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そういえば和音の描写では鬼は大勢の落武者たちに自分の身体に喰らいつかれ、肉を齧り取られるまで「いたい」とは一遍も叫んでない。ただ自分の身体に違和感を感じていただけだ。ところが落武者に齧られたとき、鬼ははじめて自分を襲ったその感覚を「いたい」と認識する。正確には過去の出来事を演繹して、この感覚は「いたい」ではなかろうかと分析する。和音は細かいところまで書いていないので、その部分は推測するしかないが、かつて鬼が麓の村を襲ったとき、一度はその手の中に捕らえたものの、すぐに逃がしてしまった村人が何人もいたのだろう。そしてそれらの村人は鬼が捕まえようとしたとき、鬼の尖った爪先に傷つけられたか、あるいは掴み損なわれて地面に投げ飛ばされて、思わず「いたい」と叫び声を上げたのだろう。
とすれば、わたしの鬼の基本的なイメージは『つるん』だから、ここはやはりプラスチック消しゴムか、質感をより印象づけるなら、皺なく作り上げた紙粘土の表面に無数の傷が付いているようなイメージになるだろう。さらに画の迫力を増したいならば折れた武士の刀が身体の数箇所に刺さっているような構図も一案だが、今回はそのアイデアを頭の中から退けた。刀が何本も身体に突き刺さってさえ、ゆらりともせず、毅然とした態度で何かが直立しているイメージは、わたしは鬼には向かない気がしたからだ。どちらかと言うと、それは項羽のような人間の武将の断末魔の姿だろうと思えたのだ。
そこまでイメージが固まったので、わたしはさっそくスケッチブックを取り出して2Bの鉛筆で鬼とまわりの風景を描きはじめた。何度か書き直しをしながら、まずは傷ついて、薄っすらと明るくなりかけた月の姿が見えない空の下の草叢に仰向けに横たわる鬼の画を書き上げ、ついで鬼に齧りつく落武者や烏や野良犬たちの様子を若干ユーモラスに描いてみた。和音としては、ここは恐ろしいシーンなのだろうとも思ったが、それをそのまま画にすると悲惨になり過ぎるような気がわたしにはしたからだ。
同様に鬼の腕の動きに弾き飛ばされる落武者や動物たちが近くの川まで飛ばされて行く姿もユーモラスに描いた。けれども自分の判断で鬼から逃げ去っていくカラスや犬や人間たちの姿は真剣に、落武者の、もう一度鬼の肉が食べたいという切実な願いも真剣な表情で描いた。
わたしの描いたそれぞれの画の表現が、その時点で和音の望むものであったかどうかはわからない。わたしはこの鬼の物語が既に完結しているのか、それとも未だ完成を見ていないのか知らなかったし、和音が話の内容をどの方向に進めるのかの見当もつかなかった。
結局それから数日かけて五枚の挿画を完成させて、それに悩んだ末に旅行計画の提案を付け加えて手紙を投函した。文面に悩んで考え付いた写真葉書のアイデアなど、こうなってみれば、いったい何だったのかとさえ思えてくる。
和音の許を訪れる旅行計画については偶然に思いついた未定の計画のようにさらりと記した。わたしは自分が実際に和音に会いたいのか、それとも会いたくないないのか、考えれば考えるほど良くわからなくなっていた。だから旅行を実現の方向に進める判断を和音に頼ったと言って良い。
和音から手紙の返事が来たのは、それから一週間ほど後だったので、わたしは和音が自分の話にわたしが画を付けて送り返すのを待っていたのだろうと推測した。
『そうか、冬休みに旅行か! いいね』という書き出しで和音は手紙をはじめていた。『でも、羽衣子にこっちまで越させるのは、ちょっとかわいそうだな。で、わたしから提案。まだ尋ねていないから実際に実現できるかどうかわからないけど、京都に、わたしの親戚の家があるんだ。そこに二人でお邪魔になるっていうのは、どうかしら? それなら距離はお互いに約半分になるし、飛行機に乗らなくて、新幹線で行くことができるしね』
一九七二年に開業した山陽新幹線が岡山駅と博多駅を結んで再開業したのは一九七五年だったので、わたしたちはどちらも新幹線を利用して京都駅まで行くことができた。ただ和音の方は本来の鉄道の終点よりも一駅多く乗ることになり、また東海道新幹線は路線距離五一五・四(実キロ、営業キロは五五二・六キロメートル)だが、山陽新幹線は同五五三・七(実キロ、六四四・〇営業キロ)と長かったので、実質和音の方が距離でも料金でも負担が多い計算になった。
和音の提案を聞いて、わたしはほっと肩の荷を降ろせたような気分になった。新幹線なら――親に連れられてだが――何回か乗ったことがあるので、飛行機に一人で乗るといったような緊張はない。和音はまだ――おそらく両親と親戚に――尋ねていないと書いていたが、わたしはそれが現実になったらどんなに良いだろうと思った。
それからの手紙の内容は和音の日常的なことに戻って、鬼の話の続きは乗っていなかった。そのことについては、『今度の羽衣子の画を見て、また考えが少し変わったので、考え直してから送ります』とだけ説明があった。
わたしは葉書に『和音といっしょに京都に行きたいです』とだけ書いて、その日のうちに投函した。
夕食時に、わたしは父と母にわたしと和音との旅行計画について打ち明けた。両親とも、わたしの行きと帰りの一人旅については心配していないようだったが、やはり自分たちとは見ず知らずの他人の家に子供を遊びに行かせて良いのだろうかという点が気掛かりらしく、その場では浮いた顔を見せなかった。
「しかしまだ計画初期段階だからな。進展があったら、その都度ちゃんと報告するんだぞ」
わたしの目を見ながらそう言った父の表情には、何が何でもその計画に反対するといった昭和の頑固親父の色は微塵もなかった。その時代、捜せばまだいくらでもいるはずの、自分の娘を箱入りのまま結婚させて、場合によっては――その世間知らずによって――却って娘を不幸にさせてしまうような身勝手な男親たちは、定年後、長年連れ添った妻から一方的に離婚を申し込まれて唖然とする日が来るなどとは夢にも思っていなかっただろう。
冬休みにはまだ一月ほどの間があったのでわたしは焦りはしなかったが、心が逸るのは避けられなかった。色々な問題が生じて冬休みの計画が頓挫しても、次の春休みにはそれを実現したいと願っていた。和音はわたしと比べれば行動派ではなく、どちらかといえば尻が重い方だったので――まあその分、わたしのように軽佻浮薄ではなく、慎重派と言えたのだろうが――旅行計画が軌道に乗れば、それを推進するのは主にわたしになるだろうと思っていた。しかし和音が自分の両親と宿泊先の親戚の家族の了解を取り付けなければ、わたしにできることは何もない。だから、わたしは自分では焦っていないいつもりだったが、段々と気持ちがジリジリしてくるのを感じないわけにはいかなかった。
『とにかく両親と伯母さんの家には旅行計画のことを話してみました。おそらく大丈夫だとは思いますが、まだ確約はできません。だから羽衣子、もう少し待ってね』という内容の和音からのエコー葉書(広告付葉書)が最短速度でわたしの許に届いた。その広告内容は和音のいるH市に本社のあるレアメタル加工品会社のものだった。




