魔術師 ⑷
「夢見が悪いと話していたな」
「夢見……?」
ヴェートルが眉を寄せた。
アスベルトは、そんな彼を見ると面白いような、擽ったいような気持ちになる。
アスベルトにとってヴェートルは、恩人のようなものだ。
アスベルトは王家にありながら魔術師に所属している。
王家の人間が軍関係に所属するのは異例の事態だったが、国王は厄介払いをしたいがためにアスベルトを、寮が完備されさらに秘匿体質な魔術師団に放り込んだのだ。
正直、アスベルトは魔術の腕より剣の腕の方が立つし、魔術の才もあまりないのだが放り込まれた以上魔術師として働かねばならない。
最初アスベルトが魔術師団に入隊した時は、アスベルトの能力値は初位魔術師のそれで、身分と能力が見合っていない彼は、秘匿体質の魔術師団でかなり浮き、孤立した。
王家の中でも忌み嫌われ、孤独だったのは変わらないが、秘匿体質のある魔術師団ではただ避けられるだけではなく陰湿ないじめもまた発生した。
魔術師の証明であるサーコートが隠されたり、切り刻まれたり、陰口は日常だった。
肩書きとは格別された魔術師界では、第二王子という出身は妬みを買うだけの材料で威光にはなり得ない。
実力主義な世界で、初位魔術師である彼は半ば荒んでいたのだが、そこで会ったのがヴェートルだった。
ヴェートルは昔から表情が薄く、言葉数も少なく、かつ人形のように整った顔立ちをしていたので、他者とは一線を画していた。
アスベルトのように意図的に迫害され孤立させられていたのと違い、ヴェートルは誰もが腫れ物に触れるような、もっといえば彼と話すことすら恐れているような雰囲気があったのだ。
実際、上位魔術師に足る実力を持っていたヴェートルはやろうと思えば魔術師のひとりやふたり、屠るだけの力があっただろう。
実力に加え、その無機質な態度や受け答えは何を考えているか分からず、彼がす、と瞳を細めるだけで背を氷で撫でられたような恐れを感じる始末だった。
ヴェートルは何事にも関心が薄いようで、魔術師同士の諍いに積極的に介入することはなかったが、それを後押しすることもなかった。
必要に応じて職務に着き、ほかの魔術師と親しくしないはずの彼は魔術師団の人間関係に疎いはずなのに、彼なりに把握はしているのか、配慮した編成を立てたりした。
それがより一層、『なぜヴェートルがそのことを知っているのか。実はヴェートルは心見の魔術でも会得しているのではないか』と囁かれ、ほかの魔術師の恐れを買うことになったのだが。
ヴェートルは幼い頃から成人し、さらには成人を経てもなお、大きく性格が変わることなかったのも、また、彼が恐れられる一因となったのかもしれなかった。
ヴェートル・ベロルニアは人間なら一般的に存在する隙がなく、あまりに完璧じみていたので、それが恐ろしいと思われる所以なのではないかとアスベルトは推測している。
尤も、彼は口数が少なく表情に出ないと言うだけで、そこらの人間とあまり変わりないことをアスベルトは既に知っているが。
ヴェートルは昔からそんな人間だったので、アスベルトが孤立していることを知っていたようだったが、それに関わらず彼はアスベルトに普通に接した。
嫌味を投げられることが常だったアスベルトはそのヴェートルの態度に最初、とても驚いた。
魔術師はその秘匿体質にある組織のせいか、陰険で陰湿な人間が多い。
そのため上位魔術師であるヴェートルもその類の人間かと思っていたのだ。
しかし、ヴェートルはアスベルトの魔術師としての才があまりにも欠けていると知ると、「第二王子が初位クラスというのはよろしくないのでは?」と言った。最初はやはり魔術師お得意の嫌味かと思ったが、ヴェートルはこう続けたのだ。
『恐れながら、私がアスベルト殿下に魔術を教えましょう。殿下の魔術を拝見しましたが……魔力は弱いものの、殿下の魔術陣は丁寧で、よく作り込まれている。努力次第では中位を目指せると思います』
ぽつりと続けた言葉にアスベルトは最初何を言っているのかわからなかった。
しかし、その日からヴェートルはその言葉通りアスベルトの魔術を見て──数年かけて、彼を中位魔術師にまで引き上げたのだ。
といっても、アスベルトは魔力が弱い代わりにそれを補うための事前準備が必要で、さらにはほかの魔術師よりも気力を必要とした丁寧な魔術陣を編むことが必須なのだが。それでも、中位魔術師の試験に合格した時、アスベルトは世界が変わったように思えた。
ヴェートルにとっては王族が初位魔術師なのはまずいと考え、必要に応じてアスベルトの魔術を見ただけなのだろうが、あの日からアスベルトにとって、ヴェートルは、恩人といって差し支えのない人間だ。
(ヴェートル・ベロルニアは感情が見えにくい。それに加えてこの容姿だ。氷のように冷たい、血も涙もない冷酷公爵と呼ばれているのは知ってる。だけど、まあ……)
そんな彼が、いつもより少しだけ感情が見えやすくなる時がある。
それがヴェートルの幼馴染、リズレイン・リーズリー公爵令嬢の話をする時だ。いつもは人形のように感情を感じさせない彼が、彼女の話をする時だけ人間らしくなる。
その変化を、アスベルトは友人として好ましく思うと同時に面白くも思っていた。
しかも、ヴェートルの恋路はリズの様子を見るに苦難しているらしい。
彼は頷き、以前リズと会った時のことを話した。
「悪魔に捧げられる夢、ですか」
ぽつり、ヴェートルが呟いた。
支度を整えていた手はすっかりと止まっている。
「悪魔と言えば、悪魔病と悪魔崇拝者の存在がすぐ思い浮かぶ。なぜリズレイン嬢がそんな質問をしてきたのかは分からないが……心当たりでもあるのか?」
「……いえ、そうですね。リズのことはひとまず、リーズリー公爵領を見てから考えます」
悪魔崇拝者は、悪魔病の根源である瘴気を浄化して回る魔術師とは対の存在になる。悪魔崇拝者を捕縛し、警邏に引き渡すのもヴェートルたち魔術師の仕事だ。
悪魔崇拝者を拘束する時の罪名は『国家転覆罪』となる。悪魔崇拝者は、魔術師を減らし瘴気を増やすことを目的としているので、野放しにはできないのだ。
アスベルトは、リズの急な質問に違和感を感じていた。ヴェートルの想い人であり、辺境領を多く所有するリーズリー公爵家の一人娘。
その娘が悪魔崇拝者であったなら、かなり大変なことになるだろう。
(あの感じを見るに、なにか俺に探りを入れてきた、というわけではなさそうだが……)
ヴェートルの手前、あからさまにリズを疑う発言はしにくい。
だけど、内心アスベルトはリズを疑っていた。
アスベルトは口にはしなかったが、ヴェートルもアスベルトの考えを察したのだろう。
それを、ヴェートルはリーズリー公爵領から戻るまで保留にすると口にしたのだ。
「……あまり、彼女には関わらせたくなかったのですが──仕方ありませんね。リズのことをお願いします」
意外にも過保護だ。
リズに振られてると聞いているのに、ヴェートルはまだ強くリズに心を残しているらしい。
「分かった、早く戻れよ」
でないと、レドリアスが何をしてくるかわかったものでは無い。
アスベルトはあの夜会の後、レドリアスがリズにちょっかいをかけたということをヴェートルに手紙経由で知らせている。
それもあってヴェートルはアスベルトにリズを見てもらうよう頼んでいるのだろう。
実際、レドリアスが権力を使ってリズに何かしようとすれば並大抵の貴族では太刀打ちできない。
可能とすれば同じ王族か、王族に楯突いても許される程度の高位貴族くらいだろう。
そしてその高位貴族の多くは自己保身に忙しい。他人であるリズのために家を危険に晒してまで動くはずがない。
「できる限り早急に戻るようにします。勘づかれてはいけませんので」
ヴェートルは短く言うと、サーコートの前を紐で結んだ。おりよく、扉がノックされた。
ヴェートルの旅の支度が整ったのだ。




