第十話:丁か半か
注文したハニートーストを食べ、簡易カラオケで歌って踊り、あっという間に丑三つ時。
満足した二人はラブホテルを出て、今度こそ帰路につくことに。
「───たまに来ると楽しいよなぁ、ラブホ。」
「女子会プランは聞いたことあったけど、男子会もオッケーなのは流石に知らなかった。」
「オッケーでも野郎同士で誰が来んだよって話だけどな。」
「ちょっと勇気いりそうだよね。」
二人を含め、西へ向かうのは皆、タクシー通りを目指す者たちだ。
楽しく飲んで騒いで充電して、家に帰って床に入って、きたる月曜日に備えて心身を休める。
ありきたりな日常風景。
ただし、誰しもがそんな週末を迎えられるわけではない。
望んでいるわけでもない。
飲む時間がない人、騒ぐ気力がない人、余裕があっても付き合ってくれる相手がいない人。
形をなぞっておきながら、人生の喜びとは何ぞやと迷い続けている人もいる。
「見えないねえ、星。」
「さすがに街中じゃあね。
山とか行けば見えんでしょ。」
「見に行く?こんど。」
「天体観測?」
「うん。道具ないけど。」
「いらんよそんなん。
肉眼でも見える場所、探しにいこ。」
「やった。」
幸せの在り方もまた千差万別で、全員に該当する答えはない。
それでも、この夜空を見る者は、きっと幸せだ。
学校や仕事が辛くても、彼氏や彼女と上手くいかなくても。
ふと空を仰いで、泣いたり笑ったり、虚しくなったりする。
それだけで、きっと幸せだ。
不幸とは何かを知っていれば、その人は必ず幸せになれるし、すでに幸せなんだ。
「わ、見てあそこ。吐いてる。」
「あーあー、いい歳で無茶して。」
「ユウって本当に吐いたことないの?」
「あるよ。二回くらい。」
「どんな時?」
「すっげー疲れてる時とか、具合悪い時とか。
どっちにしても、人前では吐かんけどね絶対。」
「気持ちは分かるけど、仕方ないこともあるんじゃないの?」
「だとしても嫌なの。
どうでもいいヤツに弱み握られたくないし。」
「ふーん……。
わたしにはいいんだ?」
「アンタはアンタで、みっともないとこ晒したくないからイヤ。」
「なにを今更。
遠足のバスでゲロ処理してやったの忘れた?」
「いにしえの黒歴史を掘り返すな。」
よりにもよって親友を好きになるなんて、タチの悪い冗談だと絶望しかけたこともあったけれど。
結果として、良かったのかもしれない。
心底好きな人に出会うより、出会った人を心底好きになる方が、幸運なのかもしれない。
「酒に酔う酔わないもそうだけどさ。
20年以上一緒にいて、まだ知らないとこって有るもんだね。」
「お互い様ね。」
「えー、うそだぁ。
ユウはわたしのこと隅々まで知ってるじゃん。」
「そんなことないよ。
初めてな一面、毎日みつける。」
「たとえば?」
「ナイショ。」
「ええー?なに、気になるじゃん。
自覚してない悪い癖とかだったら───」
「癖もあるけど、悪くないから心配すんな。」
「どういう意味?」
「毎日好きになるって意味だよ。」
私は、この人を好きなんだな。
すずへの愛情を再認して、ユウは溜まりに溜まった息を吐き出した。
「───どうした?」
突然、すずが立ち止まった。
ユウが振り返ると、すずはユウとの距離を一気に詰めた。
迫る黒。揺らぐ空気。
柔らかい衝撃。仄かな温もり。
すずにキスをされたと、ユウの頭が理解したのは三秒後。
「え……、あ、すず?」
突然迫ってきたかと思えば、すずはヘナヘナと力を失って、ユウの胸に縋り付いた。
先程の一撃で知能が退行したユウは、すずが倒れないよう支えてやることしか出来なかった。
「───じゃない、」
「えっ?」
すずがユウを見上げる。
潤んだ瞳にかつてない色が差したのは、かつてない感情が生まれた瞬間だから。
「イヤじゃない。」
私が男だったら、出るもん出ちゃってんな。
思考停止した主人格のユウに代わり、一時的に派生した別人格のユウが脳内で呟いた。
「これからユウん家、行ってもいい?」
「い───、けど……。
そういうのは普通、やめとくでしょ。」
「どうして?」
「どうしてって……。
仮にもアンタを好きって言ってるやつの───」
「襲ってもいいよ?」
「だから─────」
「でもユウはしてくれないんだよね。知ってる。」
すずがユウから離れる。
ユウは思わず捕まえたくなる衝動を抑えて、すずの二の句を待った。
「ねえ、ユウ。」
「なん、なに。」
「賭けようか。」
「賭け?」
狼狽えるユウとは対照的に、すずはどんどん調子を上げていった。
「さっき、ぜんぶ落ち着いて、それでもユウを好きだってわたしが言えたら、応えてくれるって言ったよね。」
「うん。」
「わたしは、その時が来ても必ず、ユウを好きな自信がある。」
「う、うん?」
「つまり時間の問題なわけだから、あとは"落ち着く"の基準がどうかって話よね。
デザイナーの件が通るにせよ通らないにせよ、わたしの就職が決まったら一区切り、って考えていい?」
「まあ……。
そこが目安になるだろうね。」
「決まり。」
すずは口元に人差し指を宛がい、上目がちにユウに笑いかけた。
「それまでユウが我慢できたら、ユウの勝ち。できなかったら、わたしの勝ち。
丁か半か、勝負してみる?」
ガンガンに均衡を崩すつもりでいるくせに、丁も半もないだろう。
勝負にならないと分かっていながら、ユウはすずを一蹴できなかった。
「(そうだ。
コイツは昔から、こういうヤツだ。)」
人畜無害なフリをして、存外に腹黒。
なんでも柔軟に受け入れるようでいて、線引きはしっかり定めている。
上辺には決して表れない、すずの本性。
逆鱗に触れたら最後、本人の気が済むまで止まらない。
知っているユウだからこそ、この勝負、もはや受ける他になかった。
「上等。」
今宵を境に約一年、ユウの長くて辛い我慢大会が始まったのだった。