声だった。
「スクナだ。よろしく頼む、ヤクモ!」
スクナが依代を探した。
その時、ブトーが一歩前へ出た。そして、スクナを睨みつけた。
「だめだ、ブトー! その剣は血で汚れているだろう?」
ブトーが一気に消沈した。
スクナがふと社の壁に目がいった。何故か目につく所に一振りの剣が掛けてある。
「エンク殿。その剣も頂けぬか?」躊躇いもなく言った。
「おお! それも言われた通りじゃ。持っていけ!」意図して掛けておいたようだ。
スクナが剣を取った。鞘の上から長さを目算している。剣の長さは八握だった。
握とは当時の身近の物の長さの単位で、一握が人の握った拳の大きさだ。
柄を握って鞘を払った。出てきた剣が……呆気ない程、短かった。鞘の長さから想像していた身の長さと比べると四分一しかない。しかし……それは、ヨアケムの白銀で作られていた。素晴らしく美しい輝きだ。
スクナが剣を翳した。
「言挙げる! この剣の名はヤツカ」剣が光った。
続いてヤクモに向けた。
「シシのヤクモを我が式とする! 依代はヤツカの剣!」
ヤクモが光って、剣に吸い込まれた。
短かった剣の身が、光と供に伸びてきた。丁度、鞘と同じ長さになった。
光が消えると、その身は少し反り返った片刃の剣になった。
まるでこの為に作られていたような塩梅だ。
剣を鞘に収めた。
綺麗に収まると鞘の全面から一斉に白い毛が生えた。ヤクモの毛並みだった。鞘が毛皮でできている様になった。
スクナがブトーに近づいて……その剣を前に差し出した。
「約束の霊を絶つ剣だ! おまえが持っていろ!」
ブトーが両手を伸ばして受け取った。
手が震えていた。その震えが腕に伝わり、肩へと……全身でわなわなと震え出した。
「うおおおお~!」突然、大声で吼えた。そして大声で泣き出した。
釣られてミヤキも泣き出した。
……その内にぴたりと泣き声が止んだ。
「これで……モノが倒せる……モノノフ(物武)に成れました……」ブトーが切れ切れに囁いた。
全員が……ブトーを頼もしい雰囲気で包んだ。
「それではククリ。先程の件を詳しく話してくれ」スクナが懸念の説明を求めた。
ククリが辺りを窺った。聞かれては拙い事らしい。
「それでは、エンク殿もこちらへ……」
皆で小さな輪に纏まった。
「先程の怪我をして戻った使いの男ですが……あの男とは別の魂が一つ憑いていました。おそらく敵の中に傀儡がいて、操られているようです」
「そうか! そいつを上手く使えば策に嵌められるぞ」スクナが思わず言った。
「ソモン。おまえはそう云う事が得手そうだな。何か良い策を考えろ」
示されたソモンの表情は、満更でもなさそうだ。
ソモンがエンクに訊いた。
「敵が攻めて来る気配はないのですか?」
「今の処は囲っているだけじゃ。まさかこれ程の数で囲まれるとは予想もしていないのでな、備えは充分ではない。それを見越しているのじゃ。時はこちらに不利になっている。その上、秋の山の恵は全て奴らに奪われた」
「このタタラ場に他の入口は?」
「裏の川に面した所に一つあるが、そこは船でないと入れぬ。後もう一つあるが、金山に繋がる穴道が丁度、山の頂きの真下まで続いておる。その穴道は、まだ奴らに気づかれてはおるまい」
「その穴はどの位の広さでしょうか?」
「人が二人並んでも充分の幅じゃ。奴らの頭が鬼だとしたら、やっと通れる位かの~」
「スクナ様。その穴道を使いましょう。わざと教えて敵を誘う罠を仕掛けられます」
スクナは黙っていた。
ソモンが続けた。
「敵がその抜け道を知ったならば、まず、それを切り札にしようと考える筈です。その為には、正面口と裏口に守りを堅めさせ、その隙を突いて抜け道から攻め入る。こうなると思われます。しかし、根絶やしにするまでやるのであれば、もっと敵の事を調べなければなりません」
スクナが口を開いた。
「そうだな。その考えには頷ける。ソモンはその男に怪我を治すと称して近づき、こっそり穴道の事を知らせろ! そしてショウキ! その後に大蛇の比礼で潜んでこい! 敵がどう云う策で攻めて来るか調べてくるのだ。それさえ判れば後は簡単だ。細かな策はその後で考えよう」
そこで作戦会議が終了した。
すぐにソモンが、予定通りに男の怪我の治療に向かった。ソモンは薬師なので、本当に治療をすれば全く怪しまれない。その時に、エンクの身内だと言って、こっそり穴道の存在を漏らした。男に全く疑う素振りはなかった。
そして、その夜。ショウキが大蛇の比礼に包まれ、敵の砦に忍び込んだ。
敵は既に、穴道の存在を知っていた。やはり、一味の中に傀儡がいるようだ。その証拠に砦から下に向かって穴を掘り始めたからだ。戻ってスクナに報告すると、スクナの方でも操られた男の動きを掴んでいた。その男が夜になって穴道へ忍び込んでいったのだ。多分、穴道の位置を傀儡に教えているのだろう。
夜な夜な忍んでいくその男を泳がせ、敵が等々、道を掘り当て開通させた。十日目の事だった。
その日、ショウキがまんまと敵の策を聞き出してきた。やっと作戦を決めたらしい。
ショウキが報告した。
「敵の総勢は五百。四つに別けて進み、動くのは明日の夜。細かい件は次の通り。一つ目は、牛鬼が率いる二百。正面口を攻めます。その目的は守りをそこに集める事。二つ目は、水虎が率いる二百。川の裏口を攻めます。船がもう備えてありました。その目的も守りをそこに集める事。三つ目は、烏天狗が率いる五十。空から篝火を落とし、混乱させる事がその目的です。四つ目は、頭の青鬼自ら率いる五十。穴道を通り中へ突入する精鋭です。その時、中から扉を開けるのがあの男の役目です。唯、ククリ様の言っていた傀儡はいないようでした。以上です」
スクナが少し考えて言った。
「ソモンの言う通り動いたな。思い通りに別れて攻めてきた。それでは……こちらの策も決まった」
スクナが全員を見回す。
「正面口の牛鬼には……ブトーとショウキ! 二人で二百に当たれ! 二人が組めば簡単だろう」
ブトーとショウキが頷いた。ブトーはヤツカ剣を佩いでから、モノノフになった。自信に満ちた顔つきだ。
「裏口の水虎には……」
そこでスクナが河童面の鼻を三回擦って、クマリセが姿を現した。
「クマリセとアコヤで二百を倒せ!」
「えっ~! おらはそんな事できません!」アコヤが慄いた。
「クマリセがいれば大丈夫だ!」スクナが意に介さない。
それにクマリセが応えた。
「船に乗っているうちに全てをひっくり返せば、造作もない事です」クマリセも頼もしい表情だ。
そして、アコヤを向いて言った。
「アコヤは入口に近づく者の足を引っ張って、沈めるだけでよい。水虎はわしが倒す!」
スクナが今度は天狗面の鼻を三回擦って、カツラギが姿を現した。
「空から来る烏天狗には……カツラギとアギバ! 一羽たりとも近づけるな!」
カツラギがそんな事は造作もないと云う態度で頷いた。逆にアギバは緊張している。
「最後の穴道は……俺が行く!」
この作戦は邑主のエンクにだけ伝えた。
翌日……しかし、邑主が夜襲の備えを命じた兵は、当然何かを感じた。タタラ場の空気が変わった。傀儡に操られた男も、もちろんそれに気づいた。そして……頭の青鬼が新たな手を打った。念の為に百名の増員を命じたのだ。昼寝をしていたスクナ達には、その事に気づかなかった。
そして夜になった。今宵は満月だ。
通常、夜襲とは奇襲である。月夜にはまず行なわないのが普通だが、今夜は奇襲ではなかった。両側の門に注意を引き付ける作戦であるので、見つかる事を全く気にしないのであろう。
真っ黒の烏天狗と対峙する二人の天狗にも、満月は都合が良かった。
カツラギとアギバがミッパ(物見櫓)で見張りをしていた。アギバが何処から用意したのか、赤金の八角棒を携えて敵が動くのを待っていた。
「アギバ。わしが一気に焼き払うから、おまえはそこから逃れた奴を叩き伏せろ!」
アギバが緊張の面持ちで頷いた。
カツラギがそんなアギバの緊張を見て言った。
「真っ先にこちらに着くのが、空を飛ぶ烏天狗だろう。なに、カラスなどあっと言う間に方が付く。わしらが一番、楽な持ち場だぞ! いや、一番はスクナ様だな。スネ様の力を持ってすれば、野党などたった一人で退治してしまえる筈だ。スクナ様は我らを手駒にして楽しんでおられるのだ」
その時、敵の砦の方角に動きがあった。何十羽もの黒い鳥影が動いた。森の少し上の低い所を飛んで来る。
アギバが今にも飛び掛かろうと云う構えだ。
「アギバ、まだまだ! 焦るな!」カツラギが抑える。
飛んでくる鳥影はあっという間に烏天狗と判るようになった。予想通り、五十羽はいる。全てが何かをぶら下げていた。篝火だろう、まだ火は点いていない。
「行くぞ、アギバ! 付いて参れ!」
カツラギが空へ羽ばたいた。その後をアギバが付いて行く。
烏天狗もこちらに気づいているだろう。しかし、任務遂行を優先する為に無視していた。
その時、一斉に火が点いた。やはり篝火だった。それを投げ込むつもりだろう。
カツラギは烏天狗の遥か上空で止まった。丁度、烏天狗から満月を背にする位置だった。
カツラギが術を放つ構えを見せた。右手に二本の指を立てて、印を結んでいる。
もうタタラ場まで間近と云う所で、烏天狗がカツラギの大きな影に入った。
カツラギの右手が左から右に払うように動いた。
敵の篝火の炎が突然大きくなって、烏天狗に燃え移った。全てが炎に包まれて燃え上がる。
アギバがそちらに向かって急降下した。全て燃えたと思われたが、遠ざかる影が三羽あった。
一羽、二羽と、アギバが叩き付けて倒した。が、逃げ羽の速い一羽を取り逃がした。もう、追い着ける距離ではない。アギバが焦りながら術を発した。右手をそれに向ける。最後の一羽が燃えた。アギバでも一羽ぐらいなら燃やせるのだ。
カツラギが満月を背にして頷いた。そしてアギバに言った。
「よくやった。今から、おまえを一人前の天狗として扱おう」
空の部隊は全滅した。
丁度その頃、タタラ場の中から火の手が上がった。煙が立ち昇っている。これは、烏天狗に篝火を投げ込まれたからではなかった。中では今、焚き火が焚かれている。これはソモンの指示による、烏天狗の作戦が成功したと思わせる為の偽装だった。
正面口では、ブトーとショウキがかなり前から門の外で待機していた。門から少し離れた、山へと続く道の脇で伏せている。ブトーはヤツカ剣を握って、ずっと黙ったままだ。そんなブトーにショウキが話しかける。
「今宵は思う存分暴れましょう! ブトー殿の柔らかい身のこなし、間合いを読ませない足裁き、踏み込みの速さ、一太刀で倒す力強さ、相手の虚を突く勘の鋭さ……どれを取ってもかなう者はいません。が、一つだけ弱みがあります。それは弓です。離れた所から弓に囲まれたら、さすがのブトー殿でも難しいでしょう。しかし今は……私が居ます! 弓衆は全て私が平らげますので、心配なさらないでください」
いつもは寡黙なショウキが、今は饒舌だった。反対に饒舌なブトーが黙って頷いただけだ。
その時、タタラ場の上空に火の手が上がった。いくつもの炎が浮かんで、落ちていった。そして、タタラ場から煙が立ち昇る。
道の先の方で歓声が上がった。牛鬼の部隊が近づいていた。烏天狗の撹乱が成功したと思っているようだ。しかし、ブトーとショウキはそうは取らなかった。カツラギに抜かりはないだろう。
「ショウキは後ろから回り込んでくれ!」
ショウキが頷いて、森に消えた。
ブトーがヤクモ剣を構えた。ブトーはヤツカ剣をヤクモ剣と呼んでいた。
敵の部隊が現れた。先頭は槍だ。まだ戦闘に向ける闘志は剥き出されていない。敵が打って出て来るとは夢にも思っていないのだろう。
ブトーがヤクモの鞘を払った。鞘から白い毛並みが消える。
長く伸びた剣の身は、白く光っていた。そして、恐ろしく軽い。身の部分が短いのだから当たり前の事だった。その分、ブトーの速さは倍増するだろう。
ブトーの心に闘志がたぎる。それに応えてヤクモが伸びた。
ブトーが槍の中に飛び込んだ。最初の一振りで四人を倒した。続いて二人、三人と……剣は敵の体を素通りしていった。ばたばたと声もあげずに倒れていく。その屍には血の一滴も流れていない。全員が霊を絶たれ即死していた。
ブトーが敵の中を走り抜ける。すれ違う者が次々と倒れた。敵には白く長い光が、風と共に踊っているように見えたであろう。槍の柄で受けようとする者もいたが、ヤクモの剣先は何もないように突き抜けていく。反対に敵が突く槍をヤクモの剣先では受けられない。軽い身のこなしで避けていたが、その内、避けきれないとみると、左手に大剣を持ち盾代わりにした。左で受け、同時に右のヤクモを切りつける。これで先頭の槍隊の五十ばかりは全滅した。
息をつく間もなく後続が来た。今度は五人が槍衾を組んで突撃してきた。
ブトーは脇の森に駆け込んだ。追って来た敵を一人ずつ倒す。森での戦いに槍では不利とみた敵は、剣を取っていた。逃げ回りながら、虚を突いて倒した。ここでも三十ばかり倒しただろう。追ってはもういなくなった。
一方、ショウキは蜂の比礼を着け、木の枝を伝って背後に回っていた。
後方はやはり弓隊だった、二列になって綺麗に行軍している。
ショウキが列の後ろから少し離れた所に降りると、すぐに大蛇の牙を取り出した。くの字に曲がった大蛇の牙を四本繋ぎ合わせて卍形にした武器だ。敵の列を見ながら、それの長さを調節している。
ショウキが大蛇の牙を構えた。列の真ん中に狙いをつけて放つ。卍が横に回転しながら敵の首の高さを走り抜ける。左右の首から同時に血が噴き出した。後ろから順番にどんどん前へ向かう。
同時に、ショウキがその後を追いかけて走り出した。握られた拳の指の間からは四本の蜂の針が飛び出している。両手で合わせて八本だ。運良く大蛇の牙を逃れた敵の首を、それで掻いでいく。
ブトーは道に戻っていた。走って進むと、目の前にひと際大きい牛鬼が見えた。ブトーが牛鬼目がけて突き進んだ。目前まで迫った時、突然、両脇から槍衾が飛び出してきた。あっと言う間に八方を塞がれ、ブトーは伏兵にはまった。
ショウキが放った大蛇の牙の先には、牛鬼の壁があった。そのまま突き刺さると思われたが、牛鬼は咄嗟に振り向くと、持っていた大鉞で大蛇の牙を払い落とした。そのまま、ショウキに向かって突進してきた。その時、ショウキの目に、囲まれているブトーの姿が映った。ショウキは牛鬼を飛び越えた。その瞬間に、右手の蜂の針を槍衾に投げた。四人が倒れ、囲みの一角が崩れた。
囲みから放たれたブトーが残りの槍衆を倒しにかかる。
ショウキの後ろに、鉞を振り上げた牛鬼が迫る。振り向きざま、大蛇の尾を放つ。鞭が牛鬼の右手に絡まって鉞が止まった。その先に生き残った弓衆が数名、弓を構えているのが見えた。同士討ちを恐れて矢を放てないようだ。ショウキがまた、牛鬼を飛び越えた。同時に、左手の蜂の針を投げ、弓衆を倒した。
槍衆を平らげたブトーが牛鬼を目指す。牛鬼は右手に大蛇の尾が絡まり動けないでいた。ブトーが上段からヤクモを振り下ろし、袈裟懸けに切りつけた。牛鬼がぴたりと動かなくなった。
その時、ショウキの後ろに矢が迫った。弓衆の生き残りが伏せていたのだ。
矢がショウキの背に刺さった。
筈であったが……刺さった矢が灰になって崩れていく。
急に月光が遮られ暗くなった。
大きな翼の影になっていた。
見上げると……カツラギの大きな姿があった。
森の中から悲鳴がした。
アギバが弓を射た奴の頭を割っていた。
陸の部隊が壊滅した。
裏口の川では、クマリセとアコヤが敵を待っていた。裏門から川を渡り対岸の茂みで潜んでいる。
クマリセがアコヤに語った。
「アコヤ、今のおまえは……おれら河童の中で一番強いのだぞ」
「そんな事、ある訳ないですよ!」
いいや。おまえが気づいてないだけだ。おまえの甲羅にはレイキがいるのだ。そのおかげで全く疲れない筈だぞ」
「そう云えば……いつも力が漲っていて、あれから疲れを感じないです」
「そうだ。それがどう云う事か解かるか? 普通は誰でも疲れると力が衰える。しかし、おまえは疲れないのだから、時を長引かせる勝負に持っていけば負けないのだ。それに、ずっと全力をだして闘うこともできる。どうだ! 一番強いと言った意味が解かっただろう?」
「はい。クマリセ様! おらは一番強いのですね?」
「ただし! 一撃でやられたら終わりだぞ! そこは充分注意するのだ」
「はい。それでは、水虎はおらが退治します」
「おいおい。そこまでせよとは言ってないぞ」
「いいえ。おらは一番強いのですよ。ならば、おらがやるのが当たり前です」
クマリセは考えた。
水虎は河童を凶暴にした奴だ。口が大きく、その顎の力は甲羅を噛み砕く程だ。その敵に相打ち覚悟で挑むつもりでいたのだ。しかし……自分でも言ったように、アコヤの方が勝てる見込みが高いのではと思えてきた。
「アコヤ! 水虎はおまえに任せる! 勝負の要は、いかにあいつの一撃をかわし続けるかだぞ。そして、疲れた処を縛り上げろ!」
「はい。解りました」
その時、タタラ場の間近で無数の篝火が現れた。しばらくすると、川上から船団の影が見えた。それを合図に待機していたのだろう。
近づいてくる船は、大型の丸木舟だった。全部で二十艘。四艘を並列で括り、五つにまとめられている。それぞれに漕ぎ手を除いた十人づつが乗っているから、予想通り二百人だ。
五段が川の中央を縦に並んで下ってきた。一番後ろの船に水虎の姿が見える。クマリセの目には表情まではっきりと見えた。獲物を狙う肉食獣の感情のこもらない目。耳まで裂けた大きな口。その下には強靭な顎。無表情が凶暴さを引き立たせている。
クマリセが両手を掲げるように高く上げた。
川の水面が揺れだした。船が左右に振れる。
その真下の川が一気に割れた。船の両脇に水が流れて逃げていく。
真下がぽっかり空いて、船がその中に落下した。
逃げた水がその上から覆い被さった。
一瞬で全ての船が沈んだ。
後は、川の水が全て流してくれるだろう。
この大きな一撃を与えたクマリセには、かなりの消耗であったたらしい。肩で息をして辛そうだ。
しばらくして……一人、川の水面に顔を出した。その大きな口は水虎だ。続いて、尖った小さな甲羅が見えた。
出番とばかりに、アコヤが川に飛び込んで潜っていった。
クマリセが一抹の不安を感じた。少しアコヤを煽て過ぎたので、自惚れているのではないか。このままでは、水虎の一撃を喰らうのではないかと。
クマリセがアコヤに続いて飛び込んだ。
アコヤは全力で泳いでいる。クマリセがなかなか追い着けないのは疲労のせいか。
水虎がアコヤに気づいて潜っていくのが解った。
アコヤは真っ直ぐに水虎に向かっている。
もっと相手を泳がせて疲れさせた方が安全策であるのに。クマリセの不安が的中した。
水虎が怒りの形相でアコヤに襲いかかった。
クマリセが慌てて術を使った。両手を広げてから、手の平を会わせるように近づけていった。
アコヤは甘かった。迫る水虎の噛み付く速さは直前で上がっていた。それがアコヤの予測を超えていたのだ。避けるつもりのアコヤが逃げ損なった。
しかし、水虎の顎は水を切った。
クマリセの術が、水虎の回りに急流を発生させ位置をずらせたのである。
その調子で、これを何度も続けていく内に、水虎に疲れが見え始めた。急流での攻撃は疲労を誘うようである。アコヤの逃げる速さにもう着いていけなくなっていた。
アコヤがやっと、水虎の後ろを取った。アコヤの体が水虎の背中にぴったりと貼りついた。これで噛み付き攻撃は防げる。後は、鋭い爪に引き裂かれない事だ。
アコヤの両手と両足が伸びて、水虎の手足の付け根を抑えた。水虎は身動きができなくなった。
この時点でアコヤの勝ちが決まった。いや、河童の勝ちだ。
水虎と河童では、水の中に居られる時間が違う。水虎は河童の半分も息が続かない。このまま押さえ込んで溺れるのを待てばいい。
その内に、水虎が暴れ出した。水面に上がろうとしている。
アコヤが尻尾を伸ばした。川底の岩に絡ませどんどんと沈んでいく。
水虎はそのまま息絶えた。
陸に上がったアコヤがクマリセに小躍りしながら近づいていった。
「おらが水虎を倒しました~! おらが一番強いんだ~!」
「だめだな! アコヤ! おまえは頭が悪すぎる。始めの一噛みで死んでいたぞ! あれは、おまえの動きが速いから避けられたのではない。おれが術を使ったからだ。なぜ逃げ回って疲れさせてから近づかなかったのだ。こんな事では……到底、一番強いなどとは言えないな! おまえがこれほで頭が悪いとは思わなかった」
「そうだったのですか。おらはバカですから……」アコヤがうな垂れた。
この様子を見たクマリセは納得した表情になった。
アコヤがこの先、自惚れたままでは大変な事になりそうだ。焚き付けたのは自分である。そう思って、わざと辛く当たったのだ。
疲労困憊のクマリセはそのまま甲羅に閉じこもった。それをアコヤが担いで戻った。
とにかく……水の部隊も壊滅した。
穴道では、計画通り青鬼の部隊が進んでいた。その数は精鋭で五十。一番後ろが頭の青鬼だ。
先頭が抜け穴の入口に辿り着いた。戸を三回叩いて合図を送った。
その反対側では、傀儡に操られた男が戸に聞き耳を立てていた。
ここまでは泳がせてある。焚き火の偽装もここからでは判らない。だから、青鬼は策が上手くいっていると思ったのだろう。
男が閂を外した。
スクナはオンの成りで眺めていた。柵の上に隠れて、全員が入って来るまで待った。
最後に青鬼が入ってきた。初めて見た青鬼の姿に違和感を感じた。
オンほどの巨体ではないが、躰は大きい方だ。しかし、頭だけはオンより大きいのだ。それが不恰好に見える。
「待っていたぞ! 青鬼党!」
スクナのオンがその場を囲った柵の上から姿を現した。
巨大な鬼の姿に敵が驚愕している。しかし、さすが精鋭だ。逃げようとはしない。
スクナが右手を挙げた。手のひらが大きく開かれている。その中に白い玉が現れた。
玉は閃光を放ちながら大きくなっていく。
それを敵の真ん中目がけて投げ込んだ。
一面に稲妻が走り、全員が痺れた。
その内に、ばたばたと倒れ死んでいった。
(スネ。初めからこれを一発お見舞いすれば、それで済んだのじゃないか?)
(ばかを言うな! そんなに力を使ったら、力尽きて当分動けなくなるわ! 無から有を生み出すのはかなり大変なんだぞ。在る物の大きさを変えるのとは訳が違う。今のでも相当疲れたから、少し休んでるぞ)
スクナは思わぬ弱点を聞いてしまった。
そして覚った。
父シュクザが、どうやってスネを封印したかが朧気に解かった。
スネは黙っていた。
敵は全員死んでいたが、その中に頭の青鬼がいなかった。抜け道から逃げたのだろう。
スクナが追った。慌てて鬼面を外す。
穴道には数人の手下も逃げていた。道は狭いので、一人一人と倒していった。とうとう出口まで青鬼の姿は見つけられなかった。
スクナが出口から出た。そこに青鬼が佇んでいた。すでに取り囲まれている。三方の敵を破った六名に。
カツラギがノブスマを放った。青鬼が金縛りに動きを止めた。
「三面払いでとどめを刺すぞ! カツラギ! クマリセ! 面へ戻れ!」
二人がスクナの懐へ吸い込まれた。
スクナが三面を着けた。アスラの舞を取り、八方陣を作る。
八方陣が青鬼の胸へ飛んでいくと、仰向けに倒れて息絶えた。
「頭を倒した! これで終わりだな。皆、ご苦労!」
スクナが言うと、皆が晴れ晴れとした表情で戻っていった。
その時、ヤスがククリに語りかけた。
(ククリ。どうやらスクナが頭を倒して終ったようだわ。しかし、変よ! あの操られた男から傀儡の魂は離れていない。傀儡はまだ生きているわ! スネ兄様は何してるのかしら?)
その言葉に……ククリに不安が芽生える。全てを捧げあった本物の夫婦にしかわからない予感。魂の絆で結ばれた者の虫の知らせ……
近くにあった弓を取って、ククリがオコナに跨った
「イカルガ! 急いでスクナの所に飛んで!」
翼を広げたオコナが飛び立った。
飛びながら、ランを呼び出すとその羽に宿らせた。
近づくククリの左目は見た。傀儡の魂を……
青鬼のむくろが動いた。
青鬼の大きな頭が胴から離れて起き上がった。頭だけで生きている。
「スクナ! 伏せて~!」ククリの声が空から響く。
翼を広げたオコナに跨ったククリが、弓を構えて宙にいた。矢はランの羽だ。
左目がスクナの後ろに狙いをつけていた。
(ラン! 私の的が判る?)
(はい。感じるわ)
(あいつの魂を貫いてくれる?)
(解かったわ)
「行け~! ハハヤ~!」ククリが矢を放った。
二枚羽の羽羽矢が飛んでいく。
途中から羽の矢が光の矢に代わった。
矢が頭を貫いた。魂を射抜かれ絶命した。
スクナ達がそれを見て、初めて青鬼の頭に気づいた。
ククリがスクナの前に舞い降りてきた。
「そいつが傀儡の正体よ!」戻った羽を髪に括りながら言った。
スクナが慌てて検分に向かった。それに近づくと、残された胴が見に入った。はげ頭の人の顔が付いていた。頭だけが別の生き物であったのだ。
次に鬼の頭を窺う。よく見ると……どうやらそれは鬼の面のようだ。
面を捲ると角も一緒に外れた。ちりじりの髪の中には、小さい頭と胴と短い手足がある。小人だ。
この小人が傀儡だった。小人がくないを持っていた
「小人の傀儡か……カトラの同族かな?」スクナが言った。
それに対して、ブトーが応えた。
「カトラも手に入れ墨をしていました。こいつの手にも入れ墨がありますので、あるいは同族でしょうか?」
「違います!」ククリが突然言った。
「ククリは小人を知っているのか?」
「はい。テコナ様から聞いた話ですが、この小人は古の民でトイチ族ではないかと思われます。土蜘蛛族よりもっと昔には、この国に小人が多くいたそうです。彼らには、聖と邪の二つの族があったそうです。だから、小人だからと云って一概に同族とは限らないと思います」
「さすがは、物知りのククリだ。それなら、カトラとは別なのだろう」
今度こそ、方が付いた。
タタラ場に戻ってみると……全員に迎えられた。
大した時もかからずに野党の掃討が成功したので、まだ宵の口だとばかりに宴が始まった。
各々がそれぞれの部隊との戦況を報告した。
ソモンはそれを総括して感嘆した。スクナの適材適所が見事にはまった事が、完勝の要因であった。その事が浮き彫りになっているのだ。
この場にはカツラギとクマリセも加わっていた。この二人の功績は大きい。酒をふるまわれたクマリセが浴びるように飲んでいる。今宵ぐらいはよいだろうと皆が見守る中、酒宴が続いた。
……翌朝。エンクが颯爽と会いに来た。
「できたぞ、スクナ。検めてみろ!」
スクナの前に箱が二つ並べられた。ヨアケムの白銀でホキができあがったのだ。
しかし、実に都合の良い手筈である。本当は既にできあがっていたのではないだろうか。事前に知っていた事を考えると、充分に有り得る事だ。
スクナが蓋を開けて、取り出した。
正三角形の白く輝く皿だ。皿と云っても真っ平な平皿で、手のひらに丁度よい大きさだ。
スクナが二枚の皿を右手のひらに一枚、左手のひらに一枚、それぞれ乗せた。重さを比べるような仕草だった。
「重さが違いますかな?」エンクが何か気に入らないのかと訊いた。
「いいえ。重さも大きさも全く同じ。見事なできでございます。唯、全く同じだと、どちらがホでどちらがキだか判らなくならないかと……どう見分けるか考えているのです」
「それなら、名を付けなさい」ククリが簡単な事だとばかりに言った。
「そうだった! 確か、ホがツルでキがカメだったな。そう名付けろと言っていた」
ククリが頷いた。
スクナが右手を挙げた。
「言挙げる! このヨアケムの白銀のホの名を……ツルとする」
ホの皿が光った。
今度は左手を挙げた。
「このヨアケムの白銀のキの名を……カメとする」
キの皿が光った。
これで名を呼べば光って教えてくれるだろう。
「これで、残るは、聖なる獣が一体のみだ!」
スクナがそうは言ったが……その最後の一つには、もう宛がなかった。
「誰か宛はないか?」これはほぼエンクに向けた問いかけだった。
それにエンクが応えた。
「それが見つかった時には、また依代が必要かな?」宛の事ではなかった。
「はい」スクナが即答した。
「それでは……これを遣ろう!」遣る理由がたった今、見つかったと云う感じだ。
エンクが剣を差し出した。
スクナが受け取る。長さは十握だ。トツカ剣だ。
鞘から抜くと、身がヨアケムの白銀だった。それも、こちらは鞘にぴったり収まる長剣だ。
「ありがとうございます。エンク殿!」
エンクの感謝の大きさが窺えた。この剣は神宝に値する程の物だった。しかし……これは本当に感謝だけであろうか? スクナの疑問が顔に出てきた。
「合点がいかないようじゃな? やはり、話してやるべきかな? その剣は、おまえだからこそ、託すのじゃ……」
「…………」
「おまえの父の名は……シュクザであろう?」
「やはり! 父はここに来ていたのですね!」
「初めて顔を見た時は……シュクザが戻ってきたと勘違いしたぞ! それに、コシのキリン党霊で確信した。それではまた、一つ能書きを垂らせて貰おうかの……」
「その剣は、シュクザに遣った物じゃ。おまえと同じで、シシを借りに来てな……その時のシシはムラクモと言った。ヤクモの兄に当たる。それをその剣へ依代にして出て行った。それと……ホキの皿もじゃ。それが……何年かして……ムラクモだけが戻ってきた。シュクザに何があったかは知らぬが、ムラクモは剣と二枚の皿をくわえていた。先程の皿はその時の皿じゃ!」
スクナがホキの皿を握り締めた。
「これを……父が……使っていた……」
感無量となったスクナの目に涙が溜まってきた。
顔を上にして堪えていたが……とうとう涙がこぼれ落ちた。
「父は……今だに……戻ってきません!」
握り締めた手が震えていた。
「式が帰ってきたと云う事は……」スクナが呟いた。
「スクナ! まだ諦めないで~!」ククリが泣きながら叫んだ。
スクナの涙が止まった。
「ムラクモが戻ったのは、何年前ですか!」
「十年ぐらい前じゃ……」
「父がここに来たのは?」
「その五、六年前じゃ……」
スクナの記憶と一致する。
「そう云えば、此度のムラクモは式を嫌がっていてな、思い入れがあるのか解からぬが、一度誰かの式となったら、他人と式を結ぶのが嫌なそうじゃ。それから、シュクザが剣の身は短い方が軽くてよいと言っていた。だから、此度は短くしたのじゃ」
スクナがいつものスクナに戻った。
ホキの皿を箱に戻して、父の剣を取った。
手に剣を持ちながら、皆を見回す。
巫に剣はいらない。これを誰に託すかと云う表情だった。
案の定、ブトーの目の色が変わった。
ショウキもごくりと生唾を飲んだ。
「やっぱり! 誰にもやらん!」
ブトーとショウキがうな垂れた。
この反応は、残念な気持ちだけではなかった。安堵しているのだ。父から譲られた体裁になった事。依代とするならば血で汚す訳にはいかない事。そう云った理由からだ。
スクナはもう別の考えを廻らしていた。最後の一体の事である。
カリマとカトラとの未練がよぎっていた。実は、別れの日に二人に御先の借用を打診していた。それは呆気なく断られた。理由はイルカとワニは海から離したくない。それだけだった。依代にすれば心配ないと言ったが、海から連れ出すのは危ないと一蹴された。
そして……ツナデの事も思い出した。
「やはり……ツナデの件が、口惜しいな……」思わず口ずさんだ。
後は、土蜘蛛族のエミシの地を宛もなく彷徨うか……時間の無駄になる可能性は高い。
スクナが決断した。
「いったんコシに戻るぞ! 今度は西を目指そう!」
そのままヨアケムを発った。
来た時とは反対の裏山への道を進んだ。この道はケノの国に続いている。そのケノの先がコシの国だ。野党が砦を築いた裏山を過ぎた。
向こうから見慣れた女が歩いてくる……ツナデだった。
笑みを浮かべて、そよそよと近づいてくる。
スクナは思った……俺はツナデのオナリを持っている。もしや……先ほどツナデの名を呼んだから飛んで来たのか? ランのようにツナデも……それなら、篭目封じの時だけ呼び出せば何とかなるのでは? ……そんな淡い期待を膨らませた。
「スクナ様! お久しぶりでございます」
ツナデが涼しい顔で挨拶をした。ククリの方は見向きもしない。
「何でここにいるのだ? ツナデ!」嬉しい顔は期待のせいだ。
ククリが柳眉をひそめる。スクナの顔を見て何か勘違いしたようだ。
ククリを無視してツナデが応えた。
「何でって。それは……今はカンナツキでございますので、オズナ様がいらっしゃらないのですよ。だから、一目お顔を伺おうと急いで追いかけてきた次第です。ですが、やっと追い着いたと思いきや、もうカンナツキも中頃、来るまで半月かかりましたので、すぐに帰らねばなりません。それでは、旅の無事をお祈り申し上げます」
スクナの淡い期待は水泡に帰した。また、ツナデに踊らされた。
すると、ツナデがククリの方を向いた。
ククリが予想もしない行動に驚いた。
「ククリ様! その節はお世話になりました」充分に皮肉がこもっている。
「…………」
「妖かしが後を付けていますよ。お気を付けを!」
そう言い残して、早々とツナデが帰っていった。
スクナの目がその後姿を追っていた。帰りは素早かった。あっという間に姿が消えた。
結局、何をしに来たのか良く解らない。唯、あの速さでも半月かかるのだ。やはり、ランのように一瞬とはいかない事が解った。しかし、あの速さで半月も掛かると言うのも変だ。ふと異な事に気付いた。ツナデは後を付けて来たと言った。それならば、何故ケノの国の方角から歩いてきたのだろうか? ツナデはカヒの国から来た筈だ。この時には、その理由が解からなかった。
一方、ククリには後を付けてくる妖かしに、心当たりがある。もちろんあの化け猫だろう。ツナデの事は気に入らないが、その言葉に嘘はないだろう。それを信じて、一層の警戒が必要だ。何か良い考えはないかと思案し始めた。
二人がそんな思いを胸にしながら道を進んで行くと……
それを最初に見つけたのは、ショウキだった。
道端に人が倒れていた。近づくに連れ、それは一人どころではなかった。それも全部死人だ。
周りを探すと、ぞろぞろと見つかった。中には十人ばかりが重なっている屍もある。全部で大体、百ばかりだ。屍は例の野党の一味のようだ。
皆……躰が凍っていた。この術には見覚えがある。
「ツナデだ!」スクナが叫んだ。
ツナデが一人で百人を仕留めたようだ。
スクナには、この百人が思い当たらない。
「ブトー! この百人はおまえが打ち漏らした奴か?」
「いいえ! 逃げたとしても、数人の筈です!」
「アコヤ! おまえの方ではないのか?」
「いいえ! 全員、川に流されました!」
「すると、考えられる事は一つだけか! 後から百人が加わりに来ていたのだな!」
スクナの考え通りだった。これはあの増援部隊の百人だった。拙い時にこの百人が現れていたら……こちらに怪我人が出ていたかもしれない。
スクナがまた、考え込んだ。
ツナデが倒したのは、いつの事か? 屍の様子では、たった今ではない。多分……昨夜だ。そうすると、ツナデは少なくとも昨夜には、ここに来ていた事になる。そして、何処かに潜んで様子を見ていたのだろう。
ツナデはこの増援部隊をどうやって知ったのか? いや。知る由はないと思われる。多分、探っている内に、偶然見つけたのだろう。場所から考えて、ショウキの後方だ。ショウキが一番危なかったのだ。
そして、暗にケノの方角から現れて、私が片付けておきましたと言わんばかりだ。
何も言わずに立ち去るとは……ツナデも粋な事をするものだ。と、スクナが微笑んだ。
スクナは今、ツナデの事を考えている……ククリには解かる。
ククリは気に入らない。
スクナが皆にツナデの粋な計らいを明かすと、和やかな雰囲気になった。
そんな中で……ククリ一人だけが機嫌が悪い。
そのククリには……暗い妖かしの陰が忍び寄っていた。
空から時雨が降ってきた。