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合わせ鏡  作者: 和達譲
両名視点:11年目を見つめて
8/11

第八話:10年待った


繰り返すが、今日は花の金曜日。

飲食店がどこも混雑しているように、ラブホテルもまた例外ではない。


学生風の浮ついた若者たち、酸いも甘いも噛み分けていそうな大人たち。

客層は様々で、関係性も人間性も千差万別。


誰がなんの目的で訪れたにしても、一般常識さえ弁えていれば、漏れなく歓迎される。

それがラブホテルという場所で、歓楽街に於ける暗黙の了解だ。


そう。

一般常識さえ弁えていれば、誰であれ拒まれはしないのだ。

たとえ酔った勢いだろうと、恋仲に満たない女同士であろうとも。




「───うわー、えっぐ。

マジで鏡だらけじゃん。ダンス教室くらいならここでひらけんじゃね?」


「……そうだね。」




ユウとすずがお邪魔したのは、空間一面が鏡張りという、特殊なコンセプトの部屋だった。

わざわざ選んだのではなく、たまたまここしか空いていなかったのだ。




「まー、そこそこ広いし、いっか。

確かカラオケ付いてる、ってあったよねー。」




さっさと部屋の中に入っていくユウと、怖ず怖ずとユウの後ろを付いていくすず。


コンセプトルームどころか、ラブホテル自体が嬉し恥ずかし初体験なのだ。

少なくとも、すずにとっては。




「ねえ、ユウ。」


「んー?」


「こういうとこ、前にも来たことあるの……?」




やけに慣れた様子のユウに、すずは不躾を承知で尋ねた。




「……あるよ。

こことは違うとこだけど。」




ユウは即答こそしなかったが、嘘はつかなかった。




「まだなんか聞きたい?」


「……いや、いい。」




すずが真摯に尋ねれば、ユウも真摯に答えるだろう。

だが、すずは詳細を求めなかった。



"───ワタシは結婚歴がなければ、男とまともに付き合った経験もないから"。



男性とは、交際したことがない。

なのに、ラブホテルへ来たことはある。

イコール、男性ではない連れを供にしていた可能性が高い。


女性か、元女性か、現女性か。

いずれにせよ、こんな際どい場所に同行するほどの、親密な間柄であったのは間違いない。


ただの友達、ただの知り合い?

性的なあれそれ(・・・・)も込みの、友達か知り合い?

わたしには内緒にしていただけで、実は過去に恋人と呼べる存在がいた?



"───したくないって言われたら、そういうの一切ない関係でも構わない。

逆にしてもいいって言われたら、遠慮しない"。



すずが唯一、腹を割って話せる相手がユウだった。

血を分けた家族以上に、ユウはすずを知っている。


故にこそ、喉から手が出るほど気になっても、すずはユウの深層を掘り下げられなかった。




「(そうか。

驕っていたのか、わたしは。)」




自分の知っているユウはあくまで、彼女の一側面に過ぎないのかもしれない。

ユウにとって自分は一番でも、唯一ではないのかもしれない。

ふと胸を刺したぎりは、無意識ながらも確かな慢心。


10年待ってくれたからといって、11年目があるとは限らない。

ハッとした瞬間、すずは肌が粟立つような恐怖と焦燥を覚えた。




「お、ここハニートーストあんじゃん!

せっかくだから頼むか。お祝いのケーキの代用で。」




なんだよ。遠慮しないって言ったくせに。

わたしから誘った時点で、いいよって意味なのに。

わかった上でわざとやってるなら、わたしのため?

それとも、わたしには性的な魅力がないから、催してくれないの?




「ユウ。」




晃平さんとする時でさえ、ここまで照れ臭くはなかった。

勇気を振り絞ったすずは、とうとう切り出した。




「しないの?」


「え?」




ルームサービスのメニュー表をひらいたまま、ユウは一時停止した。


まだ惚けるか。

すずは半ばやけくそに続けた。




「セックス。」


「………なんて?」




呆けるユウに向かって、すずは二歩三歩と詰め寄っていく。




「だから!ラブホテルに来るってのは、そういうことじゃないのって!」


「行ったことないからどんなもんかってさっき───」


「うそ!ただの言い訳!建て前あんなの!」




急展開に思考が追い付かず、ユウはすずをぼんやりと見詰めた。

つい本心を誤魔化してしまった30分前の自分を、すずは呪った。




「本当はそういうつもりで誘ったの!

ユウならいいと思って、でも本当のこと言ったら引かれるかなと思って言えなかったの!」




まさか本来の用途も込みでのお誘いだったとは。

道中のすずが妙に大人しかった理由を、ユウは悟った。




「好きになっちゃったの、ユウのこと。

友達以上に、ユウがわたしを、好きって言ってくれるみたいに。」




みるみる火照りだした顔を、すずは俯かせた。


祝杯のアルコールが残っているのでも、外気との寒暖差に血が騒いでいるのでもない。


真っすぐな感情が齎した熱。

市販のファンデーションなどでは、とても隠しきれない。




「お仲間が分かるんなら、分かってよ。」




最後に八つ当たりの一言を吐いて、すずは口を閉ざした。


二人の間に気まずい沈黙が流れる。

ユウは無言でベッドへ近付き、端に深く腰かけた。




「すず。」


「?」


「おいで。」




名前を呼ばれてすずが顔を上げると、ユウが手を差し延べていた。


シャワーは浴びなくていいのか。

当たり前の疑問すら湧かないまま、すずはユウの導きに吸い寄せられていった。




「ここ、座って。」




ユウが自分の隣を手で叩く。

言われた通りにすずが従うと、二人分の体重を受けたベッドが、ぎしりと音を立てた。




「(おちつけ。)」




男女での行為は心得ている。

でも同性の、女性同士のやり方は、人づての俄か知識がせいぜい。


だって、こんなことになるなんて。

こんなことを仕出かしてしまうだなんて、自分でも予想しなかった。

思いがけず、ぶっつけ本番となったのだ。




「(おちつけ。)」




男役と女役に分かれるのがスタンダード、だったか?

となると、この場合はユウが男役、でいいのか?


でも確定してるわけじゃないし、同い年の幼馴染みなら、対等でいくべきじゃないのか?

でもでも、こういう時の対等って、何を以て対等なんだ?


右も左もサッパリなわたしに、大先輩のユウをリードできるのか?




「(おちつけ。)」




再び流れた沈黙に反して、すずの胸中は早くもお祭り騒ぎ。

動揺と緊張と期待とで、あられもないモノローグを繰り返す。




「すず。」




ユウの指が、すずの頬にそっと触れる。




「(きた、)」




すずはぎゅっと目を閉じ、肩を強張らせた。






「しないよ。」




3秒のを置いて、すずは目を開けた。

視界いっぱいに映ったユウは、穏やかに微笑んでいた。




「しないの?」


「うん。しない。」


「なんで?」


「さすがに、破局して間もない人に手出すのは、ズルいでしょ。」


「わたしはいいって言ってるのに?」


「それでも。」




私はこんなにドキドキして、心待ちにしているのに、ユウは違うのか。

膨らませたイメージのことごとくを打ち砕かれ、すずは肩を落とした。




「やっぱり、わたしとは、したくない?」


「まさか。

許してくれるなら遠慮しないって、言ったでしょ。」




悔しい。寂しい。恥ずかしい。

自己嫌悪で涙が零れてしまいそうなのを、すずは奥歯を噛んで堪えた。




「なんなの、それ。

言ってることとやってることが違いすぎるよ。」


「かもね。」




本当は、勢いに任せてしまいたい。

正直になりたい。


おあずけを食らい続けた10年分、埋めさせてほしい。

取り戻させてほしい。


先に進みたいと望む気持ちは、ユウの方が強かった。

同時にユウは、"今夜ではない"ことも理解していた。

すずを愛しているからこそ、この日が待ち遠しかったからこそ、近道を選んではならないと自制できた。




「すず、聴いて。」




すずの左手に、ユウは自分の右手を重ねた。

すずは項垂れたまま、ユウと指を絡めた。




「ワタシは正真正銘、アンタに惚れてる。

本能の赴くまま行動していいんなら、不二子ちゃんを前にしたルパンみたいに飛び込んでいきたい。」


「飛び込んでいいよ。」


「だめ。少なくとも今日は。」


「理由は?」


「さっきも言ったけど、アンタはまだ、晃平さんと別れて間もない。人生かけた一大事を乗り越えたばっかなの。

どんなに平気なフリしても、受けた傷は一生残るだろうし、今の内にちゃんと治しておかないと、何度だってその時の痛みがぶり返す。

普通なら、立ち直るのに最低一年はかかるところよ。知らんけど。」


「知らんのかい。

わたしそんな思い詰めてないよ。」


「だとしても、アンタは自覚以上に弱ってる。

そんな矢先に、付け込むような真似はしたくない。」


「わたしが誘ったのに。」


「聞いたよ。

誘われて余計に、そう思ったんだよ。」




ユウの低い声が、だだっ広い空間に響く。

すずは不機嫌に鼻を鳴らし、ユウの肩に凭れかかった。




「さっき、好きって言ってくれたのも、もちろん嬉しかったけど。

それも本心かどうか分からない。」



聞き捨てならない台詞にすずは飛び起き、ユウを睨みつけた。




「疑ってんの?」


「疑ってはないよ。ただ、自信がない。

一番しんどい時に、傍にいた相手だもん。情が移るのは必然でしょ。」


「吊り橋効果だって言いたいの?わたしの好きは気まぐれだって───」


「そうじゃないってこと。

証明したいからこそ、急ぎたくないんだよ。」




すずのユウに対する"好き"は本物。

友人としての信頼や尊敬に加え、恋愛対象としての羞恥や欲求が着々と芽生えている。




「(そうやって、ユウはいつも───)」




ただ、片想いに忍んできたユウの言い分も、わからないでもない。

すずは反論するのをやめた。




「本当にぜんぶ落ち着いて、それでもワタシを好きだって、言ってくれるなら。

その時に応えるよ。必ず。」




ユウはいっそう優しく微笑み、すずは切なさに眉を顰めた。




「ユウはいいの?それで。」


「いいよ。」


「10年待ったんだよ?」


「10年待ったんだもん。これからだって待てるよ。」


「本当に?」


「ほんとう。」


「本当に、わたしを好き?」


「好きだよ。世界で一等。」




すずは堪えきれず泣いた。

ユウはすずを抱き寄せ、すずの震える背中を撫でてやった。



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