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「うん、そうだよ」と今村くんは、わたしの態度にその端麗な顔を少し赧くしながら首肯いた。「島田くんは、ずっと乙卯さんのことが好きだったらしいから」

 わたしは彼に言うべき言葉を持たなかった。

「あのさぁ、今村くん」とわたしは言った。「キミって、いい人だよね」わたしにはそれ以上の言葉が紡げない。

 彼はわたしが、彼が和音のことを好きだと思っているのを嫌っていることを知っていたはずだ。いや知らないにしても、彼は和音のことを好きなのだから、わたしの想いを肌で感じていたはずだ。だから、わたしの存在は彼にとって邪魔もの以外の何者でもなかったはずだ。よって、わたしに宛てた島田くんのラブレターを運ぶことは彼にとっては自分の恋路を邪魔する者を排斥する行為と位置付けられ、結果はどうあれ彼にとって益無い行為ではないと考えられた。だが、それにもかかわらず彼は島田くんからの手紙をわたしに渡す仲介者が自分であることがまったく不本意なような態度を取った。

 わたしが今村くんに訊かなくても良い質問をついしてしまったのは、だからなのかもしれない。

「今村くん、和音のこと好きなんでしょ?」

 言葉にするのは簡単だったが、自分でそれを口に出すのは結構辛かった。

「だよねぇ。見え見えだもんね。お似合いだしね」

 わたしの発した最初の声は明るかったはずだ。その発声には自信があった。だが、わたしは思わず言葉に詰まってしまって、顎が震えてしまって、結果的に格好良い発声を維持することができなくなってしまった。さらに惨めなことに、わたしは両目から涙を溢れさせて泣き出してしまったのだ。ありえない! わたしはそう思った。でも、わたしの心の中から溢れ出した真の恋水は止まらなかった。

 わたしの傍らで今村くんが困っていることはわかっていた。でも彼のその困惑がわたしには不快ではなかった。当時はまだ本当に子供だったから、わたしは彼の困惑の感情を正しく理解できたとは思えない。またあれからかなりの月日を経たいまでも、それを正しく理解できたとも思えない。だが、彼がその後わたしに告げた言葉がわたしをある意味絶望させると同時に元気づけたのは紛れもないい事実だ。

「そうか、乙卯さんがライバルだったんだ。……とすると、正直、勝てる気がしないよ」

「えっ?」

 わたしは今村くんの言葉に驚いて涙顔で彼を見つめた。すると今村くんは次にこんなことを言った。

「きっとさ、ぼくはキミを好きになれば良かったんだよね。さよなら……」

 そういい残して今村箟は泣いているわたしを捨て置いてその場を去った。おそらく、それが当時の彼にできた、わたしに対する最大の思い遣りだったのだろう。

 思い返せば、これまでにわたしが和音以外に少しでも心惹かれた相手は彼だけだったかもしれない。

 そして、わたしには厄介な問題が残された。

 今村箟が島田洋一に余計なことを告げるとはわたしには思えなかったが、それにしても島田くんの想いを断るには理由が必要だった。

 島田くんとわたしは友だちとしては仲が良く、それだけにわたしは彼の気持ちに気付けなかったわけだが、わたしは和音のことが好きなのだから、どんなにありがたくても島田くんの気持ちに応えることはできない。だが、正直に「わたしは和音が好きだから……」と説明しても、「でも、それとこれとは話が違うだろ」と、きっと島田くんは納得しないに違いない。けれども宙ぶらりんの気持ちのままで彼を放っておくのも可哀想だ。きっと島田くんは何かを勘違いしたか、クラスでも公認のカップル、高木くんと苅部さんの仲睦まじい姿に単に憧れただけのことなのだろう。わたしはそう思うことに決めて、断りの言葉を探しはじめた。

 順番としては逆になるが、ごく当たり前に「ごめん。島田くんにはそういう気持ちが持てないんだ」という模範解答を決めてから、今村くんから手渡された島田くんからの手紙を読んだ。長さは短かったが想いは十分に伝わった。しかしあんなにごつい顔をして、また字だって決して上手くはないのに丁寧に書いてあるのが見て取れて、「何で、わたしなんかがいいんだろう? バカじゃないの?」と他人事のように考えた。クラスでバレれば大騒動になるのは必至だから、その意味では勇気を評価できるが、その気持ちを他の女の子に向ければ大願成就したかもしれないのに、その相手が和音好きのわたしだったがために「残念な結果になったわね」と考えている自分の酷薄さにぎょっとした。

 嫌いなわけでも、生理的に駄目なわけでもない男の子を振らねばならない理不尽さが、わたしに重く圧し掛かった。

 だが、そういうことなら返事は早い方が良いだろう。わたしは「ちょっと出かけてきまーす」と母に断って家を出た。涙目をして家に帰ってきたと思ったら、しばらくして外に出かけて行くそのときのわたしは母の目にはいったいどのように映っていたのだろう?

 夕ご飯までにはまだ時間があったが、辺りはもう暗くなりかけていた。わたしは私鉄の寮になっている団地の近くの薔薇線の張られた謎の研究所の向かいにある電話ボックスの中に入ると――そこが一番人通りが少なくて電話ボックスが目立たなかったのだ。駅前の電話ボックスでは誰が見ているかしれない――、誰が置いていったのか、その中あった踏台に乗って送受機を取って十円硬貨を入れ、クラスの連絡網からメモしてきた島田くんの家の電話番号に電話をかけた。

 ルーン ルーン ルーン ガチャ

 しばらく経ってから電話が繋がった。

「はい、島田ですが……」

 電話に出たのは島田くんのお姉さんだったようで、すぐに島田くんを呼んで代わってくれた。島田くんが送受機の向こうに陣取った気配を察すると、「あのさぁ、今日、今村くんから渡された手紙のことなんだけど……」と、すぐさまわたしは用件を告げた。すると――

「おまえ、いまどこにいるわけ?」と島田くんがわたしに問いかけた。

「えっと、研究所の前の電話ボックス」

「そこでちょっと待ってろ。いまから行くから……」

 それだけを伝えると向こうから電話が切られた。

 島田くんの家の正確な場所は知らなかったが、確かこの辺りだと聞いたことがあった。送受機を公衆電話のフックに戻すと、わたしの心臓がバクバク鳴りはじめた。


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