【3話】家事
「俺は今から少し出かけてくる。二時間くらいで戻るから、その間に掃除と食事の用意を頼むよ。やり方について、詳しい説明はいるかい?」
「……いらないわよ。家事ならしたことあるわ。掃除と食事の用意をするだけでしょ。それくらいできるわよ」
「経験者だったのか。それは失礼した。掃除用具は外の小さな物置に入ってるから、それを使ってくれ。食事の材料はテーブルの上だ」
それだけ言うとティオールは、よろしくね! 、と明るい笑顔を見せて家から出ていった。
「……どうしよう」
ティオールが出ていって五分。
ベッドの上で呟いたレティスの声は、なんとも弱々しかった。
つい勢いで家事をやったことがあると言ってしまったが、あれは嘘。
漆黒の影のアジトには、そういったことを専属でしてくれるメイドがいた。
だから生まれてこの方、一度も家事をしたことがなかった。
「でも、大丈夫。なんとかなるはずよ」
経験はないが、知識がないというわけではない。
どんな仕事をしているかは、ある程度わかっていた。
それっぽくやれば、問題なくこなせるだろう。
ベッドから降りたレティスは、家の外へ出る。
掃除用具が置いてあるという物置へ向かった。
「えーと……これとこれよね」
ホウキと雑巾を手に持つ。
確かメイドは、これらを使って掃除をしていたような気がする。
家に戻ってきたレティスは、ホウキを動かして床を掃いていく。
しかしそれを始めてから、わずか三秒後。
ボキッ!
ホウキの持ち手が折れてしまった。
レティスの握る力に耐えられなかったようだ。
「これしきのことで折れるとは、なんて貧弱な。耐久性に問題があるわね」
ホウキは使い物にならなくなった。
仕方ないのでレティスは次に、雑巾を手に持った。
水で濡らし、窓ガラスを拭いていく。
しかし今度は、その一秒後。
バリン!
窓ガラスはひび割れ、砕け散っていた。
「……これも耐久性に問題があるわね」
少し力を入れただけなのにこれだ。
話にならない。
ホウキも窓ガラスも欠陥品だった。
これではまともに掃除ができない。
「仕方ない。もう一つの任務の方を進めましょう」
掃除を諦めたレティスは、ティオールから頼まれたもう一つの仕事――食事の準備に取りかかる。
食材が乗っているテーブルへ目を向けた。
まず目に入ったのは、大きな生肉だ。
「焼きましょうか」
頭に浮かんでメニューは、ステーキ。
鉄板の上に生肉を乗せたレティスは、そこへ片手をかざした。
「【クリムゾンファイア】」
レティスの手のひらから激しい炎が放たれる。
強力な魔物も一撃で倒せるくらいの強烈な威力をもっている。
「この火属性魔法をもってすれば、肉を焼くなんて造作もないわ! すぐにステーキができあがるんだから!」
レティスは得意な顔になる。
彼女の頭の中では既に、おいしいステーキができあがっていた。
業火に包まれた生肉は色が変わっていき、そして、数秒で炭の塊へ変化。
ウェルダンなんてとっくに通り越した、未知の物体となり果てていた。
レティスの思い描いていたものとは違う。
「……ちょっと失敗してしまったわね。まぁいいわ。気を取り直して、次に取りかかりましょう」
レティスは次の食材へ手を伸ばした。
それからしばらくして。
「ただいまー」
ティオールが帰ってきた。
そして一瞬で、顔を強張らせた。
「……これはなかなか、衝撃的だね」
持ち手が真っ二つになったホウキ。
割れた窓ガラス。
テーブルの上にずらずらと並んでいる炭。
それらを目にしたティオールは、苦笑いを浮かべた。
「……なによ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「明日は一緒に家事をしようか――あれ? これだけは無事だね」
ティオールが意外そうな声を上げる。
視線はテーブルの上へ。
そこには野菜スープがあった。
他の食事がひどい有様になっている中、これだけは炭になっていない。まともな形を残している。
「スープだけは昔から作れるのよ。なぜだか知らないけどね」
「へぇ、そうなんだ。せっかくだし、いただくとするよ」
テーブルに座ったティオールは、スプーンを手に取る。
スープをすくって、口に運んだ。
「――!?」
瞬間、瞳を大きく見開いた。
そこからは涙を流している。
食事を食べて泣く人なんて初めて見た。
「スープを食べただけで泣くなんて、ヘンな反応をするのね」
「とても懐かしい味かしたんだ……とても。うん、すごくおいしいよ。ありがとうレティス」
噛みしめるようにティオールは、感謝を口にした。
その口元は笑っていたが、どこか寂しそうだった。
(スープを食べただけでこんな顔をするなんて、変わったヤツだわ。それにしても、料理をして感謝されるのは初めてだわ)
なんだかヘンな気分だ。
でも、悪い気はしなかった。