#閑10 転生文豪少女 参
――あれから、何ヶ月が過ぎただろうか。
サーサーと響く風の音。
マフラーを巻いた私。対峙する、少女。
「ねぇ、ルナちゃん。――どうして、あんなことをしたの?」
尋ねると、彼女は口角をつり上げた。涙を流しながら。
あの日のこと――蘇る直前の出来事を思い出しながら。
私は、少女と対峙していた――。
*
――きっかけは、もう思い出せない。
きっと、引き金はなかったのだろう。それはまるで、時限爆弾のような。
少しずつ、ぼんやりと、しかしはっきり思い出した。
死後の世界の出来事を。
私は奉景。その事実は忘れていなかった。
「なに書いてるの?」
ある日尋ねられた。自室。
二人部屋の中一つしか無い勉強机を陣取って書き物をしていた私は、その言葉に驚いてびくりと背筋を震わす。
「……見る?」
聞くと、彼女――ルナちゃんはこくりと首を縦に振る。
「わ、なんかすごい……国語の授業で見るようなやつだ」
「小説ね。まだ草稿だけど……」
「こういうのって自分で作れるんだ」
頷くと、彼女は目を輝かせていた。
「私ね、『向こう』の世界で作家やってたんだ」
そう口をついて出てきたときは、なんだか自分でも驚いた。
――作家としての『私』なんて死んだと思ってたから。
「どんなの書いてたの?」
「たとえばね……」
自分の作品のことを思い出そうとして……けれど。
「……なんだっけ」
やめた。
思い出したいわけでもないけど、思い出す気にもなれなかった。
……私の失敗作を――失敗作の私を、思い出したくなかった。
「……儀式、かぁ」
深夜、私は呟く。
この世界において、求められてるのは「ハルカゲくん」であって、私ではない。それだけは解っていた。
でも私は「彼」にはなり得ないから、どうしようもなかった。
カミサマとやらは残酷と言うより意味不明だ。なんでこうして私たちを困難の渦に放り込むのだろうか。
私たちを試しているのだろうか。だとしたら何を試しているのだろうか。
――もしかして、ただ見て楽しむ娯楽としてこんなことをしているのだろうか。だとしたら悪趣味が過ぎる気がする。
なんだか落ち着かなくて、ベッドを降り、机に向かう。
息をするように溢れ出す言葉を、ボールペンを通して紙に刻む。ただ、刻む。痕を刻む。文を刻む。刻む。刻む。刻む。
――最初の頃を思い出す。
子供の頃は、こうして文章を紙に書いているだけで楽しかった。
無限大の世界を描いてるだけで楽しかった。
いつからか、世界は有限になって、言葉は絞られてきて。
楽しくない作品ほど、よく売れた。
「すごぉい」
声に背筋を震わす。
「……なんだ、起きてたんだ、ルナちゃん」
目をこする少女。私の手元をのぞき込んでいた。
「なに書いてあるのかわかんないけど……なんかすごいってのはわかる」
「ありがと」
それが褒め言葉なのかはちょっとよくわからないけれど。
「……ところで、『儀式』ってなに?」
彼女が、私の耳元で小さく囁いた。
背筋をまた震わせながら。
「…………なんのこと?」
聞き返すが。
「さっき言ってたでしょ? ――どの儀式の話?」
問い詰められる。
私は違和感を抱く。
「――『どの儀式』って……まるで儀式がいくつもあるような言い方だけど」
「あるよ。いっぱい。この世の中には」
「はぐらかさないで」
「そっちこそ。あるんでしょ? ――現在進行形の、儀式が」
息を呑んだ。
至近距離。にらみ合う二人。
「質問を変えるね。――お兄ちゃんはどこ?」
彼女の目に光はない。
しかしそこに宿った鋭い眼光は、殺気を帯びているようにも思えて。
「……異世界にいるって言ったら、信じる?」
気づけば、そう口にしていた。
「…………わかった」
そう言って彼女は部屋を出た。遅れてその真意に気づいたとき、私は失言を悟った。
――異世界まで会いに行こうとしていないか?
「待ってっ!」
声の届く範囲にはもう彼女はいないようだった。
「どうしたんだハル……奉景さん」
「ルナちゃんが――」
「アイツならさっきここを通り過ぎてったけど」
「ありがと!」
走って玄関に向かおうとする私――の肩を、誰かが掴んだ。
「待てよ」
「離してっ」
「待てってば! ……そのまま行くと寒いだろ!」
振り向くと、筋肉質な男性。
「御門さん! あの子、異世界に行くって――」
「いまマコトも呼んでくる。……ルナが行く場所は、解ってるから」
「でも……」
「とにかく落ち着け。深呼吸だ。……話はそれからにしようぜ」
「はぁ、異世界ですか」
桐谷さんの言葉に、私は頷く。
「……まあ、異世界の人と入れ替わったって言う方がまだ納得できるもんなぁ」
「理屈じゃ説明できない事象ですもんね。この人の存在自体」
「あはは……」
指さされて苦笑いする私に、御門さんは「んで、だ」と軌道修正を図る。
「で、その異世界に本来のハルカゲがいて」
「あの子は彼に会いに行こうとしていると」
その通りだった。
頷く私に、彼らは目を合わせて。
「じゃあ、行こうか」
「ああ。奉景さんも、早く」
一瞬ぽかんとして。
「……どこへ、ですか?」
尋ねると、桐谷さんは「決まってるでしょう」と返す。
「三人で、ルナちゃんを探しに、ですよ」
「つっても、大方行くところは決まってんだがな。――俺は河川敷に行く。マコトは公園へ。奉景は――」
言われた場所をささっと紙に書く。この前契約してもらった携帯電話の地図を開き、大体の目星をつけているうちに。
「入れ違いになるかもしれないから、マコトは近いからすぐ帰って待っててくれ」
「オーケー」
トントン話は進んでいった。
「逐次、ラインのグルチャに連絡するように。事故には気をつけろよ」
あまりのスピード感についていけなくなりそうになり――一瞬、疑問を忘れる。
「じゃ、あとで――」
「待って!」
私の張り上げた声に、二人は振り向いた。
「なんで――こんな私にまで」
会ってまだそこまで時間も経ってないはずなのに、なんでこんな重要な役割を任せるのか。
そう尋ねようとした。けど。
「当然だろ。――仲間、なんだから」
「……信じてます。なので、自分を卑下しないでください」
そう言って、二人は駆けだした。
ぽかんとして、それから。
「……私はそんな、たいそうな人間じゃないよ」
けれど、誰かの役に立てるのなら。
そう思いつつ、マフラーを巻いて――玄関を開けた。