第六話:お幸せに
「───離婚するべきだし、離婚以外に選択肢ないってことは、もう分かってるの。
ただ、別れてください、はい別れましょう、で片付けていい話なのかなって、モヤモヤして……。」
晃平さんとの離婚の件を、私は真っ先にユウに相談した。
ユウは一から十まで話を聞いてくれただけでなく、週末に有給をとって駆け付けてくれた。
親友の一大事を電話一本で済ませるわけにはいかないと、頼もしく笑う顔はドのつく素っぴんだった。
「自分の辛い時だけ頼ったりして、申し訳ないけど……。
ユウだったらどう思うか、聞かせてほしい。」
いつも女優さんばりにメイクしてヘアセットして、部屋着のままじゃコンビニも行かないと豪語していたユウが。
唇はカサカサの髪はボサボサ、急拵えのパーカーにジーパンという出で立ちで、私のためにと息を切らして走ってくれた。
それだけで私は、なんだか泣けてしまいそうだった。
「ちなみに、晃平さんの方は?今どうしてんの?」
「わたしの気持ちが固まるまでって、近くのビジネスホテルで寝泊まりしてる。」
「ふーん。自分が悪いって認識は、一応はあるわけね。
ご両親には?」
「まだ。他の誰にも話してない。ユウだけ。」
「なるほど。
言っとくけど、ワタシは結婚歴がなければ、男とまともに付き合った経験もないから、意見するにしても偏ると思うよ?」
「いいよ。なんでも。
わたしに対する批判でも、なんでも、受け止めるから。
率直に思ったこと、言って。」
しかしユウの反応は、私の想像とは違っていた。
「正直、晃平さんの気持ち、わからんでもない。」
「え。」
「誤解しないでよ?不倫野郎の孕ませ野郎を庇ってるわけじゃない。
ゼロヒャクの100パー向こうが悪いし、絶対に許されることじゃないけど……。
どのみち、こうなる運命だって気はしてた。
たとえ奥さんが、すずじゃなくてもね。」
てっきりユウのことだから、今すぐ晃平さんをボコボコにしてやらなきゃ収まらない、とかって憤慨するものと思いきや。
当初の私と似て、冷静だった。
なんなら、ちょっと期待外れなくらいに。
「すずはファンクラブ入ってなかったから、知らんかったかもだけど。
晃平さんのお家って、昔から結構有名だったのよ。」
「お金持ちって?」
「それもだけど、ご両親───。特にお母さんが厳しいらしいって。
会ったことあるなら、すずが一番、その片鱗を感じたんじゃない?」
ユウはぜんぶ言ってくれた。
ぜんぶ教えてくれた。
普通は突っ込みにくいことも、遠慮してしまいそうなとこも。
私のどこが駄目だったのか、私たちの何がいけなかったのかを。
「お付き合いだけなら自由にさせてもらえただろうけど、結婚となりゃ話は別。
一人の夫として、お前はこう在りなさいとか。妻に選ぶ女は、コレコレの条件を満たして当たり前とか。
きっと何をして何を決めるにも、相当クチを挟まれたはず。」
晃平さんは完璧な家庭を望んでいた。
理想的な自分と、理想的な伴侶。
誰の目から見ても羨ましい人生を送りたかった。
送らなければならなかった。
「自分で自分の首、絞めちゃったんだろうね。
"憧れの高槻先輩"としてアンタに近付いた手前、いつ素を出せばいいもんかタイミング失って、理想と現実のギャップにだんだん追い付けなくなって……。
策士、策に溺れるってやつ?」
お前は私たちの自慢なのだから、これからも自慢になるような行いを。
厳格なお母様が手塩にかけて育てた結果、一部の隙も許せない彼が出来上がってしまった。
「男ってさ、たいがい見栄っぱりなのよ。特に好きな女の前では。
"一番カッコイイ俺"だけ見ていてもらいたい。だから"カッコ悪い本当の俺"は余所で解放する。
別に、こっちからすれば、そんなの望んでないし。
気軽な相手に鞍替えされるくらいなら?ダサかろうが何だろうが、自分の傍にいてほしいのにね?」
晃平さん自身は、完璧主義な性分ではなかった。
友達と悪ふざけもするし、学校をズル休みしたこともあった。
勉強も部活動も、生徒会長になったのだって、好きでそうしたんじゃない。
"高槻晃平"を演じる上で必要だったから、仕方なく全うしていたに過ぎない。
お母様が敷いたレールを、お母様が定めたルールのもと、真っすぐに歩かされる。
たとえ、自分の志していた道は、逆向きに続いていたとしても。
「信じらんないだろうけど、アンタ、愛されてたんだよ。
お母さんに介入されるまでは上手くやれてたのが、いい証拠。」
そんな時に、無条件に甘えさせてくれる存在が現れたら。
私の前では完璧じゃなくていいと、甘く囁かれたら。
縋りたくなるのも、無理はないかもしれない。
「私を愛してくれるなら、お母さんのことなんか無視してよって、普通の人は言うだろうけどね。
難しいんだよ。
女にとっての母親と、男にとっての母親は違う。
女より男のが、お母さんの存在ってデカイもん。
そのお母さんから、ずーっと教育されてきたことを、実は間違いだったって自力で気付くのは、まず無理。
そんなのおかしいよって指摘してくれる人がいて初めて、疑問を持てる。
晃平さんには、その人がいなかった。
アンタも、その人になれなかった。」
私だって、完璧な晃平さんが好きだったんじゃない。
友達と悪ふざけしたり、学校をズル休みしちゃったりする方の晃平さんを、人間らしいと好きになった。
「晃平さんは悪いことをした。アンタは何も間違ってない。それは揺るがない事実。
ただ、晃平さんだけが悪かったんでもないし、アンタは正しいことだけしてたんでもない。
それもまた、悲しいかな事実。」
ジム通いなんてやめて、お腹がぽっこり出てきたって良かった。
手料理だからと遠慮せず、ソースだってマヨネーズだって掛けてくれて良かった。
稼ぎが悪かろうが何だろうが、自分の好きなことを仕事にしてくれて良かった。
晃平さんが望むなら、私はどんなにカッコ悪い夫婦になっても、構わなかったのに。
「ワタシから見れば、二人とも被害者だ。
毒親持った晃平さんも、失敗させられたアンタも。」
それを本人に伝えられなかった時点で、私は晃平さんの妻として失格だったんだろう。
晃平さんに相応しいのは、一緒に完璧を体現してくれる人じゃない。
完璧なんかクソ食らえと、お前はお前らしく生きろと、引っぱたいてでも目を覚ましてくれる人なんだ。
「何度でも言う。
アンタは悪くない。間違ってない。
ワタシは晃平さんを大嫌いだし、晃平さんのお母さんも許せない。
一族郎党、ワタシが纏めて血祭りに上げてやりたいくらい。」
私みたいに、権利がないと卑下したり、嫌われたくないと従うばかりの女は、そう。
格差以前に、一人の人間として、不釣り合いだったんだ。
「ただ、今は今、過去は過去。
こんなんなっちゃったけど、アンタは晃平さんを愛してたし、晃平さんもアンタを愛してた。
あの頃は楽しかったし幸せだった。
その気持ちまで、思い出まで、否定する必要はない。
どんなに悔しくて苦しくても、晃平さんを好きになったアンタの気持ちは間違ってないし、晃平さんを選んだアンタの選択は悪くなかった。」
珍しく晃平さんの肩を持ったユウ。
けれど私は、どうして全面的に私を庇ってくれないの、とはならなかった。
「なにがあっても、ワタシは絶対、アンタの味方。アンタが一番大事。
アンタが決めたことなら、ワタシはどんな形になっても、応援する。」
ユウのおかげで気付いた。
正しさを求めることは、必ずしも正しくない。
晃平さんの浮気の原因は、私に一端があったんだと。
「もし、離婚を躊躇う理由があるとして。
別れた後どうしよう、一人でどうやって生きていこうって不安が、その理由になってるんだとしたら……。
ここはひとつ、ワタシに賭けてみちゃもらえんかね?」
ユウのおかげで気付けた。
晃平さんのやったことは悪いことでも、晃平さんは悪人じゃない。
私は心から、晃平さんを愛していたんだと。
「───別れましょう。」
その上でやっぱり、離婚をしようと決意した。
絶対にやり直せなくはない、かもしれないけれど、もういいんだ。
気付きを得たところで、私の晃平さんへのスタンスは、きっと変えられない。
卑屈で従順で、相手から行動してくれるのを常に待っている。
そうして知らず知らずと息苦しい空間を生み、帰ってき辛い環境を作り、出張だと家を空けられる度に、また新しい女かとヤキモキする。
晃平さんである以上、私でいる限り、未来永劫ずっと、この繰り返し。
「え……。」
「なんですか?
意地でも別れたくないって、泣いて縋ると思いました?」
「………。」
「しませんよ、そんなこと。
単なる浮気、単なる不倫ならまだしも、子供ができてしまったんですから。
当事者三人だけの問題でなくなった以上、わたしの個人的な感情は優先できません。」
だから、解放してあげる。
なりふり構わず貴方の胸に飛び込んできた子と、楽に息をできる世界へ送り出してあげる。
「じゃあ、気持ち的には、やっぱり別れたくないってことか?」
「ああ、ごめんなさい。言い方が悪かったですね。
個人的な感情を優先するなら、あなたも相手の女も八つ裂きにしてやりたい気持ちですけど。
これから親になろうという人たちに、そんな真似はできないって意味です。」
「………。」
「っていうのは半分冗談で……。もう、自信がないんですよ。
あなたを幸せにする自信も、あなたと幸せになる自信も。」
「俺は────」
「だから、いいです。もう。
わたしの苦しみをあなたは知らず、あなたの苦しみにわたしは気付けなかった。
それが全て。それが答えです。」
私は私で、私らしくいられる世界で、私でいさせてくれる人と、生きていくから。
「今まで、ありがとうございました。どうか、新しい奥さんと、可愛い子供さんと、お幸せに。」
ユウ。
あの時のあんたの気持ち、今なら分かるよ。