第三話:返してもらうよ
10年後。
高校の恩師が定年退職されるのを機に、その年の三年生で集まることになった。
生まれから高校卒業までを過ごした、我らが故郷で。
「───ユウじゃーん!やば久しぶりー!」
「相変わらず美人だね~。」
「そうだろう、そうだろう。
お前らは相変わらず普通だな。」
「口悪いとこも変わってねえ!」
私は現在、函館の方で化粧品販売の仕事についている。
ドラッグストアでアルバイトをしていた頃も、お客さんのメイクレッスンをする係だった。
当時から接客業は性に合っていたし、美容関係にも興味を持っていた。
趣味と実益を兼ねてというのが、最も適切だろうか。
「販売員やるくらいだから詳しいんでしょ?
最近はどんなのが売れ筋なの?」
「見せよっか?」
「え、なに実物あんの?」
「あるよ。
いつでも営業できるようにサンプル持ち歩いてる。」
「さすが~。」
「私も見たーい!」
「なに?なんの話?」
「おじさんには関係ないハナシー。」
「同い年だろ!」
仕事の話、家庭の話、懐かしい思い出話。
10年のブランクなど感じさせないほど、みんな意気揚々と語り合った。
私も久々に羽を伸ばし、気負わない空間を堪能した。
交通の便が悪かったとかで已むなく遅刻をしてきた、あいつが現れるまでは。
「───こんばんは。遅れてすいません。」
最後に合流したすずは、ひときわ美人になっていた。
定期的にビデオ通話なんかもしてるから、垢抜けたのは百も承知なんだけど。
面と向かうのは2年ぶりだったもので、私もつい呆気にとられてしまった。
「え……っ。すずちゃん?」
「うん。久しぶり。」
「ひさしぶり……。
なんかめっちゃ、雰囲気かわった、ね。」
「え?ああ……。髪型のせいかな?」
「それもだけど、一段とキレイになったっていうか、」
「女優さん入って来たと思った。」
「いやホントそれ。」
「あはは。おだてるのが上手いね。」
すず。私のすず。
大人になっても衰えるどころか、ますます磨きがかかっている。
笑うと可愛くて、困ると色っぽくて、どの角度をどの瞬間に切り取っても美しい。
あの高槻先輩の妻となった事実を妬む者は、もういない。
「ユウも。久しぶり。」
「……久しぶり。」
「あ、ふたり連絡とってたんだっけ?」
「うん。
でも直接会ってはなかったから、なんか変な感じ。」
「おやぁ?ユウちゃん急に黙ってどした?」
「すずちゃんがあんまりキレイになったから焦っちゃった?」
「そんなんじゃねーし。
すずが綺麗なのは元からだしワタシの美しさとはジャンルが違げーから。」
「負けず嫌い炸裂やん。」
「あはは。ユウのが綺麗に決まってるよ。」
私は知っている。
みんなが憧れた高槻先輩は、決して良い亭主じゃないことを。
みんなが羨む高槻先輩との家庭は、円満とは程遠いことを。
「今はもう"高槻すず"なわけでしょ?」
「うん。」
「すごいなー。
学生ん時から付き合って結婚までいくカップルって、ほぼいなくない?」
「しかもあのウルトラスペック番長~。」
「今もカッコイイ?」
「見た目はぜんぜん変わってないよ。」
「ヤダ即答ー!」
「いいな~。」
すずが22歳、高槻先輩が24歳の時に、二人は結婚した。
披露宴には私も出席し、歯軋りしながら御祝いのスピーチをした。
すずの花嫁姿はまるで、ダイヤモンドを擬人化したように神々しかった。
「うちの旦那なんか、まだ30なのにハゲてきてさー。
あっという間におじいちゃんよ。」
「おじいちゃんは言い過ぎでしょ。」
「そっちはー?上の子、何歳になったの?」
「今年で5さ〜い。下が2さ〜い。」
「うわ大変~。」
「でも一番かわいい時じゃない?」
「私も二人目は男の子ほしいなー。」
「独身組は肩身が狭えっす……。」
誰もが一度は思い描く、理想的な美男美女夫婦。
強いて欠陥を挙げるとするなら、すずの大学卒業直後に入籍したこと。
自分も働きに出たいと望むすずを黙らせ、高槻先輩と高槻先輩のご両親は家庭に入ることを強要したらしい。
「俺こないだ、営業で高槻さんに会ったよ。」
「え、ほんと?」
「どんなだった?」
「いやマジ全っ然変わってない。
それこそ俳優ってか、ノンノ感やばかった。」
「へー。」
「しかもめっちゃバリバリで、仕事もデキる男っての?
弊社の女の子たち色めき立ってたよ。」
「だってよ奥さん。」
「その節はどうも……。
主人がお世話になりました。」
あんなカッコイイ人が旦那さんで、おまけに自分は専業主婦で、こんなラッキーはそうそうない。
なんて言えるのは、無知で無分別な馬鹿だけだ。
すずには、やりたいことがあった。
絵や文章を書くのが得意だったから、特技を活かせる仕事がしたかった。
地元の出版社への内定も、ほぼ決まっていたも同然だった。
それを高槻先輩は阻み、はやく孫の顔を見せてやりたいとか何とか言って、家の中に閉じ込めた。
きっと、洗練されていくすずに嫉妬したんだ。
学生時代は分母が少なかったから、自分が頂点にいられたけど。
社会に出れば、そうもいかない。
世の中には自分よりカッコイイ男がたくさんいると知られるのが、すずに愛想を尽かされるのが怖かった。
だから自分の目の届く範囲に囲ったんだ。
孫の顔がどうとか、未だに実現させる気なんかないくせに。
「この幸せ者めー。」
「うちのと交換してほしいくらいだよー。」
可哀相なすず。
追求されるのは高槻先輩のことばかり。
高槻先輩の妻である以外、誰もすずに興味ない。
嫌でしょう?不快でしょう?
本当は碌でもない身内を、上辺だけで誉めそやされるのは。
反論したいでしょう?否定したいでしょう?
実際がどんな有様か、証拠を突き付けてやりたいでしょう?
「幸せの形は、人それぞれだから。
わたしは、与えられたものに感謝するだけだよ。」
できないよね。
誰もが羨んだ相手と一緒になった手前、失敗だったとは口が裂けても言えないよね。
自慢の奥さんでいるようにって、高槻の一族から躾けられてるんだもんね。
「優等生すぎて、ぐうの音も出んわ。」
「ユウもちょっとは見習ったらー?」
「すずちゃんの爪の垢、煎じてもらいなよ。」
「爪は鷹の爪で間に合ってます。」
「そーだ辛いもの食べたい。」
「これは?"閻魔様の麻婆豆腐"。」
「名前からしてヤバそう。」
もっと、みじめな思いをしなよ。
もっと四面楚歌になりなよ。
アンタを分かってやれるのは私だけ。
アンタに縋らせてやれるのも私だけ。
アンタと高槻先輩の間にあるものは、とっくに愛じゃないんだって、気付いて。
「───なんだよ付き合い悪いなぁ。ちょっとくらい顔出してけよ。」
「そーだよユウいないとつまんない!」
「ごめんなさぁ~い、アタシお酒の席って得意じゃなくってぇ~。」
「一升瓶あけたヤツがよく言う!」
「そういうワケだから、後はみんなさんで楽しんでぇ~。
───行こ、すず。」
「あ、うん……?」
一次会がお開きとなり、二次会は別の飲み屋で仕切り直すことに。
私は名残惜しくも参加を断り、すずを個人的に連れ出した。
「へー。こんなとこに、こんなお店あったんだね。
たまに来るの?」
「んー?
まあ、ちょっとね。」
飲み屋街の外れ、格式高めなバーラウンジ。
周りを見渡せばカップルばかりで、女同士の客は私達しかいない。
なんでこんな場所に連れて来たのか。
なんでこんな店を知っているのか。
答えは簡単。
この日この夜にすずを誘うため、事前にリサーチしておいたのだ。
「ほんと、久しぶりだよね。
実際会ってみると、なんか違う人みたい。」
「こっちのセリフよ。どえらい美人になりやがってよ。」
「あはは、ありがとう。
ユウはずっと変わらず美人だよ。」
警戒心ゼロ。
私がどういう目を向けているかも知らずに、あっけらかんと無防備を晒して。
今まではそれが心地好くて、都合のいい親友ポジションに甘んじてきたけれど。
もう、今夜で終わり。
我慢するのは、もうやめる。
「それで、改まってどうしたの?電話じゃ出来ない話?」
「なに、親友との再会を惜しんじゃいけない?」
「そんなことないよ。嬉しい。
でも珍しいじゃん、ユウから話したいって言ってくるの。」
「そうだっけ?」
「そうだよ。
電話もメッセージも、わたしからばっかりで……。
避けられてるのかなって、実はけっこう気にしてた。」
「まあ、避けてはいたかな。」
「え……。」
「けど、アンタが想像してんのとは違う。」
「どういうこと?」
「アンタを嫌いになったとか、人妻になったから遠慮してるとかじゃない。」
「じゃあ、どうして?」
10年。
アンタへの恋心を確信して、10年。
酷く長くて、短かった。
飽き性の私が、よくここまで一途を貫いたものだ。
「すずさ、最近笑わなくなったよね。」
「そう?」
「さっきだって、愛想笑いで誤魔化してんのバレバレ。
アンタが腹から声出して笑ってんの、ここ数年聞いてない。」
「んー……。
そりゃあ、まあ。大人になったから?」
「関係ないよ。30になろうと40になろうと、笑う人は笑う。
所帯持ってようと独身だろうと、本当に楽しけりゃ笑うもんなんだよ人間。」
「哲学だなぁ。」
怖くないと言えば嘘になる。
やっぱり止めておけば良かったと後悔するかもしれない。
でも、これっきりになったとしても。
私は、私の気持ちを知ってほしい。
自分は一人ぼっちだって、価値のない人間なんだって思い込んでるアンタに、分かってほしい。
「で、ワタシは思ったわけ。
また前みたいな、しょーもないことでダハハって笑うアンタを見たいなって。」
「ダハハ笑いはユウの方でしょ。」
「うるさい。
とにかく、ワタシはアンタの笑顔が好きなの。
だから、どうにかして笑ってもらおうと色々してきたけど、今までのワタシじゃ無理だって悟った。」
「よく分かんないけど……。とりあえず聞くわ。」
「つまり、今までのワタシを変える。ニューワタシになると決めたのよ。」
「にゅーわたし?どゆこと?」
今アンタの目の前にいる私は、今も昔もアンタの味方。
いつだってアンタのことを考えてるし、いつだってアンタの存在を必要としてる。
アンタが望むなら、私はいくらでも、アンタの逃げ道になってあげるよ。
「すず。」
「うん?」
「ワタシ、アンタが好きなの。」
高槻先輩、聞こえるかい。
高槻の名字を返してやるから、すずは私に返してもらうよ。