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kakera 第一章 エルフ 暗殺の血   作者: 兎文人


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第一章 エルフ 暗殺の血

第一章 エルフ 暗殺の血



帰還



木の扉が、古びた音を立てて開いた。

「準備中だ」と、低い声が響く。

樽の影でグラスを磨いていたのは、銀髪のエルフの主人だった。

彼の瞳には、長い歳月の孤独と、失われた仲間たちの影が宿っている。


「だから来た」

低く響く声とともに、男はフードを外した。

ハーフエルフだった。主人の手が止まる。


「……エンリル……?」

かつての若き弓の名手は、今や戦の影を背負った男へと変わっていた。

日焼けした頬、鋭い眼光——だがその奥には、深い疲労と静かな決意が宿っていた。

長い間、消息を絶っていた同胞。


そして——魔王を討った英雄。


「よく帰ってきた」

主人は静かにカウンターを回り込み、歩み寄る。エンリルを抱きしめた。


「教えてくれ」

エンリルの声は低いが確かな熱を帯びていた。

「ジェイガンはどこにいる?」

窓の外では、森を渡る風がかすかに木々を揺らしている。

「ジェイガンなら今は村の自警団をまとめている。ここから西へ行った詰所で会えるはずだ」

エンリルは短くうなずき、背を向ける。

死戦を越えた者の歩みは、目的へ向かっていた。

扉へと手をかけたその瞬間、主人の声が背に届く。

「一杯、飲んでけ」

エンリルは振り返り、わずかに微笑んだ。

「戻ってきたら、ゆっくり飲もう」

その言葉に主人は静かにうなずいた。

扉が再び軋み、朝の光が差し込む。

日焼けした背中が外へと消えたとき、酒場には静かな余韻だけが残った。

かつての仲間たちが再び集う、その日を待つように。



ジェイガン



西の森を抜けると、木材と石を組み合わせた詰所が現れた。

防壁の外には、訓練を終えた若いエルフたちが弓を磨き、風に乗って鉄の匂いが漂ってくる。

エンリルは長旅の埃を払いながら扉を押し開けた。

「……ジェイガン」

振り返った男の顔に、驚きと笑みが同時に浮かんだ。

灰色の髪に混じる黒の筋。

祖父の代に流れ込んだダークエルフの血を、彼は誇りにも劣等にもせず背負っていた。

「エンリル! まさか……おまえ、本当に帰ってきたのか!」

ジェイガンは駆け寄り、肩を力強く叩いた。

その手のひらには、戦場で生き残った者だけが持つ温かさと重みがあった。

「話がある」



欠片



夜の倉庫は静まり返っていた。

壁に掛けられたランタンの炎が、薄暗い空間をわずかに照らしている。

木箱や樽が積まれた中を抜け、エンリルは重そうなリュックをテーブルの上に置いた。

金属の留め具が鳴り、古びた革の匂いが漂う。

彼は慎重に中を探り、一つの木箱を取り出す。

箱の表面には古代文字が刻まれ、封印の紋が幾重にも重なっていた。

淡い紫の光が脈打つように揺れ、まるで生きているかのようだ。


ジェイガンが眉をひそめる。

「……それは何だ?」

エンリルはしばらく沈黙したのち、静かに答えた。

「——魔王だ」

ジェイガンの表情が凍る。

「ま、魔王? まさか……」

「魔王の一部だ」

エンリルの声は冷たくも穏やかだった。

「奴は完全には滅びない。殺すことはできないんだ」


ジェイガンは無意識に一歩、後ずさる。

「どういうことだ?」

「俺たちが“悪”を持つ限り、魔王もまたこの世に存在する。

奴は闇そのものだからな。滅ぼすことはできない。

——だから、封印するしかない」


木箱の表面が一瞬だけ光を放ち、低いうなり声のような音が響いた。

ジェイガンは思わず手を伸ばしかけ、すぐに引っ込める。

「まるで……呼んでるみたいだ」

「そうだ。これは、まだ意識を持っている。

俺たちは魔王を分割し、それぞれが自らの地に持ち帰った。

一箇所に集めれば危険すぎるからだ」


エンリルは木箱に手を置き、その表面をゆっくりとなぞった。

「俺たちにできることは、これを封じ続けることだけだ。

魔王を完全に消すことはできない。

だが、世界に散らすことで、その再生を防ぐことはできる」


ジェイガンは息を呑んだ。

「長老会なら、封印の術を行使できる場所を手配できるはずだが……」

エンリルは頷く。

倉庫の隅で、ランタンの灯が静かに揺れていた。

その炎が二人の影を壁に映し出し、まるで過去と現在が重なり合うかのようだった。


「——トーミル」

それがジェイガンの口から漏れたのか、エンリルの胸の奥で響いたのか彼ら自身でもわからなかった。

二人には呟きが聞こえた気がした。


倉庫の外では夜風が木々を揺らし、遠くで犬のような獣が一声吠えた。

そこには言葉にできぬ記憶——炎に包まれたダンジョン、倒れた仲間、そして“あのこと”が蘇っていた。


ランタンの光がわずかに揺れ、木箱の封印に刻まれた紋が一瞬、脈打つように光った。

エンリルは静かに目を閉じる。

あの夜の記憶が、まるで封印の箱の中から呼び起こされるかのように——。



—トーミル—



トーミルは純潔のエルフだった。

人間の血はおろか、ダークエルフの血も混じらない古き森の民の末裔。

その血の高貴さゆえに、周囲からは常に敬意と距離をもって遇されていた。

白銀の髪をたなびかせる彼の姿は、森の民にとって理想そのものだった。

しかし、それは彼にとって誇りと同時に——鎖でもあった。


彼の傍らに、一人の——人とエルフの血を併せ持つ少年。ハーフエルフのエンリルがいた。

人の世にも、エルフの里にも居場所を持たない、孤独な存在だった。

しかしトーミルだけは、彼を孤独から連れ出し、

同じ食卓に座らせ、同じ空を見上げることをためらわなかった。

初めはエンリルはなぜトーミルがそう接するのか?——戸惑い、わからなかった。

トーミルはいつも他のエルフとは違い穏やかで正義感が強く優しいエルフとはいえ——森の誇りと掟を何より大切にするエルフだと思っていたからだ。


ある夕暮れ、淡い光が木々の間を渡る頃、焚き火の炎を見つめながらトーミルは静かに言った。

「——僕は、人間に憧れているんだ。」

その言葉は、森の静けさを裂くように響いた。

エンリルはトーミルを見つめた。

トーミルの横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。

「彼らは短い時の中で、あれほど強く笑い、泣き、生きる。

 僕らにはない衝動が、あの血には流れている気がするんだ。」


エンリルはただ黙って聞いていた。

トーミルが口にした“憧れ”という響きの奥に、

長い時を生きる者だけが抱える退屈と孤独を感じ取ったからだ。


トーミルにとって、人間への好奇心はエルフの常識という檻への、静かな反逆だったのかもしれない。

高貴と呼ばれる者の胸にも、

解けぬ鎖があるということを。


——そんな二人には憧れる相手がいた。

ジェイガン。

二人より少し年上で村では誰よりも強く、遠く、多くのことを見てきたエルフ。

人間の街で冒険者として様々な試練を乗り越えてきた。

それはこのエルフの村ではかなり異端な存在と同時に尊敬と畏れの対象だった。

その中で、トーミルだけは違った。ジェイガンに憧れ、彼のように生きることを夢見るようになっていった。

弓を持つ手に力が入らぬほど緊張しながら、初めて彼に教えを乞うた日に

「いつか、あんたのように生きていきたい」

その言葉に、ジェイガンは静かに微笑んだ


やがてトーミルは村を出た。

憧れた背中を追い、人間の街へ——冒険者としての道を歩むために。

その背中を見つめながらエンリルはいつか自分も外の世界に出ようと。

彼はジェイガンに外の世界のことを、何度も尋ねた。

ジェイガンもまたそんな少年を気に入りエンリルを連れて森の奥へと連れ出しては、狩りや探検を共にした。

戦いの記憶、未知の音、暴力の恐怖、風の匂い、森の光と闇。

その全てがエンリルにとって——遠くから眺めることではなく、初めて自分自身の血と肉と魂になっている、世界が染み込んでいくのを感じた。


そして時が流れた。

——数年ののち


トーミルが帰ってきた。

少年の面影は消え、彼はかつての憧れジェイガンを凌ぐ力を感じさせた。

だがその瞳の奥には言葉にならぬ“闇”があった。誇りと恐れが混ざり合い静かに揺らぐ炎のようであった。



ビリタス



埃にまみれた外套の裾を翻し、彼の後ろには三人の人間が続いていた。

粗野な戦士、沈黙をまとった僧侶、そして目つきの鋭い盗賊。

どの顔にも戦場でしか育たぬ光が宿っていた。


ジェイガンが眉をひそめた。

「人間を……連れてきたのか」

トーミルは淡く笑った。

「彼らは腕が立つ。古代エルフの財宝を探すのに、力が要るだろう?」

古代エルフの財宝——それは、禁断の遺産。

触れれば呪われ、守り抜けば王にさえなれると語り継がれてきた。

その名を耳にした者は数多くとも、実際にそれを目にした者はいない。


エンリルはジェイガンとトーミルが財宝の話を交わすのを聞きながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

彼らのように冒険へ出たい。未知の地を踏み、伝説に触れたい。

それは少年の憧れではなく、確かな衝動になりつつあった。


エンリルはトーミルに打ち明けた

「連れていってほしい」

トーミルはしばらく黙し、目を伏せた。

エンリルはまだ若く、彼にとっては弟のような存在だった。この冒険は危険があまりにも大きすぎる——そう考えてもいた。

だがジェイガンが静かに言った。


「トーミル、あいつはもう子どもじゃない。お前と同じだ」

その言葉に、トーミルはしばらく沈黙したのち、わずかに微笑んだ。


「……わかった。エンリルも連れていこう」


しかし、問題がひとつあった。

その遺跡——“エルドゥンの地下殿”の最深部には、純潔のエルフしか解けない封印があった。

トーミルは——純潔のエルフだったから——古代遺跡の封印を解く条件を満たしていたが、古代エルフ文字に精通しているわけではなかった。


——ビリタス・ヴァイオート


灰銀の髪、氷のように冷たい瞳。

ビリタスは卓越した賢者だった。

古代文字を読み、魔法を操り、遺物の真贋を見抜くことができた。

かつて長老会の下級役人——純潔のエルフしかなれぬ職——でありながら二十年前に忽然と姿を消した。

誰もが彼を忘れかけていた。


トーミルが人間の街で偶然見つけた。

「ふん、懐かしい顔だな」

その声には高慢と敵意が混じっていた。


そしてビリタスは古代エルフの財宝の存在をトーミルに語った張本人だった。

ビリタスは卓越した賢者だった。

古代文字を読み、魔法を操り、遺物の真贋を見抜くことができた。

だが——誰も彼を好まなかった。


「私を嫌うのは勝手だ」

ビリタスは冷酷な笑みを浮かべ

「——だが、古代文字を読めて扉を開くのは私だけだ」

そう言って、薄く笑った。



人間



エンリルは感じていた。

——この旅は、何か「開ける」旅ではなく、むしろ長く封印されていたものを「解き放ってしまう」旅になるのではないかと。

トーミルは人間の街で変わった。

酒を飲んでは豪快に笑い、誰にでも肩を叩いて話しかける。

陽気さ——それはエルフの中では稀な性質だった。

かつての村を出る前の少年の面影は、もうどこにもなかった。


ジェイガンはそんな彼を見て、ふと口元を緩めた。

「人間臭くなったな」

「悪くねぇだろ?」とトーミルが笑い返す。

酒の匂いとともに、豪快な笑いが夜気に溶けた。

「まあな」

ジェイガンは肩をすくめる。

彼にとって、人間もエルフも同じだった。

「いい奴はいい奴、悪い奴は悪い奴」

そう割り切ることができるのは、幾多の街を旅して渡ってきた者だけだった。


エンリルにとっては、人間という存在そのものが新鮮だった。

短命で、情熱的で、そしてどこか儚い。

その不安定な輝きに、彼は強い刺激を覚えた。

同時に、自分の中の“半分の血”——人間の血がかすかに疼くのを感じていた。


だが、ビリタスだけは違った。

彼の眼差しには、冷ややかで常に軽蔑の色があった。

「人間など、我らが忘れた過去の影にすぎぬ」

そう吐き捨てるように言う彼に、

人間たちはあからさまに距離を取った。


ジェイガンもまた、ビリタスとは距離をとった。

「知識ばかり増えても、心が腐っちゃあ意味がねぇ」

そんな一言に、ビリタスは唇を歪める。

「粗野な冒険者風情が、哲を語るか」

二人の視線がぶつかるたび、空気が凍るようだった。


エンリルは、その間に立たぬよう心掛けた。

ハーフエルフという出自だけで、すでにビリタスの敵意を買っていたからだ。

彼は静かに距離を取り、観察するように仲間たちを見つめていた。


そして、最も激しく衝突していたのは——トーミルとビリタスだった。

トーミルは人間に好意的で、共に戦い、笑い、同じ飯を食うことに抵抗がなかった。

「俺たちは同じ命を持つ仲間だ。

 血の違いよりも、剣を交わした信頼の方が重い」

そう語るトーミルに、ビリタスは冷笑で返す。

「お笑いだ。人間は弱く、そして欲深い。いつか裏切る」


その夜、焚き火の赤い光の中で、ふたりの影が激しく揺れた。

火の粉が舞い、誰もが息を潜める。

ジェイガンは静かに仲裁にはいる。——この一行の中で最も深い溝を生んだのは“人間”という存在への見方の違いだった。


風が吹き抜け、火が一瞬だけ消えかけた。

そのとき、エンリルは思った。

——この旅は、ただの宝探しではない。

この仲間の中に、すでに“何か”が芽生えている。

それは希望か、それとも破滅か。



ダンジョン



ダンジョンは、村から馬で三日の場所にあると言われていた。

だが、正確な位置を知る者はいなかった。


自然に覆い尽くされ、文明を感じさせない場所。


三日目の昼、森を覆う霧が、急に深くなり始めたところだった。

トーミルが馬を止め耳を澄ませる。

「……ここだ。気配がある」

木は絡み合うように密集し、陽光は地に届かない。風も鳥の音も聞こえない。ただ遠くて水が一滴ずつ落ちる音が聞こえた。


苔むした岩の下に——

石造りの階段の一部が顔を覗かせているのを見つけた。

エンリルが枝葉を払いのけると、そこには古代の紋章が刻まれた扉があった。

黒く、冷たい石。

まるで、何千年も前から息を潜めていたような静寂がそこにあった。


「……閉ざされているな」

ジェイガンが押してみるが、びくともしない。


そのとき、ビリタスが前に出た。

灰銀の髪を指で払うと、彼は静かに古代語を唱え始めた。

その声は低く、だが力を帯び、周囲の空気がわずかに震えた。


意味はわからなかったが——

言葉の一つ一つが、まるで石の内部に刻まれた封印を削り取るように響いていた。


扉の紋章が淡く光り、

次の瞬間、地鳴りのような音とともに重い石扉がゆっくりと開いた。


冷気が流れ出る。

それは単なる風ではなかった。

古の死者たちの息——そう感じさせるほどの冷たさだった。


「……ここから先は戻れねぇぞ」

ジェイガンが弓を構えながら言った。

エンリルは頷いた。

彼らは灯火を掲げ、地下の闇へと足を踏み入れた。


最初に聞こえたのは——骨の擦れる音だった。

次に、石を踏みしめるような重い足音。


スケルトンたちが闇の中から姿を現し、

さらにその奥には、無表情のゴーレムが鎮座していた。


「歓迎は……されていないようだな」

トーミルが笑い、剣を抜いた。


その笑みの裏に、

誰もが感じていた——

封印を解いてはならぬ場所に足を踏み入れたという直感を。

だがトーミルだけはその直感を笑い飛ばした。

まるで運命に導かれるように。



最深の闇



——そこに古代エルフが祀った守護神が鎮座していた。石板に刻まれた文様が淡く光り、針のように鋭い風が洞窟の奥底を這う。パーティは戦いの末に廃墟の中央に辿り着いた。そこで崩れた祭壇の上にそれはいた。石と骨と呪詛がひとつに絡み合い沈黙のままこちらを見下している。風が止み、灯火がひとつ震えた。

その名が誰の口からともなく洩れる。

——リッチ



死闘



重い扉を破った瞬間、石造りの空間が低く唸った。

そこには、古代エルフの守護神が待ち構えていた。青白い魔力の灯を瞳に宿すリッチが待ち構えていた。詠唱とともに神殿そのものから切り出されたような巨岩の躯を持つ——ゴーレムがゆっくりと一行に立ち塞がった。


床が震えた。

巨岩の拳が振り下ろされ、石の破片が閃光のように舞う。

トーミルは転がるように回避し、ビリタスが詠唱を始める。

「炎よ、道を裂け!」

赤い光が走り、巨体の腕を焼いたが、ゴーレムはびくともしない。

その傷口からは光の粒がこぼれ、逆に力を増したように見えた。


「魔法じゃ効かねぇ! 物理で押すぞ!」

戦士が叫び、背後からを剣で切り付ける。

僧侶が呪文を唱え、聖なる光が降り注ぐ。

その瞬間、トーミルの剣が眩く光り、ゴーレムの胸を裂いた。皆の

総攻撃をうけ、轟音が響き、巨体が崩れ落ちると、洞窟全体がどよめいた。


だが──安堵は束の間だった。

崩れた瓦礫の影から、冷たい声が響く。


「よくも…神の守りを……」

リッチがゆらりと立ち上がっていた。

その骨の手に握られた剣の先で、紫の炎が渦を巻く。

呪詛が放たれ、僧侶の防御結界が一瞬で砕けた。

空気がねじれ、影が吹き荒れる。

「下がれ!」戦士が叫び、リッチに斬りかかる。

だが刃は骨に触れる前に闇の膜に阻まれ、戦士が紫の炎に包まれた。

その隙をジェイガンが突く。背後に回り込み、剣でリッチの胸骨を突いた。

甲高い悲鳴が響き、闇の弾がジェイガンを吹き飛ばす。


「今だ!」

ビリタスの聖印がまばゆく輝く。

「浄化の光よ──死を超えしものを砕け!」

白光がほとばしり、リッチの骨が砕け散る。

エンリルの放った矢がリッチの闇の防壁を突き破り頭を砕いた。

霧のような魂が空に溶け、消えていった。

息を荒げた一行は互いの顔を見合わせた。

長い沈黙のあと、ただ一つの言葉が漏れる。


「……やった、のか?」


勝利の代償は大きかった。

魔力は尽き、仲間の数人は疲労のため動かない。



裏切り



「ジェイガン!」

エンリルは駆け寄った。

石床に倒れた仲間は、微かに息をしている。

「大丈夫だ……少し、動けないみたいだが」

その声を聞き、エンリルはようやく安堵の息をついた。


盗賊が素早く古びた錠を外し、宝箱は軋んで開く。そこには、想像を絶するほどの宝が眠っていた──金銀の山、光を宿す宝石、古代のアミュレットや繊細に彫られた装飾品。疲れ果てた一行の目に、久しく忘れていた歓喜が戻る。ぼろ切れのようになった身体と引き替えに、誰もがその価値に心を奪われた。


だが、闇は贈り物——リッチの手元にあった、真っ黒な一振りの剣——漆のように艶めく刃を、トーミルは言葉にならぬ衝動で握った。それはただの武具などではなかった。


祈祷にも似た低い呪文がビリタスの唇から漏れ、空気を裂く。炎の舌が跳ね、熱の波が押し寄せた。間一髪、エンリルは身をひねって避けたが、無傷ではすまなかった。人間の仲間たちの悲鳴が洞窟に響き、焼き尽くされて倒れた。


「これはエルフの財宝だ。人間には許されない。我らが手で守らなければならぬ」——ビリタスの声は冷たく、言葉に古い権威が宿っていた。


「ビリタス、やめろ!」

灰の中で、エンリルの叫びは空しく弾けた。

純潔のエルフの瞳に宿るのは、誇りと狂気。

ビリダスはなおエンリルに視線を定め詠唱をしている。


トーミルは焦げた衣の裾を振り払うと、黒剣を構えた。

刃が唸り、黒い波動が走る。

その瞬間、エンリルは気づいた。

黒剣の周囲の空間そのものを歪める深い闇だった。


「……お前が引き金を引いたんだ」


黒い一閃が走る。

ビリタスの身体が、糸を断たれた人形のように崩れ落ちた。

空気が凍りつき、血の匂いが静寂を支配する。


トーミルは呆然と立ち尽くし、やがて小さく呟いた。

「……すげぇ切れ味だな。」

「トーミル!」

エンリルが駆け寄り、恐怖に満ちた声で言う。

「ビリタスは殺してはいけなかった! 長老会に繋がりのある純潔のエルフだ!」


トーミルはゆっくりと剣を下ろした。

その瞳は冷たく、それでいて深い疲労を滲ませていた。

「俺がこいつを殺さなきゃ、お前が死んでた。

 それに——こいつが僧侶を殺した以上、蘇生はもうできない。

 ……自業自得だ。」


沈黙が落ちた。

誰も、ビリタスの亡骸を見ようとはしなかった。

洞窟の奥で、まだ炎の残滓が揺らめいていた。

トーミルは踵を返し、出口のほうを見た。


「……帰ろう。」



黒い剣



地上へ戻る途中、エンリルは気づいていた。

トーミルの背にかすかに漂う冷たい気配を——それは仲間のものではなく、どこか“別の何か”の影を帯びていて、以前よりも濃く、まるで意志を持つように地を這い揺れていた。


野営の夜、トーミルは黙々と剣をを磨いていた。

焚き火の明かり刃に触れるたびに吸い込まれていく。まるで“闇”そのものが金属の形をとったかのようだった。

エンリルが言葉を選びながら問う。

「……その剣、何か感じないか?」

トーミルは短く笑った。

その笑みはどこか乾いていて、彼のものではないように見えた。

「感じるさ。強さを。

 まるで俺の中に眠ってた何かが……起きてくるような。」


夜風が吹いた。

その一瞬、炎が揺らぎ、そして消えた。闇の中で黒い刃がわずかに光った。

それはまるで、何かがこちらを見返したかのようだった。


三人は村に戻った。

空は曇り、森の木々は静まり返っていた。


「……みんな、もう言うなよ。」

トーミルが低く言った。

「ビリタスのことも、財宝のことも。誰にも。」


エンリルとジェイガンは黙って頷いた。

それが彼らにできる唯一の祈りのように思えた。

金銀も宝石も、彼らの目にはもう眩しく映らなかった。


トーミルの腰には、あの黒い剣が静かに吊るされていた。

時折、その刃から低い囁きが漏れるような気がした。


「もっと……血を。」


風が鳴った。そしてそれが幻聴であることを誰も確かめようとしなかった。



長老会



村に戻ってから、三人はしばらく休んでいた。過酷な冒険の末に得た疲労は、肉体だけでなく心も蝕んでいた。

ジェイガンはリッチにやられた傷が深く回復に努めていた。

エンリルも初めての本格的な冒険にすべての気力を使い果たしていた。

トーミルは死んだ人間の仲間を弔う為人間の街と村を行き来していた。

そんなある日、静かな午後の静寂を破るように長老会の使者が村を訪れた。

目的は、トーミルから古代エルフの財宝について報告を受けるためだった。最初、トーミルは拒んだ。

「財宝は、命を賭して手に入れたものだ。誰にも渡すつもりはない」

だが、使者が次の言葉を口にしたとき、彼の考えは変わった。


だが、使者が「長老会は、宝と引き換えに純潔のエルフであるお前を幹部に迎え入れたい」と告げた瞬間、彼の態度は一変した。

その夜、トーミルは村を発ち、長老会の大審問を受けるため、エルフの本拠地へと旅立った。


その知らせを聞いたエンリルは胸が熱くなった。

すぐにジェイガンのもとへ駆け込み、息を弾ませながら告げた。


「あのトーミルが! 俺たちの村から幹部が出るなんて、夢みたいな話だ!」

ジェイガンは驚きに目を見開いたが、やがてゆっくり笑った。

その笑みには喜びと、わずかな遠い影が混じっていた。


「……長老会に入るには、純血のエルフでなければならない」

エンリルが小さくうなずいた。


「俺の血には黒が混じってる。お前も人の血を引いてる。

だからこそ、トーミルが選ばれたのは、本当に誇らしいことだよ」

ジェイガンはそう言って、ジェイガンは静かに杯を傾けた。

その瞳は、酒場の奥ではなく、ずっと遠くを見ていた。


「長老会の幹部ってのは、ただの老人たちの集まりじゃない。

彼らはそれぞれの地域を治める支配者だ。……つまり、トーミルはもう、この森の者じゃない」


エンリルは静かに目を閉じた。

血の壁。名誉の壁。そして、血統という名の鎖。


だが、そんな重苦しい思索も長くは続かなかった。

日が落ちるころには、二人でいつもの酒場に出かけ戦利品の金を惜しげもなく使い、笑い、歌い、飲み明かした。

世界のすべてが祝福されているように思えた。



大審問



夜は深く、風は冷たかった。


トーミルは胸の奥に重い不安を抱えながら、静かに扉を押し開けた。


部屋は暗く、誰の気配もない。

蝋燭の灯がわずかに揺れ、壁に影をゆらめかせている。

彼はその場に立ち尽くし、空気の中の視線を感じとった。

違和感——まるで、何かが彼を見ている。

トーミルはその視線の正体が何か悟った。


殺意。しまった!


だが、次の瞬間、光の弾が闇を裂いた。

音もなく、世界が反転し、意識は奈落へと沈む。

頭を砕かれたトーミルの身体は糸を断たれたように崩れ落ち、床を紅が染めた。


腰の鞘に収められた黒い剣が、主の血を吸い上げるように微かに脈打った。

その刃の奥で、誰にも聞こえぬ声が笑った。


──次。と。



代償



数日が過ぎた。トーミルの帰還を待ちわびるジェイガンとエンリルはいつものように酒場で夜を明かしていた。酔いの残る朝、扉が軋み、一人のエルフが現れた。


その姿は静謐で、どこか冷たい威厳をまとっていた。

長い銀髪を風に流し、透きとおるような翠の瞳。


彼は二人の前に立ち、低く告げた。

「……トーミルは、死んだ。」


部屋に沈黙が落ちた。

ジェイガンの拳が震え、エンリルの唇が音もなく動いた。


エルフは淡々と語り始めた。

「彼は、ビリタス殺しの疑いをかけられていた。

 それだけではない。彼は数人のエルフを手にかけていた。」


エルフの声は静かで、しかしその一語一語が刃のように冷たかった。


「トーミルの剣——あの黒い刃は、呪われていたのだ。

 それはダークエルフの遺物。倒した相手の命を吸い上げ、

 その力を使い手に与える。

 だが、同時に魂をも蝕む。」


ジェイガンが顔を上げた。

「じゃあ……あいつは……?」

「そうだ。」エルフは頷いた。

「力を求め、知らぬうちに呪いに取り込まれていた。

 剣の返還を求めたダークエルフを殺したのも——もはや本人の意志ではなかっただろう。」


しばしの沈黙。


エルフは続けた。

「彼は大審問に呼び出された。

 だが——真実を問う前に、処刑が決まっていた。

 つまり、呼ばれた時点で……すでに、殺すつもりだったのだ。」


ジェイガンは椅子を蹴り飛ばし、泣き叫んだ。

「ふざけるなッ! トーミルは仲間だったんだぞ!!」


使者のエルフはその怒りをただ見つめていた。

その瞳に宿るのは、同情ではなく、永い年月の果てに磨かれた冷たい哀れみだった。


エンリルは、言葉を失っていた。

喉の奥から、乾いた音だけが漏れた。


やがて使者は二人に向き直り、静かに言った。

「……お前たちには罪はない。

 トーミルの呪いも、運命も、彼ひとりが背負ったものだ。

 だから、このことは——忘れよ。」


そう告げると、彼はマントを翻し、光の中へと消えていった。


ジェイガンは床に崩れ落ち、嗚咽した。

エンリルはただ立ち尽くし、閉ざされた扉に帰らぬ友人の姿を見つめていた。


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