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第二章

 ノヴァクルセイド学園姉妹校は、東京24区の葦原に建立された全寮制の学園である。

 その創立には、三つの異世界の思惑が大きく関わっていると言われているが、公には異世界の一つである魔法世界【ラ・グース】が主に出資している。

 その点を考えると【ラ・グース】出身が他の二つの世界と比べて多く、学内において優先されそうなのが必然だが、その出資者の意向で表向きは全ての異世界の生徒たちが平等に扱われている。

 そしてその学園の特徴は、何を言ってもそこでしか学べない異世界の知識。異世界間の交流を深める目的を持つ普通科以外に、魔法科・超能力科・審神者科と各世界の最も大きな性質を扱う部門に別れる。それは派閥とも言い換えられる。これは異世界が持つ“誇れる強さ(セールスポイント)”なので同時に派閥間で熾烈な闘争や暗闘が日夜繰り広げられている。

 ちなみに何故、そんな出来事が起こるのかと言うと、もしも他にない類をみない軍事機密が、壁を隔てたすぐ隣の教室に存在したらと考えてみて欲しい。

 古今東西、そして文字通り世界の垣根を超えてそう言った情報は誰もが喉から手が出るほどの垂涎の代物である。本来、厳重に秘されているべき各世界の秘術・秘宝がこの学園には集まっている。その理由を知るのは学園創立に関わる各世界の高官たちになるであろうが、そんなのは一般人には関わりない話である。とにかく現段階で言えるのは、この学園は重なりあった異世界同士の縮図であるという点。

 縮図であると言うことは、もしかしたらちょっとした友人間のいさかいや友好が、今後の世界に大きく影響を与えるかもしれないモデルケースと呼べるのだ。

 それは憎しみであったり。

 それは恋愛であったり。

 つまり、何が起こるかは分からないということ。

 そんなそれぞれの異世界の特色を有した学科が、日々切磋琢磨しながらしのぎを削っているのである。



 英雄に愛の告白をされた晶子は、頭を抱えていた。

 (どうしよう、困ったよぉ)

 晶子にとってまさに青天の霹靂。

 相手が学園のアイドルと呼べる竜殺しの騎士王なのが余計に晶子の心を乱させる。

 (なんで私、なの? どうして)

 晶子は告白された理由に心当たりがない。

 見知った顔とはいえ晶子からしたら遠くから眺めていただけのほとんど顔見知りのない相手である。これならこの間プリントを一緒に運んだ同じクラスのイ・ギルスの方がまだ接点があった。

 分からないと言えば何故あの時、ジークフリートが颯爽と晶子と子供を救いに現れたのかも謎である。本人は偶然と言っていたが……あまりにタイミングが劇的過ぎた。それこそ初めから晶子の行動を観察していたかのようで。

 (まさか、ずっと私たちの後を付けていた?)

 心の中に湧いた疑惑を、晶子はあり得ないと一瞬で掻き消す。

 そもそも、晶子の考え通りならば何故学園のアイドルがストーカー紛いの事をやっていたのか?

 前から晶子に目を付けていたのなら、その始まりの接点はどこなのか。

 そしてどうしても晶子には、己がジークフリートから恋愛感情を抱かれるほどの魅力があるとは思えなかった。

 晶子の自己評価は普通か、普通より下である。

 自分のようなネクラ気味の本の虫を気にするのは、お互いに趣味が合致した兵庫のような相手しかいないと晶子は考える。その兵庫にしても出会いは奇跡的偶然の上で成り立っている。悩む晶子はそんな数少ない出会いの経験をベースに、その線でジークフリートとの接点を考えてみる。

 (そう言えばノヴァクルセイド先輩が図書室に来たことは何度かあった……かも)

 朧気な記憶を掘り返してみるが、

 (特に何か特別な事はなかったよ……)

 英雄の遠い背中しか晶子の記憶の中には存在しなかった。

 そんな考えても分からない堂々巡りを繰り返して、再び還ってくるのはあの時の──1ヶ月前のあのワイバーン襲来の事件の時のほぼ初対面の場面になる。

 思い起こされる過去。

 その中でホッとした事は、あの両親とはぐれた子供を守れたこと……実際に守ったのはジークフリートだが。

 (あの子、無事でよかったな)

 晶子の記憶の中で、はぐれていた子供の身体を涙ながら必死に抱き締める母親と父親の姿が浮かび上がった。彼らは去り際に晶子とジークフリートに感謝の言葉を告げていた。

 (ニュースでも被害は抑えられていたって話だったから、よかったよね。よかったんだよね……あの告白以外は)

 1ヶ月前の事件は、政府の研究機関が試験目的で搬送していたワイバーンが偶然の事故で脱走したのだと後日に報道された。

 兵庫を含んだ【別天】の葦原駐在部隊が事態収拾に奔走したこともあって死傷者ゼロの被害は最小限に抑えられた。

 (結局、あの時はドタバタしていてあれ以外の会話をノヴァクルセイド先輩と出来てない……)

 晶子の脳内で、ジークフリートの端正な顔付きがありありと想起させられる。

 あの二トントラックの衝突を押し退けた強靭な肉体。

 黒曜石のように煌びやかな褐色の肌。

 (だ、駄目だ。油断するとずっとノヴァクルセイド先輩の事で頭が一杯になっちゃう)

 これが学園のアイドルと謳われる少年の蠱惑的な魅力かと晶子は戦々恐々する。

 アイドルに恋い焦がれる人間の気持ちが、少しだけ晶子にも分かる気がした。

 しかもその相手から告白されたのだから。

 心が乱れるのは仕方ないと晶子は自分自身を納得させつつ、

 (カッコよかったなぁ)

 ジークフリートがその身から醸し出す魅力について所感を思う。

 そして同時に想起されるのは、1ヶ月前の事件の時に事態の解決に奔走した審神者ギャルの姿。

 天を貫いて飛翔した漆黒の鋼鉄と、大地を踏み砕きながら鉄を押し退けた褐色の肉体のイメージが重なる。

 【ラ・グース】と【別天】

 世界は違えど、両者とも同じ傑物。

 自分に真似できない。

 それが1ヶ月前の事件を経験した晶子の正直な感想である。

 (まあ真似する必要もないし。とりあえず今は)

 晶子は意識を現在へ傾ける。

 (目の前の行事を無事に終えないと)

 晶子が今居るのは、自分が通う学園の一角。

 そして学園は高まる空気に満たされていた。

 それは学園の生徒たちによる声援であり、それ以外の人々による喝采の渦であった。

 ノヴァクルセイド学園姉妹校では年に一度、全校生徒による試合大会(トーナメント)が行われる。

 外部からの観覧客を招いて行われるこの試合大会は、この学園の対外的な大きな行事の一つと言える。

 大会は女子と男子の二部門に別れており、各部門の優勝者には学業資金の一部無料化などの複数の学園内におけるアドバンテージを確保出来る。中には、この試合大会を目的に日々鍛練に明け暮れる者も少なくない。よって参加する生徒たちは己の死力を尽くして、学園最強の証明を奪い合う──と言いつつも大部分の生徒の役割は学園内の観客(エキストラ)

 学園指定の体操服の上にジャージを着ながら、本日迎える大イベントを観覧するのが主な仕事である。

 学園内に設営された特殊な闘技場(バトルフィールド)で、声援が飛び交う。そしてそれが闘いである以上避けられないのは精神もしくは肉体の損傷である。

 現在、保健委員である晶子は大会中に負傷した生徒たちが運ばれる保健室で養護教諭の手伝いをしている。

 運ばれた負傷者たちは用意された治療用ベッドに寝かされている。包帯を巻かれて、薬品の臭いが漂う怪我人の空間は一種の静謐な領域を作り上げていた。

 離れた試合会場から木霊する声援もこの場所には届かない。静まる空気。

 だが、

 「神崎、お前またか」

 静かな空気が1ヵ所だけ荒れていた。

 その場所では文字通り、空気が焼き焦げて弾けている。

 保健室のベットの一つを、髪の毛をチリチリにした金髪の男子生徒が大の字で占拠していた。

 その金髪の男子生徒の周囲の空気と空間が焼け焦げているのは、その所有する異能──超能力に関係する。

 

 超能力は、それもまたこの世界と異なる世界の法則。

 超人世界【ゼロヴァース】。

 それこそが【ラ・グース】、【別天】に続く第三の異世界である。


 他の生徒が少なくとも何処かに傷があるのにも関わらずその男子生徒は怪我どころか身に付けている衣服に汚れ一つなかった。

 まさしく無傷。

 本来ならこの場で寝転がるには相応しくない金髪の男子生徒がそれを許されているのは、それがほとんど常習犯であるため。

 その金髪の男子生徒は、普段から保健室を自身の暇潰しの居場所に使用していた。

 まさしく蛮行。

 だがそれが許可されている。

 渋々ながら。

 そんな蛮行の相手に、せめてものなけなしの注意勧告が行われる。

 「今日もまた保健室を無断使用するのか」

 「知るかよ」

 大方の予想通りに、注意勧告は無下に扱われた。

 その傍若無人な金髪男子──神崎(かんざき) 伊織(いおり)は【ゼロ・ヴァース】出身者の中でも札付きの問題児であった。

 普段から授業に出ずに学園内を自由気儘に闊歩する伊織に文句は通らない。

 「怪我もしてないのに貴重なベッドを占領するなよ」

 「養護教諭様は怪我の大小で差別するのかよ。ほら、怪我してんだろ。擦り傷」

 伊織は寝転がりながら、自分の左手の手の甲をまるで将軍様の印籠のようにプラプラと頭上へ掲げた。

 よく見てみると本当に小さな、微かに手の甲の肌色が変色している。

 それこそ虫に刺された程度。

 ほとんどあってないような傷痕で、伊織は治療用ベッドの占有権を主張していた。

 「ちゃんと看病しろよなあ」

 勇敢なる養護教諭は、渋々と伊織の主張を飲み込む。

 今の伊織はこの保健室の支配者。

 その支配者に対して、

 「イッチーまた不貞腐れてんの」

 偶然この場に居合わせた最強の超能力者に対抗出来る数少ない人物が伊織に話し掛ける。

 「不貞腐れてねーよ。ロボット女」

 「いやいやアタシら審神者の刀装はロボットの類じゃなくてさ」

 「そんなの知らねーし……あーあ、早く決勝にならねえかな」

 「態度悪いぜ。それじゃ内申に響くよん」

 「関係ねえよ。そもそも馴れ馴れしいんだよお前」

 「アタシは普通に接してるだけだぜ」

 伊織に対抗出来る猛者──柳生 兵庫がやれやれと肩を竦める。

 そんな中で、救護班の男子生徒は保健委員としての仕事を努めようとする。

 「怪我してるなら、治療を」

 伊織が提示した僅かな傷痕を治療しようと不用意に近寄る。

 しかし、

 「近寄んな木偶(デク)

 一瞬で凶器に変化した伊織の鋭い爪が、男子生徒の柔らかな喉元に押し当てられていた。

 「看病しろとは言ったが、近寄っていいとは言ってないぞ」

 伊織はいわゆる悪党である。

 そして同時に最強に最も近い異能者であった。

 その秘めたる超能力は、数少ない例外を除いて誰も伊織に意見できない。

 まさに唯我独尊が形になった人間なのだ。

 そんな伊織が寝たいと思えば、保健室の一同は粛々と彼に場所(ベッド)を提供する他ない。

 「普通の人間が、俺たち超人に馴れ馴れしくするんじゃねえよ」

 人の上に立つかのような態度で伊織はふてぶてしく笑う。

 「世界は(いかずち)で出来ている」

 ふと伊織はそんな話をする。

 「今なら小学校でも習うだろ。不思議じゃないだろ。俺にはそれが見えて感じられて、実際に触れられるし操るのだって簡単だ」

 伊織にしか感知出来ない現実を、彼は日々触れながら生きている。

 そしてその余人には感じられない自分だけの世界こそが伊織の確固たるアイデンティティーとして形成されていた。

 自分は特別。

 人なら多かれ少なかれ抱くその感情が、伊織の中では肥大して極大化していた。

 誰かが言った。

 コイツは王様だと。

 事実、伊織はこの学園内でも彼を筆頭とする不良や悪党の楽園を構築して、その頂点として君臨していた。

 王に歯向かえばただではすまない。

 それは古来から伝わる不文律である。

 「じゃ、じゃあ天草先生、あとはお願いしますっ」

 そして保健室の養護教諭に残りは任せて、恐れをなしてその場から立ち去る救護班。

 「……ふん」

 寝返りを打って、再びベットに横になる伊織。

 これで少しは静かになるだろうと伊織は考えていた。

 「……?」

 義務としてその場に縛り付けられた養護教諭以外の邪魔者は誰もいなくなったと伊織は思っていた。

 一人だけ、残っていた。

 晶子が変わらぬ様子で、テキパキと負傷者の治療を続けていた。

 「──おい」

 そこで伊織は不機嫌になる。

 自分の意のままに出来ない事態に直面したからだ。

 そもそもこんなことは滅多にない。

 伊織が望めばそれは現実であろうと異能だろうと自由自在の思うがまま。

 なので、これは異常事態と言えた。

 伊織はその彼にとっての異常を正すために言葉を飛ばす。

 「なんでお前だけ残ってる」

 「アタシもいるぞぅ」

 元々鬱陶しい外野は意識の外において伊織は見た目は平然としている晶子を睨み付ける。

 「とっとと消えろ」

 途端に、室内が真っ白く染まる。

 人体を容易く害する紫電が、保険室内を迸る。

 それでも晶子は、治療用の包帯や薬液に手を伸ばし続ける。

 「なんだお前」

 保健室内を荒れ狂う紫電の暴威の中で、独りで救護活動を続ける晶子に伊織は目を丸くした。

 「お前、俺が疎ましくないのか」

 「それとこれは別」

 もしかして伊織にとっての数少ない例外となる兵庫の助けを期待しているのか?

 それは違うと伊織は鋭く感じ取った。

 晶子の動きに他者を頼るような脆弱さは感じられないし、兵庫に至っては平然と荒れ狂う紫電の中で口笛を吹いている始末。

 この二人は知人である筈だが、今この状況で兵庫が晶子を守ろうとはしてないと伊織には感じられた。

 「怪我してるんなら文句ないよ。私は君が元気になればそれで構わない」

 表面上は冷静に振る舞う晶子。

 微かに彼女の指先が震えていた。

 (……怖くないわけがないじゃない)

 恐怖している。が、それを押し隠している。

 何故なら、

 (だからって、傷だらけのみんなを放っておけないし)

 自身の恐れを(かえり)みながらも、自らの目的を果たすために。

 負傷者の治療を、他人の傷を癒すために。

 その晶子の様子をつぶさに確認した伊織は、

 「お前、面白い」

 予想外の言葉を口にした。

 「面白い。面白いなあ」

 口では面白いと言われても、言われた晶子の側からしたら予期しない言葉に対する不安の方が勝った。

 あれ、もしかして私ピンチかも。

 1ヶ月前の事件以来の身の危険を晶子は感じた。そして晶子は困惑しながら、

 「お前、俺と付き合えよ」

 獣のような同級生から、人生で二度目の告白を受けたのだ。

 


 天頂に至った太陽が傾き、大地へ映る影法師が色濃くなった頃合い。

 その舞台でスピーカー越しに解説者が謳う。

 『さあやって参りました! 試合大会の最終決戦! みなさんお待ちの最強決定戦だああああああ!!』

 場所は学園内の特設会場。

 そこで最高潮に達した喝采が、地面を轟かせる。

 会場内は大盛り上がり。

 これから行われる学園内──いや三つの異世界の中で爪を研いでいた猛者たちの更に頂点の勇者による力の決死合いは、オリンピックもかくやとばかりの賑わいを見せる。

 ちなみに今から行われるのは男子の部門であり、先に執り行われた女子の部門では【別天】の審神者ギャルが見事に優勝を飾ったのであった。

 これから行われる決勝戦は、これまで行われてきた試合と同様に両者が赤と白に別れて闘うが、そこに色分け以上の意味はない。

 設営された舞台の中心では、既に決勝へ歩を進んだ二人の男子生徒が顔を合わせている。

 『赤コーナー! 弾ける雷鳴は帝王の証! 最強の不良超能力者、神崎 伊織~~!!』

 マイクを持った解説者に紹介されると、保健室から試合会場へ戻った伊織は大きく欠伸をかいた。それを迎えるのは、

 『白コーナー! 流れる血潮は神域の竜血! 万夫不当の英雄、ジークフリート・ノヴァクルセイド~~!!』

 緩みきった伊織の態度に反して相対するジークフリートは物静かそのもの。その背中を見ているだけで竜の騎士王がこれまで積み重ねてきた約束された勝利が轍となって垣間見える。

 互いに自然体である部分は同様。

 加熱する観客の声援とは裏腹に、これから雌雄を決する二人の周囲は独特の冷やかさで満たされていた。

 『さあ、これより試合大会・男子の部門決勝が行われるぜ! みなさん見守る準備は万全かな? ……よろしい。では』

 解説者がマイクを持たない方の手を頭上に掲げる。

 それを見守る観客たちが息を飲む。

 一瞬の静寂に場内は包まれる。

 そして、

 『決勝戦、試合──開始っ!!』

 場外に設置された試合の開始を告げる鐘の音が会場内に響き渡る。

 途端に、伊織の姿が消えた。

 だが即座に、音速(マッハ)を越えた速度でジークフリートへ激突した姿が観客の目に止まる。

 「──さあ終いだ!」

 先程までの欠伸姿がすっかり失せて、苛烈なまでの好戦的な表情を伊織は衆目へ曝した。

 「俺とお前のどちらが強いかの競い合いを!!」

 「…………」

 表面ではつまらなそうにしながらも、心の内では伊織は試合開始のゴングを今か今かと待ち望んでいた。

 伊織はこの時を、ジークフリートと真っ正面から闘い合える血沸き肉踊るこの瞬間を焦がれていた。

 (そうだ俺は、お前を目にした時からずっと)

 ようやく訪れた宿敵との対決に、伊織の魂は全身の血液が沸騰したような激情に包み込まれる。

 そうだ、宿敵だ。

 眼前の男は、伊織にとって不倶戴天の敵。

 誰も敵わない伊織は最強だった。

 地元の、伊織が生まれ育った【ゼロヴァース】において数々の超能力者がしのぎを削っていたが長年空席であった最上位異能者の称号を伊織は自らの力で掴み取った。

 数々の戦いがあった。

 無数の勝利が積み上げられた。

 結果、この世にはもう自分以上の強者は居ないと、常勝無敗の伊織はずっと考えていた。

 少なくとも、この男と出会うまでは。

 その男──ジークフリートは物静かであった。

 沈黙を良しとして、平穏な毎日に微笑を浮かべる。そのジークフリートにちょっかいを掛ける人間は居たが、その全てが竜の騎士王の実力を見誤っていた。

 伊織は違う。

 彼だけは、少なくともジークフリートへ敵対的な人間の中で唯一その秘めたる実力を即座に把握した。

 伊織は雷を操る。

 そして人体は極小の発電器官であり、その人間の強さも秘めた電力(エネルギー)で大体予想が付いた。

 しかしジークフリートは違った。

 伊織にも全く予想が出来ない原発を凌ぐ最先端技術で山のような巨大さを誇る発電施設が人の形をして歩いていたのだ。

 それこそが竜。

 認めるべき異世界の強者。

 認められない自分以外の最強種。

 そして初めて邂逅した瞬間に、伊織は己が有する異能の暴力でジークフリートへ襲いかかった。だが、結果はこれまで引き分け。

 一度の勝利はなく。

 一度の敗北もない。

 何時になれば勝てるのか?

 (それは、今だっ!!)

 今勝つのだ。

 この時に勝たねばならないのだ。

 相手は、無敵の英雄。

 撃ち破るは異界の不敗神話。

 これで血が滾らねば男でないと、伊織は高速回転する思考の中で断言する。

 「うおおおおおおおおお」

 放たれる戦意の雄叫び。

 迎え撃つは寡黙なる騎士の所作。

 熱い殺意と静かなる冷静さが、異世界の垣根を超えた激闘で火花を散らす。

 一瞬、伊織はジークフリートから間を取って両手をダラリと下へ垂らす。

 途端に、伊織の両手が鋭さを増して、更に無数に枝分かれした。

 ──斬っ!! とジークフリートが回避した直後に凄まじい切り傷が武舞台を駆け抜けた。

 直進する斬撃は、そのまま武舞台を超えて観客席と試合会場を隔てる壁面に激突すると硬い石材を大きく抉り取る。

 「この程度じゃ、顔色変えねえよな」

 小手調べと言うように微笑を浮かべる伊織は、変貌した両手を二本の剣のように構える。

 伊織の制服の袖の先から、掌の表皮を突き破って伸びる鈍色の凶器(つめ)

 見た目は朽ちた樹木の、無数の鋭い先端。

 一見折れてしまいそうな形状だが、その強度は外観を遥かに凌駕している事実を、鉄壁の【竜血装】を相手にすることで示している。何故なら、普通なら掠り傷一つ生じない肉体を持ちながら、ジークフリートは自身に向けられた凶器に対して寸前で回避を繰り返していたからである。

 それは一度でも触れれば己の皮膚を裂くのだと理解しているが故の行動。回避がギリギリの寸前になるのは、単純にその攻撃の主の身体能力が剣と魔法の異世界で有名を馳せる英雄に匹敵するためである。

 「伊織~そのままやっちまえ~」

 「陛下ぁ、負けないでえ!」

 迫真の決闘を、観客席の野次馬たちの声が彩る。

 そして、両者の動きが止まる。

 観客席の声援も、二人を見守るように静まり返り、視線を決闘の行く末に奪われた人々は一様に固唾を飲む。

 竜の騎士王と両手を変貌させた超能力者は、互いを見つめ合う。

 先に、異形の双手が動いた。

 「1億ボルト・スマッシャー!!」

 牙を剥く獅子を象った両手の構えから、前方へ向けて凶悪なる紫電が迸った。

 「【竜破砲(ドラゴニックバースト)】」

 そこでジークフリートがこの試合の中で初めて意味ある言葉を放った。

 それは意味を持つ異世界の法則を操作する単語であり、迫る破壊の雷を迎え撃つに足る衝撃の波動を竜の騎士王の右腕より放出させたのだ。

 そして二人の英雄の技が、正面から激突し合う。

 せめぎ合う紫電と波動。

 物理法則を凌駕する魔法と超能力。

 技の発生源である両者の周囲で、目に見えぬ圧力が空気を引き裂き空間が軋み悲鳴を上げる。

 竜の騎士王と超能力者。

 それぞれの世界を代表する人間のいさかいが形となった闘争は当事者たちを熱意に包み込む。

 「おおおおおおおおっ」

 叫び、散る火花と闘気。

 再び、伊織の中で“敵”が生じる。

 コイツは許せない。

 この存在を許容したら、己の全てが否定されると言う感覚が少年の心に再度生まれる。

 芽生えた敵意が牙を剥くのだ。

 「俺が勝つんだああああああっ」

 純白、に武舞台が染まる。

 眩い白に染まった空間内で、観客たちは瞳の受け入れる限界量を超えた発色にたまらず目を瞑る。次に観客たちが目を開けたその時に広がっていた光景は、

 「──はぁっ! はっ、はっはっ」

 荒々しく息をつく伊織。

 その伊織にのし掛かられて武舞台の床に背中を付くジークフリート。

 伊織の凶器と化した指先が、ジークフリートの褐色の喉元を捕らえていた。

 「ど──どうだ、もう逃げられねえだろ」

 息を切らす伊織に対して、同じく汗ばんでいるがジークフリートは堅牢なる沈黙を維持している。

 そもそもこの竜の騎士王の心を揺さぶるのは至難の技。

 異世界からこの世界に渡る前から、騎士王の鉄壁ぶりは一辺も揺らがず。

 もしかしたら自分の死の間際ですらジークフリートの心にさざ波すらたたないのではないかと英雄騎士を知る者全員が半ば直感していた。

 無敵鉄壁。

 完全なる冷静さの化身。

 そんなジークフリートは、自身の敗北すら騒ぎ立てずに、ただありのままを受け入れる。

 それこそがジークフリート。

 普遍なる魂と精神であるがままを受け入れる。

 そして伊織の、勝鬨の台詞をジークフリートは静かに耳にする。


 「これで晶子は俺が貰う」


 ジークフリートが目を見開いた。

 伊織のその発言を、寡黙な竜の騎士王は聞き流せなかった。


 「何を、言って、いる」

 ジークフリートの発する声に、初めて動揺の気配が滲む。

 伊織はそんなジークフリートの様子に、面白くてたまらなくなった。

 あんなにも崩せなかった英雄の顔が、まるで伊織と変わらない年頃の少年に乱れる様は、悪童に分類される伊織にとってそそるものである。

 伊織はそんな英雄様のもがく姿を肴に、ジークフリートの喉元を捕らえていない方の手の指先で、武舞台の場外のある一点を指差す。


 「見ろよ。そこで見てるぜ。俺たちの可愛い晶子がよ!」


 伊織が人差し指で示したのは、武舞台にもっとも近い観客席の一角。

 そこには沸き上がる観客たちと一緒に二人の少女が座席に座っていた。

 一人は晶子。

 歓声で沸騰する観客たちとは真逆に両手を固く握りしめながら静かに試合会場の超能力者と竜の騎士王を見つめていた。

 もう一人は兵庫。

 保健室からずっと晶子に付き添う兵庫はジークフリートがこちらを認識したことを察知すると、

 「もぉうすっかりヒートアップしちゃってすぐ隣が見えてないんだから~」

 そうやってケラケラと笑う。

 「さてさてどうなることやら。今のところは見た目ヤンキー殿下の方が優勢だけど」

 笑いながら武舞台の二人から視線を切り、兵庫は自らの隣へ意識を向ける。

 「ねっ、どう思う晶ちん?」

 「──きれい」

 聞かれた晶子は、そのように答えた。

 そんな晶子の脳裏には、一瞬前までの英雄と超能力者の火花散らす激闘が克明に記憶されていた。

 晶子はそれを美しいと感じた。

 同時に、自分では決して真似できないと理解もしていた。

 何の力もない一般人の晶子には、その事実が無色透明な圧力となって晶子の魂を締め付ける。この時ばかりは二人の男子に告白された現状すら上の空で、晶子はただただ目の前の風景に心を奪われるばかりである。

 そんな文学少女の想いを知ってか知らずか、

 「お前は負ける。晶子は俺のモノだ」

 伊織が自らの勝利を宣言する。

 「さあ、これで終いだ!!」

 トドメの一撃が伊織の凶器の手から放たれようとした。

 だが、


 武舞台の上が激しい光を発した。


 目映い光に、激しい破裂音。

 目を光線に奪われていた観客たちが気付くと状況は一変していた。

 唇から血を滲ませた伊織が、馬乗りになっていた武舞台中央のジークフリートから後方へ数メートル後ずさっていた。

 そしてジークフリートは武舞台中央に立っていた。

 俯いているため表情は確認できない。

 「けっ、ようやく本気を出したか。女が絡んでからが本番とは英雄様も色──」

 「君は、何を、言っている?」

 ジークフリートの口から放たれたそれは地獄の底から響くような冷たい声色。

 伊織の煮えたぎる闘志を、まるごと氷で包み込むような極寒の闘気が伊織の肌に突き刺さる。

 (本当に、今まで全然本気じゃなかったようだなぁ)

 人の闘う理由は、千差万別。

 伊織のように己のプライドのためであったり、あるいは……自分の大切な宝物を奪われないためであったり。

 まだジークフリートのことをまったく理解していない伊織であったが、この時一つだけわかったことがあった。


 伊織は初めて竜の騎士王の逆鱗に触れたのだ。


 そして竜の逆鱗に触れた者は、すべからくその牙に噛み砕かれるのが定め。

 竜の牙の代わりに、構えられる騎士王の拳。

 ジークフリートの握り締められた鉄拳が、ギリギリと弦を蓄えられた弩の如く力の頂点で止まる。

 そして爆発した。

 極寒の闘気からの急激な精神的熱膨張はそのまま現実へ反映された。

 静止の零から、超高速の沸点へ。

 殺意すら生温く感じるほど燃え上がるジークフリートの闘志。それが伊織の腹部へ激突した。

 たまらず伊織は内臓を吐き出しかける。

 「かは──ッツツツ」

 伊織は悲鳴を上げる肉体を強引に動かして反撃に移ろうとするが、動けない。

 無理に動かした筈の肉体が、爪先から身体の中心線まで凄まじい速度のジークフリートの拳による連続攻撃で打ちすえられた。

 そもそも動く前に暴力で縫い付けられては何も手は打てない。

 全てが晶子の姿を見る前とでは段違い。

 全てジークフリートが一手上回る。

 それでも俺は負けないと伊織は血走った形相で叫ぶ。

 「があああああっ!!」

 血走る伊織に、

 「僕が勝つ」

 それは今回の試合内においてジークフリートが初めて己の意思を発露した瞬間であった。

 ジークフリートは宣言する。

 その理由は単純明快で、

 「好きな人の前で、負けられない」

 「ぬかせ──っ!!」

 拳が交差する。

 激突する鋼の肉体の拳。

 両者の最後の一撃が、互いの顔面に叩き込まれる。

 そして──人体が膝から倒れ、崩れ落ちる。

 荒々しい息を吐き出しながら、頬とうなじを伝う玉の汗を拭い去るように最後に立つ少年は拳を頭上へ突き上げた。

 その少年の名は、

 「勝者、ジークフリート・ノヴァクルセイド!」

 ここにノヴァクルセイド学園の試合大会の男子の部門における優勝者が決定された。




 試合会場は静まり返っていた。

 生徒も、観客たちも居なくなった無人の台地に、二人の少年少女が顔を合わせる。

 「迷惑をかけてすまない。僕の落ち度だ」

 申し訳なさそうに少年が、ジークフリートが少女に、晶子へ頭を下げる。

 「こうなることを予想しなかった……いや、予想出来た。小川さんは魅力的だから。それなのにのぼせ上がって自分の想いを小川さんに押し付けた。もうこんなことは起こさせないから」

 「……神崎くんは大丈夫ですか?」

 「大丈夫。手加減は出来た、かもしれない。何せ力が入りすぎたから」

 自らの拳を開いては閉じるのを固い表情で見下ろしながらジークフリートは今度は嬉しそうに言葉を続ける。

 「小川さんは優しいね」

 「……保険委員ですから」

 「それも、全て含めて君の魅力だ」

 「魅力だなんて」

 「ははは、言葉が過ぎたかな。僕はどうしても、どうしても君のことになると自制が効かなくなる」

 (この人、結構喋る)

 普段は物静かで通っている人物の多弁な様子に、言葉数を多くさせているのが自分なのかと晶子は改めてジークフリートの告白について考えさせる。

 竜騎士王の告白に晶子はまだ答えていない。

 その答えをしない内は、今回のような出来事に遭遇するのも少なくないだろう。

 早くせねば。

 だがまだ決めきれない。

 異性からもたらされた愛の告白に対して、晶子はジークフリートのことを学園の有名人以外の側面を知らないのだから。

 ──少し考える時間が欲しい。

 今の晶子の中で、一番必要とするモノはそれだった。

 「それじゃあ私はこれで」

 ジークフリートから晶子は離れようとした。

 「待ってくれ」

 それをジークフリートが呼び止めた。

 「その、そのさ」

 ジークフリートは照れ臭そうに言葉を紡いでいく。

 この時、晶子の頭の中は少し混乱していたが若干落ち着いてもいた。

 これ以上はないだろう。

 騒動の後には平穏が約束されていると何となく晶子は思い込んでいた。

 しかし次にジークフリートの口から出た言葉の内容に、晶子は目を丸くした。

 「今度、僕の国で建国祭をやるんだけどさ」

 騒動の次は、更なる騒動の前触れとなって、

 「良ければ、僕の世界(うち)に遊びに来ないかな……?」

 晶子の身に襲い掛かるのであった。

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