4
鬼が、出会った鬼と一緒に戦場に行き着くと、そこは人間たちによる戦争の真っ最中で、いくら鬼といえども、そう簡単には近づけそうもない勢いだった。それでも時が経って戦線が移動すると多くの人の死骸がその地に捨て置かれた。だが、鬼は人の死骸を喰わない。試しに一度喰ってみたことがあるのだが、
『「むおう、こんな、まずいものは、これ、いっかいで、もう、たくさんじゃ」』
というくらい酷い味だったので、それ以来二度と口にしなくなったのだという。
日も落ちて、その日の戦闘も終わり、各陣営はそれぞれの本陣に引き上げた。昼間の間は戦闘が激しくて近づくことができなかったから、鬼と、出会った鬼は夜遅くなるまで待ち、それぞれ別の陣営を襲撃した。出会った鬼の方はまんまと目的を達成したが、我らが鬼は敵の夜襲に備えた武士たちに逆に切り付けられて大怪我をし、さらに武士たちに追われて這這の体で近くの草叢の中まで逃げ戻った。
『 チクチクする草の上に傷ついた体を横たえながら、頭の上に、丸るく浮かんだ月を見て、
「おれは、ここで、死ぬのだろうか」
と鬼は思うのでした。(つづく)』
和音からの手紙はそこで終わっていた。それで、わたしはこれは大変なことになったと思った。これまでに和音から送られてきた手紙にお話が載ることはあったが、続きものははじめてだったからだ。
どうしよう? どうしよう? どうしよう? と、わたしは思った。
和音のことだから物語の続きは既に出来ていて、今回分だけを手紙に書いてきたのかもしれなかった。けれども、わたしは和音の創作に協力したくて仕方がなかった。いまにして思えば、それは協力ではなく、参加……というか競作願望だったと理解できるのだが、当時のわたしにそんなことがわかるはずもなかった。
幸いなことに、わたしには画が描けた。それで和音の物語を読んですぐに頭に思い浮かんだ鬼の画を葉書に描くと、それだけでは足りずに、二、三日かけて物語の場面をいくつか選んで葉書やスケッチブックに描いて、「あらあら、そんなにあるんだったら封筒に入れてまとめて送ったら?」という母のアドバイスに大きく首を振りながら「なるほど、その手があったわ」と首肯いて、「きっと定形外になるわね」と呟く母に封筒の大きさを選んで貰い、さらに重さを秤って貰って、それに見合う金額の切手は自分で貼って最寄駅前のポストまですっ飛んで行って投函した。
封筒を投函して沸騰していた気持ちがだんだんと冷めて落ち着いてくると、わたしは「もしかして余計なことをしてしまったのではなかろうか?」という疑義に苛まれた。もしかして和音はわたしが描いた鬼の画が気に入らないのではなかろうか、と心配になってきたのだ。
近所に暮らしていれば、少なくとも画を渡した翌日にはその答えを聞くことができる。それが色好いものであろうと、そうでなかろうと、とにかく早期に気持ちに決着を付けることが望めるだろう。けれども東京都S区と北九州H市では手紙の片道だけでも三日は掛かる。往路でさらに三日。手紙を書く時間がたった一日でも計一週間は時間が取られる計算になる。もちろん速達という手段はあったが、それでも片道二日弱は必要なのだ。
では電話は、どうだろうか?
電話料金のことは別にして、わたしと和音はこれまで互いに電話を掛け合ったことがなかった。和音の気持ちは知らないが、それに関するわたしの気持ちは説明できる。わたしは和音の声が聞きたくなかった。たとえ電話機を介してでさえ和音の声を聞いてしまえば、もう本物の和音に会いたくって会いたくって堪らなくなるだろうと、子供心にわたしはわかっていたのだ。
そんなわたしのことを和音はいったいどう思っていたのだろう?
居ても立っても和音のことばかりを考えているこのわたしを、和音も同じように考えていてくれるのだろうか? そんなふうに考え出すと、わたしは急に怖くなってきてしまう。毎週手紙を書いて送ってくれるのだから、和音がわたしのことを気にかけているのは間違いない。だが、和音は向こうの小学校で友だちを作ってもいるだろう。その中には特に親しい者もいるだろう。その中には男の子たちだっているだろう。
和音は女のわたしから見てもきれいな子供だったから、和音のまわりを取り囲む男の子たちが精神的に成長して和音のきれいさを発見してしまったならば、和音は多くの男の子たちにきっと羨望の眼差しを向けられることになるに違いない。
やがてその中の一人が和音のハートを射止めたならば、わたしはいったいどうしたらいいのだろう?
これまでの和音からの手紙には、もちろん向こうでの生活のことも書いてあった。女友だちのことも書いてあれば、男の子たちのことも書いてあった。その文面からは和音の密かなまたは仄かな恋の予感は感じられなかったが、勘ぐれば、わざと書かなかったのかもしれないと疑うこともできる。こちらの小学校にいたとき、わたしは和音から好きな男の子の話を聞かされたことは一遍もない。実はわたしは和音のことを密かに思っている同じクラスの男子を知っていたのだが、もちろんその恋の仲介をすることも、その男子の思いをそれとなく和音に気づかせるような真似もしなかった。
どちらかといえば、わたしはその男子――今村箟くんといった――を和音から遠ざけようとしていたくらいだ。
今村くんは――さすがにわたしの和音を見初めただけのことはあって――容貌も性格も運動神経も成績も学年一番とはいかなかったが悪くはなかった。もっとも和音と吊り合わせるには両方とも若干神経質過ぎるきらいはあったが、だがそれはそんなに気にすることでもないだろう。場合によっては却って相性が合うとも考えられる。すなわち和音は本人が自分でも気づかずにガサツに振舞いたがる傾向があるくらい実は繊細で壊れやすい面を持っていた。なので、和音の恋人になる資格のひとつはその理解と尊重だったが、今村くんは本人にも神経質なところがあるので、一度和音のその部分に気が付けば十分にそれを理解できるだろうと思えたのだ。
わたしはいったい何を考えているのだろう?
わたしは和音に嫌われたくはない。和音にいつまでも自分を気に入っていて貰いたいと切に願っている。そして他の誰かに和音を好きになって欲しくはなかった。
そういえば、たまたま帰り道が一緒になって今村くんと下校したときのことを思い出した。今村くんは気が進まないようだったが、わたしとの弾まない会話――子供的な世間話――の後でわたしに一通の手紙を差し出した。わたしは、「えっ、えっ、えっー」と彼の顔を凝視して仰け反るように驚いてしまったが、わたしの見せたその態度にわたしの勘違いを見取って右手をひらひらと顔の前で揺すると、「ああ、乙卯さん、違う、違うんだ」と今村くんはわたしの早合点を必死に否定し、説明した。
「島田くんから頼まれたんだ。乙卯さん宛てにって……」
今村くんのその言葉に、わたしは二重に仰天した。
「えっ、今村くんから和音にじゃなくって、島田くんからあたしにぃ!」
わたしの素っ頓狂な大声はそのとき偶然にも消防署前の通学路を行き合せた数名の大人たちを驚かせ、ついで失笑させた。