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棚幡女(たなばたつめ)

 テコナの村に着いたのは、フミツキになったばかりの頃だった。

 村は先住の土蜘蛛族の末裔だ。昔は穴居に住み、入墨をしていた。

 今でも、もっと山奥の村や北に追われた部族ではそうしている。

 テコナはここの村の長ソウジの娘だ。そして、ソウジはスクナの祖父でもある。

 スクナはソウジを初めて見た。もちろんソウジもスクナを見るのは初めてだ。

 真っ先にククリが、おじい様と言いながら飛び出した。

 ソウジは風格漂う翁だった。深い皺が目立ち、髭を長く蓄えている。体の方は丈夫そうだ。腰がしゃんとしている。

 ソウジはククリの顔を見て仰天した。ソウジはククリの痘痕顔しか知らなかったのだ。

「痘痕はどうした?」

「あれは母上が付けた魔除けでした」うつむいて白状した。

 ソウジがテコナを見る。

 テコナが笑っている。

「こんなに美しい娘であったなら、村の中に幾らでも相手がおったものを……それがテコナの狙いであったとは」そう言いながらソウジが笑顔になった。

 そして……スクナを見た。

「スクナか?」愛おしそうに言った。

「スクナです。おじい様」

「わしが死ぬ前に、よくぞ会いに来てくれた」スクナの肩をぽんと叩く。

「私もです……」

「自分の家と思って、ゆっくりしていきなさい」

 その晩はソウジ一族が集められ宴が開かれた。

 スクナ達は紹介を兼ねて、今までの旅の話を披露した。

 百合根の団子を喜んで頬張っていたソモンが、アギバのカタワレの話で突然手を止めた。切ないと同情の涙を流した。感情を取り戻して元気になった証しであろう。

 そのアギバの件で、ククリがテコナに用件を切り出した。

 星読みをしてほしいと、それも七日まで余り日が無いので今夜にでもと懇願した。

 唐突な頼みであったが、和やかにテコナは即答した。アギバの気持ちを汲んでくれたのではあろうが、何より可愛い娘の頼み事だからと言った。その言葉と、その努めた態度に母親の愛情が溢れている。久しぶりの再会を惜しむこともなく、宵の口に始めましょうと言って、準備のため先に座を外した。

 楽しい時は瞬く間に過ぎ、宵の口が迫ってきた。

 折もよく今宵は晴れている。ついたちで月の光はなかったが、星読みにはその方が良く見えるのである。

 スクナとククリが星明りを頼りに裏山の丘へと向かった。

 そこにはテコナが先に着いて待っていた。

 テコナが二人の気配を感じ振り向いた。

「スクナ、ククリ、こちらへ」両手を広げて二人を誘う。

 スクナが右側へ、ククリが左側へ、それぞれ脇に着く。

 テコナが二人の手を取った。

「この世の全ての者は……星のめぐりで運命められているのです。あなた達二人は生まれた時から既に、出遭う事になっていたのです。本当に愛せる人は唯一人……相手は一人しかいないのです……この広い世に名も知らぬ同士が引き寄せられる。こうして手を繋いでいると……私があなた達の赤い糸だったのですね。……それではアギバ達の運命めを見てみましょう。その思いが遂げられるかどうか。アギバの事を思って、宙を仰ぎなさい」

 宙は一面の星で埋め尽くされていた。三人は雲一つ無い東の空を見上げた。

 …………

「キュウ(宮)が見えてきました」

 …………

「ひと際輝く三つの星が見えますか?」

「はい」スクナとククリが同時に答える。

「一番上で白く輝く星が……ククリです」

「その宮は……琴! 琴は龍でもあります」

 …………

「その右下に川が流れています。その先にある赤く輝く星が……スクナです。スクナの星には三つの伴い星が重なっています」

「その宮は……鷲! 六つの星で姿をなしています」

「あら! 今、宮が変わった……」

「今度は首を長く伸ばした亀ですね」

「……その右には蛇使いがいます。左にも何か見えました……」

「それは……狐ですね。ククリとスクナの丁度真ん中で、スクナを見つめています」

 …………

「そして……二人の左下の三つ目の星が……あれがアギバのカタワレですね」

「その宮は……白鳥!」

 ククリが即座に反応した。

「天狗の女に関係がありますか?」ククリが訊いた。

「天女は白鳥に姿をやつして舞い降りると云われていますね」

 天狗の女とは天女の事である。天狗の掟に触れる事は誰にも話していない。

「母上! タナバタツメ(棚幡女)をやってみます」

 棚幡女とは……フミツキ(七月)七日に行う神事である。巫女がサニワ(審神者)となって先祖の精霊を呼び出す儀式である。


 翌日、ククリが一同を集めた。

「アギバのカタワレを探す手立てが見つかりました」

 アギバが真剣に見つめている。ククリを斬り付ける程に……

「七日に棚幡女を執り行います。そこで精霊として呼び出せるかもしれません。その備えに皆さんの手助けが必要になります」ククリが見回す。

 皆が頷いた。

「ショウキ。あなたは白鳥を探してきて下さい。決して傷付けないようにね」

 ショウキが頷く。

「ミヤキは精霊棚を作って下さい。そうね、ブトーが手伝って」

 ミヤキとブトーが頷いた。

「ソモンにもお願いがあります。幟を作って下さい。クスリと書いた物と同じ物を。布はミヤキから貰って下さい。後、当日は日鏡を貸して頂くわ」

 ソモンも頷いた。

「私くしは?」最後に残ったアギバが訊く。

「あなたは七日まで清めていて下さい」

 アギバも頷いた。

「俺は?」スクナもいた。

「あなたは何もしないでいいわ。母上の側にいてあげて」優しく微笑んだ。

「棚幡女には笹の葉を使うのではなかったか?」

「今回は、精霊ではないからいらないわ」

「みんな! 七日までには必ずお願いね」


 ……そして、フミツキの七日になった。

 時は夜明の晩。

 既に一同が集まっていた。

 正面に精霊棚が置かれ、その上に日鏡、白い布の幟、ランの白い羽が用意されている。

 ククリ一人が正装して祭壇の前にいた。

 そのすぐ後ろに、アギバが改まっている。

 ククリがアギバへ振り返る。

「アギバ。カタワレに名を付けて下さい。名が必要になります」

「……それでは、アスカと」

 ククリが幟を手に取り名を記した。

 -アハシマのホウオウ党霊アギバのカタワレ アスカ-

「それでは、辺都鏡へつかがみの法、及び棚幡女を執り行います」辺都鏡はアギバに教わった術だ。

 ククリが白い羽を右手に取った。

「出よ! ラン!」右手を掲げた。

 外が徐々に赤くなったと思うと、すぐに炎の鳥が入ってきた。そしてホウオウの姿になる。

「何よ! こんな真夜中に!」寝ていたのか不機嫌だ。そのわりにはすぐに来た。

「ごめんね、ランちゃん。早速で悪いんだけど、急いでるの」

 反応も待たずに急く。

「ランよ! ヒカガミに宿れ!」

 ランが日鏡に吸い込まれた。

 ククリが左手をアギバに差し出した。右手にはランの羽を握ったままだ。

「アギバ。私の手を取って。アスカの事を思って……」

 アギバがすがるように両手を差し伸べた。ククリの左手が包まれる。

「それでは行ってきます」ククリが言ったが、何処に行くのか。

 ククリが目を瞑った。

「ひと。ふた。み。よ……」数える毎に日鏡の赤い輝きが増していく。

「……ここの。たり! ふるべ。するするとふるべ」

 その呪文が終ると、ククリが止まった。

 ククリは何処にも行っていない。

 実は、この場にいる者には見えていないだけだった。

 ククリがもう一人いて、この様子を見ていたら判ったであろうが。

 ククリの四つ魂の一つが抜けて、鏡の中へと入っていったのだ。ランの力を借りて。

 その後ろを尾を引いた霊代が付いていった。ヤスであった。危険を伴うと云う事だ。

 ククリは今、闇を突き抜けている。その前には炎の鳥が先導している。

 ……そして、見つけた。

 前方に光が見えた。それが徐々に大きくなってくる。

 それは鏡だった。日鏡ほどの輝きはない。

 間近まで来ると、その中に何かが見えた。

 女の姿だ。これがアスカに違いない。アギバのカタワレは鏡の中に囚われていたのだ。鏡の中は常世である。

 見つかればもう用はない。ランと一緒にすぐさま戻った。

 ククリが目を開けた。

「アスカを見つけたわ! アギバ、ヒカガミを見て!」

 アギバは既に凝視していた。

 そこには、先程の鏡と中に女の姿が映っていた。

 すると……

 凝視するアギバの左手の小指から炎の糸が伸びてきた。

 糸が鏡の中へと進んで……瞬く間にアスカの小指へと繋がった。

「アギバ! 速く糸を手繰って!」

 アギバが無我夢中で糸を手繰る。

 鏡の中のアスカが見る見ると大きくなった。

 日鏡から抜け出したと思った時……

 突然、鏡から光が溢れた。優しい光だった。

 その光が徐々に纏まって、女の姿に変わっていった。 

 アギバの前に、産まれたままの姿の美しい女が現れた。

「我がカタワレよ……」アギバが震えている。

 二人の間を炎の糸が繋ぐ。

 アスカはまだ周りが見えていない様子だ。

 光が完全に消えたと同時に、その姿が薄れ始めた。

「ショウキ! 白鳥をここに!」ショウキが鳥篭に入った白鳥を素早く運ぶ。

「そうだ! 白鳥の名を決めていなかったわ」ククリが珍しく如才を放つ。

「ハグイ」スクナが決めてしまった。

 ハグイは白鳥の別名でそのままであったが、急がねばならない。ククリが式を執った。

「言挙げます! この白鳥の名はハグイ! ハグイを我が式とする」

 白鳥が光った。それと同時にショウキが籠から放した。白鳥は式を執ったので逃げ出さない。

「アギバのカタワレのアスカを我が式とする。依代はハグイ」

 光を帯びたアスカがハグイへと吸い込まれた。

 その光が薄れていく。

 それが完全に消えた。

「続いて、足玉の法を執り行います」

 ククリが白鳥の羽を一本引き抜く。 

 ミヤキがフル玉を掲げククリに渡した。

 羽を玉の緒に刺した。

 外のオコナを確かめると。

「キリンのイカルガよ! フル玉へ宿れ!」

 オコナの角が消えて、黄色い光が飛んだ。

 フル玉に吸い込まれると、黄色に変わった。

「ひと。ふた。み……たり。ふるべ。ゆらゆらとふるべ」黄色く輝いた。

「アスカの現身よ! 出よ!」

 白鳥がどんどんと大きくなった。

 女の姿になって先程のアスカの姿が現れた。アスカが生身を得た。

 その小指の糸はまだアギバへと繋がっていた。

 アスカが糸を手繰ってアギバに気づいた。

 アスカが近づいて、アギバに包まれる。

 アギバが感涙に咽る。

 待ちに待ったこの時がきたのだ。しかし、何も言葉が出ない。アギバには言いたい事が山ほどあるだろうに。

 アギバが思い出したように、懐から団扇を取り出した。

 アスカが受け取る。

 これからアスカは羽衣を織るのだろう。

 その時、ククリが日鏡へ振り向いた。

 鏡の中に黒い点が浮かんできた。

 それがどんどんと大きくなって……黒い獣らしき形になった。

 辺都鏡の法を終らせていなかったので、常世が映し出されたままであった。日鏡にはまだランがいるのだ。

「ランよ戻れ!」ククリが慌てて言った。

 ランが抜け出すと、日鏡の光がふっと消えた。

 魔が物がアスカの後を追ってきていたらしい。あれがアスカを鏡に閉じ込めていたモノだろう。危ない処で間に合った。

 ……アギバとアスカは、そんな事にもお構いなく、見つめ会ったままだ。

「二人はこのままにして休もう」スクナが皆に言った。


 翌日は、アギバとアスカの披露の場となった。

 ソウジに村の集い場を借りた。

 二人はあのまま寝ていないのだろう。いや、眠れないだろう。

 アスカはもう羽衣を羽織っていた。

 皆はその早業に驚いた。それにどうやって織ったのかも判らない。多分、織っている処を見てはいけないような……そんな秘密の匂いがする。

 それより、重大な事が判った。

 アギバが言った――

 アスカは言葉が話せないのだ。話し掛けた言葉は解かっても、それに応えて口をぱくぱく動かすだけで、声が出てこないのだと。

 これは仕方の無い事なのか。アスカはまだ現世に産まれてきていないのだ。本来は、アギバと一緒に産まれる筈であったのが、何が原因なのか囚われてしまい、今までずっと鏡の中にいたのだ。その影響で声が出せないのか……その内言葉を話せる様になるだろう。そう思うしかないと……

 その披露宴では、特別にホウオウのランを招待した。二人に縁があるからだ。尚且つ、アギバのカタワレが見つかった事をホウオウ党霊に知らせる為だ。

 宴の途中でテコナが現れた。アスカに祝いの品を携えていた。ガタガキ(琵琶)であった。くずの葉を模った小さな琴だ。子供の時に亡くなったテコナの妹ウルマの形見だと言う。これをアスカへ贈った。

 アスカが喜んで琵琶を抱えた。始めはやたらめったらに弦を弾いていたが、少しづついい塩梅になってきた。

 それを見ていたアギバが何かを取り出した。

 ホウオウを模った物だ。アギバが、これはホウオウ党霊だけが扱える楽器で笙であると言った。

 皆は、アギバが楽器を扱う事も知らなかったし、その楽器を見るのも初めてであった。どんな音色なのか皆で興味を寄せる。

 しかし、アギバがなかなか始めない。じっと手のひらでそれを握ったままだ。焦らしている訳ではなかった。暖めていたようだ。やっとそれを口に持っていった。その不思議で幻想的な音色に皆が歓声をあげた。

 ランが羽ばたいて特に喜んだ。

 いつしかアギバの笙の音色にスクナの龍笛の音が重なった。アスカの琵琶にもククリの和琴が……そして、気づくと他の者達がお囃子衆となっていた。

 ブトーが大太鼓、ミヤキが小太鼓、ソモンが鉦、そしてショウキが持った物が笏拍子だった。

 この笏拍子は天神から下賜された最後の一つである。ククリがショウキに委ねたのはつい先日だ。夏に白鳥を捕らえてきた難儀に対する褒美だった。楽の中で笏拍子を扱う者は音取を意味する。ククリはショウキがそれに値すると踏んだようだ。スクナもこの事には納得した。

 ショウキが笏拍子を十字に構えて打ち鳴らした。ツルバミ(櫟)の乾いた音が響く。途端に打ち合わせしていたお囃子衆がぴたりと会った。即興の祝りの楽奏が始まった。この時、初めて三つの楽器の音が重なったのだ。

 ……するとアギバの笙から火の玉が飛び出した。それがゆらゆらと漂いアスカの口へと吸い込まれた。アスカが一つ咽ぶと突然立ち上がった。

「舞いまする」アスカが突然言葉を発した。すこし呂律が回っていないが。

 テコナがその声を聞いて驚いた。それはウルマとそっくりな声だったからだ。

 周りからも喜びの様子が窺える。しかし、自然と手が止まらなかった。

 この場の空気が何か華やいできた。

 龍笛と和琴と笏拍子が合わさって、歓喜の鎮魂になっている。

 いつの間にか、周りを村人全員が集まって囲っていた。皆が笑顔だ。イカルガのオコナも嘶く。

 アスカが中央に踊り出た。

 アスカが舞った。天女の舞だ。

 ククリも堪らず踊り出た。

 ククリは鶴の舞。

 白鳥と鶴の二人舞になった。

 左舞がアスカで様になる……

 右舞がククリでさすがに上手い……

 その内ククリがはしゃぎだした。

 アスカも舞い上がる。

「今度は私が花になるから、アスカは蝶になって」ククリが言った。

 ククリが初めて見せる無邪気な様子だ。

 村が一時、祭りになった……

 去り際にテコナがスクナに言った。

「ククリの、あのはしゃぎぶりは、私も初めて目にしました。あの子は……私が痘痕を付けたせいで友達と呼べる者が一人もいませんでした。箱入り娘同然に育ったのです。だから、アスカはククリの初めての友達ですね。……そしてここで子供の頃に忘れた物を取り戻したのだと思います」

「私も……子供の頃の忘れ物を取り戻しましたよ。母上と楽しい時を過ごせました」

 母と息子が微笑み会う。

 その時、アギバの罵声が響いた。

「アスカ、余り付け上がるな! 我らは供の者だ、わきまえろ!」笙を手にしながらアギバが野暮な事を言った。

「すみません」アスカが謝った。

「構いませんよ。アスカは私の友達ですから」ククリが弁解する。

 一同がアギバの異変に気づいた。

 等のアギバは……泣いてアスカを探してくれと頼んだ頃の面影もない。まるで別人だった。

 この時から、アギバの愛しみの心が表れなくなった。一貫して厳しい天狗となる。これ以降、アギバは二度と涙を見せなかった。これも天狗の宿命だ。あの火の玉はアギバの心が作った愛しみの炎だったのだ。

 それを知ったククリが悲しい表情になった。そして語った……人にも産まれつき三つ魂がいるそうだ。荒魂が無い臆病者。奇魂が無い愚か者。和魂が無い嫌われ者。幸魂が無い厳格者ないしは薄情者。

 この原因も語った。シムゲと言う邪神の仕業らしい。産まれる間近を狙って魂を一つ奪って行く。人を不幸にして喜ぶ邪神だ。この不浄の邪神を嫌う事から、その時期を触穢と云って遠避けるのではないかと……

「そうでしたよね? 母上」

 テコナが頷く。

 序にと、ソモンが言い出した。

「ショウキ殿は、どのようにしてあの白鳥を手に入れたのですか? 夏に白鳥はいない筈ですが、どうか種明かしをして下さい」どうしても気になると云う態度だ。

「種明かしですか? そんな大層な事ではありません。山奥のマタギがたまたま白鳥を捕らえていて飼っていたのです。羽を怪我して帰れなくなっていたそうです。それを譲って貰いました」

「只で貰えましたか?」

「いいえ。雉十羽を吹っかけられました」

「そうでしたか。これで納得できました」ソモンは細かい性分のようだ。

 ……これでアギバとアスカの件は、誰もが方が付いたと思った。

   

 そして……夜になった。

 皆が寝静まった真夜中の時である。

 庭に白い子猫が現れた。鈴を付けているので何処かの飼い猫だろう。

 ちり~ん! ちり~ん!

 アスカが目を醒ました。

 鈴の音に近づいて行く。

 戸を滑らし外を見た。

 アスカが白い子猫と目が会った。 

「見つけたぞ! 我が舞子よ」猫がしゃべった。

 それと同時に、子猫がどんどん大きくなり始めた。

 大きな黒い化け猫となった。

 日鏡を追いかけてきた黒い獣だった。ここまで辿り着いたのだ。

 アスカは金縛りになって身動き一つできない。

 ククリが真っ先に気づいた。

「どうしたの? アスカ」ククリが近づいた。

 化け猫がククリに気づいた。

「おまえは……あの時の巫女だな」不敵に微笑んだ。

 今度はククリも金縛りになった。

 ククリはこの化け猫を知っていた……七才の天神参りで……

「とんだ所でいい物を見つけたぞ! もうこいつには用はない!」

 アスカには目も触れず、ククリだけを見つめていた。 

 この騒動に全員が目を醒ました。

 しかし……スクナだけがまだ寝ている。いや、これは神入だ。

(スクナ。次の敵は動きが速い。三面祓いの前に動きを封じる技が必要になる。だから、縛りの術を教える。しかし、今回は俺ではなくカツラギだ)

 スクナが神入りのまま天狗面を取り出し被った。

(スクナ様。今から天狗の秘術ノブスマ(ムササビ)縛りをお教えします。これはコホシ(九星方陣)の力で敵を金縛りにする技です。細かい件はこの様に……まず左手で左の方陣を作ります。手筈は頭に縦三、横三の九星方陣を浮かべて下さい。そして今から言う順に指をなぞります。一が中の上、二が右の下、三が左の中、四が左の下、五が中の中、六が右の上、七が右の中、八が左の上、九が中の下。これが縦横斜め全てが足して同じ数になる九星方陣です。続いて、右手も同じ様に作ります。こちらは、一が中の下、二が右の上、三が左の中、四が左の上、五が中の中、六が右の下、七が右の中、八が左の下、九が中の上。これで左右に二つの方陣ができます。両手を合わせて左右の方陣を重ねます。すると、それがノブスマの形となります。これを敵に向かって「縛れ」と言い放って下さい)

 スクナが戻った。

 ククリが目の前にいた。その先には化け猫だ。スクナが敵を確認した。

「アギバ! 明りを灯せ!」スクナが命じる。

 アスカを抱き抱えていたアギバの指先から炎がほとばしって、燭台に火が灯る。

 化け猫がくっきりと浮き上がった。

 それを見たミヤキが悲鳴をあげた。

 ブトーがその前へ立ち塞がる。

 化け猫の後ろに回りこんでいたショウキが、浮き上がった影に蜂の針を投げつけた。

 影踏みが決まった。

 スクナがその隙に裏口から庭へ回りこむ。その位置だとククリに遮られ術が放てない。

 化け猫が大口を開けた。もう影踏みが解けかかっている。

 ブトーが剣を抜いた。

 ショウキが大蛇の牙を構えた。

 スクナが九星方陣を張る。

 化け猫の口から鏡が出てきた。アスカを封じていた鏡だ。

 鏡が光った。

 ククリがそれにすっーと吸い込まれていく。

 鏡の寸前で止まった。左目が光っていた。

 鏡の前でククリがにらめっこをしている体裁になる。

 スクナがノブスマを放った。

 化け猫が痺れて震えている。金縛りが決まった様だ。

 すかさず三面祓いに入る。

 ブトーが飛び出して、化け猫目がけて早業を繰り出す。

 しかし腰が退けていたのか、剣が外れて尻尾を切り取った。

 よく見ると、ブトーの足は震えている。

 その隙にソモンがククリを取り戻した。

 スクナが八方陣を投げつけた。

 しかし、それが届く前に化け猫が消えた。尻尾が切らた拍子に、ノブスマが解けていたのだ。

 八方陣が残された鏡に当たった。

 その勢いに、鏡から光だけが飛び出した。鏡から離れた光が、何故か消えない。

 光が徐々に薄れていく。

 それは……白く丸い毛玉だった。

 その毛玉から足が出た。

 そして……長い耳が出た。

「これは……何だ?」スクナが誰でもなしに問う。

 …………

 誰も知らなかった。

 まん丸の兎に見える。

 スクナがククリを探す。ククリに断じてもらおうと……

 しかし、ククリはソモンの脇で震えていた。

 スクナがククリに近づき、抱き寄せた。

「大丈夫だよ。ククリ。もういなくなった」

 しかし、ククリの震えは止まらない。

 スクナがこんなククリを見るのは初めてだ。余程、猫が嫌いだったらしい。

 思わずククリに言った。

「ククリ。かわいいよ」

 すると、ぴたりと震えが止まった。そっと顔を上げ、スクナを見る。

 口元は笑っているが、目が怒っていた。

「そうだククリ。あれを見てくれ」慌てて目線を反らした。

 ククリが丸い兎を見定めた。

 そして首を横に振る。

「あれは聖なる獣ではありません。見かけによらず荒れた質です。それに……あの物の怪の手先ですから……」

 スクナはその理由だけで得心しなかった。スクナには聖獣に見える。そして、ククリの言い方が嫌悪のよる偏見に思えたからだ。

 ククリを抱き寄せた。

(ヤス様。あの獣は篭目封じに使えませんか?)

(だめです。あれは現世の獣ではありません。月の玉兎です。玉兎は現世では力を出せません。それに聖なると云う点でも難があります。

 ……そのまま連れて行くのがよいでしょう。いずれ何かの役に立つかもしれません。そして、いつか月に帰してあげなさい。

 しかし、鏡に封じるのは止めなさい。どうなるかは、もう解かっているでしょう?)

 今度はスネが忠告してきた。

(念の為、式にしておいた方がいいぞ。こちらに害が及ぶ前に。間違って鏡に封じられては大変だ)

 スクナが玉兎を見た。今はアスカの腕の中にいる。とても凶暴には見えないが。

「ククリが式にしてくれ」スクナが言った。

「嫌です」即答だった。

「仕方ない……言挙げる! この玉兎を我が式とする。名は……ワタミ」

 玉兎が光った。

「スクナ様! 申し訳ありません!」ブトーが突然、土下座した。

 変な顔の失意の表情だった。

「気にするな! 祓いが決まっても、あいつは死ななかったさ」スクナは諦めも早い。

 辺りに鏡と化け猫の尻尾が残った。

 尻尾は蛇の様にうねうねと動いている。

 その内、地の中へと消えていった。

「ブトー、この鏡はおまえが持っていろ! 化け猫が取り返しに来るかもしれないぞ」少しは根に持っていた。

 ブトーが青ざめた。

 そして……ミヤキが笑う。

 その後、ショウキ、アギバ、ブトーが手分けして化け猫を探してみたが、何処にも痕跡はなかった。

 唯、尻尾が消えた処に、どす黒い血の跡だけが残っていた。


 スクナ一行が立ち去った後、そこに尻尾のない化け猫が現れた。

 血の跡の周りをうろうろしている。どうやら切られた尻尾を探している様だ。

 化け猫が子猫の鳴き声で鳴いた……

 しかし……見つけられない様だ。

 ……小首を傾げて諦めて立ち去って行った。

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