カツカツと鳴る音
今日も杖で地面を突く。
歩いている訳ではない。
その場のアスファルトを突くだけだ。
カツカツと音が鳴る。
ただ、音を鳴らしていた。
ただ、音を鳴らしている事が必要だった。
もう、何日も、何週間も、何か月もこうしている。
日付が変わる頃に家を出て、少し歩いた自動販売機の前で杖を突く。
一時間程そうして、家に帰る。
そんな毎日だった。
こんな事を始めた切っ掛けを忘れる事は出来ない。
忘れてしまいたいとも思うが、無理な話だった。
余りに印象的な夜の話。
それを話してみようと思う。
俺の家は、線路沿いに建っている。
赤子の頃から住んでいる家だ。
そこから大学に通う日々。
一人暮らしをしている友人を羨ましいと思う事もあるが、慣れ親しんだ実家の自室と言うのも気楽と言えば気楽だった。
そんな暮らしの中で、ある時から違和感を覚えた。
最初が何時だったのかは分からない。
だが、一度違和感を覚えると、それ以降は気になって仕方なかった。
それは何か。
電車が停車する音が聞こえるという事だった。
線路沿いと言っても、俺の家は駅の近くという訳ではない。
電車の停車音が聞こえるはずが無かった。
自室の窓から線路を見下ろしてみても、電車など停まっていない。
最初は気のせいかとも思った。
だが、電車の停車音は毎日聞こえてきた。
毎日、毎日、日付が変わる頃に聞こえる。
ちょうど、終電の電車が通り過ぎる時間帯。
そして、その音は、少しずつ大きくなっている気がした。
電車の停車音。
ドアの開く音。
何者かの足音。
そして、電車のドアが閉まり、電車が出発していく音。
そこまで聞こえる様になっていった。
自分の頭か耳がおかしくなったのかと思った。
そう思ってしまったがゆえに、家族には相談できず、ただ、悩む日々を送る。
そんな日々の中、何時もの様に音を聞く。
電車の停車する音。
電車のドアが開く音。
そして、一つ違ったのが、人の声だった。
「ここ、何処だよ……」
知らない声だった。
自分の声ではない。
家族の声でもなかった。
その声が、そう遠くない何処からか聞こえている。
「だれだ?」
恐る恐ると声を掛ける。
返答は無かった。
その事に、少し安堵する自分が居た。
「こんな駅、知らねぇよ……」
また、声が聞こえた。
耳を塞ぎたいと思う反面、聞き逃したくないという気持ちもあった。
「嘘だろ……。検索にも引っかからねぇ……」
実在しない駅。
有名なオカルト話にあった話。
まさか。
そう思ったが、声は聞こえている。
「異界駅……?」
声が、困惑した様に言う。
声の主も半信半疑といった風だった。
「掲示板サイトに、オカルト板ってあったよな……」
その声を聞いて、慌ててスマホを開く。
この声が幻聴でないなら、書き込みがあるはずだ。
スレ立てしてくれれば分かり易いが、どうなるかは分からない。
関係ありそうなものは全て確認するくらいつもりだった。
掲示板サイトを開き、オカルト板を探す。
少し時間は掛ったが、どうにか見つけられた。
関係ありそうなスレを探す。
すぐに見つかった。
慌てて開く。
【『さかいめ駅』って所に居るんだけど、実在する? ここって、ヤバい?】
心臓がバクバクと鳴っている。
書き込みの日付を確認する。
つい、今しがただった。
しばらく待つと、レスが付き始める。
釣り認定もあるが、スレ主は必死に否定していた。
【『さかいめ』って、『境目』の事で、異界との境って事じゃないか?】
そんなレスが付く。
だとしたら、何故、俺に音が聞こえているか?
それとも、ただ、タイミングが一致しただけで、俺は幻聴を聞いているのか?
【移動してみる。】
そう、スレ主からの書き込みがあった。
そして、すぐに足音が聞こえてくる。
足音が遠ざかっていくのが分かった。
どうしていいのか分からない。
それでも、音の傍に居ないといけない気がした。
ジーンズに履き替え、スマホを握って部屋から飛び出す。
家族は眠っている様で、家は静まり返っていた。
足音が遠ざかる。
耳をそばだてて、必死に足音を追う。
家の外に向かっている気がした。
玄関に向かい、傘立ての傍に立ててあった杖を手に持った。
祖父が、何処だったかの札所巡りで使った杖。
特に意味がある訳ではない。
ただ、縋る物が欲しかっただけだった。
家から出て、耳を澄ます。
足音は聞こえなかった。
僅かな虫の音すら、煩く感じた。
【変な呪文? みたいのが聞こえる。】
新たな書き込みがあった。
だが、俺には聞こえない。
どうしようかと思った。
そして、意を決して、スレに書き込みをする。
【何でも良い。音を鳴らせ。声でも良い。】
返答は無かった。
それでも耳を澄ます。
暫しの後、声が聞こえた。
「音を鳴らせって、どういう事だよ……」
確かに、先程まで聞こえていた声だった。
声の聞こえた方へ向かう。
「歌でも歌うか……?」
声が、小さく歌い始める。
歌声は震えていた。
その声を辿る。
自動販売機の前に辿り着いた時、この場所だと分かった。
辿り着いたが、どうしたら良いかは分からなかった。
「おい」
声を掛けてみたが返答はない。
持ってきた杖で地面を突いてみる。
カツカツと音がした。
繰り返す。
カツカツと音が響く。
【地面からカツカツって音がしないか?】
書き込みをする。
聞こえたら何だというのか。
そうも思った。
少しして、歌声がとまった。
【聞こえる。】
書き込みの返答は短かった。
ここから、どうすれば良いのか分からない。
それでも、やるだけやってみようという気になっていた。
【その音に集中しろ。聞こえている呪文とかも無視しろ。】
これで、戻って来れるかは分からない。
それでも、杖を突き続ける。
カツカツと音が響き続ける。
掲示板を見る余裕は無かった。
どれ位、そうしていたか分からない。
杖を突く音が響き続けていた。
意味はあるのか?
そうも思った。
それでも、気が付けば、すぐ脇に人が立っていた。
眼を閉じ、俯いた若い男だった。
先程までは居なかった。
間違いない。
肩を叩く。
男の肩が跳ねた。
「戻れてるぞ」
そう声を掛けると、男が恐る恐るといった風に目を開けた。
少し怯えた表情で俺を見ている。
「この先を左に曲がって真っ直ぐ行くと、太めの道に出られる。後は、自分でどうにかしろ」
そう言うと、男が駆け出して行った。
掛ける声も見当たらず、黙ってそれを見送った。
取り合えず、助けられはしたらしい。
理由は分からない。
男が辿り着いたという駅が、本当に、この世と異界の境にあるのだとしたら、此方との縁を強くしてやれればと思ったに過ぎない。
それが上手くいったのか、祖父の杖に意味があったのかすら分からなかった。
安堵から、力が抜ける。
その場に座り込みそうになるのを堪え、スマホで掲示板を見る。
【変な男に助けられた。】
『変な』は余計だろう。と、思った。
思わず苦笑しながらも、自動販売機で缶コーヒーを買い、一口飲む。
缶コーヒーの甘さを妙に美味く感じた。
先程は煩く感じた虫の音が優しく聞こえる。
気が付けば、聞こえるはずの無い音は、もう、聞こえなかった。
音が聞こえなくなったのは、その日だけだった。
俺の問題は解決などしていない。
毎日、電車の停車する音が聞こえている。
時折、声も聞こえた。
あの日助けた男が、詳細を掲示板に書き込んだせいで、俺は今日も杖を突く。
時折聞こえる声の主が、杖の音を探すからだ。
戻って来た者もいる。
悲鳴を残して何処かに消えてしまった者もいる。
俺の家が、異界との境なのだろう。
おそらく、あの男が言った『さかいめ駅』と言うのは、俺の家に重なっている。
だから、俺に音が聞こえるのだ。
どうしようも無かった。
できる事は何もない。
カツカツという音が響く。
何時まで、こうしていられるかは分からない。
音は、どんどんハッキリと聞こえる様になっている。
最近、あの男が言っていた、呪文の様な声が聞こえてきた。
俺の杖を突く音で帰って来られるのだ。
この呪文の様な声が間近に聞こえる様になった時、俺が此方にいられるか分からない。
……いや、おそらく、向こう側に行くに違いなかった。
そして、そうなったら、俺は帰って来ない。
帰って来られる訳がない……。
この、カツカツという音は、俺が鳴らしているのだから……。




