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第三章

 我々は数年間待った。

 この数年、我が国は偽りの安寧の時を過ごした。

 人外の王を頂点に据えたその間違いは、これまで正されずに来た。

 我々は待ち続けた。

 苦渋の雌伏は終わりを告げる。

 革命の(とき)はもう間もなく。

 黄昏に改革の号砲は鳴り響くだろう。

 その時こそ人々は知ることになる。

 新たなる世界の夜明けを──



 それは国を挙げての祭であった。

 人々はその日を、竜王祭と呼んでいた。

 その祭は、10年前に現在の国王になってから制定された祝祭であり王国の民草が総出になって現国王の誕生した日を祝う。

 国の名は、ノヴァクルセイド王国。

 剣と魔法の異世界【ラ・グース】に存在する王国の一つである。

 数日前から祭りへ向けての準備は着実に進められており、人々の活気も日々増していく。

 まるで祭りの前祝いのように、白い鳩の群れが王国の空を美しく舞っていた。

 そんな平和な光景で、王国の目抜き通りは無数の屋台でひしめき合っていた。

 大通りを歩く蜥蜴人(ひと)牛鬼人(ひと)、大勢の人が行き交う。

 「走ると危ないわよ」

 その母親の呼び掛けに、女児がキャッキャッと喜びながらはぁいと答える。

 手を繋いで歩く幼子と母親の親子が、祭の日には国外から来た旅の業者が演じる舞台劇を観劇しようと笑顔で語り合う。


 竜の騎士王を祝う祭。

 その開催がもう間もなくに迫っていた。



 窓から青空が覗ける。

 どこからか鳩の鳴き声が聞こえてくる。

 青空はどこでも変わらないのだと窓越しに眺めている晶子は思いに耽る。

 少なくとも晶子がこれまで見てきた空の形はみんな一緒であった。

 世界が変わっても空の青さは同じ。

 違うのは世界。

 ここは剣と魔法の異世界【ラ・グース】。

 その異世界の大陸の一つにある、とある国の王城の中に存在する賓客の間。

 そこに晶子は居た。

 室内にある椅子の一つに座りながら、窓の外の青空を眺めている。


 試合大会のあの場で、ジークフリートの提案に対して晶子は勢いに負けて頷いてしまった。

 その結果として晶子はここに居る。

 城下町が広がる異世界の御城に、晶子たち(・・)はここ数日滞在していた。


 「どうして神崎くんが付いてきてるの」

 貴賓用の装飾が施された座椅子に腰掛ける晶子のその言葉に、反応する影が室内に二つ。

 一つは、どうしてここに居るのか当事者の晶子にもわからない金髪パリパリ頭の不良超能力少年。

 「それはもちろん、自分の彼女が他の男の世界(いえ)に行くなら、心配して付いていくのが彼氏心ってもんだろ」

 少年──伊織は室内にある備え付けのソファーに寝転がっていた。

 いつもこの人は寝てばかり居るなと晶子は考えながら、ハァとため息を漏らして返事をする。

 「私、貴方の、恋人になった覚えありません」

 「おいおいおいおい」

 はははっ、と笑いながら伊織が自分勝手な台詞を口にしていく。

 「俺は告白した。それはつまり未来を約束されたと同然。はっはっはっ、照れるでないわ」

 「誰かこの人をどうにかしてー!?」

 「ではアタシが」

 室内に居るもう一人のギャル少女──兵庫が助け船を出す。

 兵庫が居るのは晶子から頼んだことなので何も不思議なことはない。

 一人で他の男子生徒の(いえ)に行くのはさすがに心細かったので、晶子は泣きそうになりながら唯一の友人である兵庫へ動向をお願いしたのだ。それに対して兵庫はいつも通りに飄々と受け答えした。いいよーと兵庫から応えが返ってきた時ほど晶子が安堵した瞬間は他になかった。

 その頼れる味方が、困る晶子に介添えする。

 「こらイッチー。あくまで恋人と言い張るなら少しは自由意思を尊重してあげなよ」

 寝転がる伊織の対面にあるもう片方のソファーに兵庫は足を組んで整えられた自分の指先のネイルを眼前でかざして眺めながら座っている。

 反論するその兵庫に、

 「俺様に束縛されるなら、それは最高の褒美と同じだろ。そうだろなぁ晶子?」

 伊織は反論で返す。

 このように理由はそれぞれに、こうして魔法世界【ラ・グース】に訪れることになった晶子たち一行。

 ちなみに学園には今回の【ラ・グース】滞在は1週間程度の社会見学のような内容として扱われている。

 一応学園の規則的には似たような前例もあり、そこに学園創設の大元の出資者であるノヴァクルセイド王国の現国王直々の鶴の一言もあって申請は滞りなく進められた。

 色々な複雑な思惑も絡みつつも、今こうして異世界の大地を踏んでいる晶子は再び嘆息を漏らす。

 (私は何故ここに居るのだろう?)

 正直言えば断ろうと思えば断れた。

 ジークフリートに告白されてからずっと胸の内にあるモヤモヤを理由にすれば事足りた。

 しかし、

 (でも、そのモヤモヤが何か……)

 相手は思い出す限りまったく話した覚えのない上級生。

 確かに学園のアイドルかもしれない。

 そんな人間に愛の告白をされようと興味ないの一言で済ませれば晶子の日常には何の影響もない。その筈なのに、晶子はどうしてかあの英雄から意識を外せないで居た。

 何かがあった。

 ジークフリートを無為に捨て置けない何かが晶子の中で存在していた。

 (せめてそれが分かれば、こんなに苦しくないのに)

 苦しいのだ。

 今こうしている時も、まるで水底に沈んだ石粒のようにほの暗い感情の海面からその(かたち)がうすぼんやりと眺められる。

 「お待たせしました」

 はっ、と物思いにふけていた晶子の意識が、その呼び声に現実へ引き戻される。

 賓客の間から外の長い廊下に繋がる扉が開かれてそこに人影が立っていた。

 「私はハーゲン・バロムワルドと申します。貴女方のご案内を王より言付かりました」

 その人物は、とても筋肉質な肉体に執事が着る燕尾服を纏った男性で、頭には2本の雄牛の角が生えておりその特徴から【ラ・グース】において牛鬼族(ミノタウロス)と呼称される人種だと判別が付く。

 その牛鬼族のハーゲンが恭しく一礼して身振りで晶子たちに移動を促すが、

 「おいおいおい、呼びつけた張本人が顔を出さいとはどんなだぁ?」

 呼ばれていないのに勝手に来た金髪頭が、寝そべっていたソファーから上半身を起こして文句を口にした。

 「それとも三下程度に任せるほど竜の騎士王様にとってテメエの女は軽いのか」

 「だから貴方の恋人じゃ」

 ゴホン!とハーゲンが咳払いをする。

 「失敬。予想した範囲の野蛮人ぶりに、少々微笑んでしましまして」

 「……なんだとテメエ?」

 ──ぞわりと、晶子の背筋に悪寒が走る。

 生の背中に、氷の柱を押し当てられたようなその感覚は、ハーゲンの台詞に気分を害した伊織から飛ばされた殺気が原因であった。

 かつて学園の保健室で受けた気を張った伊織との対面の状況と異なり、浴びせられた殺気を無防備に受けた脆弱な一般人の晶子は立っていた姿勢から思わずその場に膝を付きそうになるが、

 「大丈夫、晶ちん」

 完全に膝を地面に付くより先に兵庫が心配そうに晶子の傍らへ寄り添い、その身体を支える。

 「ちょっと男子! こっちはか弱い美少女なんだから気を付けなさいよ!?」

 殺気を受けて疲弊した晶子とは違い、ギャルながら歴戦の風格を秘めた審神者女子が友達の窮状に怒りの表情を見せる。

 幸い、晶子の身体の不調はすぐに伊織の発する殺気に慣れて、兵庫の支えがなくても立てるようになる。

 「晶ちん、無理しないでね」

 ありがとうと、友達の思いやりの言葉に感謝を告げて晶子は状況を再確認する。

 殺気を漏らした不機嫌な伊織に対して、彼らに応対するハーゲンは、

 「いいですか、王の心は伺い知れませんが私は貴女方の来訪を歓迎してはおりません。率直に申し上げますと、認めてはいないと」

 他者から面と向かって言われる拒絶の言葉は、晶子の心に不穏の影を落とした。

 「へーそうなんだ」

 そして晶子の復調を確認してから、逆に兵庫が興味深そうに返事をする。

 それは晶子も見覚えのある戦士の顔。

 普段の友達思いな女子学生の顔とは別にして、同時に紛れもない兵庫という少女の持つ真実の側面。

 つまり、若くして鉄火場にも慣れたギャル審神者にとって他者からの負の感情も興味の対象なのだろう。

 むしろこれから何があるかとワクワクを笑みで綻ばせる。

 兵庫らしいなと晶子は思う。

 そうしてそれぞれの反応を見てからハーゲンは、

 「このハーゲンが見定めさせて頂く──我が忠誠は、我が国と世界の発展の為に」

 自らの意向を口にしてから晶子たちの案内を開始した。

 次に晶子たちが目にしたのは巨大な両開きの扉。

 晶子にはそれが学園にある生徒会の執務室にどことなく似ている気がした。

 「こちらは会議などを行う円卓の間となります。まずは城内の主だった家臣たちをご紹介します」

 円卓に通じる扉に手を掛けるハーゲン。

 すると再度、執事は己の意見を口にする。

 「私は貴女方を、特に貴女を認めていない。どうかそれを重々お忘れなく」

 まるでそれがこの異世界の、【ラ・グース】の総意であるかのようにハーゲンは囁く。

 

 この先には、そんな異世界の住人が大勢いる。

 晶子を、お前を待ち構えているのだと言われた気がして少女の魂を氷のような冷たさが襲う。

 こなければよかったのだろうか?

 わからない。けど少なくともハーゲンは晶子のことを毛嫌いしているのは事実。

 怖い、助けて──ひ弱な晶子は、叫びだしたくなるのを懸命に抑えた。


 そして、扉は開かれた。

 ハーゲンに促されて中へ入る。

 すぐに突き刺さる視線の嵐。

 ギュッと服の裾を掴み耐える 

 彼らの反応は──


 「王妃様~」

 それが晶子を目の当たりにした【ラ・グース】の住人たちの第一声であった。


 晶子は目を丸くする。

 「王妃様~こっち向いてぇ」

 「王妃はまだ早いだろ」

 「でも王様が好きな人なんだよね? だったらいずれ俺たちの国の王妃様になるんだからさ」

 「うんだうんだ」

 「そうだねそうだね」

 多くの人々がいた。

 多くの種族がそこに存在した。

 そして彼らの中に、自分たちと異なる世界の人間を排斥しようとする感情は、晶子が見たところは感じられない。

 むしろ新しい隣人を迎えようと喜びの表情を浮かべていた。

 晶子に続けて円卓の間へ入った他の二人にも好意の雨が降り注いだ。

 「ちっ、鬱陶しい」

 「あれれ、アタシたちを認めてないんじゃなかったっけ?」

 二人が各々の感想を口にすると、

 「うおほんっ!!」

 気まずそうにハーゲンが晶子たちの背後で咳払いをした。

 「少なくとも私は貴女を認めていない。それはお忘れなく」

 負け惜しみと言えるような苦々しさを滲ませながらハーゲンは現状を容認する。

 少なくともジークフリートに近しい人々には、ほとんど好印象で迎え入れられた晶子たちであったが、まだ告白に答えていないのは変わらない。

 変わらない現状に、押し寄せる歓待の笑顔。

 ──本当に、これからどうしよう。

 ほっとしても晶子は悩むばかりであった。



 物語は、1柱の竜より始まる。

 その名は魔王バルムンク。

 魔なる王の称号を冠した世界最強の魔竜。

 知恵ある竜の中でも最古であるその存在は、この世を絶望の淵へ追いやっていた。

 その悪逆と暴虐は留まるところ知らず、命ある者全ての大敵こそ魔王バルムンクの本質であった。

 歩く災害。

 生きる不死者。

 呼び名は数々あれど一貫して、誰もがかの魔竜には叶わないと諦めきっていた。

 世界は闇の中に閉ざされていた。


 しかしある日、闇の中に一筋の光が生じた。

 光の名は、勇者ジークフリート。

 後に竜の騎士王と呼ばれることとなる少年である。


 最初は小さな噂話であった。

 魔王が統べし魔の軍勢に勝利する人間が居るのだと。

 初めは誰も信じなかった。

 誰もが、末世が産み出した世迷言だと思い込もうとした。

 しかし、その噂話が消えることはなかった。

 むしろその輪郭は詳細に浮き彫りにしながら、人々は理解していく。

 嘘ではない。

 それは紛れもない真実なのだと。

 噂は確信へ。

 そして伝説へ。

 遂に生まれる魔王討伐の軍勢。

 その先頭に立つのは、伝説となりし若者の姿。

 旅路の果てに、若き騎士王は見事に魔王を討ち果たした。

 そして倒れ伏した魔王の切り裂かれた心臓から溢れる血潮を浴びて、無敵の肉体を得た。

 凱旋した勇者は、やがて一つの国を造る。

 それこそがノヴァクルセイド。

 人と魔が交わる新しき王国に、祝福の鐘の音は響き渡る。


 ああ、竜の騎士王よ。

 至高なる御方は、今も輝ける道を進む。

 その栄光は陰りを見せない。

 最後の瞬間まで燦然(さんぜん)と──


 「はい! 予行演習終わり!」

 パンっ!と両手を叩いて、見世物小屋の主人は終わりを告げた。

 そこは観劇用の舞台の上。

 開幕が迫った竜王祭で、国王ジークフリートの半生を描く観劇を行う劇団の人々は一段落ついてホッと息を吐く。

 「よかったぞ皆、明日の本番もその調子で頼むぞ」

 本番前の前練習を終えて一人ずつ舞台を去っていく役者たちに、この道数十年の劇団の支配人が一人ずつ声を掛けていく。

 その行動は一見当たり前ように見えて、支配人はそれぞれの役者に対して適切な言葉を贈っていた。

 時に励まし、時に褒めて、伸ばすところは伸ばして閉めるところは閉めるその手管は、長年人を見てきた人間特有の行動力であると言えた。

 「明日の竜王祭では例年通りに人でごった返すからな。新人の売り子たちが戸惑わないように事前の声掛けは忘れずにと──うん?」

 そんな人並み以上に眼力に長けた支配人だからこそ気付いた些細な点。

 「今回が初めての劇団か?」

 それは役者たちが全員舞台から立ち去り、支配人が自らの観劇を行う中規模のテントから外へ出た時のこと。

 外は真っ暗。

 だが夜空には星々の輝きがあり、夜道を薄暗く照らしている。それと照明用の松明の炎によって周辺一帯を見渡せる。

 その中で支配人は自分の劇団以外のテントに目が行った。

 その劇団はテキパキ動いているがどこか不慣れさを隠せずに行動していた。

 無論、それは支配人の敏い目の良さによって見つけられた些細なモノであったが、気付いてしまえば人のいいその支配人は無視して要られなかった。

 「お~~い、何か手伝えることはあるかぁ?」

 声を掛けたが、相手は聞こえてないように支配人へ背を向ける。

 「なんだアイツら無視して無愛想だな……まあいいか」

 人のいい支配人は、同時に無理強いも出来ないとそれ以上の声掛けは止めることにした。

 そして自らの劇団のテントへ戻る直前に、満点の星空を見上げながらふと思いに更ける。

 (この国も変わって十年くらいか。明日は盛大に繁盛しますように)

 こうして支配人は自分のテントへ戻った。

 そして、


 「……C地点、配備完了」


 支配人が助力しようとした見なれない劇団の一員が、ボソリと呟く。

 その男の声は、夜より深く、闇より濃い。

 遠距離通信用の魔法の護符に語り掛けながら、男の姿は夜の闇に融けていった。



 太陽が空に昇ってから数刻。

 日の光を浴びるノヴァクルセイド王国の中央広場では、特設の開会式場に人が集まっていた。

 これより行われる竜王祭の開会式に際して、大勢の人間が雑談を交わしながらその時を待っていた。

 設営された椅子に座るもしくは立ち見で観覧する聴衆の話題は多岐にわたるが、その中でも際立つ内容がある。

 

 曰く、国王様が遂に伴侶を見初められたとか。

 曰く、それはこの世ならざる異界の住人とか。

 曰く、その婚礼の発表をこれからするのではとか。


 全ては噂話に過ぎないが、人によってはまことしやかな真実と語る者も少なくない。

 どちらにせよ話題の中心は常にジークフリートその人。

 竜王祭においてそのジークフリートが行う事は多い。

 各種催し物の開会前の視察、全国より招いた客人との事前会合などジークフリートの担う事柄は多種に渡る。

 そして開会式における開幕の宣言はまさしくジークフリートにしか出来ない事であった。

 「国王様のおなぁりぃ~~!!」

 ピタリと場内が静まり返る。

 鳴り響く喇叭の演奏に、洗練された儀仗兵の動作。

 そうして現れたのは白亜の礼服に身を包んだ美少年。

 少年の若さに、青年へ至る猛々しさを内包した美貌の英雄がそこには存在した。

 英雄は中央広場に設営された開会式場の舞台の壇上に立ちながら、人々の姿をその竜の瞳で見渡すと、宣誓の言葉を口にする。

 「本日は我が国の祝祭に御越しいただき、感謝の念を禁じ得ない。私は──」

 鋼鉄の英雄は全てを完璧にこなしていた。

 その背中はまさしく一国を統べるにたる代表者の貫禄に満ちている。

 「──以上を持って、ここに竜王祭の開催を宣言する!」

 その宣言に、万雷の拍手が広場に木霊する。

 そして宣誓の言葉を終えて、壇上に立つジークフリートへ牛鬼族の執事が近寄る。

 「お疲れ様です、我が王よ」

 「お疲れ様ハーゲン。調子はどうかな」

 「この通りピンピンしておりますとも。日頃から鍛えておりますので。さて本日のこの後の予定ですが」

 「それよりも」

 長年の側近と話ながら再びジークフリートは会場を壇上から一瞥すると、ハーゲンに気になったことを口にする。

 「会場に姿がないけど、小川さんたちはどうしたんだい?」

 その瞬間。ハーゲンの長年主を見守ってきた瞳が捉えたのはまるで平凡な、ありふれた普通の少年のようにジークフリートは鋼鉄の英雄の面相を崩して表情を綻ばせる姿であった。

 大勢の人間が居る公の場でも関わらず少年は、意中の相手に瞳を輝かせていた。

 「……やはりあの娘が好きなのですか……」

 「なんだい? 何か言ったかな」

 「いいえ何とも……小川様一行は先日紹介した臣下たちに案内されて先に出店を回っている頃合いかと」

 「もしかして子供たちかな?」

 「はい、我が王のご想像通りかと」

 「そうかあ、そうだよなあ。小川さんって子供に好かれそうだしね」

 色々と納得した様子で、嬉しそうにジークフリートは一人頷く姿を見せる。

 「僕も後で合流したいな」

 「お戯れを。ジークフリート様にはやって貰わねばならぬことがまだ山積みであります」

 「そっか、じゃあ手早く……?」

 そこでジークフリートは頭上を見上げた。

 そこには平和な空気に満ちた青空がある。

 「どうかされましたか、我が王」

 その主人の行動を不思議に思ったハーゲンが問う。

 「……気のせいだといいんだけど」 

 今日は晴れの日。

 皆が歓喜の喝采に満ちた祭りの日。

 不穏な点など微塵もない。

 そう思われた。

 だが、

 「なんだろう。嫌な気配がするね」

 その瞬間である。

 大地が大きく揺れた。

 それはあまりに不自然な、自然のモノとは思えない突発的な災害であった。

 驚く人々の声に、

 「衛兵! 何が起こっている衛兵!!」

 事態を把握しようと冷静に対処する筆頭執事の怒号が伝達される。

 結果はすぐに返ってきた。

 どんなに突発的であろうと日頃から訓練を積んだノヴァクルセイド王国の衛兵たちに掛かればドラゴンの襲来すら予定調和の中と言えた。

 それでも、今回の地震は少なくない動揺を王国内にもたらす。

 「ハーゲン様! それが城下町内部で謎の魔力反応が計測されて」

 魔力感知に長けた衛兵の報告が為される。

 それとほぼ同時。

 ──ドゥンツツツ!!

 不可視の圧力が、中央広場の人々を襲った。

 


 ──時間は遡る。

 それは騒動の数十分前。

 「王妃様、こっちこっち~」

 自分より小さな子供たちに手を引かれて晶子は小道を進んでいた。

 早朝を過ぎたとはいえまだ王国の人々は目覚めたばかり。だが、元気な盛りの子供たちは眠気を吹っ飛ばして思い思いに晶子へ群がってくる。

 「おっほ~い、到着!」

 小道から大通りに出る。

 開会式前なのに城下町は既に祭りの様相を表している。

 大きな祭り特有の熱気に圧される晶子に対して、彼女の手を引いてここまで誘導した子供たちはその熱気に負けないくらいに目を輝かせる。

 「王妃様! 屋台行って一緒に食べよ!?」

 「えええ~~それより見世物小屋の方がいいよ

 「わ、私は、出店で良いものがないか、見たいかな」

 3人の子供たちが晶子の手を引っ張ってくる。

 「ねえねえ王妃様っ」

 そこで王城から晶子たちに付き添う鳥人族(ハーピィー)の王宮付きの侍女がこらこらと優しく子供らを諌める。

 「アスト、ロロジー、エリザ、あまりショウコさんを困らせてはいけませんよ」

 「「「は~~い」」」

 それからは子供たちは侍女の言う通りに、節度を守って祭りを楽しみ始めた。

 その間、晶子は放って置かれるのでもなくさりとて無理矢理子供たちのワンパクぶりに引き連れ回されることもなく時間が過ぎる。

 それも全て子供たちへの対応に手慣れた侍女の采配によるものだと晶子は自然と理解していた。

 なので、晶子は感謝の言葉を侍女へ告げる。

 「ありがとうございます。えっと」

 そこでまだ侍女の名前を知らないのだと晶子は感謝の言葉の途中で言い淀む。

 それすら察して、

 「鳥人族のサラと申します。今回はショウコさんの案内の筆頭執事から任されました。どうぞご随意にお申し付けくださいませ」

 侍女は自らの名を口にした。

 それはとても親しめる丁寧な口調で、好感が沸いた晶子は口が軽くなる。

 「それじゃあ──慣れているんですね。こう言うの」

 今も祭りを楽しんでいる子供たちを眺めながらそんな彼らとわかりあうサラの姿に尊敬の念を送る。

 「はい、我が国は子育て政策にも精を出しておりまして。あの子たちも忙しいご両親に変わって普段から私どもが世話を行っております」

 「すごいですね。それもジークフリート先輩が?」

 「はい、国王様はお若い頃はその出自から肉親とは離れて過ごしておられましたので。その経験から子供たちには寂しい思いをさせないようにとのことで」

 それは晶子が初めて聞くジークフリートの話であった。

 晶子が知るのは学園での竜の騎士王の姿のみである。それ以外の彼がどんな考えで動き、どんな思いで国を運営しているかなどはまったくと言って良いほど知る術がなかった。

 「国王様のことを、お知りになりたいですか?」

 サラのその言葉に、晶子は少し考える素振りを見せてから、

 「……お願いします。聞かせてください」

 サラの申し出を受けた。

 まだ晶子はジークフリートの告白を受けるか決めあぐねている。

 それに対する何かの助けになるのではと、そんな打算が晶子にはあった。

 そんな異世界の客人の様子に、この世界の住人は快く答える。

 「少し静かな場所へ移動しましょうか」

 サラはそう言うと子供たちへ目を向けつつ大通りを移動した。

 そして大勢の祭り客の中を掻き分けて進んだ先で小さな噴水のある広場へたどり着いた。

 「ここなら長話に丁度いいでしょう」

 人気の薄い噴水の前に腰掛ける晶子とサラ。

 子供たちはサラの言う通りに節度を守って噴水広場内の出店で笑い声を上げている。

 話す準備が整った。

 「それでは語らせていただきます。と言っても私が話せることもほとんどの国民が知っているような内容ですが」

 

 そして語られる。

 ジークフリートの幼年期。

 あるところに一人の赤ん坊が居た。

 その赤ん坊は親に捨てられたのか、何もない野原に産着と共に放置されていた。

 そのままではその赤子は命を失っていただろう。

 赤ん坊を拾う人間はいなかったが、その赤ん坊は救われることになる。

 一体の賢き竜に。

 その竜の名はファフニール。

 この時から赤ん坊の、後にジークフリートと呼ばれる子供の人生は決まった。

 その竜は魔王以外で最後の知恵ある竜であり、その長命故に魂が摩耗して精神が堕ちかけていた。

 かの竜は己の全てを伝承する相手を求めた。

 かの竜は狂う己の命を絶ってくれる相手を求めた。

 白羽の矢が立ったのがファフニールが拾った身よりのない赤子。

 ファフニールは己の全てをその赤子に託して、そして己を滅ぼす役目を与えた。

 その為の修練の日々は、過酷を極めた。

 赤子はどうにか生き残り、そして少年に至るその時に、ファフニールは言った。


 「我を殺せ。さもなくば貴様の命脈はここに尽きる」


 ほとんど虐待とも取れる仕打ちを受けながらも、ファフニールはジークフリートにとって親同然。

 そこには愛と憎しみが同居していた。

 そして三日三晩の決闘の末に、最後に立っていたのは若き竜の騎士王のみであった。


 「──ということで国王様は二度と自分のような目を合う子供を見たくないと我々に語っておりました」


 ジークフリートの半生を聞いた晶子は絶句した。

 壮絶な人生である。

 途方もなく重たい宿命と宿業を抱いて育ったことがサラの語り口からもわかった。

 ますます晶子はわからなくなった。

 そんな人物が自分なんかを好きだと言ったのか?

 子供たちの笑い声が聞こえてくる噴水広場で、晶子は思考の迷路に陥る。

 ジークフリートが晶子を好きと言った真意は、答えはでない。

 答えを出せないまま息を飲む晶子。

 そして最後にサラから晶子は問われる。

 「私がジークフリート先輩のことをどう思っているか、ですか?」

 ある意味で順当な質問と言えた。

 聞かれたからには答えねばならない。

 だが答えられない。

 沈黙すら答えになってしまう状況で、うううと形にならない

 そんな晶子にサラは、

 「聞くところによると読書がご趣味だと」

 一見関係ないように思える話題に変える。

 「何冊ほどお読みになるのですか?」

 それなら答えられると晶子の口は軽くなり、

 「月に50冊程度です」

 「それは凄まじいですね」

 「いいえ、私より本を読んでる人は何人もいますし」

 「なるほど」

 「それと以前に子供を助けようとして、それで陛下に見初められたと……子供を事故から庇ったのは、その一度だけではありませんよね?」

 図星であった。

 この間のワイバーンの一件が比較的大事であったが、それ以外でも小さなことで似たような経験が晶子にはあった。

 「国王様は知っておられますよ。全て」

 まさか自分の預かり知らぬところで目撃されていたとは今まで気付きもしなかった。

 「ちなみに、その全てが身を投げ出してと?」

 あまり胸を張れない事実を受け入れながら晶子がその内容を肯定する。

 「そうです。はい」

 「やっぱり凄まじい」

 話を聞いたサラの様子に、また何か不味いことを言ってしまったのかと晶子は慌てて釈明をする。

 「だって傷付いたり、死にそうで危ない人を見てると勝手に身体が動いちゃうから」

 それが人間なら当然の行動だと晶子は考える。

 だがしかし、

 「貴女は自分を普通だと仰りますが……それは違いますよ」

 貴女は特別だと。

 そう別の異世界の住人は断言する。

 晶子にはそれが今一理解出来ない。

 そして、

 「そんな貴女だからこそ国王様はお選びになったのでしょう。つまり──貴女は代表なんですよ。他のお客人と同等の、貴女の暮らす世界のね」

 (私が兵庫さんや伊織くんと同等……?)

 自分の何が特別だと言うのだろうか?

 晶子は考えて、思い付いた点は、

 「そんなに本読む量が多いのかな?」

 晶子のその言葉を聞いてサラは微笑む。

 何が面白いのだろうと晶子が首をかしげていると、

 「元々我が国はヒト族──貴殿方の世界で人間と呼ばれている種族が国を牛耳っていたのですが我が王が玉座に座ってからは多種族に門戸を開いておりますので。今では国民の半分ほどがヒト族以外の種族で占められておりますのです」

 この異世界の、この国についての説明。

 それは即ち、

 「全て国王様の政策です。そしてそこから仄かに見えてくる部分もあります。国王様は、きっと好きなんでしょう……まだ見ぬ誰かとの触れ合いが」

 それが先ほどまでの話とどう繋がるのか?

 「初めてのタイプだった、らしいです」

 誰がとは言われずともニュアンスで晶子に伝わってくる。

 それは晶子を好きだと言った相手のこと。

 「今まで触れ合ったことのない相手だから惹かれたのだと、陛下は自らの想いを口にされていました。一目惚れだった、らしいです」

 改めて他人の口から伝えられた事実。

 異世界の竜騎士王に、王様から愛の告白を受けたという事実が晶子の心を覆う。

 「子供を守った貴女を守りたいと、陛下は口にされていました」

 晶子は、正直あまり得意気には出来ない。

 (だって最終的に子供を、それに私も助けてくれたのはジークフリート先輩だから)

 助けたのは自分ではないのに、庇っただけに過ぎないその行為を称賛されてしまう。

 自分を褒められない晶子に対して、少なくともジークフリートの目には晶子の姿が際立って見えているらしい。

 それはまやかしだと、晶子は言い出したくてたまらなかった。

 「さて、そろそろ中央広場へ向かいましょう。子供たちも集合させないと」

 サラはそう言って腰掛けていた噴水広場の一角から立ち上がる。

 今だ噴水の縁に腰掛けたままの晶子から離れて、思い思いに遊ぶ子供たちを呼び寄せようとしばし距離を取る。

 「どうしよう」

 サラが離れてようやく重い口を開いた晶子は困り果てる。

 「凄い断り辛い」

 無論、それはジークフリートの告白のこと。

 一瞬、思い悩むが、

 「でも、本当に好きな相手じゃないと、後々お互い困るだろうし」

 ジークフリートが好きだと言ったのは子供を守った晶子のことだ。

 だがそれは虚構の代物だと晶子自身は理解していた。

 そもそも相手の好きな人物は自分じゃない。

 この世にそんな人物は存在しない。

 晶子の脳内に無数の言い訳が去来する。

 色々と理由をこね回してそして、

 「よし、断ろう。そうしよう」

 晶子はジークフリートからの告白を断ることを決めた。

 「ではショウコさんはこちらにどうぞ」

 断ることを決めてからの時間の流れは早かった。

 案内された開会式場の控え室で、国賓待遇の晶子は開会の瞬間を待ちながら、

 (そう言えば兵庫さんとそれから……伊織くんはどうしたんだろう)

 晶子と同様に祭りにざわつく城下町へ出向いたはずの友人とその他一人について思いを巡らせる。

 今のところ控え室には晶子のみ。

 兵庫と伊織の現状は不明。

 もしかしたら先ほどの晶子のように付き添いの子供たちに翻弄されているのかもと考えがよぎる。

 そうこうしている内に、

 (始まった──ジークフリート先輩だ)

 控え室からでも開会式を視れるように、四角い魔方陣のような光に外の風景が映っている。

 どうやらこれが晶子の世界におけるテレビのような役割を持つ代物のようだ。

 そして映し出された中央広場の開会式の場で、雄々しくも凛々しく開会の言葉を述べるジークフリートの姿に、告白を断ることへの思いが強まる。

 全て事もなく終わる開会式。

 その筈が、

 「──?」

 何か可笑しい。

 部外者の晶子から見てもわかる異変が魔方陣の映像で写し出されていた。

 乱れる画像。

 苦悶の表情を浮かべる人々。

 「みんな苦しそう」

 苦しむ人々の姿を目撃した晶子は、思わず外へ駆け出しそうになる。

 「いけませんショウコさん」

 呼び止める声があった。

 控え室の出入口の扉が開いて、そこへもたれ掛かるように人影があった。

 その人影は晶子を控え室へ案内したサラであった。

 「貴女に何かあっては国王様に申し訳がありません……どうか安全なこの場所に……うう……」

 「サラさんっ!!」

 美しい翼の羽根を散らしながらサラは限界を振り絞った言葉を残して気を失ってしまう。

 倒れたサラを抱き抱えて晶子は彼女を介抱しようとする。 

 「ど、どうしよう私は平気なのに?」

 己が何をすべきかわからない晶子。

 その時だ。

 何かが胎動する音を晶子は聴いた。

 そして運命の幕が上がった。



 そして時刻は現在へ戻る。

 現在、竜王祭の最中であるノヴァクルセイド王国は異変が生じていた。

 空を行く鳥やドラゴンであれば、その光が何を示していたのか一目で判別出来たであろう。

 王国の大地から立ち上る光の柱。

 王国の城下町全土に渡るそれがそれぞれの光の柱を頂点に一つの図形を描いていた。

 光の柱の数は6つ。

 6つの頂点で描かれるその図形は、巨大な真円。

 ──六芒星。

 ノヴァクルセイド王国の城下町に、巨大な六芒星の魔方陣が光の柱で刻まれていた。

 異変の影響は明確であった。

 光の魔方陣に覆われた大地に存在する人々が力なく倒れていく姿が見る者の目を奪う。

 それは王国始まって以来の未曾有(みぞう)の危機であった。



 王国の危機に真っ先に動けたのは、ノヴァクルセイド王国の衛兵を含む一団であった。

 しかし精鋭で知られる彼らでも動揺は隠せない。だが、国を守ると言う強い責任感と日々の訓練で鍛えた忍耐力によって衛兵たちはどうにかこの危機を乗り越えようと動き出す。

 「結界破壊までの間、我が王の身を何としても死守せよ!!」

 下の者に対する上官の言葉が、この危機の詳細を語っていた。

 指令を出す上官の中には、筆頭執事であるハーゲンの姿もあった。

 兵士の中でもそれらを束ねる屈強なる衛兵の、更にその長と呼べる人物がハーゲンへ話しかけてくる。

 「ハーゲン殿! 王の御身は如何に!?」

 「衛兵長……本人は平気だと仰られています。ですが」

 ハーゲンの沈痛な面持ちが事態の深刻さを物語る。

 衛兵長は思わず最悪の状況を想定したが、それをハーゲンは、

 「命に別状はありません。我が王は今も最強にて」

 先んじて否定する。

 しかしと不安要素も付け加える。

 「明らかにこの結界は我が国の兵力の封殺に、特に極めて我が王に対して効果のある代物。恐らく……しばらくはこの場を動けないかと」

 「王は何処に」

 「我が王はいま控えの場で安静にされております」

 「そうであるか、ならば早急に事態の解決を」


 二人の意見は一致した。

 一刻も早くこの騒動を収めねばと。


 そんな二人に凶報が舞い込む。

 「敵襲です! 城下内に無数の集団が破壊活動を行っております!!」

 その敵は、明らかにこの事態を予想しての行動を取っていた。

 弱った国民や祭客に見向きもせずに城下内にある兵士たちの屯所など戦力のある場所を攻略して進む謎の集団。

 彼らがハーゲンたちの居る中央広場に到着するのは、衛兵長が部下から敵襲の報告を受けて数分後のことであった。

 「何者であるか、貴様らあ!?」

 対立するノヴァクルセイド王国の衛兵と謎の集団。

 衛兵たちを後ろに控えさせた衛兵長とハーゲンが共にこの窮地に立ち向かっていると、

 「我々はこの時を待っていた」

 謎の集団から声があった。

 それは女の声であった。

 謎の集団の、中心で立ち並ぶ首魁と思わしきその者たちは白いローブで全身を覆っていた。

 「貴様たちがこの騒動の首魁か。一体何が目的だ!!」

 衛兵長が激しい声で問うと、

 「知れたこと、わかるでしょう? この結界の作用から」

 白いローブの者たちは改めて聞くまでもない雰囲気で己が目的を示唆する。

 「やはり我が王が目的か!」

 判明した敵の目的に対して、ハーゲンの全身に緊張が走る。

 「その通り──私たちは彼を狙う者」

 結界の作用で戦力が激減したノヴァクルセイド王国の兵士たちに向けて、完全武装した謎の集団は自らの望みを口にした。

 「ふふふ、私たちが怖いでしょう?」

 「我らこそ貴方たちに終わりと始まりを告げる者たち」

 「ねえ早く彼に会わせてよ。会わせてったらぁ」

 「……静まれ、者共よ」

 ローブの者たちの中でリーダー核と思わしき声が血気盛んにざわめく同胞を鎮まらせる。

 そして続く宣誓。

 これから行くぞという彼女らの、言葉の牙が気迫に圧された王国の防衛戦力に向けられた。

 「ここまで言えば明白」

 「後は力で証明させていただく」

 「奪わせて貰う──」

 純白の衣が勢いよく取り払われる。


 「──竜騎士王の純潔をな!!」


 ………………………………

 ……………………

 …………

 「「……は?」」

 ハーゲンと衛兵長は、同時に呆気に取られる。

 それはこれから血の流れるこの場に相応しくない言葉の羅列。

 「我らは竜の婚礼者(ドラゴン・ブライダル)

 しかし、純白の衣から露になった者たちは全員女性。

 妙齢から若干あどけない少女を含めて幅広い女たちがそこには居た。

 白きローブの下から現れたのは、これまた純白の衣装……花嫁姿であった。

 衛兵長は目を丸くして、ハーゲンは目をしばたたかせる。

 そんな筆頭執事に、純白の花嫁衣装の集団が宣誓する。

 「これより穢れた王の血を、我らの血脈で塗り替える!!」

 「うほおおお、竜の騎士王の純潔を奪え!」

 ハーゲンは困惑して呟く。

 「王国始まって以来、こんな危機は初めてですよ」

 こうして王国の趨勢(すうせい)を決める激闘が始まった。

 花嫁たちが率いる屈強な手下集団と弱体化した王国の兵士たちの激突は、すぐに王国の兵士たちが圧され始める。

 この場で敗北すれば王の身が危ないと理解していながら、結界で弱体化した兵士たちは少しずつ敵に王へ至る道を明け渡してしまう。

 「ぐへへへ、よいではないか。よいではないか」

 「婚約しないなら殺してやる!」

 迫る竜の婚礼者たち。

 暴力の波に、崩れていく王国の兵士たち。

 花嫁の中でも突出した数名がジークフリートの居る控えの間に通じる突破口を開く。

 「我が王!?」

 主人を守ろうとするハーゲンの手は届かない。

 白き花嫁たちの魔の手がジークフリートへ伸びようとした。

 だが、

 「結界ならこちらにもあるのさ」

 不可視の障壁が、花嫁たちの行く手を阻む。

 「王様を守るぜ」

 ノヴァクルセイド王国・魔術特選部隊。

 それが王を守る最後の盾の名称。

 魔術の精鋭たちは、魔力を漲らせる。

 ギリギリで王の居場所を死守する。

 だがそれも僅かな猶予。

 結界の張り手も、花嫁たちの結界の作用で弱っており、なけなしの魔力と体力を振り絞った魔術の防壁は持って数分。

 

 この状況は、奇跡が起きなければ打開できない。

 絶望の中で、特選部隊の面々は天を仰いだ。

 そこに存在しない希望を求めて。

 空には、


 『大丈夫、アタシが居るよ』


 希望があった。


 ──パキィィィンツツツ!!!


 何かが砕ける甲高い音が、城下内に響いた。

 その破砕音は中央広場にも届く。

 それは一目でわかる変化。

 驚愕の表情を浮かべた竜の婚礼者のリーダーが空を仰げば、そこには国中を覆っていた光の柱が数を減らしていて、

 「私たちの、竜殺しの結界が砕かれた!? 一体どうして」

 答えは、空気を裂いて到来した。

 『やっほーアタシ登場♪』

 空気を切り裂きながら大地に降り立ったのは異形の黒い戦士。

 全身を鋼で覆われた異世界の戦士──兵庫はやれやれと握った刀を軽く振るう。

 熱気を迸らせる鋼鉄の翼が、伊織が先ほどまでそれを用いて高速飛翔していた証。

 『けほけほ、ここ煙ぅーい。まあアタシが飛んできたから舞い散った土煙だけどね』

 「お前は、なんだ!?」

 どよめく竜の婚礼者たちの一人が、飛んできた謎の鋼鉄戦士に怒声を飛ばす。

 もう少しだったのに邪魔が入った。

 しかもそれが見たこともない相手であった。

 「どうして結界内で平気に動ける!?」

 『その竜殺しの結界、なんかウチらには効かないみたいだし。あの光の柱で、みんな苦しそうだからブチ折っちゃった』 

 そして介入者は一人ではなかった。

 「俺を忘れてんじゃねえ」

 再び轟音、そして中央広場で炸裂する閃光。

 まばゆい光の中から、雷光で輝く痩身を気だるげに身震いさせながら少年は──伊織は当たり前のように自らが為したこと口にする。


 「目障りだから駆逐しただけだ。別に他の人間のことなんてどうでもいい」

 『お、ツンデレですなお兄さん~~?』


 漆黒の鋼の面貌の奥からくぐもった声で揶揄する兵庫に、伊織は睨み付ける。その二人に状況を理解した衛兵長が、

 「助太刀痛み入る! よおし! 反撃開始じやあああ~~!!」

 感謝を述べると颯爽と部隊の先陣を切った。

 形成は逆転した。

 今度は王国側が竜の婚礼者たちを圧倒する番。

 「……まだだ、まだ終わらない!!」

 敗色濃厚になった状況で、花嫁たちが最後の反抗を開始する。

 竜の婚礼者たちは全ての力をたった一人の花嫁を特選部隊が張る結界の向こう側へ送り出すことに注力したのだ。

 「行けリーダーっ!!」

 「私たちの屍を越えてゆけ」

 婚礼者たちの渾身の武力によって特選部隊の結界に綻びが生じた。

 生まれた結界の隙間へ花嫁たちのリーダーは滑り込む。

 「──行くぞおおお竜騎士王!!」

 閉ざされた控えの間へ飛び込む花嫁姿。

 即座に変化は生まれた。

 それは劇的で、


 『我が身、竜なりや』


 控えの間が内部から爆発した。

 吹き飛ぶ破片に巻き込まれた婚礼者のリーダーが中央広場の石畳に投げ出される。

 「あ、あああ、ああああああ」

 リーダーは戦場と化した開会式場で虚ろに嗚咽を漏らす。

 花嫁の瞳が捉えるのは、爆発した控えの間から立ち上がる巨大なる影。

 それは鋼鉄を凌駕する鱗。

 天空を支配下に置く偉大なる翼。

 巨大にして威容なる(ドラゴン)が、爆散した控えの間から中央広場へ。

 「おお、我が王。ご無事で」

 ハーゲンがその竜の名を口にする。

 「皆の者聞くがいい。我が王、ジークフリート殿下は健在なり!! おおお偉大なる竜変化の姿をこうして皆に見せているのだ!!」

 人々は王の姿を視る。

 その姿は人ならざるも、人を率いる叡知に溢れた超越者。

 誰もがこの王こそ自らの上に相応しいと一目で理解させられる。それは先ほどまで敵対していた竜の婚礼者たちですら変わらない。

 『すまない。君たちの思いに答えられない』

 竜の姿をしたジークフリートは、声なき声で捕縛された竜の婚礼者の花嫁たちに自らの意思を伝える。それは竜の中でも高位の存在が使える思念波によるモノであった。

 『僕には既に心に決めた人がいる』

 その宣言に、勝利した王国側の兵士たちがどよめきを隠せない。

 『その証を今こそ示そう』

 ジークフリートのその言葉と共に、彼の姿が光輝きながら収縮していく。

 今だ晴れぬ破砕された控えの間の粉塵の中から一歩を踏み出したのは、

 「おお、ジークフリート殿下!!」

 「それに一緒にいるあの女性は誰だ?」

 「あの人こそ竜騎士王の見初めた相手だ!」

 「確か……ショウコ・オガワと言う名では」

 人々の注目が、王が傍らに抱き締める女性に注がれる。

 そしてジークフリートと彼女は、晶子は、

 

 「キスしているぞおおお!!」


 遠目には朧気にしか確認できないが、確かに王とその伴侶と(もく)される人物は親しげに顔と顔を重ね合わせていた。

 最早、部外者の花嫁たちに付け入る隙は見当たらない。

 誰かが言った。

 これで王国の未来は安泰だと。


 「ジークフリート国王陛下とショウコ王妃、万歳っ!!」


 祝福された未来へ向けて、ノヴァクルセイド王国の歴史が新たな一歩を踏み出した。



 「怪我はないかい?」

 竜体から人の姿へ戻ったジークフリートの腕に抱かれながら晶子はその慈しむ呼び掛けを聞いていた。

 「その、えと、はい怪我はありません」

 晶子は固まっていた。

 顔も恥ずかしさと緊張で赤く染まっていた。

 「ごめん、この場を収めるために……小川さんを利用させて貰った」

 これによって晶子の存在は、ジークフリートの見初めた相手と広く知られることになるだろう。

 「あのぉ、今のキスの、未遂の件なんですけど」

 二人は実際はキスをしていない。

 そう見えるようにジークフリートが皆の前で振る舞った偽りの婚礼の口付け。

 「ごめん」

 「……」

 「今だけは自惚れてもいいかな?」

 「……はい」

 嘘でも、キスの寸前までは行った。

 仕方ないと晶子は熱気で沸騰する周囲を見ながら諦めの境地に至る。

 「その、これからよろしくお願いします。旦那様」

 「──ありがとう」

 表向きは国王と王妃。

 実体は手も繋いだことのない男女。

 こうして晶子とジークフリートの恋仲ようで友人のようでもある奇妙な仮面夫婦の関係はスタートしたのだ。

 (うわあん、どうしよう)

 最早逃れようがないほどに、外堀を埋められてしまった晶子であったが、

 (でも……一緒に居るのは嫌いじゃないかな)

 現状にそこそこ満足している己にも気付かされるのであった。

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