4. すれ違い
「竹宮君、ちょっとモデルになってくれない?」
美術部の西桜さんにそう言われて僕はしばらく何も考えられなかった。恥ずかしさもあったと思う。
「え? なんで僕?」
「あなたを描いてみたいと思ったの。このスケッチブックはね、私のこれまでが詰まっているようなもの。そこに是非あなたも」
よくわからなかったが、こう頼まれたのでそのままじっとしていた。
昼休み中は皆が喋って騒がしいはずなのに、僕と彼女の周りだけは時間も空気も止まったような静けさ。耳に届くのは鉛筆のシュッシュッという音だけ。見たい衝動を必死に押し殺し、じっと息を潜める。
「できたわ、ほら」
彼女のスケッチブック――そこには僕にそっくりな横顔がデッサンされている。ささっと描いたものだけどきちんと特徴をつかんでいる。
「すごい……! びっくりしたよ。こんなに短時間でできるなんて」
「ありがとう。また竹宮君を描きたいわ」
え……?
どうして僕?
だけどそこは「うん」と無難に返しておいた。
※※※
放課後、卓球部に行くとそこで待っていたのは――葵さんだ。
「竹宮君、今日も勝負しようよ」
ここのところ、ほぼ毎日葵さんの練習相手になっている僕。だけどおかげで少しずつ上達しているように感じる。
カコーン!
「よし!」
今回は僕がスマッシュを決めた。
ラリーも続くようになったが……それでも最終的には葵さんが勝つ。最後には風のように速いピンポン球が飛んで来て、一瞬で消えたような気がした。
「やっぱり強いよ、葵さん」
「竹宮君も鍛えられてんじゃない?」
「うん……その通り」
葵さんはハハッと笑って女子卓球部の方に戻って行った。
「おい、晴翔。葵さんに気に入られてるな。それにしても強すぎる。女子卓球部は葵さんがいれば安泰だな」
こう言うのは卓球部の友達である。
「そうだね。僕も頑張らないと」
まだまだこれからだ。
もっと強くなりたい――葵さんよりも。
練習が終わり体育館から出た時だった。奈々ちゃんが教室棟から出てきたのが見える。僕は彼女の方に向かったが、奈々ちゃんはどこか寂しそうな表情を見せて、視線を合わせないまま小さくうつむいた。
あれ……? 様子がおかしい……。
僕は彼女のところに行っていいのかがわからなくなった。
すると隣からあの穏やかな声が聞こえてきた。
「奈々美ちゃん! お疲れ様」
「葵ちゃん……」
「どうした? 元気ないじゃないか」
「うん……」
「一緒に帰る?」
葵さんが奈々ちゃんを誘っている。
女子同士なのに、どうしてこんなに胸がざわつくのだろう。
そして葵さんは奈々ちゃんの頭をポンポンとして、まるで本当の“彼氏”のような振る舞いをする。
どう見てもそういう風にしか……見えない。
そのまま2人は歩いて行ったので仕方なく僕も帰ろうと思った時だった。
「あら、竹宮君も今帰り?」
「西桜さん……」
彼女も美術部だから帰るのが今のタイミングになったのか。
「卓球部の話、聞かせてほしいわ」
「あ……えーと……」
奈々ちゃんと葵さんが気になりすぎてうまく話せない。しかも今日は葵さんとの勝負、また負けたし。
「……もっと上達したいんだけど、中学とは違うんだなって思う毎日だよ」
「そうなのね」
「西桜さんは、美術部でも順調そう」
「ふふふ、自由にさせてもらっているわ。今年は市の絵画展もあるかも」
――そうだ。この高校の美術部は前にも絵画展に参加して、その絵を奈々ちゃんが見て感動したって言ってたっけ。本格的なんだろうな。
「あと今日描いた竹宮君のデッサン、みんなに見せたらすごく好評だったわ」
「え……」
待て。
あの僕がモデルになった絵を……部員に見せたのか?
ということは奈々ちゃんにも……?
「竹宮君は素敵なモデルよ。うっとりしちゃう」
夕陽に照らされた彼女にこう言われると、余計に美しく見えてしまう。まずい、また何も考えられなくなりそうだ。
だけど――今一番考えたいのは奈々ちゃんのこと。
奈々ちゃんと話したい。
今日は……もう無理だろうか。
※※※
家に帰ってからどうしようか迷ったけど、結局奈々ちゃんにチャットも出来ずにそのまま寝てしまった。
最近は朝練もあるため、行きも奈々ちゃんとは別々になった。なので数日間、彼女と何もやり取りがないまま過ぎてゆく。
だけど特に奈々ちゃんからの連絡もなかったので、きっと彼女も忙しいのだろうと思っていた。まずは高校生活に慣れることが第一だから。
そんなある日のことだった。
卓球部の帰りに葵さんが声をかけてくれた。
「竹宮君、一緒に帰ろうか」
「あ……うん」
今日は美術部は先に帰ったのだろうか。奈々ちゃん達の姿が見えない。そう思っていたら葵さんが僕を見透かしたかのように言う。
「美術部はさ、絵画展に参加することになったんだよ。2年ぶりに」
「そうなんだ」
「だからさ、奈々美ちゃん応援しないとね。竹宮君」
何だか僕よりも詳しいな。
奈々ちゃんに聞いたのだろうか。
確かに同じクラスだし、葵さんは僕よりも彼女と話してそうだ。
「あのさ、竹宮君」
「ん?」
「何も行動しないなら……奈々美ちゃんはあたしがもらうよ?」
「え……?」
一瞬、頭が真っ白になる。
心臓が跳ねる音だけがやけに大きく響いた。
何を言ってるんだ葵さんは。
もしかして……奈々ちゃんのことを本気で?
「ふふ、冗談! だけどさ、最近奈々美ちゃんが元気ないから竹宮君、しっかりしなよ」
「あ……そうか。僕は何も連絡出来てなかった……けど特に彼女からも連絡なくて」
そう言うと葵さんは呆れたように笑う。
「竹宮君、女の子からメッセージなかったら危機感持った方がいいよ? まぁ奈々美ちゃんは大人しいところが可愛いんだけどさ」
葵さんがまた奈々ちゃんを“可愛い”と言った。それを聞くと僕はやっぱり悔しくなる。
僕よりも卓球が強い上に奈々ちゃんとも仲良くなるなんて……本当にどういうつもりなんだよ。
「まぁ話しなって。大事な彼女だろ?」
葵さんにこう言われて反発したい気持ちもあったが……奈々ちゃんと連絡を取らないと。きちんと向き合わないといけないんだ。
「わかったよ。まさか葵さんに言われるなんて」
「あ、もし奈々美ちゃんとうまくいかなければさ……こっそり教えてよ」
そんなわけない。
奈々ちゃんとはきっとまた笑い合える。
「葵さんには絶対渡さないから」
僕はそのまま走って駅に向かった。
彼女の笑顔を取り戻すために――。