過去と今 ⑸
「は?」
驚いた声を出したのは隣で話を聞いていたロビンだ。彼もまた、リズがここ最近ずっと夢見が悪いことを知っている。
あまりにも酷い時は、アヘンチンキをホットミルクに混ぜて飲ませるよう、父公爵はメイドに指示を出していた。
今まで体験したことはただの夢ではなく現実世界で起きた過去の出来事なのだと、彼女が気づいたその夜から。彼女は健やかな眠りとはほどとおい夜を毎日迎えている。
しかし、その悪夢の詳細をリズは決して誰にも話さなかった。覚えていないとリズは話していたし、無理に話させることでもないと父公爵をはじめとし考えていたからだ。
その、悪夢の内容をまさかここで聞くことになるとは。ロビンはリズに他にも聞きたいことが色々とあったが、リズとアスベルトの話はまだ続いている。
「殿下は、悪魔とはなんだと思いますか?」
声はカラカラに干上がってしまった。
アスベルトが『儀式』を知るものなら、確信をつく問いかけだ。強い眼差しで見る彼女に、アスベルトは少し考え込んだように黙り込んだ。
「……悪魔、と聞いて俺がすぐに思い浮かべるは悪魔崇拝者の存在だな」
「悪魔、崇拝者?」
思わぬ言葉に驚いてリズは言葉を繰り返す。
アスベルトは目を細めて彼女を見た。
「『悪魔崇拝者』。現デッセンベルデングの教えである女神教を否定する内容であり、その名の通り悪魔を信仰する宗派だ。その悪趣味な信仰内容から、邪教とも呼ばれているな」
デッセンベルデングには昔、この地に降り立った女神が災厄を封じ込めたという神話が残っているためか、女神教を信仰するひとがほとんどだ。
その女神教の教えを拒否する宗派が悪魔崇拝者、ということなのだろうか。
(少なくともあの時、『悪魔の儀式の生贄に』という言葉は聞いた。心臓を捧げよ、という言葉も……)
「悪魔崇拝者の目的とはなんでしょうか?」
「……悪魔の復活だ。彼らは、悪魔こそが自分たちの求める世界を作り出す神だと信じている。実際、悪魔がひとを救ったなどという文献は残っていないし、そもそも悪魔を召喚できるかすら不明なのだが……まあ、それを言ったら神話そのものの信ぴょう性すら危うい、という話になるな。建国神話など、国の名前に泊をつけるためだけに後付けされた作り話だ」
それを言ったら元も子もないことをアスベルトは口にしたが、リズはその言葉を忘れることが出来なかった。アスベルトは、リズとロビンが退席することを惜しんでいたが、むりやり引き止めるつもりはなかったようで、その場で別れた。
リズはぐるぐるとアスベルトの言葉ばかり考えていた。
『心臓を捧げよ』
『悪魔の儀式の生贄とするために』
リズが死に際に聞いた言葉だ。
(悪魔の儀式の生贄──。彼らが望むのが『悪魔の復活』なら、そのための生贄に私は選ばれた?でも、なぜ……?)
なぜ、リズなのだろうか?
儀式の生贄といえば、乙女を捧げるのが一般的だ。だけど乙女なら公爵令嬢のリズでなくても、もっと攫いやすい娘がほかにたくさんいるだろう。
わざわざ、警備体制の敷かれた公爵家に忍び込むというリスクを犯してまでリズを襲い、生贄にする意味は……?
(アスベルト殿下は他にもなにかご存知そうだった。ヴェートル様も知っているのかもしれない……?)
いや、もしかしたらヴェートルこそが悪魔崇拝者のひとりなのかもしれない。それなら、リズを襲い、悪魔の儀式の生贄に捧げようとしたのも納得がいく。
だとしたら、その友人のアスベルトもまた悪魔崇拝者の一味ということになるのだろうか。
(でもアスベルト殿下の言い方は、悪魔崇拝者どころか建国神話も信じていないような言い方だった)
神話自体眉唾ものと考えてそうな口ぶりだ。
そんなひとが悪魔の復活に救いを求めて信仰するとは思えない。
リズは新たな疑問に思考が奪われ、妹を心配そうに、あるいは観察するように見ていた兄の視線に気がつくことは無かった。
その時、背後から足音が聞こえてきた。リズたち以外にも夜会を後にしようというひとがいるのだろう。ついアスベルトと話し込んでしまったが、ここは廊下だ。
ハッとしたリズが場所を開けなければと考え顔を上げる。
しかし、固まってしまった。
黒髪に皮肉げな笑みを浮かべリズたちを見ているのは──。
(レドリアス殿下……)
アスベルトの五つ上の異母兄で、デッセンベルデングの王太子、次期王位を継ぐ人である。




