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合わせ鏡  作者: 和達譲
すず視点:気付きの28歳
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第五話:分水嶺と境界線


ユウからの告白を受けた半年後。

話したいことがあると晃平さんに言われ、都合のよい日に機会を設けた。




「───じゃあ、そろそろ。しましょうか、話。」


「……うん。」




いつものように晃平さんの帰りを待ち、いつものように晃平さんを出迎え、作っておいた夕食を向かい合って食べる。


もう何度となく繰り返したルーティーン。

なのに目の前にいる夫は、まるで知らない人の顔をしていた。




「別れないか、俺たち。」




青天の霹靂だった。

話があるなんて急に言い出すから、きっと良くない知らせだろうとは感じていた。

ど真んなかに的中してしまうとは、いっそ清々しい。




「離婚したい、ってことですか。」


「そう。」




昔は自他ともに認める、仲のいいカップルだった。


晃平さんは私に、とても優しくしてくれた。

私も晃平さんを、とても慕っていた。


ブスのくせに身の程知らずだとか、晃平さんのファンに陰口を叩かれるのは辛かったけれど。

分不相応の自覚はあったから、乗り越えるべき試練なんだと受け入れられた。


そう自分に言い聞かせることで、目を逸らしたかった面もあるかもしれない。

矢面に立たされる私を、知らんぷりし続ける晃平さんから。

本当は私は愛されていないんじゃないかという、果てのない不安から。




"───結婚するのは大賛成。

ただひとつ、守ってほしい条件があるの"。




不安が不満に変わったのは、大学生の頃だ。

私は晃平さんを追いかけて同じ大学に入り、特技を活かして出版業に就くことを目標としていた。




"貴女が憎くて言ってるんじゃないの。

貴女のためを思って言っているのよ"。




それは叶わぬ夢と消えた。


私自身の力が及ばなかった、ならいい。

是非にと言ってくれる人も場所もあって、あと一歩のところまで迫っていたにも拘らず、断念した。

断念せざるを得なかった。




"せっかくい会社に入っても、妊娠したら辞めなきゃいけないでしょう"。


"仕事の楽しさを覚えた矢先に、なんてなったら貴女が辛いのだし、会社にだって迷惑をかけるわ"。




家庭に入り、主婦業に専念してほしい。


高槻家から出された結婚の条件。

ご挨拶に伺った折、先輩のご両親から直接、そう言われた。


家庭に入ること。

夫を支えることを第一の役目とすること。


高槻家はそれなりの名家だし、晃平さんも割のいい仕事に就いたから、妻まで働きに出る必要がないのは分かる。


でも、強制されなければいけないことなのか?

夫が外で働いて、妻が家を守る構図は、偏った因習だと見直される時代になったんじゃないのか?




"でも、わたし達はまだ、若いですし。

子供の話は、もう少し先でも───"。


"そうやって大事なことを先延ばしにしていると、いつか取り返しがつかなくなるわ。

私は結婚も出産も人より遅くて苦労したから、貴女には同じ轍を踏ませたくないのよ"。




結婚は、あくまで私達のことだよね?

二人で働いて、二人で家庭を築いていけば、なんの問題もないよね?


彼だけは味方になってくれるはずと信じて、私は必死に晃平さんを説得した。

晃平さんが味方したのは、ご両親のほうだった。




"君の言いたいことも分かるけど、俺としては、はやく母さん達に、孫を抱かせてやりたい"。


"それは────"。


"別に、機会がなくなるわけじゃないんだ。

君のやりたい仕事は、何歳になってからでも出来るだろ?

それこそ子供を産んで、落ち着いてからでも遅くはない。

今は焦らずに、ゆっくり考えていけばいいじゃないか。な?"。


"………はい"。




固定された上下関係。

確定した未来予想。


私の意思は誰も尊重しない。

どこにも反映されない。


求められているのは、亭主の三歩後ろに控える、貞淑で大和撫子な、妻としての有りようだけ。




「理由、聞いていいですか。」


「………。」


「わたしのこと、嫌いになりましたか。」


「違う。」


「じゃあ、どうして。」




だったら何故、その時点で見切りをつけなかったのか。


我ながらほとほと呆れてしまうが、勇気がなかったのだ。

捨てるのも諦めるのも怖くて、イチからやり直すのが億劫だった。


だから窮屈な現状維持を選んだ。

いつかは道が開けるかもしれないと、根拠のない希望を寄る辺にして。




「妊娠させてしまったんだ。」


「……誰を?」


「会社の、後輩の女の子。」




その結果が、これか。


孫の顔を見せてやりたいから。

俺の仕事を優先してほしいから。

あれこれと申し開きを立て、私に鎖を繋いだ結果が、これか。


なるほど。

余所に女を作っていたから、妻を相手にしなくても困らなかったわけか。

いわゆるレス(・・)の状態が続いていたのは、単なる倦怠期ではなかったわけだ。




「つまり、わたしに隠れて不倫してたってことですか。」


「そんなんじゃない。」


「じゃあなんだっていうんですか。」


「……向こうから、どうしてもって、しつこく迫られて。

断りきれなかったんだ。」


「断れなくて、仕方なく応えているうちに、うっかり子供ができてしまったと。」


「………。」




妊娠させた?

しかも、会社の女の子を?


内輪に手を出せば、逃げ場がないと分かっていたはずでしょう?

もう少し二人きりの夫婦生活を楽しみたいからって、例の孫とやらを産ませてくれる機会さえ、見送ったはずでしょう?


私には我慢ばかりさせておいて、自分は外で悠々自適に過ごしていたの?




「相手の女の子は、どうしてるんですか。」


「まだ、初期の段階だから、堕ろすことも一応、できるけど……。

本人は産みたいって、言ってる。」


「その子とやり直すために、わたしはもう要らないって、そういうことですね。」


「そんな言い方はしてない。」


「そうでしょう、実際。

経緯はどうあれ、妊娠させてしまったからには、責任を取る。

そりゃあ、そっちを優先しますよね。わたしとの間には子供がいないんですから。」




怒りが湧いた。

許しがたいと思った。


ただ、冷静だった。

自分でも意外なほど、なにに対して怒っているのか、どうして冷静でいられるのか、理論的に分析できた。


怒りが湧いたのは、裏切られたから。

私の苦労を無駄にされたから。


冷静でいられたのは、そんな気がしていたから。

そもそも期待していなかったから。




「なんで俺ばっかり悪者なんだよ。」


「え?」


「君は気付いてなかったわけだろ?

俺が外で何してるか、どんな人たちと付き合ってるか、興味すら持たなかった。」


「それは、詮索しないでくれって言われたから───」


「だから自分は一方的な被害者なのかよ。

俺の気持ちなんか考えもせずに、毎日呑気に過ごして、いざとなったら全部俺のせいかよ。」




晃平さんも私も、随分前には、愛が冷めていたのだ。


どうにかここまで続けてこられたのは、周りからの圧力と惰性があったおかげ。

いつか破綻することになっても、予防はしないし回避するつもりもない。


釈然としないが、"なるべくしてこうなった"というのが、適切な表現だ。




「俺だって、君がもっと優しい奥さんだったら、浮気なんかしなかったよ。」




もうひとつ。

私が冷静でいられた理由。


ユウの存在。

ユウが私を好きだと言ってくれたおかげで、私は私の尊厳を守ることが出来た。

晃平さん以外にも私を必要としてくれる人がいる安心感が、私の心にベールを覆ってくれた。


そうでなければ、もっと狼狽して、もっと悲観して、もっと慟哭しただろう。

どうして私ばかりがこんな目にと、早まった真似をしたかもしれない。




「よく、わかりました。」




虫のいい話だ。

あなたのことは選べないなどと拒んでおいて、選んだ相手に捨てられそうになると、過ぎた岐路を振り返りたくなる。




「離婚の件も、妊娠の件も、あなたの気持ちも。

全部よく、考えますから。」




ねえ、ユウ。

本当にあの人でいいのって、前に聞いてきたことあったよね。

モテる人だから苦労するよって意味なんだと、私はずっと思ってた。


違ったんだね。

晃平さん(・・・・)がモテる人だからじゃなくて、私たち(・・・)が人として欠けているから、上手くいかないよって言いたかったんだね。

ユウには、私たちの10年後がどうなるか、分かっていたんだね。




「少し、時間をください。」




私って、晃平さんのどこが好きだったんだっけ。



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