タイムパラドックスは起きないんじゃないのか
過去にも未来にも自由に行き来できる夢の機械、タイムマシン。この間どこかの学者に過去へのタイムトラベルは不可能だということが証明されたようですが、そんなの知ったことではありません。ロマン大事だよ、ロマン!
つーことでタイムマシンについて少々思考をし、シュタインズゲート(タイムマシンの出てくるアニメ。超面白い。ゲーム原作。宣伝じゃないですよ!)を見ているうちに、ふと思いました。
過去改変やパラレルワールドってSFの定番だけど、そんなのありえなくね、と。
タイムマシン肯定しといて何言ってんだこいつ、と思う方もいるでしょうが、聞いてください。
SFでの過去改変は、「未来からやってきた何か(人とか色々なもの)によって、世の中の流れが変わり、未来が変化する」です。
有名なのは某青色ネコ型ロボットの作品でしょうか。本来の流れであるのび○とジャイ○の結婚ではなく、過去を変えてのび○としず○をくっつける、という。つうかセ○シは努力しないで頭よくなるために、父親が「いなかった事」になっても構わないと思っているクソ野郎だと思うんですが、みなさんは思いますか?
話が逸れました。
ここで、SFでは「過去が変わったんだから、未来も変わるだろう」という理論で話が展開されます。シュタインズゲートでは「過去が変わってもある程度の変化ならば、結果(未来)はさほど変わらない」とされています。
どちらも、過去改変は多少なり未来に変化を与えています。
ですが俺は思うわけです。
「過去は既に過去として成立しているのだから、未来のヤツが過去にやってきて行動した事でさえ、過去として成立しているのではないか」、と。
例えばタイムマシンで未来人が過去にやってきて、誰かを殺したとします。従来の過去改変にそって考えれば、殺された人の未来はなかったことになり、未来が変化、もしくはパラレルワールドに分岐します。
けど、「未来人が殺した誰か」は、元々すでに死んでいることになっている可能性も考えられるんじゃないでしょうか。
よくこういった話であつかわれる、「親殺しのパラドックス」。
過去に言って自分を産む前の親を殺した場合、自分はどうなるのか。
これを手っ取り早く解消するのがパラレルワールドです。世界は分岐するから、親が殺された過去と別の世界に存在している自分は、消滅する事はない。
しかしこれ、やっつけもいい所じゃないでしょうか。
つまりこの理論を突き詰めると、パラレルワールドは無限に広がっていて、俺が数秒後に鼻くそをほじる世界とほじらない世界、右手でほじる世界と左手でほじる世界、人差し指でほじる世界と小指でほじる世界……と、アホのような量のパラレルワールドが生まれることになります。
考えすぎだろ、と思うかもしれませんが、SFなんてそんなもんです。
「過去が既に確定している」と考えると、未来は自由です。不確定で、俺がどんな行動をしてもいい。けれど、それが過去になったら変わらない。タイムマシンがあろうとなかろうと、俺は確実に鼻くそをほじってる(例えですよ。ちゃんとティッシュで鼻かみますから)。
親殺しのパラドックスについては、「殺せない」の一言に尽きるんじゃないでしょうか。
殺そうとした事実は過去になっているわけですし、殺せなかったのはもう確定。殺そうとしている人は色んな理由で殺せないはず。見つからないとか、邪魔されるとか、タイムマシンの誤作動とか。
未来を変えようとする、その行動自体が既に「された事」になっているから、未来に変更はない。ちょっと微妙な例えになりますが、あみだくじの結果が気に入らないから線を付け足そうとしても、その線はもう付け足されている、みたいな。それはもう行われていて、結果は同じ。
ちょっとまて、と仰る方もいると思います。けど、俺はパラレルワールドよりはこっちの方がありえると俺は思ってます。
過去は確定されている。だから、過去は例えタイムマシンでも変わらない。分岐もない。時間は一つだけ。
タイムマシンに対する、ロマンなんてこれっぽちもないだろお前、という突っ込みはもっとも。俺も書いててちょっと思いました。けど、それが確定されてようがなかろうが、時間旅行できるってだけで、ロマンありますよ!
発想の元は、遊戯王モンスターカプセルGB(知っている人いるのか)の孔雀舞ステージの時の魔術師の発言「過去を変えても結局息子は死んだ」だったりして……
あれは、「過去が変わってもある程度の変化ならば、結果(未来)はさほど変わらない」でしたが。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
なんか意見あったらくれるとうれしいです。