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第一章

 小川(おがわ) 晶子(しょうこ)には幼馴染みが居た。

 とても病弱な子供だったと晶子は幼馴染みの少年のことを記憶している。

 少年は体育の授業はいつも見学をしており、些細なことで生傷が絶えなかった。晶子が連れ添って保健室に訪れたことも一度や二度ではなかった。

 その脆弱性故に、ある種の特別な子供と言えた。その特性が良く言えば同じ時間を過ごす同級生たちの注目を集めた。悪く言えば子供たちの鼻についた。それによって幼年期特有のいさかいに巻き込まれたりしたが、不思議と“イジメ”と呼ばれる現象には発展はしなかった。

 それは被害を受けた張本人であるその少年が、自身が被った痛みや被害を話さなかったことによる。家族でない晶子の方が、少年のそう言った事情に精通するほど彼は他人には、そう無関心と言えた。

 「僕は大丈夫だから」

 打たれた頬を擦りながら、少年はいつも笑いながら言っていた。

 そんな今はもう隣にいないその少年との最後の思い出は、とある日の小学校の帰り道。

 複数人と下校するその帰り際に、同級生の誰かがそれを見つけた。

 「うわあ可愛い」

 「ねえねえ抱かせて抱かせて」

 ダンボールに入った子猫が捨てられていた。

 薄汚れた白い毛皮は、そこに置き去りにされたのが1日や2日でないことを示していた。

 子供たちが夢中になっている間に、雨がポツポツと振りだしていた。そして少なくない時間が流れた夕方の時刻に、ポツリと誰かが口にした。

 「ねえ、誰かこの子を助けてよ」

 それは子供故の無邪気な要求。

 私がと晶子は言いたくなったが、両親がそれを許してくれないことを彼女は既に知っていた。

 見れば同じように口を開いては閉じる少年少女の姿が晶子の目に映る。

 みんな同じであった。

 誰もがそれが許されないことだと肌身で感じていた。

 そんな中で、

 「わかった」

 悩む子供たちの心の靄を晴らす一声に、全員が振り向いた。

 それは今まさに子猫を抱き上げている少年の、晶子の幼馴染みの少年が口にした言葉。

 「僕がどうにかする」

 再びダンボールへ子猫を返す少年のその台詞に、子供たちはホッと胸を撫で下ろした。

 これでみんな救われる。

 そう思いながら、各々が自宅への帰路に着き、


 晶子が、少年が息絶えた遺体となって冷たい雨の下で発見されたと聞かされたのは、その翌日であった。


 全員の帰宅後、少年は親に黙って雨の中で子猫を見守っていたと言う。

 何一つとして問題解決に至らず。

 そこにあったのは、“見捨てない”と言う心臓にナイフを突き立てるような冷たい決意のみ。

 病弱な少年は、その心は他人より少し優しくて、圧倒的に愚かであった。

 同時に、晶子は手遅れになりながらようやく悟った。

 少年は他人に無関心である。

 だがそれは同時に身内には、一度自分の家族と認めた相手には己の身命すら費やして全霊でことに当たるのだ。

 あのダンボールに入っていた小さな命との短い邂逅は、少年に他人ではないと感じさせる思いに満ち溢れていたのだ。

 そんな子猫を相手に、自分の身を省みず長時間、風雨に晒されていた為に元々虚弱であった少年の身体はあっという間に限界を迎えてしまったのだ。

 自分があんなことを言わなければ。

 自分があんなことを言ってしまったばっかりに。

 同級生の一人は、そんな風に泣いていた。

 そしてこの時に、晶子は初めて実感した。

 人は簡単に死んでしまう。

 そして同時に、もう一つの事実を理解する。

 もう二度と彼には会えないのだ。

 過ぎ去っていく月日に、少年の面影は消えていく。

 その中でただ一つ残っているもの。

 子猫を大切に抱える少年の背中が、今も晶子の心の中に焼き付いて離れないのだ。



 それは平凡な晶子の、普通の一日。

 その日、晶子はプリント用紙の束を抱えながら学園の廊下を進んでいた。当番で職員室の扉を叩いた晶子はその場に居た担任教師にプリント用紙の束を教室まで運ぶことを頼まれたのだ。

 そんな晶子が廊下の角を曲がろうとしたところで、ドンと軽い衝撃を正面から受けた。

 「すまん、余所見していた」

 少したたらを踏んでから晶子は抱えたプリント用紙を落とさないようにしながら正面を見る。

 相手は同じクラスの同級生。

 晶子の目に入ったのは男子の制服と緑色の鱗。

 「ごめんなさい、ギルスくん」

 「いいよ俺の方が不注意だった。そのプリント、重そうだし一緒に運ぼうか?」

 ギョロリとした眼球が申し訳なさそうに瞬きする。そんな爬虫類が学校の制服を着た容貌の男子の提案を受けて彼に晶子はプリント用紙の半分ほどを持って貰う。表皮と同様の鋭い緑色の爪が、手慣れた様子で白いプリント用紙の束に傷付けずに掴んでいる。

 教室に辿り着くと、壁に掛けられたアナログ時計はお昼過ぎを示していた。中では生徒たちが思い思いの時間を過ごしている。

 生徒のなかには、今プリントを教卓の上に置いた爬虫類の少年のように、明らかに人の形を逸脱した者もいたが、なに食わぬ顔で、いわゆる人類と呼ばれる人型の人間と、異形の生徒が和気藹々としていた。

 それはここ数年で広がった普通の光景。

 対して晶子は、

 「ありがとうギルスくん」

 慣れ親しんだクラスメイト相手に感謝の笑顔を向けた。そこでふと晶子はとある考えが脳裏に浮かぶ。

 (こんな風景が日常になって、もう五年経つんだな)

 晶子の瞳が、教室の窓の外を向く。

 そこには放課後に運動部が部活動をする校庭があったが、晶子が見たのは地面ではなくその上方。遥かに広がる青空に、

 (あの(とびら)がある光景にも慣れたし)

 ポッカリと青空の一部に孔が空いていた。

 それはまるで空というキャンバスに空いた無限に続くと連想させる大穴であり、この世界(げんじつ)と別の世界(げんじつ)を繋げる次元の割れ目であった。誰もがその存在を当たり前として享受している。

 数年前には考えられもしなかった明らかな異常が、現在では日常と化していた。

 時は、西暦20XX年。

 ある日突然、この世界とは常識も法則も異なる世界へ通じる(とびら)が生じた。その孔が存在する極東の島国・日本で晶子は暮らしている。

 晶子と共にプリントを教室へ届けたのは異世界──魔法世界【ラ・グース】の固有の生命体である“魔族”と呼ばれる種族の一つである蜥蜴族(リザードマン)の少年であった。

 他にも闘牛族(ミノタウロス)粘膜族(スライム)歌鳥族(ハーピィ)などなどの豊富な種族が教室でたむろしていた。

 「それじゃお先に」

 晶子たちの昼休みの次の予定は移動教室。

 蜥蜴族の少年は先に廊下の奥へ歩き去っていく。

 晶子もそれに続こうと廊下に出て、

 「いたいた。お~い、(しょう)ち~ん」

 蜥蜴族の少年が消えた廊下の奥から、晶子を呼び止める声が響く。

 「晶ちん発見伝っ」

 その少女は一見して普通の人間であった。

 だが服装に特徴があり、見る者を困らせる短さのスカートに制服の上からお洒落の一種としてジャンパーを羽織り顔には乙女の嗜みの化粧が生徒手帳の規約にギリギリ触れるか触れないかの瀬戸際で美しく施されていた。

 その一目見てギャルと呼ばれる人種と分かる風貌に、異彩を放つ一本の日本刀。

 「兵庫(ひょうご)さん」

 「こらこら~そろそろ友達になってだいぶ経つんだからさあ」

 「えと、つまり」

 「もっと砕けようぜ~(ひょう)ちゃんと呼んでいいんだぜ?」

 そう言って少女は、柳生(やぎゅう) 兵庫(ひょうご)は全身をぐにゃぐにゃとゴムのように滑らかに動かしながら晶子の柔らかな肩をしっかりと鷲掴む。

 「それで、その……兵庫さんはどうしてここに?」

 「もちろん晶ちんを探してたんだよ!」

 こういう時に兵庫が言うことは断りにくいと、晶子の経験が囁く。

 晶子は、兵庫と親しい。

 二人の出会いは、図書室で本を借りていた晶子が不注意で落としたハンカチをその場に出会した兵庫が拾って届けたと言うまったくの偶然。

 ちなみに必要最低限の人とのふれあい以外では、そこまで学園での知り合いが多くない晶子だが、そんな少女の隣に兵庫はよくいる。

 どちらかと言えば内向的な晶子と、内外ともに活動的なギャルの兵庫は不思議と馬が合った。

 それは兵庫が晶子の側に日々寄り添っているためであり、なので、

 「ねえねえ、今度の日曜日にどっか遊びに行こうぜ⭐」

 「うーん、どうしようかな」

 表面上は悩みながらも、晶子の答えはほとんど決まっていた。

 何故なら、兵庫と一緒の時間を過ごすのを楽しく感じていたからだ。

 「気圧やら気候やらなんやらで、最近落ち込む日が続いてるじゃん? そんな気分が落ち込んだ時は外に出るに限るのさ! アタシの三池っちもそうだそうだと騒ぐのだぜい」

 丈の短いスカート腰に佩いた長大な日本刀をストラップのように軽く振り回しながら兵庫は晶子と遊ぶんだと言って聞かない。そんなギャル少女の微笑ましい様子を眺めながら晶子は言葉を返す。

 「いいよ。今週末は暇だったから」

 「よっしゃ言質取ったなりぃ!」

 「丁度買いたい本もあったから、付き合って貰っても構わないかな?」

 「モチのロンで! じゃあ駅前のドラゴン銅像前で待ち合わせね⭐」

 そこで二人の足が止まる。

 彼女らが進んでいる廊下の窓の外から、けたたましい轟音が響いたためである。

 音源は、廊下の窓枠の眼下に広がる中庭から。

 「またやってるねアイツら~こりないんだからあ」

 先に事態を把握して感想を口にしながら窓枠越しに見つめる兵庫と、同じものを晶子は遅れながら視界に納めた。

 焦点を合わせた視界の中心には、遠く離れた中庭で立つ一人の生徒。

 その生徒に向かって、柄の悪い他の生徒が暴言を吐きながら殴りかかる。

 殴り飛ばされる思ったその時。柄の悪い生徒の姿が一瞬消失した。

 そして轟音。

 先程、晶子たちが耳にしたモノと同一の、空気が破裂した音響を鳴らしながら気付けば柄の悪い生徒は殴りかかった位置から数メートル後方へ大の字で倒れていた。口からは泡を吹いて気絶しているのが目に見えてわかる。気を失っている以外は倒れ伏した全身に外傷一つ見当たらないのは殴りかかった相手との圧倒的な実力差を物語っていた。

 次元が違う。

 明らかに、傷付かないように手加減された。

 そして同じような状態の生徒数名が、中庭の石畳に転がっていた。

 事態に出会した他の生徒たちが人集りとなってガヤガヤと話し合っている。

 「不良連中がまた英雄に喧嘩吹っ掛けたらしい」

 「本当に恐れ知らずなんだから」

 「神崎ならいざ知らず、ただの不良程度があの英雄閣下に敵うわけないのに」

 生徒たちは見る。

 この学園で、剣と魔法の異世界【ラ・グース】と繋がったこの場所においてその異世界最大の英傑と呼ばれる人物を。

 銀色の白髪に褐色の肌。

 その名前は、

 「ジークフリート様あああ!!」

 黄色い声援が女子生徒の一部から飛び交う。

 かの者は無敵にして豪傑。

 日本では竜と、異世界においてドラゴンと呼ばれる魔物(モンスター)の中で最強の一角である魔竜王ファフニールを討ち取った騎士の王。

 その美貌は女性の柔らかさと男性の荒々しさの両極を併せ持ったまさに絶世の美しさ。

 そもそも挑んだことが間違いなのだと、竜騎士王の存在はまざまざとその背中で雄弁に語るが彼自身は沈黙を重んじる寡黙な人物であり、その物静かさがミステリアスな魅力を引き立てて彼のファンを自称する女子生徒たちの熱量に更なる薪をくべるのであった。

 状況は恐らく、そんなジークフリートを妬んだ不良生徒の一派が企てた襲撃。

 どうせ顔だけだと、人前ならキザに格好つけてまともに手出し出来ないだろうと決め付けてかかったジークフリートのことをよく知らない連中の目論見は見ての通りあっけなくご破算となった。

 そして遅れて現場に到着したジークフリートの学園における取り巻きの生徒に安否を気遣れながら、英雄と呼ばれた少年は口数少なげに言葉を返した。

 「大丈夫ですか陛下」

 「ああ……僕は平気だ」

 ふとジークフリートが視線を上方へ向けた。

 束の間だけ、中庭に立つジークフリートと廊下の窓から見下ろす晶子の目が合う。すると、

 (あれ……?)

 晶子は不思議に感じた。

 それは見逃したら本当に気付けない細やかな変化であったが、偶然焦点があった晶子の視界はその変化を観察できた。

 鉄面鉄皮の英雄に相応しくない反応。

 それは、

 (あ……)

 晶子の疑問を他所に、すぐにジークフリートの目線は解かれる。

 改めて見直しても、すでに普段のジークフリートの表情であった。

 (気のせいかな……?)

 朧気な感覚は、形になる前に思考の中をすり抜けてしまった。

 晶子の方も、今の出来事を一瞬の偶然に捉える。

 そしてそのことに気付いていない兵庫が、

 「英雄パイセンは忙しいね~」

 中庭から去っていくジークフリートを見ながら微笑を浮かべる。

 ジークフリートはこの学園の2年生。

 対して晶子と兵庫は1学年下の下級生に該当する。

 「まあ、アタシらはあんな暴力沙汰とは無縁な清く正しい学生生活をしてるもんね~」

 兵庫がどこか別の世界を見るような眼差しをする。

 それは実際に自分と異なる領域に生きる他者に対する人間の眼差しであり、彼と我は違う生き物だとどこか達観するような仕草であった。

 「君子危うきには近寄らない近寄らない……って、晶ちんどこ行くの~?」

 「私はあの人たちの所に行かなくちゃいけないから」

 「そっか。晶ちんは保健委員だったもんね。でも委員だからって他所様の喧嘩にまで骨折るとか、面倒見良すぎじゃね」

 「それが保健委員の仕事だしね。それに、放っておけないから」

 「ひ~と~が~良~す~ぎ~」

 急な仕事が出来た晶子に、そんな彼女の性分を笑いながら兵庫は受け入れる。

 「それじゃ週末に~」

 そして風のように現れて風のように去っていく兵庫の在り方は、とても内気な晶子には真似できない。見ていて心地よさすら感じる。

 「よし、それじゃ行こう」

 声に出して気合いを込める晶子。

 これから気絶した生徒たちを介抱する仕事が晶子の前に待ち構えている。同時に、

 「私服、何着ようかな」

 とりあえず今週末に埋まった予定に向けて、晶子は思考の歩を進めた。



 葦原はここ数年で東京湾の海上に開発された特別区画である。その目的は東京湾の上空に開いた異世界へ通じる孔を監視・研究するためであり、向こうの異世界からこちらの世界へ移住や留学した存在の受け皿としても機能している。この区画を含めて現在では東京24区と呼称される。

 元々、外国文化を取り入れて発展してきた日本独自のノウハウが区間全域の所々で生かされており、流通は滞りなく、むしろ異世界の文化同士が融合した特異な発展を遂げている。

 その葦原のビジネス街や商業区には、日曜日となれば多種多彩な人間模様で彩られる。その中には当然こちらの世界で日々暮らす【ラ・グース】の魔族やそちらの異世界において人族(いわゆるこちらにおける人間)と呼ばれる人々も含まれる。

 「新商品の試供になりますぅ、どうぞ~」

 表通りで異世界の小鬼族(ゴブリン)の若者がアルバイトの試供品配りに精を出し、その横を魔狼族(ワーウルフ)と人間の女性たちが談笑しながら通過する。

 その人間と魔族が混在する人塵の中で、

 「ねえねえあそこのスラリンの雑貨屋で刀剣武神とのコラボポーション売ってるんだぜ。見てみない見てみない?」

 私服姿の兵庫は、同じく私服の晶子の手を引きながらショッピングモールを突き進む。

 二人ともカジュアルな服装。

 それでも兵庫は腰に履いた日本刀を欠かさず携帯している。

 「待ってよ兵庫さん。もっとゆっくり見ても」

 「いやいや、1日は短いんだぜ? うかうかしてたら運命の出会いを見逃しちゃう。あ、あれ可愛い~」

 二人は、兵庫のお気に入りの雑貨屋を眺めたり晶子の買いたい本のある書店に立ち寄ったりと思い思いの時間を過ごす。

 午前の早い時間から行動していた兵庫と晶子はあっという間に昼食の時刻へ到達した。

 「この間、晶ちんに教えて貰った小説めっちゃ面白かったよ~」

 「それはよかった。今度あの作者の他の本も持ってくるから」

 「うははい、楽しみだぜ」

 買い物袋を片手に談笑する二人が正午のランチに選んだのは、表通りの面した開放的なカフェテリア。

 SNSで評判の店に運良く待ち時間ほぼなしで来店した女子たちは手早く注文を済ませるとその場の雰囲気を堪能する。

 表通りに接したカフェテリアの、外界へ解放されたテーブル席の周囲で他の客が二人と似たような格好で喋っている。

 ここは当たりだと晶子は静かに氷の入った水のグラスで喉を潤す。店内の空気はうるさ過ぎず同時に沈黙を強要されるような重たさもないまさに休日の一時を友人と堪能するのに適したロケーションである。

 少しすると賑わう厨房からウェイターの手によって兵庫と晶子が注文した本日のランチが運ばれてきた。

 二人とも同じ料理を注文した。その理由はメニューを見て一目で気に入ったという点と料理のお値段も都市部のお店にしては一介の女子学生たちにも容易に手が出せる料金設定なのが好評価であった。

 更に盛られた料理に舌鼓を打ちながら、

 「そうそう、この間のガッコーの中庭の話。あれはないわ~まじ情報不足だって」

 兵庫は、彼女の知っている英雄に関する知識を口にした。

 「パイセンには【竜気装(ドラゴニックオーラ)】があるから、あの程度の攻撃届いたところで無駄なんだけどね~」

 「概念防御、だよね」

 「お、勉強熱心~そうだよ同じかそれを上回る強度の概念が込められた攻撃じゃないと太刀打ち出来ないって寸法さ」

 カフェテリアが内包する解放感で、兵庫と晶子の何気ない会話は話は進む。

 「普通の人間が硬いダイヤモンドの塊を殴るようなもんだよ。アイツらじゃ怪我してお仕舞いさ。待てよ、そうならないようにパイセンは不良たちを気絶させたのかも~」

 「そうであったら優しいね」

 「だよねだよね~」

 会話と食事に手と口を動かす。

 徐々に空となっていく料理の皿に使用済みのフォークとナイフを置いて晶子は先ほど眺めたメニューに記載されたデザートについて思案する。

 晶子が提案すれば兵庫は喜んで同じものを店内を周回するウェイターへ頼むだろう。

 だが、食べれば身になる。

 それが晶子には問題である。

 そこそこ運動をしている兵庫と基本日々を書物を読むのに費やす晶子ではこの点が異なる。

 どうしようか食べようかなそれともと晶子が悩ましさに額に人差し指を当てていると、

 「晶ちんの進路はやっぱり魔法科?」

 兵庫が今後の学業に関する話題を口にした。

 このように自然と会話の内容がお互いの内情に変化していくのは、学園で出会ってから短くない時間を過ごした相手だからこその特徴であろう。

 「うん、回復魔法を覚えて医療関係に進もうかと考えてる」

 「アタシは順当に家業を継ぐかな。前に話たっけ、アタシんち古い剣術指南の家系でさ」

 口で進路について話ながらも、依然として晶子はデザートに心惹かれていた。

 (ここは兵庫さんとデザートをシェアするのはどうかな。それならカロリーも丁度半分になる筈だし)

 よしそうしようと晶子はその提案を口にしようとした。そこで、

 「兵庫さん?」

 兵庫の視線が他所を向いていた。

 その視線が、二人の座るテーブル席から見える外の景色に向いていた。

 「出よう」

 「えっ」

 料理の皿はほぼ完食。

 それでも僅かに残っている食べ物に目もくれずに、

 「ここ出よう、晶ちん」

 「どうしたのいきなり」

 「ちょっと外が気になる。少し臭うって言うか」

 「臭うって何が」

 「──厄介事の臭いがさ」

 兵庫のその言葉に押されて、すぐに会計を済ませてカフェテリアの外へ。

 気付くと、いつの間にか周囲が騒々しくなっていた。

 「ああ、そう言うことね」

 すると兵庫が何かに納得して、顎を上げる仕草をした。

 「少し困るね。これは」

 「困るって何が」

 「あれ」

 困惑する晶子に、兵庫が顎でしゃくって答える。

 兵庫は、視線を上げていた。

 他にも、人々が空を見上げている。

 その先に答えはあった。

 それは見る者に威圧感を与え、晴れ渡る快晴に無数の黒点となって飛び交う。

 その嘶きは凶兆を孕んでいた。

 晶子の瞳が黒点の正体を捉える。

 「あれは、ドラゴン?」

 晶子の暮らす世界では幻想の生物であり、しかし剣と魔法の【ラ・グース】には確かに生息する危険な生物が、平穏な島国である日本の上空で羽ばたく。

 「いんや、ドラゴンはもうちょい大きいでしょ。たぶん亜種のワイバーンじゃないかな」

 危機が迫る状況でありながら、兵庫は普段と変わらぬあっけらかんとした様子。

 逼迫した状態ながらも、兵庫が現状を楽しんですらいそうなので、すぐ隣に居る晶子は冷静さを保てた。

 だが他の人間も同じとは言えない。

 群衆から悲鳴が上がった。

 それを合図にしたかのように、ワイバーンの内の数匹が羽ばたく天空から地上へ向かって落下した。鈍い地響きと共に開かれたワイバーンの口角の奥底から炎のブレスが放たれる。

 ワイバーンから放たれた炎が葦原の商業区を包み込む。

 鋭い爪で建築物の壁面は砕かれ、割れた破片が地面に飛散する。

 「いやあああああああ」

 「きゃあああああああ」

 「だ、誰か助けをっ」

 つい先程まで平穏であった日常が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。

 ワイバーンの巨大な影が人々の頭上へ覆い被さる。

 数分前までの平和な日常は、凶悪な怪物に脅かされる危険地帯に陥る。

 そして脅威の魔の手は、晶子の前にも平等に迫る。

 「兵庫さん──っ」

 叫び声が響き渡る手狭な地上において事態をどうにか把握した晶子が隣の兵庫に声をかけたその時に危険は迫った。

 地上を蹂躙する魔物の一匹が、無防備な晶子を見定める。

 コイツは格好の獲物だと歌い上げるようにそのワイバーンが晶子を見てニタリと口角を歪める。

 一瞬で構築された獲物と捕食者の関係。

 あっ、と声を漏らした晶子の頭上を大きな影が被さる。 

 これは死んだと、晶子は思った。

 それが現実になろうとして。

 鋭利な翼竜の爪が、柔らかな人体を引き裂こうとして、

 

 『さえずるな駄竜』


 そうはならなかった。

 むしろ切断されたのは、鋼鉄並みに硬い鱗で覆われた竜頭から胴体。

 切り裂かれたのはワイバーンの方であった。

 断末魔の悲鳴すらなかった。

 まさに一刀両断。

 その見事な斬撃が、更に数度続いた。

 瞬く間に地上を蹂躙していたワイバーンのうち数匹は刀の錆びとなって絶命した。

 『ふ、つまらぬものを斬ってしまったぜ』

 救世主はそう言いながら刀を、日本刀に付いた青いワイバーンの血を慣れた所作で振り払う。

 鋼鉄の如き翼竜を一刀両断したのは文字通りの鋼鉄。

 その姿は人の形を模した鋼鉄。

 全身を覆う錬鉄の鎧。

 印象はどこか和風な、中世に存在した侍を彷彿とさせるのに、実体は現代科学を凌駕する機械技術の産物。

 アニメに登場するロボットが、おおよそ人間大の姿をしていたらまさにこのような姿になるだろう。

 実際、それは空想に近しいこの世ならざる領域の兵器。

 日本刀の魂が具現化した存在。

 そんな全長2メートルの鋼鉄の巨人が、晶子の見覚えのある刀を片手に背後のジェットエンジンを唸らせる。

 『晶ちん大丈夫なりか~?』

 その声は漆黒の装甲内部から、拡声器越しに放たれた。

 「──兵庫さん」

 晶子が全長2メートルとなった友達を見上げる。

 晶子も知識では知っていたが、見たのはこれが初めての経験。

 その姿は鋼の刃。

 その形は異世界の原理が培った威容。

 晶子は固唾を飲んで友達の戦装束に見惚れる。

 それは戦闘用に鍛え上げられた日本刀が一種の美しさを秘めており、その美麗な佇まいに自然と心を奪われる現象そのものであった。

 余人には纏えない荘厳な美しさがそこにはあっあ。

 そしてその兵庫の変化した姿に晶子は護られる。

 「それが貴女の力なの?」

 『そだよ~これこそ我が刀、三池典太の真の姿なり──とか言っちゃってね』

 全てはその言葉が語る。

 兵庫は、彼女もまた異世界人。

 だが、兵庫は【ラ・グース】の住人ではない。

 力の根幹は、【ラ・グース】を支配する法則とは別種。

 兵庫は、刀装と呼ばれる機動兵器を操る。

 その名は審神者。

 器物に宿る魂を具現化して闘う戦人(いくさびと)──審神者が暮らす異世界である刀装世界【別天(ことあまつ)】の住人が柳生 兵庫の正体であった。


 ある日、日本に生じた異世界への孔。

 だが、その孔に重なった次元は一つだけでなかった。

 開いた孔で通じた行き先は、合計で三つ。

 それは三つの異世界との遭遇を意味していた。

 異世界は竜の騎士王や魔族たちが暮らす剣と魔法が織り成す【ラ・グース】のようにそれぞれ特色があり、孔が生じた特異点の葦原にはその三界の法則が入り乱れていた。

 

 

 見惚れる晶子を視界の隅に置きながら兵庫は審神者として刀装を纏ったことによって超強化された五感(センサー)を用いて、

 『とりあえず近場で他に暴れてるワイバーンはいないみたいだね~』

 周囲の索敵を完了した。

 すっかり見惚れている晶子に、その鋼に覆われた手付きで後ろに下がるように要請する。

 指示のままに晶子は兵庫から距離を取る。

 『そろそろ葦原駐在の審神者部隊も出動すると思われるので、晶ちんはそのまま安全なところで待機しててね~』

 そう口にすると、全長2メートルの人型機動兵器と化した兵庫の日本刀──三池典太が漆黒の装甲と同じ黒いカラーリングをした飛翔翼を背後から展開した。

 人型機動兵器の背中のジェットエンジンが雄叫びを上げて、地面すれすれを滑空する。

 空に黒い巨人が舞い上がる。

 それは漲る戦闘力の発露。

 それに比べて、なんの力もない一般人である晶子は天空へ昇っていく同級生の威容を見守るしか選択肢はなかった。

 『ワイバーン狩りの開始なり~!!』

 すぐに蒼穹で会敵した鋼鉄の巨人と翼竜が、命懸けのダンスを踊り始める。

 『そぉれっ一刀両断!!』

 天空で始まるワイバーンと審神者の決闘。

 それは戦闘の素人である晶子が見ても、明らかに兵庫の方が優勢に見えた。

 (それにしても、安全なところで待機って言われても……)

 このまま現状維持が良いのか。

 晶子は判断に迷った。

 周りを見回すと破壊された施設の残骸が地面に飛散して、人気はほとんど失われている。この場に残った、と言うか逃げ損なった人々はどうにか無傷で事なきを得ていた。

 (兵庫さんがこの周囲の、地上のワイバーンを倒してくれたお陰でみんな無事に──あっ)

 晶子は見た。

 子供が居た。

 親とはぐれたのか怯えて道路に蹲っている。

 そして破壊された道路を二トントラックが猛スピードで駆け抜けていく。

 その暴走するトラックの進行ルート上に子供の姿が重なっていた。


 晶子は平凡な女子学生である。

 一般家庭に生まれて、ごくごく普通に、ちょっとだけ内気に育った少女である。そんな自分のことを、

 「私はこのまま死ぬんだろうな」

 このように晶子は常日頃自身を卑下していた。

 それは端から見ればとても幸福な現実。世の中には不幸な生い立ちもあって、その中で“普通”と呼ばれる生活環境に身を置いてネガティブな想像に思考を傾けられるのはとても贅沢なのだ。と自己肯定が卑下と交互に晶子の頭の中を駆け巡る。


 そんな晶子の身体が勝手に動いた。


 駆け出す晶子の脳内で現在と過去が錯綜する。

 思い浮かんだのは、もう会えない幼馴染みの少年。

 その失われた背中と目の前の小さな子供の姿が重なりあったのだ。

 冷静に考えれば目の前の子供はかつての少年に全然似ていなかったし、襲い掛かってくる状況も違う。

 ただ、命が失われると言う現実だけは同じ。

 そう考えたら、晶子は動かずにはいられなかった。

 まるでかつての後悔を、取り返すように。

 命の危険に晒された意識が、知覚する現実をスローモーションで映し出す。

 間に合わない。

 かつて幼馴染みの落命を聞かされた時のように迫る死の断絶が絶望を示す。

 ──そんなところまで一緒じゃなくていいのに。

 致命的だ。

 ──何をしても遅いのに。

 それでも晶子は怯える子供に向かって身をさらけ出す。

 蹲る子供の肩に、晶子の両手が届く。

 しかしそこでお仕舞い。

 無防備な晶子は小さな子供を庇うだけで、自身の身を護れない。

 (──ごめんなさい)

 果たして子供の命を救えるのか。

 それだけが晶子の心残りであった。

 そして迫る二トントラックが晶子たちの全身を覆い隠す。

 (せめて私に、兵庫さんのような力があれば)

 この土壇場で無い物ねだりの祈りは、何一つとして効力を発揮しない。

 あらゆる結末は運命の筋書き通りに。 

 ただの学生である晶子には何も出来ず。

 全ては一瞬で決着した。


 「君は美しい」

 凄まじい轟音を響かせながら、走っていた二トントラックが晶子と子供の眼前で停止した。


 晶子には何も出来なかった。

 しかし、ここに奇跡を為す英雄が存在した。

 「小川 晶子さん」

 名前を呼ばれて、危険を回避した事実に呆気に取られていた晶子の意識が彼女と半壊した二トントラックの間で文字通り盾となった人物に向けられる。

 それは白髪褐色肌の竜の騎士王。

 「ジークフリート・ノヴァクルセイド……先輩?」

 「よかった。無事で」

 そしてそこで晶子は気付いた。

 ジークフリートの、英雄が口から漏らした安堵のため息の中に、この間の校庭の時と同じ表情が隠されていたことに。

 それは、

 (照れてる……?)

 晶子は知らない。

 その英雄に似つかわしくない、年頃の、それこそ幼い少年がするような顔。

 「あの、その、こんな時に言うのも何だけど」

 即ち、好きな異性を目の前にした男子が表す感情。

 「晶子さん。俺と、付き合ってくれないか?」

 稀代の英雄に、晶子はそんな台詞を口にされたのだ。


 

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