絶対に嘘がつけなくなる呪い
詐欺師ジャックの朝は、いつも自分への「甘い嘘」から始まる。
「おはよう、世界一幸運で、世界一賢いジャック。今日も愚かな羊たちの毛をむしり取ってやろうじゃないか」
鏡に向かって極上の笑みを浮かべ、彼はいつものように自分を鼓舞しようとした。
しかし、その日、彼の喉の奥で「真実の種」が弾けた。
鏡に映る自分を見つめたまま、口から飛び出したのは全く別の言葉だった。
「おはよう、世界一卑劣で、手癖の悪いクズ野郎。今日も人を騙して小銭を稼ぐのか? 鏡を見るたびに自分の顔がシワだらけの悪党に見えて、実は吐き気がしてるんだろ?」
ジャックは慌てて自分の口を両手で塞いだ。今の声は間違いなく自分のものだった、言葉は脳を介さず、胃の底から直接せり上がってきたような感覚。
「な、なんだ? 今のは冗談だ。俺は天才詐欺師だぞ!」
必死に自分に言い聞かせようとしますが、唇が勝手に痙攣を始める。
「天才? 笑わせるな。ただ運が良かっただけの小悪党だ。本当はいつ捕まるかビクビクして、夜も眠れないくせに!」
ジャックは膝をつき、冷や汗が止まらない。
(落ち着け、これは悪い夢だ。そうだ、今日は大事な商談がある。あのマヌケな男爵に、庭の泥をこねた『伝説の壺』を売りつける日だ。あいつは金だけ持ってる無能だから、適当な物語(大嘘)を並べ立てれば、金貨百枚は固い……!)
そう自分を律して家を出たものの、通りすがりのパン屋の主人に「ジャック、今日は一段と顔色が悪いな」と声をかけられたのが運の尽き。
「ああ、ちょっと寝不足でね……」と返すつもりが
「お前の焼くパンが石炭みたいに硬くて、昨日から腹を壊してるせいだよ! 衛生管理をどうにかしろ!」
と叫んでしまった。
驚愕して固まる店主を背に、ジャックは全力で走り出した。口を押さえ、鼻歌で誤魔化そうとしても、「今の走りは滑稽だ! 泥棒が逃げているようにしか見えないぞ!」と自分の声が追いかけてくる。
「呪いだ……これは、絶対に嘘がつけない呪いだ!」
絶望に打ちひしがれながらも、約束の時間は刻一刻と迫っていた。キャンセルすれば男爵の怒りを買い、この街にはいられなくなる。ジャックは「一言も喋らなければいいんだ」と固く心に誓い、男爵の邸宅の重い扉を叩いた。
男爵邸の謁見の間は、成金趣味を絵に描いたような豪華絢爛。四方の壁には出所不明の「名画」が並び、床にはこれ見よがしに高価な絨毯が敷き詰められている。
部屋の中央、ふんぞり返って座る男爵は、ジャックが持ってきた布包みを見て、脂ぎった顔に卑屈な笑みを浮かべた。
「おお、ジャック。待っていたぞ。それで、例の『黄金を生む壺』とやらは、無事に持ってきたのだろうな?」
ジャックは震える手で包みをテーブルに置いた。中身は、昨晩彼が裏庭の泥をこねて作り、上から安物の金粉をまぶしただけの、ただの泥の塊。
(頼む、俺の喉……今だけは黙っていてくれ! ひとさじの嘘でいい、たった一言『これこそが秘宝です』と言うだけで、俺は自由になれるんだ!)
ジャックは精一杯の愛想笑いを浮かべ、喉の奥から絞り出すように口を開く。
「はい……男爵閣下。これこそが、古の王が愛した……」
「……ただの泥の塊です! 昨日の夜、酒を飲みながら庭の裏で拾った土を適当に丸めて、安物の金粉をぶっかけただけのゴミですよ!」
「…………なっ?」
男爵の目が点になり、側に控えていた騎士たちが、ガチャリと剣の柄に手をかける。
ジャックは血の気が引くのを感じ、必死に手を振って否定しようとした。
(違う! 違うんだ! 今のは冗談だと言わなきゃ……『謙遜です』と言え、ジャック!)
「い、いや、失礼しました。今の言葉は……」
「今の言葉は、正真正銘の本音です! こんなゴミを宝物だと思って大金を払おうとするあんたが、あまりにもマヌケだから、騙すのが簡単すぎて笑いが止まらなかったんですよ!」
静寂が部屋を支配した。ジャックは自分の口を両手で力いっぱい塞いだが、呪いの言葉は指の間から溢れ出る。
「は、はは……。ジャック、随分と面白い冗談を言うじゃないか……」
冷や汗を流しながら、男爵が引きつった笑みを浮かべた。しかし、ジャックの脳内には、男爵の着ている趣味の悪い金刺繍のローブへの罵倒が止まらない。
「冗談? 冗談なのは、あんたのその服装ですよ! 豚に真珠、成金に絹! その派手な服のせいで、あんたのその貧相な顔立ちが余計に際立って、見てるこっちが恥ずかしくなるんだ!」
側近の一人が「無礼者ッ!」と叫び、剣を抜き放つ。ジャックは「ああ、終わった。俺の人生はここで泥の壺と一緒に砕けるんだ」と、静かに目を閉じた。
ところが。
「……クッ、……クハハッ! ハッハッハッハ!!」
突然、謁見の間に男爵の爆笑が轟いた。剣を抜いた騎士も、絶望していたジャックも、あまりの落差に呆然と立ち尽くす。
男爵は涙を流しながら腹を抱え、何度も椅子を叩いた。
「素晴らしい! 実に素晴らしいぞ、ジャック! 近頃、私の機嫌を取るために、おべっかと嘘八百を並べ立てる退屈な奴らばかりで、ヘドが出そうだったのだ。だが貴様はどうだ! 私の資産も、地位も、この恐ろしい騎士たちも恐れず、面と向かって『泥だ』『バカだ』と言い放った!」
男爵は立ち上がり、ジャックの肩をがっしりと掴んだ。その目は、本物の宝石を見つけた少年のように輝いていた。
「これほど清々しいほど正直な男、この国に二人といない! ジャック、貴様のような『真実しか言えない男』こそ、私のそばに置く価値がある。どうだ、今日から私の専属のアドバイザーいや、『真実の目』として、私のために働かないか?」
ジャックは震える唇で、(ふざけるな、死ぬほど怖かったんだぞ! 今すぐ家に帰してくれ!)と言おうとした。
しかし、呪いによって変換された言葉は
「……願ってもない話です! 詐欺を働くより安全で、あんたのようなバカから合法的に金を巻き上げられるなら、これ以上の天職はありませんからね!」
「ハッハッハ! 相変わらず毒舌だな! 気に入ったぞ、今すぐ契約だ!」
こうして、かつてないほど不敬な理由で、ジャックは「正直すぎる賢者」としての第一歩を、強引に踏み出させられたのだ。
男爵の邸宅の一室。そこは、かつてのジャックが「いつか忍び込んでやろう」と狙っていた、金貨と書類がうごめく権力の中心地。
しかし今、彼は泥棒としてではなく、上等な椅子に座らされた「特別顧問」としてそこにいた。
「さて、ジャック。これが君の年俸と、活動経費だ。まずは前金としてこれを受け取ってくれ」
男爵が机の上に置いたのは、ずっしりと重い革袋。中には、ジャックが一生かけて詐欺を働いても手に届くかどうかという量の、眩いばかりの金貨が詰まっていた。
(……おいおい、正気か? 初対面の、しかも自分を罵倒した男にこんな大金を渡すなんて。この成金、よっぽど頭の中にお花が咲いてるんだな)
ジャックは震える手で金貨に触れながら、なんとか「ありがとうございます、大切に使わせていただきます」という、無難な感謝を伝えようとした。しかし、呪いは一滴の社交辞令も許さない。
「正気か? ろくに身元も調べてない男にこんな大金を渡すなんて、あんたの頭の中は花畑か何かか? 隙だらけすぎて、逆にこっちが不安になるレベルだよ!」
側近たちが再び剣を握りかけたが、男爵は愉快そうに髭を撫でまわした。
「くはは! 素晴らしい。普通ならここで平伏して感謝の言葉を並べるものだが、君は私の『危機管理の甘さ』を真っ先に指摘してくれた! 誠実の極みではないか!」
ジャックは頭を抱えた。もはや何を言っても「高潔な忠告」として変換されてしまう。絶望的なまでの噛み合いの良さに、彼は自分の運命を悟り始める。
(……待てよ。今まで俺は、捕まる恐怖に怯えながら、たった数枚の銀貨のために精巧な嘘のシナリオを書いてきた。だが今はどうだ? 喉元まで出かかった暴言をそのまま吐き出すだけで、このバカ……いや、閣下は喜んで金を積み上げてくれる)
ジャックの口角が、無意識に吊り上がる。
(詐欺師をやってるより、ずっと効率がいい。この呪いは、考えようによっちゃ史上最高の『商売道具』じゃないか?)
「……ふふ、ふははは!」
思わず漏れ出た笑い声。ジャックは挑戦的な目で男爵を見据え、言い放つ。
「あんたを騙すより、あんたの側で『本当のこと』を言ってる方がずっと儲かることに気づいたよ。今日から俺は、あんたの財布を守る番犬になってやる。ただし、噛みつかれても文句は言わないことだ!」
「気に入った! その牙、存分に振るうがいい!」
男爵とジャック。奇妙な主従関係がこの場で結ばれた。
部屋を出る際、ジャックは廊下の鏡に映る自分を見た。今朝、自分を「卑屈な面構え」と罵った男はもういない。そこには、毒を吐くことで富を築き始めた、世界で一番「不純で真っ直ぐな」自身の姿があった。
こうして、詐欺師ジャックの「正直すぎる第二の人生」が、華々しく幕を開けた。




