表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

68/69

第三話 マルコの苛立ち

 王都の一角。

静まり返った回廊を、マルコの革靴がコツコツと響く。

彼は煌びやかな王子の礼装に着替えていた。

眉間には苛立ちの皺。


(……農業村の襲撃も失敗に終わり、ユダも拘束された……)

(あぁ……あの方との交渉が……)


(まぁ……しかし毒の化学兵器は完成し、サンプルはある……まだ交渉できるだろう)

彼の唇に、冷ややかな笑みが浮かんだ。


(しかし……なぜ本部に農業村リリン襲撃がバレた?)

(この計画は私とユダ……あの方しか知らないはず……)


(霊獣[カラス]ヨセフの予知夢か?)

(エステルが……本部の奴らに伝えたか?……)


(……エステル。お前、まさか逃亡でも企てていたのではないだろうな?)


立ち止まり、エステルの扉の前に目をやる。

「……確かめてやる」


 部屋の前に座っている侍女が、驚いたように身を固くした。

「マルコ殿下……?」 


「エステル后殿は部屋から出たか?」

「いえ……」


マルコはトントンと扉を叩く。

「エステル后殿……」


しかし、中からの返答はない。


「マルコ殿下……」

おどおどした様子で侍女が声をかける。


「逃亡したのではないか?」

マルコはふっと笑い、侍女へ目を細めた。


「おいお前、王子の命令だ! ここの部屋の鍵を持ってこい」

(私のこうもりはエステルのカラス達に追い払われ、中の監視が出来ない……)


 侍女は怯えたように頭を下げ、駆け足で鍵を取りに行き、ほどなく戻ってきて差し出す。


 マルコはそれを受け取ると、荒々しく言い放った。

「さぁ! エステル!」

鍵を回し、勢いのまま扉を開け放つ。





「あら……なんの用ですの?」


 エステルは布一枚を身にまとっただけの姿で、ゆっくりと振り返った。


「おっと……失礼しました。

 部屋にいらっしゃらないようでしたのでね……」

 マルコはそう言って、口元に薄く笑みを浮かべる。

その笑みは謝罪にはほど遠い。


「……そのようなこと、あるはずがありませんわ」

 エステルは静かに言い切った。


「いえいえ。二日前の夜――

 城の上空を、カラスの大群が飛び立つのを見たと、衛兵が話しておりまして」



わざとらしく肩をすくめる。

「はは……逃亡でも企てられたのかと、つい疑ってしまいましたよ」

(そんな証言などないが……揺すってやる)


「……」

 一瞬、空気が張りつめる。


 マルコは一歩踏み込み、声を低くした。

「――ご存じでしょうが、

 あなたの予知夢は王族の管理下にあります」

 笑みは消え、冷たい目がエステルを射抜く。

「第三者に漏らした場合……

 どうなるかは、わかっていますね?」



「わかっていますわ……私の能力は王国サハラの繁栄の為に存在しますわ……」


エステルは微笑み、静かに平静を保つ。

「……マルコ殿下、このままだと風邪を引いてしまいます。まだ話したい事があれば改めて頂けないでしょうか」


視線は鋭くマルコを見つめる。



「失礼しました。エステル后殿……」

彼は紳士風に胸に手をあて、会釈する。



 マルコは扉を閉め、侍女へ鋭い視線を向ける。


「変わらず、ここで待機するように」

「えぇ……」


(エステルめ……元は平民の分際で……)



「イライラする……」

 マルコはギリリと奥歯を噛みしめ、そのまま廊下を歩き去った。


──


 エステルは深く、胸の奥まで沈み込むようなため息をついた。

心臓の鼓動が、ようやく元の速さに戻り始める。

(――危なかった……本当に……)


 あと十分。

ほんの十分、到着が遅れていたら――。


 マルコが扉を叩いたその瞬間、エステルはまだ窓枠に手をかけていた。

ノルディア特有の海風が、肌と衣にまとっていた。


 迷っている暇はなかった。

彼女は音を立てぬよう室内へ身を滑り込ませ、海の匂いをまとった衣を即座に脱ぎ捨てた。

 それを浴室へ放り込み、香油の瓶を掴み取る。

 甘く重い香りを空気に散らし、潮の気配を塗り潰すように満たした。



――そして、何事もなかったかのように。




 今、浴室で衣を洗い流しながら、エステルは水音に耳を澄ませている。

 鼻をくすぐるのは、香油と石鹸の匂いだけ。

 あの海風の気配は、もうどこにも残っていない。

 小さく息を吐き、ようやく安堵が胸に広がった。

「……マルコ殿下……」

 声に出した名には、自然と苦味が混じる。

(……いくら平民の出とはいえ、私は王の后よ)

(その私の部屋に、許可もなく立ち入るなど――本来なら、許されることではない……)


 それでも、彼は入ってきた。

笑みを浮かべ、疑念を隠そうともせずに。

(外に出ていたことが……バレたのかしら……)

 一瞬、背筋が冷える。


だが、すぐに理性がそれを否定した。

(いいえ……あの男の性格なら、確かな証拠があれば即座に兵を連れてくる)

(私を問い詰めるどころか、その場で拘束していたはず……)


 つまり――今は、探り。

(農業村リリン襲撃の予知夢は、王にしか伝えていない……)

(王がマルコに指示を出した可能性……)

(それとも……マルコ自身が……?)

 考えが枝分かれし、どれも決定打に欠ける。


 エステルは濡れた手を拭き、顎に指を添えた。

 静かな仕草の裏で、思考だけが鋭く研ぎ澄まされていく。

(……怪しい。でも、証拠はない)

(こちらから動くのは、まだ早い……)


 視線が、机の上へと向く。

封蝋と便箋。

(……ヤコブに、手紙を……)

胸の奥で、次の一手が静かに定まった。



続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ