1. 始業式
4月――
無事に星山岡高校に入学し、始業式の日となった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、晴翔」
母さんに見送られて僕は出発する。
見渡せば葉桜になりかけていて、近所の川は桜の花びらで埋まっていた。春の穏やかな風に揺れながら桜が流れていくようで、なかなかこのような瞬間は訪れない。
「桜の川……そうだ」
僕はスマホを取り出してそのピンク色の川を撮影して、彼女に送った。
『梅野さん、見て。桜の川』
するとすぐに返事が来る。
『竹宮くんおはよう。すごく綺麗だね』
まぁ……この後すぐに梅野さんには会うのだけど。
少しでも早く見せたくて先に送ってしまった。
いけない、バスの時間に間に合うか……? ああ間に合った。
そのままバスに揺られて駅に到着すると、彼女がいた。
「梅野さん、おはよ」
「おはよう、竹宮くん」
僕と梅野さんは同じ中学校出身。3年生の時に一緒のクラスになり、同じ星山岡高校を目指す仲間として共に頑張ってきた。時に励まし合い、時に……まぁ色々あって両想いになった。
「さっきの桜の川、素敵だった」
「うん、すぐ流されちゃうから一瞬なんだろうな」
入学式後、初めて学校に行くのが今日の始業式。
まだまだ始まったばかりすぎて何もわかっていないけど、これから始まる高校生活、何が待っているのだろう。
そう思いながら彼女の手を握る。ちょっと小さくて柔らかくて……ずっとこうしていたいと思ってしまうけど、これは電車に乗るまでの間だけ。
車内には同じ星山岡高校の生徒がいるし、駅に着いたらきっと同じ制服ばかり。さすがに恥ずかしいということで、行きのほんの少しの間だけ手を繋ぐことにした。
「竹宮くん」
「ん?」
「担任の先生ってどんな先生?」
「うーん……ちょっと厳しそう」
「そうなんだ、私のクラスの先生は優しいよ。だけどきちんとしてるの」
そう言って安心した顔をする梅野さん。
もともと緊張しやすいらしく慎重な性格だけど、芯がある。勉強や部活だって本気で取り組んでいる……無理しないか心配だけど。
僕は自分のペースを崩さずに頑張っている彼女を尊敬している。
だけど時折見せる困った表情を見ると……どうしようもなく守りたくなってしまう。可愛いから。
電車に乗る前に手を離す。
彼女は平気そうだけど、僕は何となく心配。
というのも、車内がそこそこ混んでいるからだ。高校の最寄り駅まではそこまで時間はかからない……けど。
駅に着くとやっぱり同じ制服がたくさんいる。
こなれた雰囲気はきっと先輩たちだろう。
そこから徒歩10分ぐらいで星山岡高校に到着。
ロッカー前でスリッパに履き替えていると誰かの声がした。
「おはよう! 梅野さん!」
「あ、おはよう」
――この声は。
確か入学式の帰りに梅野さんと歩いていた時、僕たちを追い抜いていった男子。彼女と親しそうに「またね!」と言っていた。
澄んだ瞳に穏やかな声で、彼女と同じクラスでしかも席が近くて……。
「行こ、梅野さん」
「あ……えーと」
彼女が少し離れたロッカーにいる僕の方を見る――が、僕は手を振って頷いていた。
彼女も手を振って、その男子と教室に行く。
別々のクラスだから、ロッカーで解散でも仕方ない。
しかしこの時の僕はまだわかっていなかった。
言葉を交わすことの大切さを――
やがて同じクラスの男子に声をかけられ、僕たちも教室に向かった。
※※※
今日は始業式と学活だけだったので、すぐに下校時刻となった。ちなみにスマホを使えるのは昼休みと放課後のみで、それ以外の時間は電源オフ。
放課後は今後部活もあるだろうし、特に彼女と一緒に帰る約束はしていない。そうだ、朝練もあれば行きも一緒に行くのは難しそう。
僕にも出席番号の近くで何人か話せる友達ができたので、そのまま一緒に帰ろうとしていた。
ロッカーに一斉に集まる同級生たち。新学期が始まったばかりの活発な声が響いている。
靴に履き替えて校門を出ようとしたその時だった。
前の方にいるのは――梅野さんと今朝の男子。
僕も友達と一緒に話しながら駅に向かうが、話の内容がほとんど頭に入って来ない。
彼女と仲良さそうに寄り添う、その男子ばかり見ていた。
どう見ても……付き合っているようにしか見えない。
さらにその男子が梅野さんの肩に触れる。
彼女も彼を見上げて思い切り笑顔を見せていた。
お昼前、もうすぐ一番高いところにいく太陽が2人を照らしている。それに合わせるかのように2人の話も盛り上がっていくようだ。ずっと笑っている。
笑っているけど、たまにうつむいて恥ずかしそうにするあの感じは――
これって……ちゃんと聞いた方がいいよな?
だけど僕も友達と一緒にいる。
タイミングがつかめない。
するとさらに――男子が梅野さんの肩を引き寄せた。
彼女は自然にその男子に身を預けたようにくっついている。
え? くっついている……!?
「ご……ごめん! ちょっと急いでて。また明日!」
僕は友達にそう言い、前にいる2人の方まで走っていく。
息を切らして2人に追いついた。
けっこう走ってきた足音がしたはずなのに、振り向くこともない。まだ気づかないのだろうか。
「梅野さんっ……!」
僕は叫ぶように彼女を呼ぶ。
「た……竹宮くん!?」
目を見開いて驚く梅野さん。
何かが始まる予感を告げた、あの春の風はどこへ行ってしまったのか。
空気が止まったようにしんと静まり返る。
「あの……その人は……?」
何と言えばいいのかわからず変な間ができてしまう。
すると、その男子は梅野さんからようやく離れて僕の方にスタスタと歩いてくる。
背は僕より少し高い。
澄んだ瞳をこれでもかというぐらいに見せつけられ、彼はこう言った。
「君、奈々美ちゃんに何か用?」
――胸の奥がざわめき、言葉が出てこなかった。