第七話:本気と書いてマジ
三ヶ月に及ぶ調停の末、すずと晃平の離婚が成立。
晃平は固定資産を譲らない代わりに、破格の慰謝料をすずに支払った。
住家を追われたすずは、宝くじ同然で得た大金を手に、函館へと身を寄せた。
何故ならそこには、幼馴染みにして親友、此度の一件に於いては恩人でもある、唯一無二の存在がいるから。
「───いやー、めでたい!実に!」
4月某日。
北海道ではまだ衣更えに至れない、初春の夜。
函館市内のとある居酒屋にて、すずとユウは祝杯を上げた。
「思ったよりは時間かかっちゃったけどね。」
「でも晃平さんとは早い段階で纏まってたんでしょ?
外野がうるさくて混乱したってだけで。」
「うん。
あの時のお義母さんの顔、色んな意味ですごかった。」
「どんな?どんな?」
「魔女っていうか般若っていうか……。
晃平さんに非があるとは、最後まで認めたくない感じ?
最後の最後には、その晃平さんに諭されて、やっと大人しくなったけど。」
「目に浮かぶようだわ~。
ワタシもクソババアの泡吹く姿拝んでやりたかったぁーッハッハッハ!」
「ユウ、声大きい。」
「いーってこんくらい!
あっこの席見てみ?こっちの3倍ドンチャンしてっから!」
「まあ、居酒屋だもんね。」
離婚間もない割にすずはケロリとしており、そんなすずをユウは笑い飛ばした。
本来であれば祝杯どころか、傷心する一方を、もう一方が慰めたり励ましたりが妥当な場面。
実際そうならないのは、この二人だから。
誰より深く互いを理解し、夫婦の馴れ初めをも共有した仲だからこそ、腹の探り合いも傷の舐め合いも不要なのだ。
「意外なのは晃平さんの方よね。
てっきり、"俺は絶対別れないからなぁ!"とかって駄々こねるもんとばかり……。」
「最初に離婚切り出した時は、そんなような顔してたよ。
むしろわたしの方が、"別れたくない"、"不倫されても変わらず好き"、とかって縋り付くと思ったんじゃない?」
「子供のこともあんのに、ンな都合よく一途なワケねーだろってな。」
「本当にね。
いくら他人って言っても、自分より若い子に堕胎の経験させるなんて嫌だったし、よかったよ。」
「もう籍入れ直したのかね?」
「わかんない。
ただ、向こうさんが結構グイグイらしいから、今年中にはじゃない?」
「もう尻に敷かれてんのかよ。先が思いやられるねぇ。」
「彼には、そのくらい強気な奥さんがいいのかも。
子供できたら変わることもあるだろうしね。」
「………。」
「コラコラ、そんな顔すんなぁ。
終わり良くって良かったなーって、未練ないなーって意味だから、深読みすんなぁ。」
「アハハだよねー。ささ、もう一杯。」
「ありがとー、くるしゅうないー。」
"可哀相"でも、"大変だったね"でもなく。
"めでたい"と喜ぶあたりが、なんとも彼女らしい。
珍しく酔ったユウの赤ら顔を見詰めながら、すずは感慨に耽った。
「ほんとは仕事の方も区切りついて、纏めてお祝いしたかったんだけどねー。」
「まだそっちも上手くいくとは決まってないでしょ。」
「決まったも同然よ。
すずの最高のポテンシャルをワタシという最高の美女が猛烈プッシュしてやったんだから。
これで落とされたら本社で大暴れしちゃう。」
「またそういう……。
気持ちは嬉しいけど、ほどほどにね?
わたしのせいでユウの立場悪くなったりしたら嫌だからね?」
「大丈夫ダイジョーブ。さっきのは半分ジョーダン。
ワタシごときのプッシュで左右されるほど、ウチ甘くないから。
ちゃあーんとアンタの実力なにょよーん。」
「だいぶ酔ってきたね。」
「ワタシ酔いたい時に酔える女だから。」
「はいはい。
変な残り方しないといいね。」
そもそも、なぜ二人はここにいるのか。
すずは函館へ来ることになったのか。
"───ここはひとつ、ワタシに賭けてみちゃもらえんかね?"。
実は、離婚の件をすずが相談した時。慰謝料の相場等を教えるついでに、ユウはこんな提案をしていたのだ。
せっかく独身に戻るなら、一度は諦めた夢を掴み直してみるのはどうかと。
詳しく尋ねるすずに、ユウは続けた。
自分の勤める化粧品会社で、デザイナーの定員を増やす話が出ている。
条件はさほど厳しくなく、才能があれば経歴度外視だそうなので、外部の人間にも十分チャンスがある。
すずさえ良ければ、自分が代わりにエントリーしておくので、試してみる気はないかと。
離婚後の進退を気にしていた手前、新しい人生の第一歩となるなら、願ったり叶ったり。
すずは二つ返事で了承し、調停の傍らデザインの技術を磨いた。
そして現在。
一次選考を無事突破し、残すは本人面接を含めた最終選考にて、合否を競うのみとなった。
仮に落選しても、貴重な経験をさせてもらえただけで収穫だと、すずは言う。
「───いい時間になってきたね。」
「ゲッ。ほんとだ。あンだよつまんねー。」
「口調戻ったね。」
「ああ、酔い覚めたから。」
「もう?」
「ワタシ酔い覚ましたい時に酔い覚ませる女だから。」
「引くわ。」
深夜0時、5分前。
久々に手放しで酌み交わせるのが、語り合えるのが楽しくて、気付けば二人は3時間あまりも居酒屋に留まっていた。
店じまいにはまだ猶予があるが、タイミング的には丁度いい。
ハシゴをするにも解散するにも一息いれようと、会計を済ませて外へ出ることに。
「グッヘー、さみぃ。春うらら早よ~。」
「この後どうする?帰る?」
「ええー、帰んのぉ?」
「じゃあ二軒目いく?」
「そうしよ!なんならオールでもいいし!」
「明日予定は?」
「なーんにも。
すずと会う前後にスケジュール詰めるほど馬鹿じゃないって。」
「ふーん……。」
肌寒いビル風に吹かれながら、大通りを並んで彷徨い歩く。
さすが花の金曜日だけあって、往来は深夜に拘らない賑わいを見せている。
酒類を提供する飲食店は、のきなみ満員御礼だ。
こんな風に夜遅くまで遊んだことも、身内の悪口で盛り上がったことも、すずにはない。
あの鳥籠のような家を出なければきっと、これからもなかっただろう。
「明るいね。」
「ワタシが?」
「うん。あと街が。」
「アー……。
まあ、こんなもんじゃない?地方にしては活気ある方かな?」
「夜の街ってあんまり知らなかったから、体感できて良かった。」
「なに今生最後みたいな言い方してんの。
これからいくらでも、楽しんでいいんだよ。」
「うん。」
「ワタシがすず専用の食べログになったげるから。
アッシーでもメッシーでも喜んで?」
「うん。ありがとうネッシー。」
「未確認生物?」
迎えたい朝があること、明けてほしくない夜があること。
孤独でなければ、どんな痛みも苦しみも乗り越えていけること。
すべてはユウが教えてくれた。
ユウがいなければ、自分は今ここにいない。
見慣れたはずの顔に、聞き慣れたはずの声に、すずの中でじわじわと愛おしさが増していく。
少し飲み過ぎただろうかと、もはや言い訳も立たないほどに。
「で、どうする?
多分どこも混んでるけど、スマホで調べりゃなんとか───」
「あのさ。」
「うん?」
「わたしが行ってみたいとこ、でもいいの?」
「いいよ。どこがいい?」
開けた十字路の真ん中で、すずは立ち止まった。
「こっち、行ってみたい。」
すずが指し示したのは、ディープもディープなネオン街。
明確な目的がなければ近寄ることさえ憚られる、ラブホテル通りだった。
またまた~、とユウはからかおうとして、やめた。
この時のすずの顔が、声が、あまりに真剣で、いつもとは別人のようだったから。
「本気?」
「本気。」
「本気と書いて?」
「マジ。」
「でじま……。」
すずはぐっと息を呑み、ユウはごくりと生唾を飲んだ。