あなたのために死ぬ ⑼
ヴェートルはレドリアスを一息に殺すと、ぱちんと指を鳴らした。
途端、室内を包む炎の勢いがさらにます。
先程から聞こえていた悲鳴が聞こえなくなった、とリズが気がついて視線を周囲に向けると、既に大半の人間が倒れていた。その中には国王と妃の姿もある。
炎は今や、室内を覆うようにして至るところに火の手が上がっている。まるで地獄絵図のようだとリズは思った。
火から逃げ惑っていた人間たちが次々に倒れて
いく。おそらく、一酸化炭素が脳に回ったのだろう。リズは過去を生きている人間ではないためか、煙くささも、息苦しさも覚えない。
室内のほぼ全ての人間が虫の息となったことを確かめると、ヴェートルは両開きの扉を押して、外に出た。
先程まで近衛兵や国王夫妻が何をしても開かなかった扉があっさりと開く。
炎は室内から溢れて、廊下に移りこんでいる。
襲いかかってくる人間を魔法でいなし倒していくと、ヴェートルは静かに階段を降りていった。
突然の魔術師の反乱に王城は騒然とし、為す術もなかった。何しろ、彼らが一番に守らなければならない王は既に死んでいる。
王がいない騎士たちは統率を失い、混迷を極めていた。
一階に降り、メイドや従僕が使用する裏口の扉まで彼が向かった時だ。後ろから彼を呼び止める声があった。
「ヴェートル!待て!!」
ハッとしてリズもふりかえる。
リズの声は彼に届かない。
誰か、誰か彼を止めて欲しいのに、誰も彼を止めることは出来なかった。
走ってきたのはアスベルトだ。
彼は肩で呼吸しながらヴェートルを見た。
「お前………!」
「国王と王妃、レドリアスは私が殺しました」
「!」
「アスベルト殿下。私はもはや、この国の未来を見ることが出来ない。私にデッセンベルデングはもう、不要だ」
「待て……」
「ですが、あなたなら。あなたであれば、死にゆくデッセンベルデングに再度、命を吹き込むことができるかもしれません。国王夫妻、そして王位継承権一位の王太子を殺した私が言えるセリフではありませんが……あなたに未来を託したい。私が……いえ、レドリアスが枯らし、私が命を刈ったこの国の行先を、あなたなら再度芽吹き、育てることができると……信じています」
ヴェートルの言葉になにか感じ取ったのだろう。
アスベルトは難しい顔をしている。
幸い、このあたりに人気はなく、ふたりは静かに会話することができた。
炎は変わらず王城を包んでいるが、魔法で生み出された炎だ。同じ魔術師であるアスベルトなら死ぬこともない。
アスベルトは手をきつく握った。
「……これからの時代に、お前は必要だ」
「王を殺した逆賊が、ですか」
ヴェートルが鼻で笑う。
冷たく、凍るような容姿をした彼がそうするとあまりにも雰囲気があって、リズは呑まれそうになった。
「……悪しき逆賊は陛下たちの方だ。お前もそれをわかった上で、手にかけたんだろう」
思えばヴェートルは、国王から魔力封じを外される時に『国を滅ぼさんとする悪しき逆賊は私がこの手で屠りましょう』と答えていた。彼にとって国を滅ぼす悪は、もはやレドリアスであり、王だったのだ。彼にとって王は既に、仕えるべき君主ではなくなっていた。
「お前は英雄だ。悪を討ち滅ぼした──」
「アスベルト殿下が国を立て直すために、力が必要なのは私にも分かります。ですから……最後の置き土産を」
「………」
「陛下やレドリアス殿下は死んでいると思っているようですが、私の師、バロラリオンと、もうひとりの高位魔術師。ローベルトは生きています」
「なに……!?」
アスベルトは驚いたようだった。
それにヴェートルは頷いて答える。
ここだけ見れば、いつものふたりだった。
リズが死ぬことなく、ヴェートルが捕えられることなく、リーズリー領に異変が起きることなく。いつもの、なんてことない日常のひとつだった。
しかし、彼らの背後にはあの惨劇がある。
「高位魔術師はそう簡単に死ぬ生き物ではありません。死んだと見せかけて、どこかしらで潜伏しています。バロラリオンもローベルトも狡猾で腹黒い、まさに魔術師を体現するような陰湿な男ですよ」
「………」
ヴェートルはため息をついた。
そして、アスベルトに言った。
「王都のロベルロールの花屋を訪ねてください。バロラリオンはおそらくそこにいる」
アスベルトの背後から、仰々しい足音が聞こえる。おそらくヴェートルを討つための増援だ。今、この場を周りに見られる訳にはいかないと思ったのだろう。ヴェートルがアスベルトに言った。
「それでは。……あなたが作るデッセンベルデングを楽しみにしています」
ヴェートルはそれだけ言うと、そのまま身を翻した。アスベルトはなにか言おうとしたようだが、言葉にならなかったのだろう。
代わりにぐしゃりと髪をかきむしっている。
「……っくそ」
アスベルトが小さく言葉を漏らした。
***
また、場所が変わった。
これはいつになったら終わるのだろう。どういう終わりを迎えるのだろう。泣きすぎて、目は腫れぼったくなっている。それでも込み上げる涙は収まらない。
ヴェートルが人を殺した。
おそらく、リズのために。
リズの復讐のために。
彼はそんなひとではなかった。ひとを殺せるようなひとではなかったのに。
彼女はそれが悲しくてならなかった。
リズは自分の死に間際の時、とてつもない悲しみを感じたが、その後のことを考えていなかった。まさか、ヴェートルが拘束され、レドリアスが殺され、陛下が討たれるなど。
悪い夢なら覚めてほしい欲しいと願うけれど、これは現実なのだ。過去に起きた、出来事だ。
涙で滲む視界の中、目を開けると、そこはどこかの教会のようだった。
もっとも、壁や長椅子、至る所に血痕がついているが。
リズは血の気が引いた。
これは、ヴェートルがやったのだろうか。
ふと、物音がした。
ハッとしたリズがそちらを向くと、ステンドガラスから差し込む陽射しを受けながら、彼が跪いていた。
周囲は血に塗れ、飾られた十字架もまた赤く染っている。どこまでも現実離れした光景だった。
リズが呆然としているうちに、ヴェートルはなにか取り出したようだった。
銃、だ。
「待っ──」
「リズ」
ヴェートルが呟くように彼女の名を呼んだ。
今まで、彼がリズの名を呼ばなかったことに気が付き、嗚咽が込み上げた。
もう立っていることは難しく、崩れ落ちるように座り込む。手で顔を覆ってしまいたかったが、目をそらすことは出来ない。
「リズ………。私は死んだら、あなたに会えるでしょうか」
「そんな、の」
死なないで欲しい。
生きていて欲しい。
そう思うのに、リズには伝えるすべがない。
悔しい。
どうして。
どうしてなの。
なぜ、聞こえないの。
なぜ、彼に伝わらない。
「リズ。……リズ」
彼の声は、どこまでも優しい。
(やめて。呼びかけないで。そんな声で、私の名を呼ばないで)
「私の命は、あなたに捧げます」
「いやっ………」
「だから……あなたのために死ぬ過ちを許してください。私は、あなたのために死にたい」
傲慢ですが、とても幸せだ、と彼は呟いた。
直後、一発の銃声が、教会に響いた。




